2008年12月25日 (木)

ボタンの気持ちホームページがついに完成

ボタンの気持ちの活動を自分なりに、ホームページにまとめることを実行しようとおもっていた。おもうところがあって、ニフティのブログをやめようとおもっていた。

その二つのことが重なって、ボタンの気持ちのホームページがつながったらニフティのブログをやめようとおもった。

デジタルステージの「ID for Web LiFE」を使用。なかなかログインできなくて、来年に持ち越されるかとおもっていたが、ようやくつながった。

何かを伝えたい気持ちでブログを書いてきたが、やめるとなるとどうしていいのか、単に契約を打ち切ってしまえばいいものだが、今までアクセスしていただいた方にもbachmoonの気持ちが伝わる方法はないかと考えていた。

これからも、どんどん自分のしたいことを表現していきたいとおもっている。

nityのココログで書いてきたことをいつもご覧いただいたことをありがたくおもっていました。

ありがとうございました。今後ともよろしく!

また書いていきますので・・・・手紙でも・・・

http://www.2933pias.com

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2008年8月17日 (日)

姫路で落語会

16日は、オリンピック野球、韓国戦負けましたね。阪神の新井選手を応援している娘と一緒に見ていましたが一喜一憂と言う言葉の通り、そのままの戦いでした。残念ですがしかたありません。次の戦いを期待いたしましょう。試合が長引いていたのでこんな時間になりました。

16日は、桂雀々さんの落語会を追いかけて、姫路まで足を伸ばしました。第二回播州寄席。「桂雀々噺を聴く会」

実は、いつも落語会をご一緒する、田中さんにも、「何で、姫路なんと・・」、もちろん、自分で突っ込みながらの、姫路いり。しかし、交通費掛けても、観光ループバスで、姫路城の周りを一周して、ウキウキ一日でした。

立派な文化センターの小ホール。500名は入る。やや横長で、散漫になりがちな舞台でしたが、会場の雰囲気などこの際関係なく、笑って笑って、笑うために行った落語会。

桂吉弥さんは、いつまで「ちりとてちん」のネタでいくのでしょう。なわて寄席に続き二回目のちりとてちんに笑えず。上手なんで、ネタをいっぱい機関銃のように出した方がいい。ちりとてちんも受けるとおもうけれど、微妙なところだとおもう・・・。次に進むには、停滞はよくない。まくらも同じでは、吉弥さんの落語は追いかけられない。

桂雀々さんは落語二席。最初の「代書屋」、会場は笑いの渦に包まれ、久しぶりで楽しい噺でした。中入後の、雀々さんの落語は、「んまわし」田楽くいに、大好きなネタがかかり、お客さんがいっぱいの会場、私も負けずに笑いました。姫路文化センターのお客さんは本当に笑って笑っていました。

最近の落語会は、落語終演後に雀々さん登場がないのがさびしい。業務連絡をまくらで言われるのですが、その業務連絡もないので、サイン会もないのだ。

ビデオを上下巻買う気十分の石田さんも、躊躇しているのは、落語終了後のサイン会が無いためで、下巻だけが欲しいbachmoonもおなじおもいである。

次の予定は、文紅師匠の奥様からご案内をうけた、守口ホールでの紅亭、笑福亭鶴瓶さん出演の落語会がある。(9月14日14:00開演。守口エナジーホール)。チケットはゲットしている。

豊竹英大夫の「繁昌亭DEおはんちょう」。義太夫と落語のコラボレーション。(9月24日18:30開演。天満天神昌亭)。チケットあるかなぁ。

ときどき落語会も息抜きができていいものだ。9月も楽しみ、楽しみ。

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2008年8月15日 (金)

モンスターエンジン

先日、8621の宇野さんから久しぶりに電話があった。8621になかなか行けないことや、最近よく落語会に行っていることなどをお話をした。電話を切る直前、バラエティー番組は、ほとんど見ません、というようなお話があった。面白くないと言う理由は聞き逃した。別に隠しているわけではないが、私のバラエティー(お笑いを中心)好きの実態を知っても、おそらく、宇野さんは、「想像もできないよ」と言われるだろう。

モンスターエンジンが、朝の、讀賣テレビ「スッキリ!!」に登場していたので驚いた。

「神様ネタ」をする二人組が面白くて、それが、モンスターエンジンだった。深夜番組に、必ず現れる番組を楽しみにしていた。

大阪の深夜番組ジャイケルマクソン」放送後に、「あらびき団」(水曜・毎日テレビ深夜0:55)に誰も見ていないと言えば失礼になるが、寝静まっている時間帯である。しかも、30番組の中に、何人かの芸人が、新ネタを披露するスクエア的な番組で、持ち時間は、多くて3~5分のコントである。前々回の番組で、司会の東野さんが、藤井隆さんに、東京の番組のオーディションを受けたが、全て落ちたと言う話をしていた。「僕らもモンスターエンジンの見方を変えなあかんちゃうかな・・・・」。それを、ふ~んとおもって見ていた。

相方の人は、パニックを起こす人間になって、願い事をし、次に、神様が現れる。神様役の人は、髪が長く、バンダナをしている、上半身裸、ちょっと長めの海水パンツをはいている。人間だった人が実は、神だった、それもこれも全て「・・・・・神々の戯れ」が落ち。それがどうしたというネタなのだが、やはり面白いとおもっていたギャグがあらびき団以外の番組で見ることができたことは嬉しいことだった。

言葉を自在に操るわけでもないのだが、巧みな話術があるわけでもないだが、神様ネタは、すぐに笑えた。今日のスッキリでも時間勝負にぎりぎりセーフという結果、危うさがないとはいえないが、東西対決で、西のモンスターエンジンが勝った。どんな対戦なのか、わかっていいないが、目白押しのオリンピック番組の最中、奇跡的な快挙ではないだろうか。びっくりしたと言う感想。素直な気持ちである。

明日の、「スッキリ!!」にまた出るのか、番組構成をあまり知らないので、なんとも言えない話であるが、もし、また、モンスターエンジンを見ることがあれば、笑ってください。

「それは・・・・・神々の戯れ」

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2008年8月13日 (水)

じぶんで作る

ボタンの気持ちの活動を始めるまでは、自分では、強調性が無いとおもっていた。確かに、仲間とひとつのものを創り上げて行こうとするとき、互いにいいものを出し合って、力を合わせていくことの心地よさは、今まで味わったことのない、気持ちだった。

「じぶんで作る」。まず、作ってみる。そのことが大事なことを、忘れがちで、誰かの力に頼ってなかなか自分で物を作ることをしなくなったようにおもう。

今、手作りで作ってみたいとおもっていることはいっぱいある。たった一つの自分だけの本を、出来れば「じぶんでつくる」。ボタンで、自分だけのブレスレットやチョーカー、帯止めや簪も作ってみる。自分で考えたものを、自分のセンスで作っていく。楽しいことだ。

家にある、必ず、きっとあるボタン。BUTTON。

探してください!!ビスケットの缶カンに、あるいは、おかきの箱に、ぎゅっと詰め込まれた古い古いボタンを使うこと。出来るだけ家にあるボタンを使う。

2004年から始まった、ボタンの気持ち活動は、「ボタンを使う」を基本に、ボタンを使った作品をじぶんで作ってみる。まだまだボタンの存在に気づいていない、多くの人が、家に眠っているボタンを探しだし、(まず、家のボタンを探すことから始めること。必ずどこかにあるのだ。)。そして、お気に入りのボタンを使った作品を「じぶんで作る」ことを、これからも呼びかけていくつもりだ。第3回ボタンの気持ちの作品展が、今年の秋にも開催予定。まずは、おしらせまで。

会期:2008年11月10日(月)~22日(土) 13:00~19:00

会場:アトリエfiore

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2008年8月 8日 (金)

bachmoonの8.8.8

北京オリンピックの開会式が迫っている。8月8日8時8分の期待が十数時間後に高まる。

中国には、八は縁起のいい数字で、この日を選らんだことは、8.8.8と並ぶことで決められたと聞く。どんな事にも縁起を担いで物事を決めることはあるのだろう。今日は、オリンピック開幕の日。誰の記憶にも、8.8.8.がしっかりと刻まれることは間違いないが、競技でも忘れられない北京オリンピックになればいいと願うのである。

縁起がいい八が重なり、おめでたい日だということで、上海をはじめ、オリンピックの開会式にあわせて、2008.8.8の日に婚姻届を出すカップルが増えているという。

私の記憶では、平成8年8月8日に電撃結婚をした人がいた。

たしか、8年8月8日の数日前に知り合って、プロポーズされ、身一つでその人の元に嫁いだ人だった。全てをその人にかけ、その人の胸に飛び込む勇気、8年8月8日に結婚してくれる人と結婚をした縁起を担いだ男。誰の夢にのったのか、誰かの真似をしたのか(ちなみに私は平成7年7月7日に結婚届けを出したが、離婚をしている)。寿結婚をして、退社した、そのときの彼女が、毅然としていた事だけを覚えている。

きっと、そのときおもったことは、相手を別に沢山知らなくても結婚にはある情熱を突き動かす、何かきっかけみたいなものがあればできるのではないか、ということ。今でもおもうことだが、それは、結婚と同時に、離婚も同じようにきっかけがあれば実行されるということではないだろうか。結婚も離婚も、思いがけない出会いで生まれもするし、壊れることもある。それは、出会った人しかわからない。

オリンピック開会式が朝の8時だとおもって早起きをした。朝の日差しに、近くの朝顔が今年もきれいに咲いていた。その朝顔は縁起がいい8.8.8の今日と言う日を知らなくても、毎年同じように咲いている。見事に咲いている。

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2008年8月 3日 (日)

変だとおもった・・・

大阪では、愛染祭りを皮切りに、夏祭りが各地で行われ、花火大会があったりすると、浴衣姿の女の子が電車に乗り込んできたり、ホームですれ違ったりする。

浴衣姿などは、若い人が着てくれると、なんとなくおばさんは、批判的な目でみてチェックしたり、大丈夫かとおもったりするが、綺麗に着こなしている子や、胸元が美しいと風情があっていいなとおもう。浴衣を着ることを選んでいること、着物っていいなと改めておもった。今年は、花柄や古典柄のシンプルなものが多かった、帯にレースをあしらったものや、帯締めが光物で決めている子もいて、華やかさがあった。彼女たちのファッションセンスには驚くものがあった。私も、着物が似合うとほめられたこともあったが、それはほめられているわけでもなく、ずんぐりむっくりの体形には着物がいいらしく、おそらく、撫で肩の私は、本当に着物が綺麗に着こなせるとおもうのだが、浴衣くらい着て出歩くくらいにならなければいけない。

さて、先日、8月1日の日に出会った女の子たちが、何故かすれ違いざまに違和感があって、着物の柄や、化粧の仕方が問題ではなく、それがなんだか分からなかった。「変だとおもった・・・・」彼女たちの着ていた着物のあわせが、左前ではなかったことだった。

母から教えてもらった、着物の前は左を前に、「左前と覚えておきなさい」。

女の子は二人とも、逆に着ていたのだ。彼女たちの着物デビューデーはどんな一日だったのだろう。今でも気になっているのである。

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2008年8月 2日 (土)

bachmoonの7月、そして8月

七月は、途中まで天神祭ルポで大いに盛り上がっていたが、母が大阪に帰って来てくれたので、花火を見に行くことも、川辺で大阪締め(大阪手打ち)をすることも中止になった。母とは、普段離れて暮らしているので、あきらかに大好きな天神祭ではあったが、比べても、母と一緒のほうがよかった。

今年、79歳になる母は、群馬で住んでいるが、昨年亡くなった叔父の法要のために大阪に帰ってきた。しばらく親戚の家にいるかとおもっていたので、文楽に言ったり、のんびりしていたが、月末はあんたのところに行くからね。と急に電話があって、25日に待ち合わせをした。一緒にお祭りに行こうと誘ったが、多分断るとおもった通り、まっすく家に帰る結果になった。古い家だが、広さは十分にある我が家は、どこより、のびのびとしてもらえて、ゆったりとしてもらえるだろう。

何が楽しかったと言うと、だらだらとおしゃべりをするだけで有意義な時間におもえた。群馬と言う土地で暮らしているが、もう大阪に帰ってくる気はないの?ストレートに聞いてみたが本人はいまの暮らしに満足しているのか、すぐに首を横に振った。

母は、いっぱい話をしたが、中でも、年金のことで、聞きたいことがあるのと言って、家に届いた、送られた書類を見せた。私に書類に目を通して欲しい。どうしたらいいのか聞いてきた。私にもちんぷんかんぷんであった。

「社会保険事務所に年金相談室があるから着いて来てくれる?」「いいよ」。

父のとくべつ年金書類には、誕生日が記載されていたが、明治生まれになっていた。明らかに誕生日の相違や、母のとくべつ年金書類には、働いていた会社も記載漏れがあった。

ちんぷんかんぷんのときは、年金窓口に出向くことをお勧めする。多少時間はかかったが、父の生年月日も訂正され、母の働いていた会社も、追加され、全部クリアになった。

私は早くに、父を亡くしたので、父の名前を書くことも、目にすることもあまりなかった。社会保険の窓口で相談にのってもらって、書類に記入するときに父の名前を何度も書いた。壽の難しい文字が書けなくて、寿にしたら、父の名前ではないような気がしたが、係りの人は、簡単なほうで結構ですからと、関心のないような声で言った。

誕生日でさえうろ覚えであった。明治11年11月11日、間違っていた生年月日でも、母がいなければそんなものだとおもったかも知れないが、母は胸に痞えていたものがスーッとしたと言って喜んでくれた。私も、母と同じく、年金の相談に行ったことで、父親との接点があったことで、当たり前ではあるが、嬉しかった。

母は今日、新幹線で群馬に帰った。妹が東京まで迎えにいてくれて、娘と見送りに新大阪駅まで行ったが、別れ際にいつも泣いていた私は明るく手を振ることができた。娘も「おばあちゃん帰っちゃったね」と言ったが、寂しそうではなかった。

そんな母との毎日がbachmoonの7月でした。そして、いつの間にか8月になっていた。

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2008年7月21日 (月)

笑う準備

最近のお笑い過剰時間帯に、ちょっとだけうんざりしてきた。爆笑レッドカーペットやウンナン極限ネタバトル!ザ・イロモネアなどは、ゴールデンになってから、面白くなくなった。一瞬芸には特に厳しい、短い時間で笑わせられることがいやな人たちを集め、過酷な挑戦をさせている。この番組に出る芸人さんのなかで、持ちネタが確立している人、柳原さんが五人を笑わせたときも「いらっしゃいませ~」のあの声が、決め手になっていた。例えば、ダブルボケのしゃべりくり漫才「笑い飯」ににサイレントが似合わないようにおもった。若手もベテランも、挑戦と言うふざけたシステムで築き上げた芸を粗い芸にして欲しくない。じっくり笑いに取り組んで欲しいとおもうのである。

落語は、好印象の素晴らしい落語であっても二十分では表現できずにいる、コマーシャルが入るテレビには不向きだとおもう、紅梅亭、上方落語会などと銘打って放送しているが、深夜に近い時間帯に当てられることも多く、落語通でもないかぎりこの時間帯の落語会はちょっとだけつらいものだ。しかし、ないよりましで、「悋気の独楽」や「はてなの茶碗」など、今は、テレビ小説「ちりとてちん」放送の好印象もあり、どんどん落語番組が増えて欲しい。

先日、笑いの番組で途中から見た創作漫才を作る。が面白かった。いくつかお題をもらって、二時間以内に創作し、7分くらいの長さの漫才をかけると言う番組があった。

タカandトシ、笑い飯、ザ・サンドイッチマンの三組が順番に、本来の自分の漫才にこだわり時間内に力を出し切るという、落語で三大話を取り入れ落語を作っていく番組があったが、その漫才版であった。あいにく、最初からみていなかったので、最初のタカトシ(タカandトシ)の漫才は見逃したのでなんともいえないのだが、二番手、三番手の笑い飯、ザ・サンドイッチマンの漫才は、それぞれの腕を、遺憾なく発揮していたようにおもった。

番組名を覚えていないが、ダウンタウン主導の、ゴールデンで、時々登場する、相方をCHANGEして漫才を創作していく番組も、普段のテレビの画面では見られない緊張感があって、楽しみにしている。

笑いと言うものは、すぐ笑いつながるものも、考え落ちのようなものも含めて、作者は練りに練ったものをつくりだしているのだから、笑う方もテレビ的な面白さの中毒みたいなもので笑いたくないとおもっている。気になって見ていた番組が、ゴールデンに上がっていくと、やはりこうなるのかと、がっかりしているところだ。(ただし、「すべらない話」は別格である。)

同じ時間帯で「アンフェア」のときも悩みながら見逃さなかった「リンカーン」や、月一の「ごぶごぶ」や、ジャイケルマクソンの後に見る、「あらびき団」を見る気力。当然「ノブナガ」まで見ると、内容は覚えていないとくる。夜中に笑うことは何年も前から平気だ。常に笑う準備は出来ている。

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2008年7月20日 (日)

生活の中の音

お隣りの犬は、郵便配達のバイクや新聞配達、宅配業者の乗り物に反応して、すぐ鳴くので煩わしいことがあって、生活をしていると、いろんな音に悩まされるが、犬の鳴き声がある日、世界のナベアツの数える犬の鳴き声に聞こえてきたので、おもわず笑ってしまった。

