七月は、途中まで天神祭ルポで大いに盛り上がっていたが、母が大阪に帰って来てくれたので、花火を見に行くことも、川辺で大阪締め(大阪手打ち)をすることも中止になった。母とは、普段離れて暮らしているので、あきらかに大好きな天神祭ではあったが、比べても、母と一緒のほうがよかった。
今年、79歳になる母は、群馬で住んでいるが、昨年亡くなった叔父の法要のために大阪に帰ってきた。しばらく親戚の家にいるかとおもっていたので、文楽に言ったり、のんびりしていたが、月末はあんたのところに行くからね。と急に電話があって、25日に待ち合わせをした。一緒にお祭りに行こうと誘ったが、多分断るとおもった通り、まっすく家に帰る結果になった。古い家だが、広さは十分にある我が家は、どこより、のびのびとしてもらえて、ゆったりとしてもらえるだろう。
何が楽しかったと言うと、だらだらとおしゃべりをするだけで有意義な時間におもえた。群馬と言う土地で暮らしているが、もう大阪に帰ってくる気はないの?ストレートに聞いてみたが本人はいまの暮らしに満足しているのか、すぐに首を横に振った。
母は、いっぱい話をしたが、中でも、年金のことで、聞きたいことがあるのと言って、家に届いた、送られた書類を見せた。私に書類に目を通して欲しい。どうしたらいいのか聞いてきた。私にもちんぷんかんぷんであった。
「社会保険事務所に年金相談室があるから着いて来てくれる?」「いいよ」。
父のとくべつ年金書類には、誕生日が記載されていたが、明治生まれになっていた。明らかに誕生日の相違や、母のとくべつ年金書類には、働いていた会社も記載漏れがあった。
ちんぷんかんぷんのときは、年金窓口に出向くことをお勧めする。多少時間はかかったが、父の生年月日も訂正され、母の働いていた会社も、追加され、全部クリアになった。
私は早くに、父を亡くしたので、父の名前を書くことも、目にすることもあまりなかった。社会保険の窓口で相談にのってもらって、書類に記入するときに父の名前を何度も書いた。壽の難しい文字が書けなくて、寿にしたら、父の名前ではないような気がしたが、係りの人は、簡単なほうで結構ですからと、関心のないような声で言った。
誕生日でさえうろ覚えであった。明治11年11月11日、間違っていた生年月日でも、母がいなければそんなものだとおもったかも知れないが、母は胸に痞えていたものがスーッとしたと言って喜んでくれた。私も、母と同じく、年金の相談に行ったことで、父親との接点があったことで、当たり前ではあるが、嬉しかった。
母は今日、新幹線で群馬に帰った。妹が東京まで迎えにいてくれて、娘と見送りに新大阪駅まで行ったが、別れ際にいつも泣いていた私は明るく手を振ることができた。娘も「おばあちゃん帰っちゃったね」と言ったが、寂しそうではなかった。
そんな母との毎日がbachmoonの7月でした。そして、いつの間にか8月になっていた。
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