蝉がようやく活発に鳴き始めた。あぁ夏が来たんだなぁと実感できる。昨年は蝉の異常発生で、我が家の庭にも蝉の抜け殻があちこちに見られたが、今年も同じくらい蝉が発生しているとはおもえなかった。蝉時雨といえば、藤沢周平さんの小説『蝉しぐれ』をすぐ連想してしまうが、連なった強烈な音は、文学の音にもつながって、本棚の分厚い文庫本をさがし、藤沢周平モードになるのである。同時に、昔見た、テレビドラマの挿入歌のような音楽が流れる。妙に懐かしさを感じさせる小説である。

今日の朝十時は、月1回のサイレンの日であった。

サイレンの日は、サイレン当番の家から合図のサイレン音がなり、思い出したように、次々と思い思いのタイミングでで自宅のサイレン音を押すのが決まりであった。

隣近所は、古いお宅も多く、お年寄りも多く、一人暮らしのお宅に何かあればサイレンで知らせるということで始まった事情があるが、同じ町内でも、右隣りから数えて数軒のお家だけの合図で、新築の多い左隣りのお宅には関係のないことであった。

次は我家のサイレンのベルを押すぞ! と待ち構えていたところ、先の人の押したサイレンが鳴りやまず、サイレンが続くと異様さをまし、静かな朝の空にサイレンが鳴りっぱなしになった。鳴っているのが「緊急事態発生」と言うような音なので、左隣りのご主人が心配そうに出てこられた。

サイレンは日常の生活音ではありえない音でも、我家の右隣の数軒だけは、生活の中の重要な音になっている。

まるで、蝉時雨のように、サイレンの音はしばらく止まらなかった。

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2008年7月17日 (木)

燕の巣が、駅の近くの、ヤマハ教室のあるビルの、自転車置き場の上にあった。もうそろそろ巣立ってもいい頃なのに、小さな巣には三匹の燕がいて、お母さん燕を待っているようだった。「何で、こんなところにいるの。お母さんは何で知っているの?」娘が写メールを撮っている。ヤマハ音楽教室の受付の仕事を、ほんの少しだけお手伝いしていたことがあって、その頃にも燕が巣を作っていた。

温暖化の影響か、のんびりしているのか、同じ巣にヤマハの燕は大きく育っていた。いずれ巣立っていくだろう。それにしても、もう七月の中旬なのにのんびり屋さんだ。

初夏のイメージはあるが、季語は春。

『玄鳥』 藤沢周平の小説を買って、あまりにももったいなくて、しばらく読まずに置いて、本棚にしまっていたことがあった。

ヤマハの仕事は、骨折もあって、子供相手の受付の仕事は体力的にも難しくて辞めたが、生徒さんたちとの何気ない会話も、新鮮で楽しかった。

七夕の短冊に書かれた拙い文字「早く六歳になれますように」

この短冊を見て、子供っていいなとおもった。かつてこんな少年少女時代が私にもあったとおもうが、これからも出来れば、さわやかに生きたいとおもう。

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2008年7月16日 (水)

骨折から一年

Miti2 

昨年の今日、家の近くの急なのぼり坂を上りきれなくて転倒し、自転車から落ちて骨折をした。

今頃、ちょうど、ギプスをしてもらって、家に帰ろうか、入院するか、迷っている所だった。二人部屋の一室、誰もいなくて心細い夜を過ごしたが、次の日、陽気な方が入院してこられて、その後四人部屋に変わっても寂しいとおもわずに過ごせた入院生活だった。一年が、ようやく過ぎて、本当はもっと早くから復帰しているのだが、一年目の今日、入院していた病院に行って、手術の際、骨を固定するために入れたプレートを外すかどうか、相談に行ってきた。

「「律儀な患者さんですね」先生がそう言うてはったわ」看護婦さんからそういわれてみると、たまたま主治医の先生の診察日が水曜日だったもので、ちょうど丸まる一年目に病院に行くこともなかった。

レントゲンを撮りましょう。今日担当してくださった先生もレントゲンを見て、「なんときれいな手術でしょう」、と言われた。

「それって手前味噌というのでは」とおもったけれど、言わずにはおれなかったくらいレントゲンが熱く語っていたのでしょう。主治医の先生の手術は、本当にすばらしい手術だったのだ。

すぐにでも手術の必要があるかといえば、そうでもないので、ご自由に。担当の先生のご意見はそういうことで、今すぐプレートを外す必要があるわけでもなかった。

病院は行かないほうが良いに決まっているが、健康になったことを確認することはなかなかいい。

日ごろ、不養生の数々の私だが、この骨折では、いい経験をさせてもらった。歩けないことがあるなんて、歩けるようになったことを改めて、感謝の気持ちでいっぱいだ。「リハビリももういいですよ。」先生からそう言っていただき区切りがついたようでホッとしている。

さて、真剣にダイエットを考えないといけない、とおもって、今実行していることは「良く噛むこと」。脳に食べたという指令が届くまで、20分はかかるらしく、早飯食らいは、どうもいけないようだ。

後は毎日の歩く運動を続けよう。ギプスのときや、松葉杖で歩けない時期に、ものすごく太ったこと、ダイエットに今取り組まないといけないことを実感している。「シネマな夜」で集まることがあっても、皆さん、あまりの変身ぶりに驚かないでくださいね。

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2008年7月15日 (火)

シネマな夜  再び

映画の会を始めて、十一年、100回記念か、100人映画好きが集まるのが早いか、そのどちらでもなく数年前から停滞している、映画を熱く語る会「シネマな夜」。52夜まで集まったことを覚えているが、私の骨折もあって、なかなか会う機会を逸している。

中心的人物ssmさんは、自身の繊細な、それでいて尖った感覚で物事で直視し、映画でも文学でもあらゆることに理解を深める人であり、よき友人である。、建築家ではあるが、映画監督のような性質をもち、あるいは建築家と映画監督は似ているのかもしれないが、真剣に組み立て、すべてのことを明らかに構築することが出来る人である。

もう一人のメンバー貴地ちゃんは、イラストレーター。いまだに、コンピュータは苦手らしく、でも、アナログてきなところは、貴重だと私はおもう。「シネマな夜」も貴地ちゃんがいなかったら、私のイメージする理想の会ができなかたし、しばらく続いた議事録も、貴地ちゃんならではの紙面でみんなを唸らせていた。

二十数名の、そんなシネマな夜のメンバーの大切なことも、横において、今、落語に走っているのは、ライブ派という考えがあってのこと。1980年代に「愛の嵐」を見たあと、映画を見ることを、一時中断して、文楽を見続けたように、今しばらく映画を休んでもいいと判断して、落語に通い続けていることも自分では承知している。

ライブ派はそう豪語する。黒澤明監督の三十本の映画はどこへも行かないし、私たちが、見なくても阪本順治監督は、シリアスな映画と、アクション映画を撮り続けるだろう。タラちゃんの映画が出来るまで待っているのだと。

そんなことでもしないと、文楽の吉田簑助さんの舞台も見ておかないと、吉田玉男さんも文吾さんを、もう舞台で見ることができなくなって、落語では吉朝さんを追いかけたことを誇りにおもう。今、春団治さんや、ざこばさん、鶴瓶さんや、雀々さん、市場さんや、福団治さん、吉弥さん、よね吉さん、吉坊ちゃん、聴きたい話がいっぱいあるし。なんていいわけみたいですが・・・「シネマな夜」も再開したいとおもっている。

どうぞ、これからもよろしくね!

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2008年7月 7日 (月)

七夕結婚記念日

十三年前、正確に言えば十五年前に結婚(再婚)をした。どこまで正しく伝えられるか、あやふやだが、娘が高校を卒業と同時に籍を入れたのが、平成七年七月七日。籍を入れる数年前から暮らしていたが、高校の三年間を名前が変わったりしたくないと言うのが娘の言い分で、籍はどうでも、いつでもよかった、覚えやすい日がいいね、ぞろ目でいかがでしょう、と言うことで、七並びの777の日に決まった。

最初の結婚に失敗したことは、自分の責任で、子供を産み、一人で育てたことも大きな試練ではあったが、それほど人がおもうほど落胆はしていなかった。子育ても人任せ、母任せ、妹任せ。娘が気立ての優しい子に育ったのもこの二人のお陰だと感謝している。

むしろ、親、兄弟に迷惑を掛かけているという自覚もなく、のほほんと暮らしてきた、私が幸せだったのだ。見ず知らずの人から、いきなり「気楽トンボの顔をしてますね」といわれたことがあった。こんな私でも出戻って、実家に帰った頃の五年間は何にもしないで、ただ壁を見つめていた。自殺でもしかねないと母はいつも私のことを気をつけてみてくれていた。耳に入る音が微妙にずれて、時計のカチカチと言う音が耳について眠れない日々をおくり。人とはなせないから、毎日図書館へ本を読みに出ていて本ばかり読んでいたあのころ。ある新聞の募集記事で眠りから覚めたように働きたいとおもって、東急ハンズのパート一期生に応募して採用された。五年の空白を支えてくれた母親に何の恩返しも出来ず、数年後好きな人が出来て第二の人生を歩んだことも、今になっておもいかえしてみると、誰のことも目に入らず、自分のことばかり考えていたからできたことだと今になっておもう、多分自分を愛していたから。

こんな自己中心的なわがままな私でも、愛してくれる人ができて、仲良く、三人は本当の親子みたいに暮らしていた。しかし、いろんなことが重なって、誰もが自分の主張を言い始め、自分我自分我と我をはって、何もみえなかった。五年の空白の時間に戻ったような気がした。ストレスはたまる一方で完全に壊れかけていた。私が支えるなんて強い人間ではないんだよ。甘えないでよ。その言葉の先が離婚だった。

離婚の真相は「私のわがまま」になっているけれど、止めなかった人も悪いとおもっている。理由にならない理由。やはりわがままと言うしかないでしょうね。七夕に誓った恋なのに、それは、ほんとに悪いとおもっている。

別れたことはしかたのなかったことで、後悔はしていないが、今になって考えると、別の意味で悔しいのだ。

結婚、離婚、再婚と、どこからでもかかって来いと言わんばかりに波瀾万丈の日々はまだまだ続いているが、何をしても「私はわたし」と決めていたあのころ、自分のことをブログでもさらけ出しているつもりだが、最近は、これでよかったのかなと振り返っておもうことが多々ある、これしかなかったのかなぁ。

これからどうなっていくかは波瀾万丈が続く限り何がおきても驚かないようにしたい。

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2008年7月 6日 (日)

今井 大黒 くいだおれ

仕事が午前中で、きっぱりとおわった。久しぶりに,ミナミ(大阪では梅田界隈をキタと呼び、難波方面をミナミと呼ぶ)を歩いていた。

お昼ごはんを道頓堀で食べよう、と決めていたが水曜日の定休日で訪れたは「今井」は閉まっていた。店の前の柳がさびしくこちらを見ているようだ。法善寺横丁の火事のときも、しばらく休業していた「今井」の店の前を何度も通り過ぎたあの日と同じく柳の木だけが迎えてくれた。
「くいだおれ」の前を偶然に通ることができたその日、デジカメで「太郎」を写す。

Tarou1

太郎の全身を写すと、店名がどうしても、「・・だおれ」しかは入らない。右側に移動して太郎の顔がこちらに向いたときに視線をキャッチして一枚。大阪の名物が無くなると悲しいとか言っても、あるいは署名運動でもするような勢いで店の前にお客さんが大勢いいたとしても、もう遅いのだ。くいだおれが店じまいすると道頓堀も今以上にさびしくなる。

Tarou2

私は、大阪にいても、あまりくいだおれには行かなかった方だ。文楽の帰りや落語会の前に必ずちょいと立ち寄るのは今でも「今井」だ。きつねうどんが食べたくなったら、「今井」へ行く。ほとんど変わらず必ず「今井」だ。
気を取り直して、今日は「大黒のかやくご飯を食べよう」と計画を変え御堂筋に向かう。

Daikoku行列を覚悟で大黒に入ると店内には二、三人の人がいるが、すぐに注文ができた。神宗やはり重の紙袋をいっぱい抱えた年配のご婦人がお持ち帰りのかやくご飯を二人前注文して待っている。デザイナーのような雰囲気のある男性二人連れは、馴れているのか注文を次々として、同じく会社の同僚に差し入れをするような電話をいれて、お持ち帰りのかやくご飯まで注文に加えていた。ひさしぶりに行った「大黒」も改装をして奥の方がなんとなく綺麗に変わっていたが店の佇まいは昔ながらのもので、店の前を記念に一枚撮った。

最近では、この辺に在ったと言うだけで訪ねても、お気に入りの店が在るとは限らない。数ヶ月前に来たことがある店でも、店じまいしていることもあり、考えさせられる。気に入った店が機嫌よく繁昌してくれるのは、お客の方もその店を重宝におもい、1回でも2回でも多く通うことだ。

周りにある大事なものが突然なくなる前に手を打たねばならない・・・・。それは「くいだおれ」の店に限らず、なんにでも言えるだろう。さびしくなる。そうおもったときに、足しげく訪れることだ。きっと思いは通じる。それしかない。

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2008年3月28日 (金)

赤いつめ

その人は、足元に大きなバックを置いて、黒のリクルートスーツを着ていたが、化粧けなしの女性だった。ちょっと疲れた感じがした。自分の手を包むように大事そうに膝の上においていた。化粧をしていない、すっぴんの女性が、真っ赤なマニュキュアをしていた。黒と赤のコントラストが面白く、素顔の人の、赤くきれいに塗ったつめを、遠目ではあるが、きれいだなとおもって見ていた。

電車の中で出会う人は、いろんな環境で自分だけの世界をもっているから、その人の、強い意志を感じてしまったときは、圧倒されるわけである。ただ、素顔でリクルートスーツを着る人と赤い爪にはやはり違和感があった。

昨日、同じ時間帯だったのだろうか、偶然が重なって、赤いつめの、黒いスーツを着た女性が同じ電車に乗っていた。疲れているのか、その日は最初から眠っていて、足元にバックを置いた姿は同じだった。思わず、赤く塗られたつめを見たが、短く切られた爪には、マニュキュアはなかった。赤い爪ではなかったことに少しがっかりした。

その人の赤いつめの色は、偶然、私の目の中に飛び込んできて、わずかな記憶に残っただけである。

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2008年3月12日 (水)

年賀状、滲まないハガキを作ってください。

平成20年お年玉つき年賀状の当選番号、9660の下4ケタの番号が私の買った二百枚の中にあった。書き損じや未使用のものを見ると、9650,9651,9652から9640に飛び、また9670にもどり、9671~9673、9669までいった後、9680~9689,9695と近づくようで、離れていった。当選番号の6 ケタの最初が当たっていたら、もっとドキドキ感は増していただろう。切手シートが二枚当たった。

毎年、ぎりぎりに出すものだから、早く書こうと、ボールペンを使用、速いテンポで書きなぐる。ドライブ感があって、年賀状を書きましたの達成感がある。しかし、一昨年はあまりにも時間がなく、宛名をプリンターで出力した。そのことはあまり記憶になく、今年は丁寧に書こうに徹したのか、万年筆を使用。今年の年賀状は昨年書いたもので、それにしても、改めて見る、書き損じの万年筆の字の滲み具合が気になった。

字が滲んで滲んでとてもじゃないけれど、出せない、と思った。嫌だった。ボールペンの方が、のびのび書けた。万年筆のせいにしてしまったが、私みたいに「なんか滲んで嫌だなぁ」とおもった人はいないのだろうか・・・。やはり、再生紙はがきか、インクジェット紙を使用したことに問題があったとおもうのだが、それにしても、紙が滲む原因はインクジェット紙を使用したとすると、それならそうと、はっきり説明して欲しかったなぁ。みんながみんな、プリンターで宛名を出すとは限らないのだから・・・・。

年賀状の、再生紙はがき問題のとき、再生紙ハガキが100%古紙ではなかったという問題であった。滲むのとは関係なかった。

万年筆で、友人に手紙を書いた、滲まず綺麗に書けた。私にとって、プリンターで出した宛名の方が綺麗で、万年筆で書こうとしたほうの字が滲んで汚く見えることのほうが問題なのだ。一年に一度出す年賀状だから、滲まないハガキをつくってください。お願いします。

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2008年3月 4日 (火)

bachmoonの3月

2008.1.13の朝日新聞・朝刊に、俳句☆も一緒に社会面の記事を読んだ。☆ルーブルに文楽「奉納」弥生かな☆「人形浄瑠璃文楽がパリのルーブル美術館中庭ピラミッドの地下にある多目的ホールで開催」とある。
主な出演者は、人形遣い吉田簑助、桐竹勘十郎、ほか。文楽大夫の豊竹英大夫、三味線の鶴澤燕三。出し物は「曽根崎心中」の天神の森の段。
日仏交流150周年を記念して企画された。ルーブル美術館内は初めての上演となる。(2008.1.13の朝日新聞、朝刊、社会面の26面抜粋掲載)

そして、3月4日の今日、パリ公演は開催される。これは、うっとりするくらい幸せな誕生日プレゼントをもらったみたいだ。関係者には、あんたの誕生日など、そんなの関係ねぇといわれるだろうが、上出来の公演であって欲しい。私は、吉田簑助師匠がお元気で、外国の地でも、お初を遣ってくださることが何より嬉しい。いつまでも、いつまでも叶うことなら、ズーっと文楽の星、文楽の精でいて欲しい。いつまでも、いつまでも。

やっと、日ごろの鬱憤を晴らすべく、誕生日の今日、「bachmoonブログのパレードやぁ」を書いてみた。暇やからできることと、よっし、というからできること。どちらも同じか。まとめて書くと元気なことがわかった。昨年、夏に骨折してから随分経ったが、今、通っている整形外科の先生にも「表情が明るくなりましたね」と言われた。リハビリは辛かったが、やっと元にもどったという気がしてきた。

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bachmoonの2月

2月に入ってから、雪の振る日があって、家の庭も真っ白になった日があった。朝、ごみを出したときは雪も雨も降っていなかったのに、昼ごろ玄関を出ると雪が積もっていたときはさすがに驚いた。

加賀一郎率いるメンバーで作っている加賀一家では、恒例の年中行事に、山ばな平八茶屋を選び、京都に行ったときのことだ。選ばれたことは迷惑だったかもしれないが・・・。

平八茶屋若主人の晋ちゃんは、修行中、同じ時期に勤めていたこともあり、加賀一家のみなも顔見知りの青年。家業の料亭を継ぎ、十数年で、好感度抜群の若主人に成長した姿を見ることができた。自慢の「ぐじ尽くし料理と麦めしとろろ」をいただいて加賀一家の面々も満足。かま風呂も、不思議なサウナ効果があり楽しい旅になりました。

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次の日は、皆で銀閣寺へ、 総門から中門に至るまでの左右に設けられた生け垣が美しい。空の青さがこれまた美しい。銀閣の屋根に少しだけ雪が残っていた。向月台がきれいに撮影できた。

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そして、哲学の道を南禅寺に向かう、歩くこと歩くこと数十分。お昼に奥丹の湯豆腐をいただいて、京都を満喫したわけです。京都から大阪に向かってそれぞれ帰る。

一人が降りて、ホームで挨拶をする。残ったみんなで手を振る。万歳をしよう。照れている人にむかって、小さく胸の前で五回。愛しているのしるし。ありがとうのメッセージ。ドリカムの歌ではないが、私がホームで挨拶をするとき、残った皆が胸の前で小さく万歳をしてくれていた。
加賀一家のメンバーの小さな家族愛の表現。他人ばかりの集まりでも、小さく咲いた家族の愛は、白い雪のように心に残った。

加賀一家に旅日記を作り、シャレで送った。私にとってはニュースレターのようなものを作ることはお手の物だが、皆に喜んでもらえたようだ。清水お母さんからは、あれから電話があり、胸の前でする万歳で、小さなサインを送ってきたという報告があり、面白いなあ。どこまでも、どんなときでも楽しむ力、京都の旅は終わっているのに、そこから学んだことを普段に生かす。加賀一家の底力を改めて教えてもらったような気がした。

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bachmoonのえべっさん

えべっさん詣では、えびす宮総本社、西宮神社や今宮戎神社とおもいきや、宵えびす、十日えびす、残りえびすにお参りするのが、近所の堀川戎神社。今年もいつもの看板がお出迎え。福娘の持つ福鈴は、お礼をする人の頭の上で心地よい音がしている。私は、中年のおじさんがしきる、よってたかってわいわい賑やかな大阪手打ちを披露している列に並んで、大阪手打ち付き福笹を買った。
打ちましょ、パンパン(手打ち)。もひとつせぃパンパン(手打ち)、いおうて三度、ちょちょんがちょん(手打ち)。めでてぇな。

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bachmoonの1月

2008年、子年。今年の年賀状は絵本シリーズ復活。24年前に出合った絵本『ねずみのウーくん』(マリー・ホール・エッツ作)に再登場してもらった。

絵本の表紙になっている三匹はねずみと猫と犬が仲良くお散歩。みんな笑っているようだ。ねずみのウーくんは先頭を歩く。後に続く猫も犬も表情がやさしく、昭和59年に年賀状を作ったときも、皆に届けるのが楽しかった。あれから数えて二巡り。お互いに歳をとるものです。ソフトバンクのマー君も人気者だし、ウーくんも間違いなくかわいいとおもってもらえるでしょう。2008200833_3

なごみ庵きたはまのおせち料理は立派な伊勢海老も入り豪華版。

パンフレットつくりを依頼されたのは、昨年の夏に始まって、撮影も同行しデザインも担当したので、どんなんかなぁとおもって注文。
お茶は、勘三郎好みの煎茶をいただく。娘の会社の部長さんに贈られてきたお茶、「中村勘三郎ブランドのお茶があるんだねぇ」、「どおりで、渋い役者だとおもったよ」。

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2007年10月13日 (土)

ボタンの気持ち作品展

昨日は仕事をして、遅くまでコンピュータの前でがんばっていた。

今通っている整形外科の先生に、何が必要かという話で、「睡眠」が大切だということを聞いていたのに。また、無理をしてしまった。

先日の治療のとき、先生の患者さんにも、腰のあたりが痛くなり治療に来られた方がいらっしゃって、鍼灸の先生と治療にあたっていたけれど、いい治療方法が見つからず、「何時に寝ていますか?」という質問をしたところ、その方は、朝方の6時まで起きていたらしく韓流ドラマにはまっていたようでした。夜がいつもいつも遅かった結果、原因不明の症状になったというのです。

睡眠不足が回復すると、痛みもとれたようで・・・という話は、分っていながら夜遅くまで起きている私にとって耳の痛い話であった。私も韓流ドラマではありませんが、AXNのCSI 科学捜査班ラスベガス、マイアミ、NYを次から次へと見ている。最近はFOXTVのDr.HOUSEドクターハウスが加わっている。

さて、今は仕事の合間に、11月から開催予定の「ボタンの気持ち作品展」のDMを作成しているところ。展覧会に向けての準備に忙しくしている。モダンとエレガンス、渾然一体となった作品展をめざしたもので、「ボタンの品格」。ボタンの魅力。ボタンの持つ可愛らしさが表現できるといいいなとおもっている。アトリエfioreで11月12日(Mon)~11月24日(Sat)日祝休み 11:30~19:30。西区にある先生のアトリエで開催させていただくことになっている。私もそろそろ、作品をつくっていかなければならない。

今夜は、にわか阪神ファンになって、クライマックスシリーズ戦を応援してしまった。なんと期待の大きかったチームの戦いぶりは、短期決戦がどうも苦手といった試合結果だった。なにより下柳で3点、久保田で4点は考えられない。明日の試合に期待しましょう。

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2007年10月 6日 (土)

これが肩こりや!

花外楼で総務の仕事をしていたとき、社長や御寮さん、若社長や若女将、店長や料理長が、休み時間や用事があると、事務所に集まっては、しばらくの時間を面白おかしく、仕事の話以外でもいろいろ盛り上がったものだ。お菓子を買ってきたり、冗談をいいあったり、和気藹々の事務所だった。

ある日の事務所。その日は肩こりの話に。肩こり症の社員が、肩こりで悩んでいるといえば、肩こりの治し方や、予防などの話で盛り上がったとき、私がのんびりと、「私は肩が凝ったことがない、肩こりを知りません」と、話の中に加わったことがあった。

本店の店長は、「へぇ~、肩こらない肩って、みてみたい、どんな肩やぁ」といって、肩を揉んで、筋をずっと揉んでいき、ポンと肩をたたいて、一言。

「めちゃ、めちゃ肩凝ってるやないですか、これ正真正銘の肩こりや」。私はこのとき、初めてこれが、肩がこったということなんだと気がついたわけで、今ではセクハラなどという言葉があるが、そのとき、店長が肩を揉んでくれなかったら、今でも、私は肩こりをしたことがないと言い張っているとおもうのである。

肩こりのくすり、たとえば貼り薬や塗り薬は、はじめスーッとするけれど、本当の意味では治っていない、気休めであると聞いたことがあり、飲み薬にも頼ることはないが、最近では自分は肩を凝るほうであると認め、疲れたときは肩をまわしたり、軽い運動をするようにしている。

今通っている、リハビリ担当の先生も、いろいろ運動量を増やしてくださって、今は、松葉杖をついているから、肩こりになってもしかたがないよ、と言ってくださり、がちがちの肩をほぐしてくださるようになった。ありがたいことである。

「これが肩こりや!」

あの時の店長の声は、この子は何を考えているのかとあきれたような声だったなぁ。肩こりを知らぬが仏の方が良かったのか、今では、肩が凝らない人は本当にいるのだろうか・・・・。とおもうのである。

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2007年10月 2日 (火)

ボタンでご機嫌!

今年も、ボタンの気持ち作品展を開催する機会を得て、私たちメンバーは久しぶりに集まった。11月の発表まで1ヶ月と迫り、第1回目の会合を開いた。決まったことは、今年もボタンの気持ちを表現し、ボタンの可愛らしい作品を作ること、大きな作品は、昨年に引き続き、メンバーである小林さんにお願いした。ボタンという文字B u t t o n ロゴをみんなで作ること。楽しいモードになって、つぎつぎアイデアが生まれた。ボタンの気持ちのメンバーと話していると、顔がほころび、いつも笑うことが多くなる。

楽しいことは、準備の段階でも楽しいし、不機嫌な顔は、ない。きっぱりと、ない。いつも全員ご機嫌なのである。

最近、女優の沢尻エリカさんがブスッとしているだけで、話題になっている。沢尻エリカさんの肩をもつつもりもないけれど別にいいではないか、誰だって機嫌の悪いときもあるさ。ブスッとした顔は巷にあふれ、ブスッとした顔は隣近所にいっぱいいるのだ。自分の顔のことは分らないものだ。

クイズ番組「アタック25」をたまたま見ていたときのことだ。

あれはオセロのようなゲーム感覚で、自分が答えたパネルも、パネルのとり方次第では相手の答えで変えられてしまう、その逆もあって、見ている方は、面白くおもうのだが、取っても取ってもパネルが違うパネルになってしまう、接戦で面白いはずなのに、パネルを取られてばっかりいるパネラーの人がうつむいて、顔をあげると不機嫌そうで見ていられなかった。タイトルを取ったものの、チャレンジクイズが出来なくて、またまた不機嫌な顔をされていた。機嫌の悪さをあらわにする人を見るのは嫌なもので、言っていることは逆だが、機嫌の悪い時もあるさとおもえなかったことがテレビの画面いっぱいに映っていた。

自分の器量の狭さを不機嫌という形で表現してはいけません。悲しいときに笑えとは言うつもりはないけれど、機嫌が悪いことは自慢でもないし、できるだけ、楽しいとおもえることを積み重ねていきましょう。

ボタンの気持ちは、ボタンそのものが持つ力を借りて、シンプルで絵になるような、Buttonで楽しくなるような作品展を目指したいとおもっている。ボタンの綴り、英文字B u t t o n を、6人のメンバーで作ることにした。

この作品展を通じ、自分も楽しくて、自分以外の人にも、ご機嫌なことが伝わっていくことを願っている。

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2007年10月 1日 (月)

朔日餅

毎月一日に、各百貨店で伊勢の名物「赤福」から、「朔日餅」が売り出される。以前にも書いたことがあるが、赤福餅が、キオスクや百貨店で売り出される前は、伊勢市宇治中之切町・本店の「赤福」で買わなければ手に入らなかった。

甘いものが重宝がられる時代でもないし、かといってそう珍しくもない赤福が今でも人気な商品であるとしたら、昔から変わらずそこにあるという、安定感や老舗の強みのような、目に見えないものとして、みんなの心に懐かしい食べ物として記憶にあるからだろう。もちろん変わらぬ味も・・・あるが・・・。変わらない味が新鮮でもある。

修学旅行では大量のお土産を買ったことや、その後も初詣や伊勢神宮に訪れる度に、赤福本店のできたてほやほやの「赤福餅」をいただいたものだ。

飛び切り寒い初詣の思い出は、従兄弟と行った、凍るような寒さを経験した初日の出。

お伊勢さんの初日の出は、夫婦岩の真ん中から、と思っていらっしゃる方も多いが、絵葉書で見る絵柄は夏の風景である。そのことを知らずに、初めて初詣に行った年に、夫婦岩の見える場所を陣取って待っていたことがあったが。誰かが、冬のお日様はここから出て来ないよ!と教えてくださって、あわてて移動したことを覚えている。寒くて、寒くて、歯がガチガチ音がしていたことまで覚えている。

さて、月の始めに、朔日餅(ついたちもち)を販売する赤福は、何故か、「えびす餅」という名前までついている。今では、行列が当たり前の世の中になってしまって、大して美味しくないものまで並んで買うことが多くなったが、昔の赤福を買ったころの有り難味はないのである。時々は懐かしくて食べたくなる、私のような気まぐれなお客が、一日(ついたち)に釣られて買うので、「えびす餅」と名前がついているのだろうか・・・。きっと違うだろうなぁ。

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2007年9月30日 (日)

骨音

骨を折るまでは、まさか入院するとはおもわなかったのでいろんな方と約束をしていた。

歩くことを趣味にしているから、今の状況はマコトに辛い。

古本屋さんめぐりは実に楽しいもので、天神橋商店街の「矢野書房」には時々、掘り出し物の本が手に入ることもあり出かける。石田衣良氏の著書「骨音」が100円で手に入ったのは、骨を折るちょっと前で、「池袋ウエストゲートパーク」のドラマをDVDで借りて全て見た後のころだった。

石田衣良さんを初めて見たのは、トーク番組で、引越し魔である石田氏は、地面にガムが落ちているような、場所を好んで選び、路地があるような町並みが残っている街が好きでという話が弾んでいた。変な人だとおもって見ていたが、あの人が、「池袋ウエストゲートパーク」の原作者だとは全然おもわなかった。小説家だとはおもわなかったのである。

原作者より、宮藤官九郎の脚本のほうが注目されていたかもしれないが、あのテレビドラマを、リアルタイムで見ていなかったことが不思議だった。入院中、再放送の見ていなかった番組ではTBSの番組が多く、ドラマのTBSは確かな番組づくりをしていると改めて感心した。

「木更津キャッツアイ」なども、同じく宮藤官九郎さんの脚本のドラマで、この番組もまとめて見ることができて、娘としばらくは盛り上がって見ていた。岡田准一さんと長瀬さんのファンで、後の「タイガー&ドラゴン」は、楽しみに見ていたが、こういうドラマの流れがあったとは・・・。ドラマってフジテレビだけではだめでした。

「骨音」にもどると、石田衣良さんのテーマは現代風な設定、乾いた人間関係が小説になり、どんどん引き込まれていった。小説とドラマの違和感がなかったことも幸いして、小説を読む楽しさが倍になった。構成も、意外な展開も気に入って、文章のうまい作者に久しぶりに出会えた、次々と石田作品に引き込まれている途中である。

「骨音」は、意外な展開のうちに入る小説だが、マコトという主人公がでてくる、、「池袋ウエストゲートパーク」のシリーズもぼちぼち読んでいるところだ。石田氏との出会いは遅くとも、確かな小説に出会ったことは気持ちのいいものである。

骨音とはね。骨が鳴る? 骨が折れた音は、ポキッではなく、グギャッだった。

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2007年9月28日 (金)

9月24日の想いが重なる

今年の夏、親戚の叔父が二人亡くなった。亡くなる直前に、病気のお見舞いには行っているのだが、お通夜やお葬式の日には、ギプスもまだ取れていなくて、娘にみんな任せて、私は入院先のベットでおとなしくしていた。

松葉杖でもほとんど歩けなかったころで、訃報の電話も病院で聞いた。母が群馬から手伝いに大阪に戻ってきたが、ほとんど私のところではなく親戚の家に寝泊りをしていて、私が動けていたらとおもうと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。しかし、案外元気で、世界陸上の切符が取れると、長居競技場まで出向き、熱い声援をおくっていた。叔母たちは「母が元気なことが信じられない」と言わんばかりに、母に世話になったと口々に言うのだった。

先日、9月24日、父の祥月命日に、ふと、お盆なのにお墓参りもできなくて申し訳ないとおもう。と、同時に不甲斐なさとはこういう心境を言うのだと感じていた。

娘は、祥月命日のお墓参りをしたいというお母さんの気持ちは分かるけれど、無理をしても、お墓の掃除もできないんだよ。松葉杖のお母さんに何ができるの、なんて厳しいことを言われたのだ。意気消沈していた私に、忘れず優しくフォローがあった。おじいちゃんも待っていてくれるからね。よくなったら、また行こうね・・・・。

9月24日、自分のことで精一杯っだったもので、月が傾く頃、誰かのことを忘れていないか、私のことを・・・・。って、いう感じの思い出し方で、文楽人形遣い吉田玉男師匠の顔が思い浮かんだ。ちょうど、一年前、師匠はお亡くなりになったのだ。悲しい出来事だったのに・・一年が過ぎると思い出すこともままならなかった。

木田さんからも、11月公演のチラシを送ってもらっている。なんとしても、この足を一日も早く治さなくては・・・。

興味のあることは尽きずはいつも通りではあるけれど、目標をもつ、文楽に行きたいや、お墓参りに行くんだと思うことは、リハビリにもいい影響をもらっていて、足の治りが順調なのである。申し訳ないことでいっぱいだったが、今は、肩に力を抜いた状態にしておかないと駄目だともおもった。

9月24日の想いが重なる、無理せんと気張りやっしゃ。どこかで聞こえたような気がする・・・。

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2007年9月27日 (木)

レントゲンを見ると・・・

リハビリのための入院中は、何人かの人が手術の話をしていた。例えば、ブログを書くために手術室までデジタルカメラを持っていき写真を撮った話や硬いベットに不自然な姿勢で寝ていて、体中が痛かった話。私は、麻酔がすぐに効いたため、いくつまで数を数えたかと聞かれても、自分の手術のことは何ひとつ覚えていなかった。ベットに戻っていたときには寒い寒いを連発し、電気毛布を掛けて欲しいと言ったそうだが、それは、手術後のことだった。

主治医ともう一人、がっちりした体格の先生、いかにもタフな外科医タイプの先生が執刀してくださって、無事手術は成功した。

リハビリ入院が一ヶ月、そろそろ仕事にも復帰するために退院し、病院を変わり、通院することにした。手術をしてくださった先生の紹介状とレントゲンを携え、新しい病院の整形外科の先生と会った。

「きれいな手術ですよ、こんな完璧な手術は久しぶりに見ました。手術をしてくださった先生に感謝ですね」

と借りてきたレントゲンを見て、惚れ惚れすると何回もおっしゃった。少しオーバーな、とおもったが、そう言われて悪い気はしなかった。

新しい病院に通院してから、二週間が過ぎた。

運動量も増え、自宅での運動も効果があたのだろう、順調に回復に向かっているということで、昨日から、別の運動を始めることになったために、新しい病院でレントゲンを撮った。先生は、再びレントゲンを見て、「何度見ても、いい手術だ、ここのボルトが、この骨のここのところにちょっと先が出ている、ここがすごいところで、惚れ惚れしますよ」と、また、おっしゃった。

レントゲンには、その日の手術の全てが写っているのだ、とおもった。

「いい手術をしてもらったのだから、僕たちもフォローしますから、がんばってください。」先生に言われ、いい手術をしていただいて、化膿もせず、関節炎にもならず、回復に向かっている。私もこの通院で一日も早く歩けるようにしたい、と、そう強くおもった。

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2007年9月26日 (水)

月はどっちだ

昨夜の仲秋の名月は見ましたか?きれいな月でした。しかし、満月ではなかった。まんまるお月様は27日の夜だそうで、もう一度お月見をいたしましょう。

岐阜に在住の友人は、スガシカオファン。私も美代ちゃんの後に続くファン。「黄金の月」を眺め、「今日の月はきれいだったね。」などとメールを入れる。月は、どこから見てもお天気だったら見ることはできるので、大阪と群馬、大阪と岡山、大阪と岐阜、離れていても今日の月はきれいだったね、だけで、多くを語らなくても何か通じるものだ。本当に月を眺めて一杯、コーヒーとお月見団子をいただくひと時も、幸せな時だなぁ。

もうひとつ幸せなひと時が私にはある。映画の会と同じように作った会だ。ボタンの気持ちというグループが出来て、「ボタン」というひとつのテーマで、活動を始めて3年目になるが、昨年に引き続きボタンの気持ち作品展を計画している。

私が、骨折をしてしまって、動き回れない分、蹴れん味のある物は計画できないが、落ち着いた、品のある展覧会にしたいとおもっている。ボタンの気持ちを支えてくれているメンバーひとりひとり、大事にしてきた活動の成果を発表できたらとおもっている。

しかし、足の動きはまだまだで、動きは鈍い、休み休みだが、進めていくところは進めるように実行に向かっている。いいことだとおもう、直るまでまだ半年以上かかるけれど、無理をしないで出来ることをしていこうとおもう。

松葉杖のまま皆さんとお会いするようにおもうけれどよろしくお願いいたします。

ボタンの気持ちメンバーにいろいろ、ご連絡。

開催期間:2007年11月12日(月)~24日(土) 時間検討、日曜日お休み、祝日休みか検討

搬入日時:2007年11月10日(土)*3時から。(*この日は、10月のレッスンがお休みのため、ボタンの気持ちレッスン予定。1時からレッスン有り。終了後、午後3時から搬入作業開始。)

ボタンの気持ちの作品展はDM 出来次第このページにも掲載いたします。お楽しみに!!

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2007年9月22日 (土)

一日も早い復帰・・・

先日、「徹子の部屋」に、バレエダンサーの熊川哲也さんが出演されていた。右膝前十字靭帯を断裂されたばかり ということで、バレエ公演は代役のかたが舞台にたたれたことを話されていた。印象に残ったことは、鍛え上げた足の筋肉がみるみるうちにやせ細り、見ることが辛かったと話されていたことだ。

何もしなければ、ゼロのまま。動かせないのだから、仕方ないが元に戻るまでは時間がかかるとおもう。熊川さんの鍛え上げた筋肉がゼロになった。その言葉は、全てがゼロになることより悔しい思いが伝わった。

足の筋肉は内側を500とすると、外側に100の比率でついているそうだ、それが、急に衰えるとゼロになって、100:500だとそうでもないが、1:5になると、足を支えることは難しくなる。徐々に筋肉を鍛え元に戻す必要がある。ゼロでは、いつになっても歩けないのである。

私の太かった足も、確かにやせている。脂肪分が余計についているだけだが、この筋肉が必要な場所に、必要なだけの筋肉がつくことがなかなかだということだ。

私の折れた骨と骨をプレートでボルトが数本止めてある。もちろん熊川さんの足にもボルトが。同じだと喜んでいる私は馬鹿かなぁ。

退院はしたが、リハビリはまだまだ続く。膝の体操や、歩く練習をしていますか?リハビリの先生は時々固まった足首を見ては、運動の大事さを説明してくださる。ふんふんふん。

人生は辛いこともあるが、毎日を大切に生きることだ。人気番組「CSIマイアミ」のホレイショ部長が言うせりふ。その通りだとおもう。熊川さんの怪我も私の歩けることも、リハビリを大事に続けていたら、治っていくだろう。一日も早い復帰を望むのである。

骨の話ばかりで申し訳ないことだ。もうすぐ活動開始の「ボタンの気持ち」も「シネマな夜」も歩けるようになったら再開するつもりだからね。メンバーの皆さんよろしくお願いいたします。昨日届いたイサ代さんの葡萄を美味しくいただいている。葡萄は、岐阜の美代ちゃんからも届いた、爪が紫色になるまで思いっきり食べた。大好物、ご馳走さまでした。

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2007年9月12日 (水)

骨太な人だと・・・おもっていた

骨のことを書こうとおもっている矢先に、安倍首相の辞任表明。印象は骨のある人だとおもっていただけに、骨太でもなんでもない、大柄な体を支えている華奢な若男の骨が浮かんだ。

骨を折るという言葉があるが、身を粉にして働くことで、国民のために働くことではなかったのかと、骨身を削ることは、日本の首相になったときから決まっていたことなのに、疲れたなんてね、安倍さんあなたの言葉が届かないよとおもっている人が私を含めていっぱいいることだろう。

2時からの辞任表明の話を聞いていても、私が私がという言葉が耳につく。次期首相候補のあの人は、しっかり次に控えていらっしゃるのでしょうけれど・・・骨限りの働く人であって欲しいとおもう。

私の骨は、首相の辞任とは関係なく、なんとか、リハビリをがんばろうとしている。骨休みをすることで生き返る細胞は多いだろう、今しかない、骨に沁みる時を過ごそうとおもっている。

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2007年9月 7日 (金)

骨を折るということは・・・

ご無沙汰しています。

タイトルにあるように、骨を折って2ヶ月が経ちました。

7月のある日、自転車に乗っていて、家の近くの坂道で、上りきれず、運悪く転んで自転車と一緒にバタリと倒れ、骨を折ってしまいました。

なんともいえない音がして、グギャッツ、とかギュガァというようなかんじです。骨が折れたとすぐにおもいました。家から数十メートルの距離でしたが起き上がることも出来ず、倒れていましたが、匍匐前進のような格好ですすみました。運よく坂道を降りてくる自動車に乗っている人に助けられ、家に運んでもらいました。娘の電話で緊急病院に運ばれ、二日後に手術をうけました。

緊急入院と、手術の日までに、やるべきことがいっぱいあって、ギブスのまま家に帰ると主張しましたが、それは足のためにも良くないとわかり、その日のうちに入院、二日後の手術は麻酔が効いたこともあり、何ひとつ記憶にありません。左足関節果類骨折、レントゲンではわからなかったことですが、靭帯も切れていて、思いのほか手術は時間がかかったそうですが、きれいな傷口で、あとからレントゲンを見せていただきましたが、チタンのプレートにボルトが数本止めてあり、折れた骨をしっかり止めてあることがわかりました。

仕事をいっぱい抱えたままの入院は、不自由なこともあって、実際、骨を折ることの大変さを、その後痛いほどわかるのです。私が今の一番実感していますが、骨を折った日にはまだまだわからなかったのです。いろんな記憶が曖昧に、そして楽観的に脳に指示を送っているのでした。面白いことですが、骨折ってわかる事実、もう若くはないということ。その事実が目の前につきつけれるのでした。

決して落ち込んでばかりではなかった入院生活を通してわかったことは、骨を折ることは、命にかかわることではありませんが、当たり前の歩くということができなくなるのです。そのことは骨を折らないと一生わからなかったとおもいます。

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2007年6月20日 (水)

爆睡する女性

先日、午前中の打ち合わせがあったのでJRで出かけた。提出するものを済ませ、帰りは昼ごろになった。こんなことは珍しいが、昼御飯を家で食べられるという時間になった。

快速に乗っても、席はあいていたし、通勤ラッシュでもない車内はガラガラに空いていて、どこに座ってもよかった。しかし、なぜか、自分でも変な場所に座ったなぁとおもうくらい、バランスの悪い座り方をしてしまった。

いっぱい席は空いているというのに。

隣に、よく見ると一番端に座っていた女性が熟睡していた。

最初は、ちょっと斜め座りをして座り、頭をカーブしている手すりにのせ、それが、熟睡状態で、手すりのカーブの下の方に、首を入れてしまったのだろう。

あわてて、目を覚ますと完全に、カーブした手すりに首が入っている訳だから、首筋を一番先に打つだろう。

あの状態で、彼女がどんな目覚め方をしてしまうのか、起きるところを見てみたい。とおもったが、私のほうが、意外に早く着いてしまったのだ。

どこまで行くのだろう。気になったが、酔っ払いのおじさんが終電車に乗っているのではない、たとえ、乗り過ごしていたとしても電車はあるだろう。心配もほどほどに・・・。

電車の中で熟睡する女性たちは、みんな、スタミナのある人たちなのかもしれない。とおもった。
少ない睡眠を、少しの間でも、電車の中でもちゃんと摂る。どんな場所でも熟睡できることは、単に疲れている、とは限らないのである。

ちなみに、爆睡(ばくすい)という言葉は、広辞苑には載っていないので、意味は、はじけて眠るという感じかな。彼女の眠り方は、断然、爆睡で正しい。

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2007年6月 3日 (日)

昨日のことだ。カッコウーの声を聞いた。あれ、カッコーって近くにいるんだ。と、おもった。


娘とクリーニングのできあがりを一緒に取りに行こうとしていた道の途中で、アスファルトの道に小さな雀が死んでいたのを見つけた。たった今、空から落ちて来たようで、車にひかれたりはしてはいなかったが小さな塊となっていた。勤め先のビルにあった、ツバメの巣に今年もツバメが帰って来たことを、ついさっき話題にしたばかりだというのに・・・。


雀たちはいつも可愛らしくチョコチョコと跳びはね、お茶目な印象があるが、その雀は、動かなかった。そして、その雀を一瞬見たが、私は、ためらった。


少し通り過ぎて、振り向くと、娘が雀の傍らで立ち止まっていた。


私は、自転車を押していたが、やはり、死骸を持って帰るという娘だったなあとおもって娘の所に戻ると、「直接触るのだけはやめなさい」と言った。娘は、自転車のかごに雨の日に使ったタオルがあったので、そのタオルで小さな骸をくるんだ。


この子は、小学生の頃も鳥が死んでいると言っては、雨の中、両手で死んだ鳥を持って帰ったことがあったなぁ。死んでいる鳥も生き返る方法あるよね。もう少し大きくなって、猫や犬に食べられないように土に埋めるんだといって、持って帰った。私は嫌なことには目をつむって通り過ぎることが出来るけれど、この子にはできないんだなあ。娘はいくつになっても、同じことをしている。死んだ小鳥をタオルで包み、優しく手のひらにのせていた。


一瞬でもためらった自分の照れもあって、私は、率先して、穴を堀り、小さな雀を埋めた。手にした白いタオルには、たくさんの蟻が逃げ場を探して右往左往していた。


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2007年5月22日 (火)

ガム雄

ある駅で待ち合わせをしていたときや、普段歩かない道を通っているときに、あの黒い斑点は何だろうと考えた。斑な模様がガムだと気がついてから、ガム雄と名付けた。以来、ガム雄を、たびたびみることになった。
時には、尻尾のように足にひっついたままのびているそのガム雄の姿も、今捨てられたガムが、味もなくなり口の中でいらなくなった、ガムはそのままの姿で道に放置され、次の人がそのガムを踏み、靴についたガム雄が靴と一緒にどこかに移動をする。

この黒い楕円に変形した、様々な大きさのガム雄は、気がつくと、どの道にも道路にまさしく、へばりつくように。斑な点があちこちにあった。

ガム雄の存在が気になって、あるホテルの掃除をしていたおばさんや、駅で蹲っている清掃員の人を見つけては、どうすれば、ガム雄がなくなるか、と質問をする。「すばやく見つけては、こういう液体をつけ・・・・へらのようなモノで堅めとるのです。」

何故、ガム雄が町に現れるようになったのか。夥しい量のガム雄が占拠した、ある駅に下りる。ガム雄だけではないだろうが、もう斑ではなく、黒いコールタールのような表面が広がっている。
しかし、道行く人は、一向に気にしている様子はない。ガム雄だとおもっているのは私だけ・・・。

何故、ガム雄が道に捨てられるのか。私くらいいいわ。捨てる紙が無い、持ち帰ることをしない人からガム雄は産まれる。どの道にも一つや二つのガム雄が必ずいるのだ。斑なガム雄をつなげると、線が出来る、その線は長くどこまでも続く、「探偵!ナイトスクープ」で測ってもらいたいくらいだ。日本中をガム雄とガム雄がつなげるかもしれない。

ガム雄に出会わない綺麗な道をつくろう!と叫んで見たところで、ガム雄を産む人は後を絶たないだろう。私も多分、道にへばりついているガム雄をへらでとることはできない。

私にできることは、ガムを噛んでもちゃんと紙に包んでゴミ箱に捨てること、 それだけでも守ろうとおもうのである。

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2007年5月14日 (月)

若者たち

サントリーのC.C.レモンのコマーシャルが面白い。
タイトルの「若者たち」は、昭和41年のフジテレビで放映されていた番組である。両親を失った兄弟が力を合わせて生き抜こうというとする家族ドラマで、主題歌はザ・ブロードサイド・フォーが唄っていた。

♪君の行く道は果てしなく遠い♪

この曲は、 ♪だのに何故 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで♪ と続く。
イントロの、♪君の行く道は、果てしなく遠いで、コマーシャルは始まって、登り坂を行く女学生が清涼飲料水をもって、「遠くて結構!」 この一言で決まる。

「若者たち」をテレビで見ていた私は、時代が変われば、こんなこともできるのか、遠くて結構!か。そうかぁ・・この展開は意外なことに、爽やかなイメージにつながった。すると、先日、「春一番」バージョンが出た。

キャンディーズの曲が流れ。
♪もうすぐ春ですねぇ恋をしてみませんか♪

新.新.LEMONのロゴ。女の子が、また、きっぱりと、今度は、「してみません!」

登り坂篇と、校内カップル篇らしいが、爽やかな映像と、ちょっとドキッとするコピーで消費者の心を捉えた。面白いシリーズである。

次のパターンはを考える。やっぱり。あほやねぇ私は。雨上がり篇。

♪わわわわ 長崎わぁ今日も雨ぇ~だぁった♪
晴れてます!

次のパターンはを考える。やっぱり。あほやねぇ。私は。待ち伏せ篇。
♪わたし待つわ、いつまでも待つわ♪
待ちません!

コマーシャルを見ておもった。作詞者の方は、このCM展開をどうおもっているのか、春一番の作詞家(作曲も)穂口雄右さんなら、おそらく二次使用結構!とおっしゃったんでしょうね。私が勝手に雨上がり篇や待ち伏せ篇を考えただけでも、川内康範さんのように、作詞家の方に怒られるかも知れない。これは洒落ですから・・・。しつこくもうひとつ

♪真っ赤に燃えた太陽だから♪
DAKARA・・・ 商品名が変わってるちゅうねん。DAKARAのコマーシャルも好き。

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2007年5月13日 (日)

そばアレルギー

私の友人の貴地邦くんはそばアレルギーである。先日も桂米左さんの独演会の日に、道頓堀今井のお昼御膳を注文したときに、おそばの話になって、子供のころ、七転八倒した話をきいた。何度聞いても、貴地ちゃんには悪いが、笑ってしまう。

そばのアレルギーは子供の頃からだったらしいが、そばを食べて苦しいことと、そばが美味しいことの差が拮抗し、子供の頃は、苦しくなっても美味しいそばを食べていたらしい。が、大人になって、七転八倒苦しみが嫌でそばは食べなくなったと言う。

私が、初めてそばアレルギーのことを知ったのは、京都のあるうどんやさんで、うどんを食べたとき、汁の中におそばが数本入っていた。「なにしてくれるねん、そばアレルギーに」。そのそばを食べたことから気分が悪くなった貴地ちゃんは、それから、そばアレルギーの話をしてくれたのだ。

小学校の修学旅行で、恒例の枕投げ(最近の子供は枕投げを知らないらしい)をしていると、気分が悪くなって、そば枕の影響でもアレルギー症状になったという。いっぱいのエピソードを聞くと、話が深刻になって、七転八倒の苦しみが痛いほど伝わってくる。

私は、池田屋のある落語会のとき、多分、桂米二さんにそば茶をお出ししたとき「そばアレルギーです」とおっしゃったことがあって、貴地ちゃんのことを思い出し、今から始まる落語会が大丈夫かと、はらはらどきどきした経験がある。そばアレルギーのことは、貴地邦情報しか知らないが、七転八倒で納まらないときは、生死にかかわることもあると聞く。

そばを追い求めて、そば処まで車を飛ばす人やそばを打つのが趣味でお店まで出した人を知っているが、一方、そばアレルギーでそばを食べると七転八倒する人もいる。本当に人はさまざまであるが、そばに関して言えば、貴地ちゃんの言うのには、友達でそばアレルギーの人が居るということはよく聞くけれど、実際そばアレルギーの僕が出会った人で「私はそばアレルギーです」と言った人は居ないと言う。

そばアレルギーの人とそばアレルギーの人が会う確立は非常に低いということになる。

おそらく、数が少ないだけ出会う機会もないが、話をすると、実は、私も私もということになるかもしれない。

そばアレルギーの人が集まると、壮絶なドラマがあるのでしょうね。聞いてみたい気もするが、聞くとちょっぴり噴出すかもしれない。それは、不謹慎なので、貴地邦君の話だけにしておきましょう。

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2007年5月12日 (土)

8621お友達

ハロー21のことを書いていると、宇野さんから、6月のリサイタル公演のご案内が届いた。8621の活動以外で、OMC(大阪メンズコーラスの略)のコーラスの練習も真剣に取り組んでいらっしゃるので、宇野さんの活躍はますます、ゆるやかな理想の曲線をえがいている。年を重ねる毎、友人が増えるほど、積み上げてきた人間関係の豊富さがプラスになっている人だとおもう。

宇野さんには、8621を通じて、大切なことをいっぱい教えていただいた。紹介されたときは、三洋電機の本社総合企画室にお勤めだったけれど、肩書き抜きの私のメンバーリストの分け方では、共通の話題は双六だったので、「双六仲間」に入っていた。お会いして17年目。

さて、宇野さんの今は、ますます優雅曲線をえがく毎日ではないだろうか。定年を迎える,団塊の世代の方たちが、いざ、仕事を辞めて、これから何をするのか、宇野さんは迷うことがなかったとおもう。やりたいことを優先にできる人だとおもう、3年前には「日本ガマ論」なる本を出版された。最初のキーワードは「蛙」と「鏡」、最後は「無」。新説「四六のガマ」口上からはじまり、ガマの油は世界に通ず、日本はガマだ、など、ガマと香具師が掛け合いで、ニッポン文化論を優しく?繰り広げた。
厳しい目をいつまでも持ち続けている宇野さんのことだから、このときは「ガマ」に向かって何かを叫んで、叫び足りなく本まで作ったとおもう。だから、宇野さんの叫びが詰まっているこの本を、読んでいない人も是非一度は読まねばなるまい。
熟年の域に達している宇野さんの、次なる、課題はなんだろう。
ゆるやかな人間関係の優雅曲線の出来るお裾分けをもらっている私としては、大器晩成(自分で勝手におもっている)の意地をかけ、この優雅曲線を作る方法を、是非伝授してもらおう。師匠!!

6月10日のリサイタルを楽しみにしています。

data:「日本ガマ論」 著者:宇野健一  文芸社 1785円Unogama513

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2007年5月10日 (木)

桂雀々独演会

本日、桂雀々独演会がある。チケットが手に入ったからいいももの、今日の落語会を見逃すところだった。

少し、肌寒い日である。朝日生命ホール 開演6:30PM

演目は、 桂二乗 牛ほめ、桂あさ吉 書き割り盗人、桂雀々地獄八景亡者戯 中入 桂雀々雨乞い源兵衛(小佐田定雄作)

どんな楽しい高座になるのか、楽しみである。

クイズは時々になるが、第6回 hello21quiz 第6回 hello21quiz 「桂雀々さん」。東西東西 hello21quizのはじまりはじまり

①桂雀々さんのお師匠さんは 1)桂米朝 2)桂枝雀 3)桂南光

②①の答えの何番目のお弟子さん  1)一番 2)二番目 3)三番目 4)四番目 5)五番目 6)六番目

③落語家生活「  」周年記念の独演会   1)10年 2)15年 3)20年 4)25年 5)30年 6)35年 

④桂雀々さんの親戚で、有名人は  1)桂春団治 2)上岡龍太郎 3)やしきたかじん 4)藤山寛美 5)桂ざこば

⑤桂雀々さんの落語以外に活動を広げる趣味のひとつ  1)将棋  2)天気予報 3)ゴルフ 4)オペラ 5)バレエ

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2007年5月 7日 (月)

「落語横車」

最近、落語の会に行くことが多くなり、好きなタイプの噺家さんもわかってきて、出没ところもさまざまではあるが、、独演会、ホール落語やいわゆる定席と呼ばれる会場で落語などを聞いている。それに加えて、CDやDVD、古本市でレコードまで買ってしまった。

手元にある、和田誠さんの「落語横車」には、落語会・和田誠寄席の経緯から顛末記が記されているが、ほんとうに落語会の企画は終わるまで、はらはらどきどきするものである。私も以前の仕事で落語の企画をしたことがあるが、お客様に喜んでいただけるものにしようとおもえば、なかなか大変なこともあるが、笑ってもらうことが何よりの励みになった。会が終わったあとの酒席は演者も交えてこころ和むひと時で、素人のしていることでも、寄席の企画は一度経験したら病みつきになることは間違いない。たのしかった。

ケーブルテレビで、最近見た「羽織の大将」は白黒映画でいかにも古い映画であった。しかし、「幕末太陽伝」の方が古いとは。どちらもフランキー堺さんが主役。

今日はクイズはお休み。

Rakugoyokoguruma data:「落語横車」 著者 和田誠 1980年初版発行

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2007年5月 6日 (日)

hello21quiz [答え]

最近クイズを作っている。クイズは問題はすぐつくることができるが、答えをいくつも考えることが、ちょっと面倒だ(クロスワードパスルの方が容易に作れる)。答えは4択や3択ではなく、自分で答える、一問一答が理想なのでタイムショック形式になるかも。

さて、クイズの答えは、カテゴリー欄に8621があり、「20周年の8621」の記事の最後に、data:として書いている。答えはすぐ載せてもいいので、これからもdata:として続けて書くことに。忘れていたら、ごめんなさい。

楽しいことは、続けられるんだなぁとおもう。

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2007年4月23日 (月)

まんが版 大阪市の歴史

「みわこさん、大阪市の歴史に興味おありですか?」

積極的に勉強しているとはいえないが、まぁ、近松門左衛門の登場するあたりは文楽につなげよう、明治8年に開かれた大阪会議の場所が、以前勤めていた花外楼だったから大阪の歴史に興味がないとはいえなかった。天神祭りも大好きだし、そのあたりに話題をもっていき、歴史話に花を咲かせるかぁ・・・。歴史の話をするのかとおもって興味があると、返事をした。

しばらくして、仲田さんから、『まんが版 大阪の歴史』の謹呈本が送られてきた。

イサ代さんは、初めてお会いしたときから意気投合し、興味のあることも近いこともあって(歳ははなれているが・・・)メールをしたり、落語会に誘ったり、我シネマな夜の立派な会員でもある。説明が長くなったが、彼女の会社で企画した本が、『まんが版 大阪の歴史』だったのである。普段は研究書やお堅い本が多いなか、会社にしては、ソフトなまんが版が出たそうだ。

大阪に限らず、なんでも知るということは大事なことだとおもうが、なかなか歴史を勉強することは日々難しい。親しみをもって、大阪市に興味をもってもらいたい。まんがでの表現になったのは、絵で訴える優しい表現が頭の中にすーっと入っていくからだろうか。ところどころに写真がある。まんがのキャラクターが狂言回しになって、大阪の歴史を紹介する。なんと三万年前から現在に至るまで、身近な大阪の歴史が詰まっている。

例えば、現在の大阪城は、豊臣秀吉が建てたものは、大阪夏の陣ですっかり焼けてしまって、のちに徳川家康が、新たに建てた大阪城も寛文5年に落雷で焼け、今の天守閣は昭和6年に復興されたものなんだ。(本文104P-108Pより抜粋編集)

いまさら聞けない大阪の歴史にザーッと目を通す。まん版は読みやすいとおもうのだが、私は、普段からまんがをあまり見ないので、すごく時間がかかったが、面白く読ませていただいた。大阪大好きな方は、是非一家に一冊。あってもいいかと。本を戴いたお礼に宣伝しときます。ありがとうございました。

Rekisi data:『まんが版 大阪の歴史』  脚色・画:さいわい徹 編集:大阪市史編纂所、大阪市史料調査会  発行:和泉書院 定価:1050円

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2007年4月18日 (水)

待ちに待った本

今日、8621の宇野さんから「どうしていますか?」と電話をいただいた。最近、8621の会合にも出席していないので、もう忘れられたかなとおもっていたら、懐かしい声が電話の向こうから聞こえた。

「落語の題材を、ミュージカル仕立てでみせます。OMCのコンサートが6月10日にありますから、是非、時間を空けといてください」

OMCとは、大阪メンズコーラスの略で、宇野さんを、はじめ、熟年層の男前ばかりの男声合唱団である。「今回のテーマはずばり、落語三十石夢の通い路による男声合唱曲─おとこはおとこ─ 」

どんなコンサートか見てのお楽しみ。お楽しみ。

8621にも顔を出さないとなぁ。今年の年間テーマは「赤」だそうだ。最近、不参加続きで、今年のテーマも知りませんでした。

午後から、本が届いた。待ちに待って、待ちくたびれたけれど、ちゃんと届いた。今回は図書館で借りても、本が欲しくなるとおもい、そして、多分探しきれないと、アマゾンで注文して、定価より、さらに安く買うことができた。

前から、テレビで見ていた「ピタゴラスイッチ」の装置が気になっていた。「ピタゴラ装置①」。「ピタゴラ装置②」

Pi2_1

Pi1_1

どちらの本にも、DVD付き。Pi4_3

動くアイデアが、ぎっしり詰まった本を見ているているだけでも、わくわくするが、時間をかけて、動く作品を作ってみようとおもった。

Uno_1 data:OSAKA MEN'S CHORUS 第34回リサイタル  日時:平成19年6月10日(日)午後2時開演(午後1:30開場) 会場:いずみホール 入場料:2,000円(午後1時より座席券と引き換え) 主催:OSAKA MEN'S CHORUS

お問い合わせ:090-8445-1537(有田)  URL:http://omc.boy.jp/

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2007年4月17日 (火)

桂米左独演会

4月29日、桂米左さんの独演会が、ワッハホールの劇場で開催される。

桂米左さんといえば、米朝一門の中堅落語家のひとり。舞台映えのするいい噺家さんだ。ある年の義太夫教室の忘年会で、昭和歌謡ならほとんど唄えると聞いて、「月の法善寺横丁」をリクエストしたときから、いい人だとおもった。「月の法善寺横丁」を台詞まで言ってくれる人は、私のお友達では黒松さん以外考えられなかった、完璧台詞まではそうざらにはいないので感動したことがあった。

今年から、「昭和の日」に呼び方が変わったこの日が、何故桂米左独演会かといえば、4月29日はご自身のお誕生日であるからと聞いている。そして、今年は、第10回目。ゲストに桂ざこば師匠を迎えられ、米左さんの意気込みというものが伝わってくる。

控えめなところが芸にも、現れている。しかし、どこか、冷めているという印象はあって、それは、落語家にとって、いいことなのかよくないことかはわからないけれど。舞台の米左さんは、実年齢より老けて見えるのは、芸に自信あり、腕におぼえあり、が、ちゃんとしっかりあるから大きく見えるのだろう。中堅、いやもうベテランといってもいいのではないか・・・。今年は、記念すべき10周年にあたって、「百年目」を予定されている。いつも落語会に誘うお友達と揃って出かけることにした。

「昭和」が一番似合う落語家になって欲しい。米左さんのお誕生日でもある独演会はきっと大盛況で、大満足の日で終わるような気がする。今からチケットは申し込めるのか、完売なのかは聞いていないが、もし米左さんの落語が聞きたくなったら、ワッハホール、米朝事務所へお電話を。私たちも品よく、大いに笑うつもりである

Yone1data:桂米左独演会。「百年目」と「本能寺」と「阿弥陀池」を予定されている。

開口一番/桂佐ん吉 ゲスト/桂ざこば

日時:2007.4.29(日・祝)14:00開演/13:30開場 会場:ワッハホール 千日前なんばグランド花月前YES・NANBAビル5F 前売り2,500円/当日3,000円/全席自由

お問合せ:ワッハ上方06-6631-0884  米朝事務所06-6365-8281

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2007年4月16日 (月)

吉田玉女、局岩藤に初挑戦!

国立文楽劇場に出かけた。肥田先生からご招待の切符を送っていただき、うきうき文楽DAY。第2部の出し物は、「粂仙人吉野花王」と「加賀見山旧錦絵」。劇場で、文楽応援団のボランティア活動をされている、木田さんにお会いする。「玉女が、岩藤を遣っているから、見てやって」

玉女さんというのは、木田さんの甥っ子で、先日お亡くなりになった吉田玉男師匠のお弟子さんである。ずーっと文楽を見てきた私とは、ほぼ同世代である。若手だと思っていた人は、玉女さんをはじめ、桐竹勘十郎さんもいよいよ中堅の重要な役が回ってきたということだろうか。しかし、「加賀見山」の局(つぼね)岩藤が、初演とは。

4月公演の、パンフレットにも登場している玉女さんは、「師匠の持ち役に全て挑戦したい」と語っている。有言実行。なかなかいいことを言うなぁ。師匠の玉男さんもきっと喜んでいられるに違いない。品のある、落ち着いた演技を期待するが、初演の局岩藤はまだまだ憎たらしさに欠けていた。本公演後半の演技で憎たらしさに磨きがかかるとおもうので、千秋楽近くにまた見に行かなくてはならない。英大夫は第1部、2部とも出演。第1部は吉田簑助師匠が「心中宵庚申」で女房お千代を遣う。こちらも師弟競演。勘十郎さんの八百屋半兵衛。ほかに「玉藻前曦袂」がある。

Bunraku_1DATA:文楽4月公演4月7日(土)~4月30日(月・休) 19日休演日、第1部、第2部の入れ替えはありません。

第1部の出し物は、「玉藻前曦袂 たまものまえあさひのたもと」「心中宵庚申 しんじゅうよいごうしん」

第2部の出し物は、「粂仙人吉野花王 くめのせんにんよしのざくら」、「加賀見山旧錦絵 かがみやまこきょうのにしきえ」

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2007年4月15日 (日)

親子で見る「東京タワー」

映画「東京タワー」を見た。

ボクのオダギリジョーさん、オカンの樹木希林さん、オトンの小林薫さん、ミズエ役の松たか子さん、若い頃のオカンの内田也哉子さん、子役の二人も。みんなよかった。オカンのオカン役の渡辺美佐子さんも、小倉のおばーちゃん役佐々木すみ江さん。他に、伊藤歩さん、千石規子さん、寺島進さん、荒川良々さん、板尾創路さん、中沢清六さん。

あれ?!こんな役でこの人も、小泉今日子さん、柄本明さん、仲村トオルさん、松田美由紀さん、田口トモロヲさん、宮崎あおいさん、なんと豪華な顔ぶれだろう。

映画でしかつくることが出来ない醸し出すという作業。映画になった「東京タワー」の力は、少年時代に暮らした九州と現在の東京と自在に行き来したシナリオになっていることだろう。脚本の素晴らしさ、監督の自在さ、キャスティングの確かさ。

映像美をどう捉えるか、入念にさりげなく見せる撮影、照明、美術スタッフ、製作の力。そして、なにより、ロケ地がみつかったこともおおきかったとおもう。過去に遡るわけだからもうそこには現在の風景に置き換えられ、何も残っていない、厳密にいうとどこにも立つこともできない土地に、映画では、面影をのこした筑豊の風景(本当は東北という違うロケ地)をシネスコ(シネマスコープサイズ)の映像で再現した。例えば、少年のボクがオカンと実家に戻ってくる線路を歩くシーンや、ひとり筑豊の町を見下ろす場面があるが、広がりがあってとても美しいシーンで、あのシーンがあるのとないのとでは随分ちがうなぁ。

オダギリジョーさんのナレーションも、よかった。

久しぶりに、映画の醸しだす時間(世界)を共有できたような気がする。役者も製作者も監督も、もちろん原作ありきではあるが、原作を読んでいなくとも「東京タワー」は見ることができた。ひとえに、映画をつくった人たちの熱きおもいが伝わったそんな映画だった。

Tou414

data映画:「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」 原作:リリー・フランキー 監督:松岡錠司 脚本:松尾スズキ 製作:孫家邦 撮影:笠松則通 照明:水野研一 美術:原田満生録音:柿澤潔 編集:普嶋信一 音楽:上田禎  主題歌:福山雅治

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2007年4月14日 (土)

北海道野郎

最近売れっ子になった大泉洋さんの番組で、さいころを振って、さいころの目に合わせた表の支持に従って、全国を縦断するロードゲームは実に面白かった。破天荒な番組の放送時間が分からず、偶然に任せ、再放送であっても、見ることができたときは嬉しかった。

友人のなかにも、その番組の存在を知っている人と知らない人に分かれた。

番組を知っている人は、大泉洋さんともう一人の男前の人の二人の息が合っているから面白いのだと言った。私は、洋さんの顔じゃないのよ。あの、喋り捲るセンスはただものでないと・・・。「2時間スペシャルの東京タワー」や「ハケンの品格」での活躍は著しいものがあって、大泉洋という人のタフな仕事が実を結んだね、とひそかにエールを送った。

最近知ったのだが、ローカル番組だとおもっていた番組(いまだにタイトルさえ判っていない)は人気番組だったし、大泉洋は、すでに有名タレントだったのだ。

北海道野郎の今後の活躍に期待するぞ!たとえば、勝手に続くとおもっている「ハケンの品格ⅱ」が始まるときは、いち早く教えてくれたまえ。

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2007年4月 5日 (木)

電車の中での大声は・・・

突然大声が聞こえた。

「お父さん、別にあなたがそんなこと、しなくても・・・」

お父さんといわれた六十代の男性が奥さんを叱った。

「だから、お前はだめだと言うんだ」

痴話喧嘩だろう。そんな会話には興味はないとおもった。電車が駅に近づく。二人はこの駅で降りるのだろう。チラッと見た時に、全てが分かった。

お父さんは、電車の中に置きっぱなしにされた、空き缶とペットボトルを手に持っていた。

他人の捨てた空き缶を持って欲しくはなかった。そこまでしてくれと誰も頼んでいない。どこかにお出かけの二人には、特に奥さんには、自分が飲んでもいない空き缶だった。

しかし、お父さんは捨てようと手にした。「あなたがしなくてもいいから、私がします。」そう言ってもいいところを奥さんはお父さんを攻めたんだなぁ。ここで、一気にお父さんに不満をぶつけてしまった。それも電車の中で。

他人が捨てていった新聞や空き缶やペットボトルでも、電車を降りるとき、さりげなく拾ってホームのゴミ箱に捨ることがさっとできるだろうか?

お父さん、あなたは空き缶とペットボトルを手にし、妻を叱った。妻をたしなめる事もできないお父さんもいると聞いているのに。あなたは堂々としていた。なかなかカッコよかった。

考えると恥ずかしくて行動できないことでも、いつもの訓練でさっと体が動くようにしないといけないなぁ。

「いいことだから、しなさい」と指図するより、とにかく自分の意思で行動することだ。それはいつも、毅然としているから、躊躇することや恥ずかしいことではない。

見ず知らずのお父さん、「いいお手本をありがとう!」

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2007年3月29日 (木)

COUKA

時々シャンソンが聴きたくなる。とっておきのアルバムは「JEAN CORTI」のCOUKA.

愛犬の名前がタイトル名にもなっているこのアルバムは、アマゾンヌからはじまりアマゾンヌで終わる。他に肘と肘を合わせて、あかむらさき、昔はよかった、さくらんぼの実る頃、i犬ころ、クーカ、熱中などアコーディオンの名手ジャン・コルティの「デビューアルバム」に収録されている。老アコーディオニストの演奏に聴き惚れる。

春を待つ午後。ちょっと、しあわせ。

Couka Couka3 Couka2

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東京タワー

娘はいろんなことをいち早く見つけては、私にインプットする。昔から、大沢たかお、オダギリジョーの熱烈ファンで、大沢たかおさんなどは、寺島彰由さんが大沢たかお写真集「The border」を撮る前からブレイクすると言っていたし、オダギリジョーも「アカルイミライ」以前からわいわい騒いでいた。 遡ると何でもブレイクする前に夢中になっていた。イチローがまだ「鈴木」と言っていたころオリックス・ブルーウェーブ時代、同級生の女の子と一緒にグリーンスタジアム神戸の球場に通っていた。

娘は、だから、私がオダギリジョーのファンみたいに装うのはおかしいという。それはそうだけれど・・・。本屋で見つけた「SWITCH」 NO.4 。最新「東京タワー」特集も読み応えがあるのでお勧めする。「SWITCH」 NO.4 の広告ページのキャノンの新CMの顔になったオダギリジョーがいい。だんだんもっともっとよくなる。是非、「SWITCH」NO.4は保存版に。

Oda04「東京タワー」の番組は、大泉洋さんの2時間ドラマこれは録画してみようと録ってあったがいつのまにか途中で他の録画に変わっていた。速水もこみちさん主演の月曜9時からのドラマは時々見ている程度でみていない。あまり興味がなかった。しかし、オダギリジョーさんがようやくこの役を受けた。主演を断り続けていたのに・・・。、「東京タワー」は多分、いい映画になっているような気がする。

娘は、オダギリジョーさんが一番リリーさんの雰囲気に一番あってると言う。私は小林薫さんのオトンも見てみたい。もちろん樹木希林さんのオカンも。しかし、映画館で号泣するのは、「ニュー・シネマパラダイス」を見て以来、恥ずかしいとおもうので。「東京タワー」のしんがりを務める映画「東京タワー」は、「アンフェアtha movie」みたいに初日に見なくてもいいんだけれど。娘が見ると言えば、行こうかな。

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2007年3月28日 (水)

長年の夢が叶いました

テレビばかり見ているようなブログを書いているが、本当にテレビっ子だから・・・。クレージーキャッツの全盛期、ザ・ピーナッツだって知っている世代なのである。植木等さんは、クレージーキャッツのメンバーとして数々の映画にも出演、晩年の渋い役も、いい俳優さんでしたのに残念でした。ご冥福をお祈りいたします。

春からのドラマも何がヒットするだろうか・・・と考える。一番はWOWOWで「CSI:6科学捜査班」4月14日(土)スタート。グリッソム主任率いるラスベガス市警CSIチームの活躍が期待できる。楽しみ。

毎週見ている土曜の朝のオセロの番組に「子供の味方」というコーナーがあり、応募した子供の夢を叶えてくれる。最近みた鉄道大好きな10歳の男の子が光っていた。

「お父さんに誕生日のプレゼント、自転車と時刻表どちらがいいか?」言われると「時刻表」と答えたといって見せるプレゼントはぼろぼろにみえた。

誕生日のプレゼントは三年連続「時刻表」でもいいと笑って見せた子供の夢は、新潟しか走っていない電車の前で、これも時刻表の欄外に小さく載っている「かにめし」を食ること。大阪から、新潟県の直江津まで憧れの特急を見たいと出発する。

直江津に着くまで、大はしゃぎの子供はあくまでも無邪気だ。いつも子供の味方で連れ添ってくれるお兄さんも今回は出る幕がなく、電車が通ったといっては歓声、車庫に入っている車両をみつけ、また歓声、極めつけは、各駅停車で念願のポケット時刻表をもらっていくというのだからこれまた筋金入りの鉄道ファン。

2分しか停車しない電車がやや遅れ気味に駅に着く。憧れのほくほく線・特急「はくたか」である。「かにめし」を手にポーズをとる瞬間。呆然とした、あるいは感慨無量の表情で。電車は遅れ気味に駅に着いたのだが、無常にもあっという間に発車してしまった。

付き添いのお兄さんに、10歳の男の子は謙虚にも、こう言った。

「長年の夢が叶いました」。

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2007年3月18日 (日)

アンフェアthe movie 犯人は誰だ!

アンフェアthe movie見てきました。期待していた回想シーンで安藤刑事の瑛太も出てきませんでした。(安藤刑事の回想シーンなどなかった)、だんなさんの佐藤さんもニューヨークに行っているし、美央ちゃんが、また危険にさらされるという設定でした。アンフェアは誰なのか、犯人は、テレビのスケールではなかったけれど、スペシャル番組で見た展開の焼きまわしでは面白くないというおもいでみました。しかし・・脚本は。

話題の映画は一番に見ないと、誰かのネタばれで内容が分かってしまうのも面白くないもの。犯人は言わないでおきましょう。エンドクレジットが終わったあとも席を立たないで。の期待は、見事裏切られました。

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2007年3月13日 (火)

「アンフェア」再放送「最終回」

篠原涼子主演の映画「アンフェア」がいよいよ3月17日の公開になる。試写会の切符も手に入らず、当日仕事を切り上げ娘と見に行く予定をしている。

本日、あの最強のリンカーンと重なる火曜日の10時の時間帯だけはやめて欲しかったテレビドラマ「アンフェア」最終回を、再放送で見た。

瑛太なくして「アンフェア」がないと改めておもった。愛するものを雪平から奪おうとした動機がアンフェアを引っ張ってきた、それは雪平が安藤を失うことで完結されている。映画はどんな方向で、完結した私たちアンフェアファンを引っ張っていくのだろうか。アンフェア2時間スペシャルも別の方向に行ってしまった感じだし、安本刑事犯人説はスペシャルで実った。映画は・・・。私は、濱田マリ演じる蓮見の最後の行動が気になるだけで、続きを見たいとおもっている。誰でもおなじか・・・。加藤雅也か寺島進か阿部サダヲか。瑛太以上の犯人像が描けるだろうか。瑛太に似ている幽霊とか出して欲しい。それこそ、違った映画になるとおもうけれど。「ハケンの品格」でも、好演している篠原涼子さんをスクリーンでみることも楽しみのひとつである。

「ヒミツの花園」も「ハケンの品格」も次々と終わっていくが、昨年親子で盛り上がった「アンフェア」以上のドラマは、まだ現れていない。

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2007年3月12日 (月)

玉製家のおはぎ

金曜日のテレビは、「花より男子」と「探偵ナイトスクープ!」。記憶が乏しいが「キラキラアフロ」も金曜日?たまたまチャンネルを変えたとき、鶴瓶さんが玉製家のおはぎの話で盛り上がっていた。時々見るこの鶴瓶さんと尚美さんの番組は時間帯が分からず、番組後半の数分を見ていつも楽屋に帰っていくところしか見ていなかった。

話に登場した「玉製家」は、日本橋にある老舗のおはぎ屋さんで、鶴瓶さんも25年通っているという。そのおはぎを私も好きで、番組を見て無性におはぎが食べたくなった。

文楽に通って、もう26、7年になるが、日本橋の通りに面した小さな店舗。先代のご主人がいつも店の内側の一段高い中に立ち、見本が並べてあるガラスケースに手を乗せて道行く人を眺めている。

舞台が跳ねて、文楽の話をして帰る途中、日本橋からなんばまでいつも歩く途中に店があった。文楽の話に夢中になっていたり、あるいは、おはぎを買うことを躊躇して通り過ぎる。しかし、やはりいつものおはぎを思い出して戻って行くと、

「大概の人は、戻ってきまんなっ」と先代によく言われた。戻ってくるお客さんのひとりとして数えてもらっていた。

先代のご主人とそっくりな二代目のご主人、自慢の別嬪さんのお嫁さんも今でもお綺麗だが、やはり年とともに年を重ねはったとおもう。私も同じように年をとったということだろう。

番組では、鶴瓶さんは、「きなこ6個入り」が注文できることに驚いたということだったが、先代がいらっしゃったら、きっと、「きなこ」だけはなかったと、わたしもおもう。確かめたことはないけれど・・・・。

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2007年2月20日 (火)

今年のカレンダーはFlowers

それぞれの家で、思い思いのカレンダーが部屋のどこか飾られてあるだろう。銀行や花屋からもらったカレンダーをつかうことはあるが、私は、毎年、気に入ったカレンダーをひとつ買うことにしている。今年は、花の日めくりカレンダーをLOFTで今年になって格安で手に入れた。もうひとつは、King Crimson Bestについていた卓上カレンダーでレコードジャケットがデザインされているものである。

この、日めくりカレンダーの形は、他に地図をデザインしたものとどちらにするか、迷ってしまった。まだ、毎日のFlowers日めくりになれていないせいもあって、まとまってめくることに。かえって、もったいなくて捨てられない。

カレンダーひとつをとっても気に入ったものが手元にあることが何よりである。日めくりって楽しい!

Ka220 King

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2007年2月19日 (月)

スガシカオの青空

2月18日は、東京マラソン2007、大阪ではR1ぐらんぷり2007、旧正月、そして、待ちに待った、スガシカオ10周年コンサートの日。大阪城ホールでの開催。

美代子さんにチケットをとってもらい、10周年のコンサートに一緒に参加することができた。このチケットは即完売だったらしく、人気のコンサートの切符を容易く手に入れることができたことも美代子さんが手配してくれたからだとおもっている。

娘が、コンサートに行くのなら聞いておいたほうがよいと、二枚組みシングルベストを買ってくれたことも有難かった。アンコールの曲がおもっている曲だった。黄金の月が比較的早いとこ聞くことができて、ジーンときた。ファンキーな曲から、シングルヒットした曲をメドレーで聞かせたり、アコーステックな曲、なんと素晴らしい曲の連続なのだろう。改めてスガシカオの力を知った。バンドのメンバーはそれぞれ力があって、キーボードもギターもドラムもベースも聞き惚れてしまう。

会場は、映像を駆使した演出で見事に構成されていた。ミラーボールが、最後の曲のときに回って綺麗な光を作り出していた。3時間を越えた熱演が、ファンのこころをとらえないわけがない。

特にスガシカオの青空が印象的であった。おおきなめがねをかけた人々による「午後のパレード」の振り付けなどが会場を沸かせていた。配られためがねは、みんながめがねをかけて会場全体がスガシカオになる予定だったのだろう。配られためがね、みんな掛けていたのだろうか。スガシカオさんの10周年記念コンサート、大満足をして帰り、ブログを聞き終えると19日になっていた。

左の写真はニューオオタニのロビーに飾られた「春節祭」のオブジェ。右の写真は、「SUGA SHIKAO ALL SINGLES BEST」二枚組みアルバムと会場で配られためがねPhoto 。「午後のパレード」のときに掛けていたもの。

Magame

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2007年2月17日 (土)

MoMAの傘

娘がMoMaの傘を買うというので、私の分も頼んだ。一緒の傘を持つことを嫌がるかとおもったが、「お母さん、同じものでいい?もっと派手なのがあるけれど」と言って、ポーチもお揃いで注文してくれた。

数日後、届いた傘は、外側が真っ黒、内側に青空と白い雲が描かれ、雨が降った日でも青空が現れるというもの。傘の柄に▲印があって押すとジャンプ傘になっている。先日、春一番が吹き荒れた日、「あれ、傘はささないの?」という独り言のような台詞が口からでた。「春の嵐で傘のほねが折れると嫌だから」。言い訳をして違う傘を差して出かけた。春一番の風に飛ばされて、内側の青空が見えると綺麗だったかもしれない。二度と持てないだろうけれどね。

娘の青空と同じ日には差して 歩けない、おばさんの青空はそのうちデビューするさ。

Moma

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2007年2月12日 (月)

仕事の鬼?

久しぶりで神戸に行っていい刺激を貰って帰ってきたら、へんな時間に寝てへんな時間に起きてしまった。今年は暖冬のせいか、例年の寒がりが解消されたようでいつまでも起きているか、今日みたいに目が覚めるか。こんな時にしか書けないことを書こう。

シネマな夜という映画を熱く語る会をつくって10年なるが、そのメンバーの友達が昨年癌が原因で脊推腫瘍とわかり放射線や抗がん剤の治療を続けていた。

彼女の病気は、彼女自身からも去年のメールで「病気のことは誰にでも知らせてくださっていいし、わたしもまだまだ治療が続きますが、同じように突然病気になってどうしていいか分からない人の力になればと思っています。」

昨日、「先月、脳に癌が移転し、一部に腫れがあって放射線治療をいたしました」とメールが届く。彼女のメールは淡々と症状を伝え、そして、最後に「今はすっかり回復いたしました。このようにして、今後も癌は移転して発見、治療の繰り返しになるかもしれないけれど、ぼちぼちやっていこうと思っています。普段は何らかわることなく日常生活していますので、また声をかけてください」

「一月は多忙で、反省して、ゆっくりと生活しようとおもっています。みわこさんもご自愛ください」。

私も最近仕事の鬼になっているけれど、体調だけは気をつけるようにしている。彼女に心配をかけるようではいけません。彼女についておもうことは、病気と向かい合い、それを冷静に受け止めた日常を送ろうとしていることが痛いほどわかる。私なら、きっとじたばたするだろう。何もかも投げやりになるだろう。弱音を吐くだろう。毅然とした状態ではいられないだろう。彼女に何かを教えて貰っているが、澄んだ声が聞こえそうでまた消えて。

彼女にも、私にもいえることは、今を生きよう。そして、それぞれ向かい合うことは違ってもで、いまを熱く語ろう。一日を大切に喜んで生きよう。

映画の会のメンバーとも久しく会っていないが、15ヶ月ぶりに「シネマな夜53夜」の緊急集合かけることにしよう。よろしく!

貴地邦くん、森田くん、浜中さん、藤本さん、岩谷さん、岩崎さん、松居さん、北口さん、吉行さん、河村さん、扇田さん、英大夫、澤さん、仲田さん、三浦さん、今野さん。できる限り、日にちが合う人は集まってください。日にち、場所が決まり次第連絡いたします。

なお、「ボタンの気持ち」ボタンWALKも構想中。2月17日にボタンミニWALK考え中。18日にスガシカオコンサートがあるのであまり歩けないが、ボタンの気持ちレッスンが24日にアトリエfioreであるが、参加できない武田さんとご一緒しようとおもっている。どこが、仕事の鬼か分からないが忙しくかけまわることにおいては、鬼にもなりましょう。では、シネマ、落語、ボタンの会のメンバーのみなさま、よろしくお願いいたします。落語を熱く語る会は、貴地邦くんと「第1回サブロー&雀々漫才」行って、楽しんできた。ほんと、どこが仕事の鬼やのん。

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2007年2月 3日 (土)

WEDGWOODの貯金箱

Tyokinnbox2 WEDGWOODそんな風に書くと磁器でできた立派なものを想像されるかもしれないが、WEDGWOODの紅茶の詰め合わせの容器で貯金箱を去年作ってみた。直径10センチの円筒形、丁度いい大きさで、蓋のところにWEDGWOODのロゴがあり、その真下に3ミリ×28ミリの五百円玉が入る穴をあけた。透明な部分と蓋をメインディングテープで貼り付けると出来上がり。透明な部分にお金が貯まっていく。12月から貯まった写真があるが、娘も欲しいというので2個目をつくった。

最近は、金種別に計算してそのつど金額が表示されるものもあるらしいが、それもかえって興ざめがするようにおもう。

いくら貯まるのではなく、いついっぱいになるか、ちょっとわくわくしている。

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2007年1月30日 (火)

お年玉付き年賀状のこと、林先生のこと

お友達の美津江さんから、私の出した年賀状がひょっとしてお年玉の2等が当たっているかもしれないよ、とメールが入って、調べることに。

あいにく私に来た年賀状は2等どころか、切手シートもひとつだけ。出さなかった年賀状や、書き損じのハガキも番号が当たっているかもしれないので置いてあったがそれも当たっていなかった。反対に美津江さんはプリントミスをしたハガキを新しいものに交換に行ったというから、当たりくじを見す見す逃したのかも知れなかった。

この誰でも当たり前のようにおもうお年玉付き年賀状は、昭和24年にある民間人が郵政省にアイデアを持ち込んだと言われている。「年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息も分かり、打ちひしがれた気分から立ち直るきっかけにもなると考え、このアイデアを思いつきます・・・・《年賀状には賞品の当たるくじをつけ、料金には寄付金を付加し社会福祉に役立てる》*」    *年賀状博物館のホームページより抜粋

この発案者は、林正治先生である。私が知っている林先生は、お年玉付き年賀状の発案者ではなく、水彩画家の先生の方である。展覧会には妹も伺ったことがあって先生と妹が写っている写真がでてきた。

水彩の作品は、風景も花の特に薔薇がふんわりとした色使いで、私の好きな色がこの頃ほぼ決まったというくらい淡い色彩が気に入っていた。風景も薔薇の花もどの絵を見ても色もタッチも味わいがあった。

年賀状のことで、林先生のことを思い出した。京都弁でおしゃべりくださったことも。だが、黒い電話機の向こうから聞こえた声はもうどんな声か忘れてしまった。

data:「年賀状博物館」   http://www.nengahaku.jp/history-6.html

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2007年1月29日 (月)

タモリの大放送

ある日テレビを見ていると、多分「笑っていいとも」だったとおもうが、タモリさんのレコードの話になった、誰がどんなときに喋っていたかは、記憶が怪しいが、その時の話題がタモリの大放送という「レコードを出したことがあってね」という話だった。

私もその当時面白がって購入したとおもうので、テレビを見た後探したら十数枚のレコードの中から「タモリの大放送」が出てきた。比較的保存のいい状態で音もいい状態で期待できるものだった。

序曲”タモリのテーマ”ハナモゲラ相撲中継、教養講座”日本ジャズ界の変遷”、CMブラジャーミシン、”世界の短波放送、お昼のいこい、歌舞伎中継”世情浮名花模様”、料理の時間~大混線などA面を紹介したが、B面もばかばかしくどれをとってもその当時からスマートな笑いを追求していた。周りに居た人が面白がってみんなで最高のものを面白がってつくったとしかいいようがない。なんと、左上のコードが書いてあるジャンルをみると、なんとポピュラーって書いてあった。ロックや、ジャズの仲間ではあるが、ポピュラーはおかしいだろう。

他には、ダントツ、今聞いても色褪せていない、ピンクフロイドをはじめ、サンタナなども手元にあるレコードは、ピンクフロイドの道、狂気、雲の影、原子心母、キングクリムゾンLARK'S TONGUES IN ASPIC、ビートルズ、映画音楽のレコードなどがあった。なぜか荒井由美のレコードもあった(敬称略)。

タモリさんのレコードは、今聞いても面白く、いつかタモリを聞く会倶楽部を開こうとおもう。自慢のレコード大賞ベスト10談義も楽しいしいだろうなぁ。楽しみ楽しみ。Tamori

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2007年1月11日 (木)

えべっさん

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                        商売繁盛で笹もってこい!!

宵戎、十日戎、残り福戎とお正月9日、10日、11日は戎さんの大活躍の日。兵庫県西宮神社の戎さんは、福男えらびにに余念がない。意外と知られていないが西宮神社では昭和45年から大マグロの奉納や、有馬温泉の顕湯式と商売繁盛と謳いながらものんびりとした企画も定着している。今宮戎では、恒例の宝恵駕籠行列がミナミの繁華街を練り歩き、大阪の北の堀川神社のえべっさんも福興戎が境内に飾られ大勢の人で賑わった。

今年は、交通規制の馬鹿馬鹿しさが初詣で体験しているので、十日戎の混雑を避け、のこり福を授かるように出かけていったので、写真も撮ることができた。福娘のお姉さんがこちらをみて優雅な会釈をしてくださった。それだけでも値打ちのあるえべっさんday。お賽銭はROYAL COPENHAGEN  TEA Darjeelingの缶に貯めてあった一円五円を持っていったのでじゃらじゃらじゃらと大きな音がした。耳の遠いえべっさんにもお賽銭を入れる音が聞こえたような気がした。

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2007年1月 8日 (月)

紙吹雪研究家2

紙吹雪を研究していると、最近のテレビやコマーシャルで紙吹雪が舞うシーンが多くなったと喜んでいる。

文楽も「冥途の飛脚」の道行相合かごのシーンは雪が降ってきた。文楽の舞台で散らす雪は1.5センチ×1.5センチの四角形だ。少し小さい雪であるが、ゆらゆらと上品に落ちてくる。

歌番組で使われる、紙吹雪は少し大きめで、上からの距離が低すぎるのか、ドカッと落ちてくるような気がしていた。私の実験では、長方形のものもくるくるとよく回りながら落ちてくる。

雪をイメージした四角い紙であれ、花を模った花びらであれ、優雅に落ちてくることが第一である。綺麗な舞台を作ることは楽しいだろうなあ。

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2007年1月 6日 (土)

一言

8621の会で誰かが言った「カゼインという成分が蓄積されるので牛乳は体に良くない成分が入っている」の一言で進んで牛乳を飲まなくなった。娘が「朝一番に水を飲んで果物を食べて、ヤクルトをのむといい」という一言で健康的になったとおもっている。大腸も元気だ。ヤクルトは渡辺謙さんも飲んでるしね。宣伝だけでも謙さんだしね・・・。

昨年は、落ち込んでいるときに友達の一言で立ち直るときが多かった。一緒に怒ってくれたり、励ましてくれたり。

高校のときの友達が岐阜に住んでいて、もちろん同い年であるけれど、彼女の方がずいぶんしっかりとしている。美しい日本の風景の中で気持ちよく暮らしているからメールの内容も文章もうまく、最良の一日がメールで届くとホッとする。

栃の実のせんべい屋の甘いにおいや山の木々のざわめきや春に咲くチューリップの花を植えましたという話や、野菜を植えたり、猪が出てきました、小賢しいサルに畑を荒らされましたとか、「今日は黄金の月やでぇ」の一言。

わたしは彼女のメールの返事に、美しい日本のことは書けなくて、落語会にいきましたとか、文楽に行きますとか、バレエが美しく奮えましたとか、せいぜい自然を見つけても柿の実に雀が群がっていましたぐらいで終わっている。珍しくもない風景。ありふれた出来事。

「当たり前やん、気にすることはないよ、住むところも環境も違うんだし、みわちゃんのメールも嬉しいよ」。自分だけが楽しかったらそれでいいとおもっていたわたし。誰の話にも関心がなかったわたし。最近誰彼なしに、「その一言」に耳を傾けることが多くなった。

褒められても諌められても、どっちにしても「一言」を言ってもらえることはありがたいことだとおもう。娘の一言、母の一言、妹の一言、友人の一言。今年は気持ちよく暮らしていく一言を自分でも探そうとおもう。さて、どんな一言と出会うだろう。楽しみである。

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2007年1月 5日 (金)

文楽に行こう!

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Bu55_2今年も初春文楽公演にいそいそと出かけて行った。お正月飾りや黒門市場商店街振興組合から寄贈されたにらみ鯛、鏡餅の飾りつけも豪華なものになっている。
コーナーは餅花で飾り、劇場内を華やかに演出していた。舞台正面の上の方に毎年凧とにらみ鯛が取り付けられ、凧の文字は干支の「亥」の一字。真ん中の写真は緞帳の上にある鯛と凧。

しかし、劇場内に入って驚いた。お正月公演にもかかわらず、空席が目立った。やはり、玉男亡き後の空虚な舞台を感ぜずにはおれなかった。
午後の部の出し物は、二人禿(ににんかむろ)、嫗山姥(こもちやまんば)、冥途の飛脚(めいどのひきゃく)。

確かに玉男さんが演じない、「冥途の飛脚」は想像がつかなかった。玉男さんの忠兵衛しか見たことがなかったから、今回の出し物は、展開が淡々として、ストーリーがはっきりと見えすぎて、同情の余地なし、だめな男だが仕方ないと思えない忠兵衛も見たことがなかった。しっかりしいな、男なら泣くなと言いそうになった。

お正月公演は毎年、幕間の直前に、若手技芸員が巻き手ぬぐいを投げることになっている。この巻き手ぬぐいを手にするかで、文楽への熱い一年が待っているといっても過言ではない文楽狂としては嬉しい贈り物を、今年も手にすることができた。嬉しいの一言。手ぬぐいの結び目には今年は飴が2個入っていた。

お元気そうな吉田簑助さんの八重桐に感動して、今年一年も文楽に通うぞ!そして、毎年言っていることだが、文楽に行こう!

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2007年1月 4日 (木)

551の豚饅

私は好きなものが一定している。文楽も25年、同じものを追いかけ、追いかけることが加速していくというスタイルを貫く。551の豚饅にも一定の法則があって、それはずーっと貫いている。

551の豚饅が、誰よりも好きで食べたいとおもうが、においが駄目で、買って帰ることができないのだ。

つまり、豚饅に関しては誰かの力を借りないと食べることができない。自分では買わないので551の袋は持ったことがない。

「それ、わがままなんと違うの?!」

そう言われても私には信念があって、食べたくとも買わない。別に不買運動をしているわけではない。いつか、食べることができる日まで、我慢ができるということである。並んで買うこともない。冷凍の豚饅はおいしさも半減するからこれもあまりたべたことはない。

たまたま車で移動しているとき、店で売っている豚饅を数ヶ月前、一年ぶりに食べることができた。車を止めた目の前にお店があっても、買ってきてもらって。

あのにおいは強烈で、同じ電車のどこにいても、551の豚饅を持っている人が乗ってくるとにおいで分かる。隠し持っていたとしても、例えCHANELの紙袋に入っていたとしても。

JRの北近畿特急に乗ったときのはなしである。夜のラッシュの電車にやっと座れたとき、その日はワンカップもビールも飲まない男の人がひたすらスルメを食べていた。そんな人に気をとられて、私の前に座っていた親子(母親と若いお姉さん)が何をしようとしていたか最初は見ていないが、においが襲ってきた。いきなり551の紙袋をだして、においで充満する4個入りの箱から豚饅を取り出し食べだした。いい大人が、よりのよって、同じ電車の、4人がけ座席の前ふたり席の、何で私の前に。

今でもそのときに受けた印象は強烈で、何年経っても、食べると指がべたべたするあの豚饅をぺろりと平らげた親子のすさまじさを覚えている。食べたかった気持ちは分かるけれどね。美味しいものね。

551の豚饅に関して言えば、誰かが買ってきて家に届けてもらうか、家まで持って帰ってくれる人がいること。私が、あの、赤文字の551の紙袋を持って歩くことはない。

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2007年1月 2日 (火)

初売り

今年は暖冬のせいか、冬物の売れ行きが振るわずクリアランスセールと銘打った初売りが盛況であった。

ご他聞にもれず、福袋を目指してお正月バーゲンに出かけたが、長い列に並んでまで買うことはなかった。福袋が魅力的におもったころは、中身が何か分からず開けてみる楽しみもあったが、今はどのコーナーの福袋も中身が分かるようになっていた。これでは欲しい気持ちが半減して、結局福袋の魅力がなかったことを確認して帰ってきた。

今年一年の誓いを立てるなら無駄なものを買わないことかな。

文楽狂の一年の始まりは、4日と中日を過ぎた18日に行く予定だ。肥田先生から切符を戴いて玉子さんと一緒に行くことに。たまたまお誘いした玉子さんのお誕生日が18日。お誕生日記念にご一緒できる文楽なんて嬉しいなぁ。今年も熱く文楽通うことになるだろう。やはりドキドキすることのひとつだから。

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2007年1月 1日 (月)

スーパー大吉そして・・・

初詣の話は興奮とともにいずれまた。大阪天満宮初詣に出かけたが、2時間以上待たされた。規制もときとしては逆効果になるときもある。

おみくじの結果だけでいうと今年は超スーパー大吉をだした。待ち人来る、買い物よし、縁談最高。失せもの出る。

いい年にするのも、しないのも自分次第というが、風まかせ、人任せも混ぜて、やはり今年はスーパー大吉で行こう!今年はボタンに夢中なので年賀状もボタンデザインのものをつくった。ボタンの気持ち事務局の番頭としても活動をするつもりなので、超スーパー大吉は何より嬉しかった。

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2006年12月31日 (日)

豪華伊勢海老が届いた

今年は、年末に、お米が届いたり、お茶を戴いたり有難いことばかりで感謝していた。娘が、「年末にイセエビが届くから」と言っていたことを、何気なく聞いていたが、なんと、本日豪華版伊勢海老がクール宅配便で届いた。

Img_0480_1娘の会社の方からのプレゼントで、伊勢海老が3匹もおがくずの中に納まっていた。娘は形が嫌と言って興味はなさそうであるが、私は興奮してきて「い、い、い、伊勢海老でしょ。刺身にしても、焼いてもいいわよ。早く食べましょ」という、我が家の今年の年末最大のイベントになっている。

今年の紅白歌合戦は興味がなく、お目当てのスガシカオさんの出番を待とう、そうおもっていた。おもいながら、締めくくりのブログを書いていていたら、たまたまつけたテレビにナイナイの岡村がテレビに映っていた。あり得ないテレビの内容に、司会の中居さんはやはり乱入したと告げる。その後すぐに、スガシカオの歌が、偶然にもかかったから驚いた。歌いにくかっただろうなあ。「何してくれるねん岡村」。

待たずに、スガシカオの歌を聴くことができた。あるいは、気がつかなかったら今年初出場のスガシカオを見ることができなかった。上下(うえした)大違いを、うまく乗り切った年が最後までつづいた。今年はなんでもぎりぎり間にあったとおもう。これは好きなものを引き寄せる力はかなり上昇してきたということか。このあてにならない勢いでもって2007年も乗り切っていこうとおもう。きっと面白いことは続くだろう。興味のあることは尽きず・・・・。

今年一年ありがとうございました。

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2006年12月28日 (木)

紅白饅頭こわい

昔は、結婚式の引き出物の袋と一緒に必ず鶴亀の模様の入った風呂敷に包まれた木箱入りの紅白饅頭が入っていた。ずっしり重いと、紅白饅頭ではなく寿や亀の形をした羊羹や鶴の形をしたお砂糖だったりして、がっかりした。3個入りか5個入りの紅白饅頭が私の大好物であった。
上等な薯蕷饅頭を食べるとしっとりとしているが、饅頭の皮がパサパサして、薄く、中の漉し餡がぎっしり詰まっていた。紅白饅頭は結婚式にいったという証明のようなもので、一緒に出席した親戚のおばさんの分までもらって帰ったこともあった。

「人の結婚式ばっかり行ってるわ」。

娘は「私めがけて投げんといて、と言ったのに・・・・」、今年3回目のブーケを手にして帰ってくると、感動的な場面の話をしてくれる。ニコニコして、「いい式やったわ」

予算の範囲だろうが、たくさんの結婚式場から自分にあったよさそうな会場を選び、お任せコースやあるいは、司会や音楽も、自分で全部仕切り式を演出することもできる。かなり好きなことができる結婚式という印象を受けた。

そして、引き出物も分厚いカタログ本は入っているが、この日のために焼き上げた磁器のお皿や、お父さん手作りの靴べら、喜ぶをかけた塩昆布なども印象に残っている。引き出物のお菓子は、焼き菓子のケーキが主流でバームクーヘンも多かった。しかし、娘が出席した結婚式では紅白饅頭木箱入りは一組もなかった。

今となっては、紅白饅頭好きの私でも、漉し餡のぎっしり詰まった紅白饅頭を食べたいとおもうのか、難しいところである。好物が今は、饅頭こわい。

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2006年12月24日 (日)

サンタは本当にいるの?

娘が大きくなって、クリスマスプレゼントは何が欲しい?と言ったら、「自分で選ぶ」ということになった。一緒に買いに行く約束をした。「サンタは本当にいるの?」娘は、いつ頃まで信じていただろうか?

今、コマーシャルで流れている、コカコーラのCMがなかなかいい。サンタさんが、プレゼントをするというテーマを、短いストーリーに仕上げている。サンタさんの贈り物は毎年変わらず繰り返されて届けられるんだ。

サンタといえば、サンタ役で一番グッと来た俳優は「34丁目の奇跡」のリメイク版の、リチャード・アッテンボローだった。サンタさんのひげは自前のひげだろうか、恰幅ある体型は、「ジェラシックパーク」でもジョン・ハモンド役で出てきた。最近はおじいさん役がぴったりのリチャード・アッテンボローは、「大脱走」では教授役、「砲艦サンパブロ」は脱走した水兵役。いずれも切羽詰まったような、危うい雰囲気を醸し出す俳優で、ステーブ・マックィーンと競演をしていた。監督になって、「遠すぎた橋」アカデミー監督賞の「ガンジー」でオスカーを手にしている。
最近亡くなったフィリップ・ノワレ、ロバート・アルトマン監督。そして、岸田今日子さんも亡くなってしまった。サンタさんの話からそれてしまうが、岸田今日子さんがいなくなって、渡辺謙さん主演、テレビ時代劇「御家人斬九郎」のつづきはもう作ることが出来ないようになってしまった。シリーズ再開を願っていただけに非常に残念である。鼓を打ち、いつも斬九郎のお金で散財するグルメな母親役の岸田今日子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

サンタさんの話がいつもとは違う話題なのであるが、クリスマスが近づいたある日、若いお母さんから話しかけられた。

「うちの娘は、サンタさんが本当にいると思っているんですよ、まだ二年生なんで。」

へえそうなんだ。欲しいプレゼントはどうして分かるの?プレゼントに満足しているの?お母さんの答えを聞いて、なるほどとおもった。小さい頃は、「自分で選ぶ」などとは決して言わないのである。

「サンタさんは本当にいるの?」
この質問の答えは、それは、君が信じているのなら、君の心の中にはちゃんとサンタさんがいるのだよ!親がたとえサンタの役を担っていたとしてもいいではないか・・・。

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2006年12月23日 (土)

ニューヨークから鷲山かおりさんが

今日、えにし庵で、鷲山かおりさん(ヴァイオリン)とダニエル・シュルマンさん(ピアノ)のコンサートがある。ニーヨークから日本へお里帰りされる時は、必ずえにし庵のスケジュールを考えてくださる。昨年から今年にかけて、さらに「のだめカンタービレ」のヒットもあって、クラッシックブームであるが、ブームの前から、毎年の行事にしている池田屋の企画も大したものである。

来週テレビでは「のだめカンタービレ」は最終回だが、漫画の方はまだまだ続いていて、アンフェアみたいに、映画化されるかもしれない。漫画本は1巻だけ読むと途中からテレビドラマを見た人はよく理解できるのではないだろうか。私もその一人で、今頃になって千秋さまとのだめの出会いに納得した次第である。ピアノソナタカプリチオーソカンタービレ。カンタービレ歌うように!

みんなバッハやベートーベンやモーツアルトの話をしている。不思議にも今年はこの話の中に入っていくことが出来るなんて気取って言うことにしている。私の名前も「バッハムーン」であるから。
違うんですよ。バッハが好きなだけで、クラッシックは聴くけれど、音楽の傾向はばらばら。特に好きな人は「誰々です」と言おうものなら、「えっ!」と退かれるくらいばらばらと、付け足すことにしている。
たくさんの曲を聴いていないということなのだ。すきな曲に心を奪われる。好きな小説に心を奪われる、好きな色に、好きなものを探すことにこころ奪われる・・・がわたしの傾向なのだ。

数年前の鷲山かおりソロヴァイオリン、バッハの無伴奏曲「シャコンヌ」の演奏に魅せられてから、さらにかおりファンになった。何がどう凄いかといえは、バッハを愛するものとしてあの旋律を流れるようにエレガントに弾くことが出来る人はなかなかいないのではないか。
今年は、なにを弾いてくださるのかしら。鷲山かおりさんの音色をライブで聴くことが出来る。楽しみ楽しみ。
data:
1.モーツァルト ピアノソナタ K330ハ長調 2.ベートーヴェン ロマンス へ長調 3.シューベルト ソナチネ ト短調 休憩 4.ストラヴィンスキー イタリア組曲 5.バルトーク ルーマニアン舞曲 
ストラヴィンスキーの耳にぶつかるハーモニーが特徴です。

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2006年12月22日 (金)

落語に行こう!

吉朝師匠が亡くなって一年が過ぎた。一門のお弟子さんたちも活躍されてしっかり育っているようにみえる。よね吉さんの落語を池田市の東西落語会ではじめて聞いた。雰囲気が師匠に似ていたので少し驚いた。声も似ているような気がしてよね吉さんの落語ももう少し聞いてみたいとおもっった。

昨年より、桂雀々さんを追いかけている。毎月の雀々さんの落語会に行くようにしていたが、今年は前半飛ばしすぎて、後半特に秋の独演会が義太夫教室のお稽古と重なってあきらめてから段取りがつかなくなった。11月、12月の会はどの日も仕事と重なって行くことができない状態で、上方お笑い大賞を逃した雀々さんをテレビでちらっと見て、応援出来ていなかったことに多少の後ろめたさを感じた。上方お笑い大賞は残念だったかもしれないが、負けるとは思わなかったんでしょうね。勢いのある時はなんでもやりなはれ!!サブロー&雀々で何か面白いことを考えている雀々さん。楽しみですが、切符が手に入らない。

雀々さんを一緒に追いかけて、落語会にいつも一緒に行ってくださっていた誠子さん。
誠子さんは、ご主人が入院検査を定期的に必要としていて、看病の合間をうまく調整して、検査がうまくいって次の検査までの間のほっとしたときに落語会に来ることができた。

初春枝雀一門会。来春の予定を入れ「落語会に行こう!」とメールをする。久しぶりの落語会を誠子さんと行こうとおもいお誘いした。雀々さんの落語会は、トリイホール、朝日生命ホール、四條畷総合市民会館。いろんな会にでかけた。今度は、吹田市メイシアター中ホール。

「気を使わせるとおもって、言ってなかったのですが、今月、主人が亡くなりました。満中陰が落語会の日に近いもので、よう行きません。」

そりゃそうやわ。行けるわけない。メールをもらって、愕然とし、いろんなことを考えて配慮しないといけない時に、初笑いのお誘いはやはりへこんだ。迂闊であったと反省をした。
誠子さんなら分かってもらえると思うが、自然に出てくる「落語に行こう!」は、いつもの合い言葉のようなものだった。会場に彼女が現れると、「ご主人の検査、大丈夫だったんだ」そう思うことにしていた。雀々さんを追いかけた一年半は、看病という辛いこともあっただろうけれど、ほっとした時間であった、と。誠子さんにとっても、いい思い出になってくれたらいいなとおもう。

「嬉しかったです。また、落語会誘ってください」

返事のメールは、私への気遣いもあったような気がする。午後の明るさが、急に移ろいながら哀しみの時をうつしていた。

心から、ご主人様のご冥福をお祈り申し上げます。

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2006年12月17日 (日)

お葬式

先日の吉田玉男師匠のお葬式は参列するつもりで準備ができていた。事前に休みもとった。お香典も用意したが受け取ってはいただけなかった。告別式の時間の30分前に入るよう努めた。お数珠も、真珠のネックレスも、黒いハンカチも用意した。結果としては完璧な心構えではあったが、遡ること、一時間前はな、な、なんと落ち込んで式に参列さえ考えられなかった状態だった。

べそをかいて鏡の前でわが姿を見つめていた。喪服が入らなかったのである。一年前に文紅師匠、文枝師匠、吉朝師匠のお葬式に着ていったワンピースのミニが、ぎりぎりのところで入らなかった。何がどうというのではなく、入らなかったのだが、べそをかいてももう遅い。迫ってくる時間に後押しをされて、ここは気合で身体全体を90%にし、何とか、喪服に身を包んだ。喪服なんて普段着ないもので、準備も万全を目指さないと参列できないこともあったと、日ごろのまんねりダイエットのふがいなさをおもいしらされた。とっさのときに間に合う準備、普段からきちんとしていること。できていないなぁ。

吉朝師匠のお葬式に参列させていただいたのはちょうど一年前、そこで、長年のファンであり20年前はファンレターを頻繁に出していた織田正吉先生に出会えた。

思い切ってご挨拶すると、先生も覚えてくださっていた。吉朝師匠のお引き合わせだとしたら、ここで出会ったことも自然にである。覚えていてくださったと妙にうれしくおもったが、帰って冷静になって考えて見ると織田正吉先生とは一度もお会いしたことがなかった。私はお写真やテレビで存知上げていた方なのでよく知っていたつもりだったが、何のことはない私はただの人。悪びれることなくご挨拶をしたものの恥ずかしかった。自分のとった行動が唐突だったとしても、そのとき気がついていなかったから先生の前に出てご挨拶ができたとおもう。長年の思いはそのとき叶えられた。お葬式だったとしてもいいではないか。

お葬式でめったに会うことができなかった方に出会ったら声をかけた方がいい。きっと勇気を出さなくても自然に言いたいことが言える場所なのかもしれない。

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2006年12月16日 (土)

探偵!ナイトスクープ 侍になりたい!

昨日の夜、ブログを書き終え、テレビをつけると「探偵!ナイトスクープ」がちょうど始まるところだった。久しぶりに見た。最近の放送は,公開録画なのか会場のどよめきもプラスされ、雰囲気が違うが、探偵!ナイトスクープならそれもよし。以前の深夜番組は自分だけが面白い番組をみているという感じがあった。ほかに間寛平さんの「あめま」の番組(番組のタイトルのおぼえていない)や、ダウンタウンの「あ」のネタなどは自分だけが知っているテレビでよかった。

昨日の放送は、侍になりたい男の子が丁髷(ちょんまげ)を結いたい。どうぞ、息子の夢を叶えてやって欲しいという親御さんからの依頼だった。2年くらい髪を伸ばして、ポニーテールになっていた6歳の男の子。言葉ははっきりとはまだ言えないが、桃太郎侍の決めぜりふがちゃんと言える。

探偵の寛平さんも、こんな依頼していいの?本当に親は理解しているの?と疑問を投げかけていたが、本当に頭のてっぺんを綺麗に剃ってしまった。どきどきして見ていた。
桃太郎侍になって、悪人を退治したい。空想と現実の間が子供にどんな影響を与えるかは別として、
番組のことだけを考えると、これは、探偵!ナイトスクープの大賞を獲得する作品候補である。とおもった。

月代(さかやき)というのかしら、頭のてっぺん部分を床屋さんで剃ってもらい、後は、京都撮影所の専属の床山さんが綺麗に丁髷に結ってゆく。なかなかの出来栄えであった。

無駄なこと、誰も考えないこと、必死で取り組むこと、それを応援することが、おそらく探偵!ナイトスクープの神髄なのだろう。こんなことをやってみたいと名乗りをあげた「侍になりたい」という6歳の男の子。侍になりたいという君ははじめから侍だったのかもしれない。

西田局長はというと、子供のころに戻ってしまったのか、やはり大粒の涙を流していた。私は「探偵!ナイトスクープ」に侍魂を見た。

最後に、丁髷を結っている時は、幼稚園で人気者であったが、今は落ち武者みたいになっているという姿を想像して、寛平さんの最後の方のコメントは気になるところだが、侍ソウルな男の子に成長して欲しいとおもった。

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2006年12月15日 (金)

mixi

mixiの方でもbachmoonで時々書いている。ブログがあっちこっちにあると面倒で、@niftyも、どちらも面倒で、忙しい時は本当にブログどころではない。
mixiの方は、従兄弟も活発に利用しているので、北山先生の紹介ではじめたmixiも人から人へと交流もあるかとおもうのだが、あまり熱心ではないので、bachmoon(1)は変わらない。どうも短い文章が書けないし、mixiののりについていけていないようだ。もちろん@niftyの方も同じことだとおもうのだが、こちらの方が気ままに、思いついたことをやはりまとめて書くことができることが性に合っている。

むかしむかし、友達と騒がしい居酒屋で話をしていた、「かくしごとする?」と言われて、「隠し事はしない」と答えると、「書く仕事したら」と言われ、「隠し事はしないというより、出来ない」と言い張ったことをおもいだす。噛み合わないまま会話が妙に外れたことがあった。

あの人に読んでもらおうとおもって書くのと、そうでない文章は、的がちょいとはずれで書くことがどうも気持ち悪くなってしまう。その会話をしたときの友人は今はあの空のどこかの星になっていて、もう噛み合わない話も出来なくなってしまった。突然おもいだすんだね。そんな話もしたかなぁとおもっているだろうなぁ。

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2006年12月14日 (木)

スガシカオさま

仲良しの友達がスガシカオさまのファン倶楽部に入っている、来年の10周年コンサートに連れって行ってもらう約束をした。10周年だそうだから、ゲストもいっぱいお祝いに駆けつけてきっと盛り上がるだろうか。シカオちゃんファンの友達は、押尾コータローファンの真紀ちゃんに似て、名古屋のコンサートもあっちこっちのコンサートにまめに出かけているらしい。私が、明石や神戸、池田や大阪の落語会に桂雀々さんを追いかけ、毎月出かけるようなものかな(ちょっと違うとおもう)。

私は、スガシカオファンと胸を張っては言えないが、FM802でかかった「黄金の月」をきいたとき。なななんだ、この歌詞は、誰だ誰だだだ誰だあ〜と衝撃が走った。そして、すぐに名前を覚えた。
「クローバー」のCDを聞いてからの隠れファンだ。「Sweet」もかなり聞いた。最近キングクリムゾンの2枚組CDが出たが、昔レコードで聞いた曲にドライブ感がちょっと似ているとおもった。言葉ではつまってしまうすきまを音がカバーして、いい感じにぴったりと詩と詩の間にかぶさってくる。これでもかこれでもかという音も歌詞もスガシカオの世界を創り上げている。たいしたものだ。10周年のコンサートに参加して、是非是非、晩生ファンの一人になりたいとおもうのである。
今から、楽しみにしている。

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2006年12月13日 (水)

バームクーヘン

落語はライブ派の私だが、友人の持ち物である米朝落語全集と枝雀落語大全のDVDを2組セットで借りることができるという、落語特典支援を受けているから最近はDVD派でもある。見終わったら返しに行くと、次の2組が手渡される。CDよりやはり、落語は映像で残すということが大事だとライブ派ゆえにおもうのである。第13集は、米朝「住吉駕籠」「けんげしゃ茶屋」、枝雀「仔猫」「つる」、おまけの枝雀散歩道のゲストは、ミヤコ喋々さん。

米朝落語全集は落語2席が収録されているだけだが、枝雀落語大全のDVDの方は、落語2席のほかに枝雀散歩道というABC「枝雀寄席」より収録テープがおまけについていてこれがなかなか貴重な内容で、ゲストも豊富である。落語以外の話が聞けて枝雀落語大全は大変値打ちである。

南光、雀三郎、雀松、雀々・・・つぎつぎとお弟子さんが登場し、師匠のエピソード話を披露する。紅雀さんの時の師匠とのエピソードの中に、師匠の着物に名前をつけ、符牒(符丁)で呼んでいた、という話は、噺家のそれぞれの取り込み方、姿勢の面白さがあった。

地紋に何々をかたどったとか、色無地に、柄はなになにと、説明するのかしらとおもうと師匠のお着物で、単物で、あわのようになっている柄は、三ツ矢サイダー、袷で柄がこんな、YYのつながったものがテトラポット、なんとなく分かるところがいいネーミングなのでしょう。「軒づけ」で、きている着物はさてなんと呼んでいたでしょう。クイズができるくらい楽しいお話であった。(答え:金山寺みそ)

私が一番好きだった枝雀カラーとおもっていたクリーム色の縦縞は、なんとバームクーヘンだった。

DVDの楽しみは落語を聞くだけではなく、着物の着こなしや、羽織の脱ぎ方、話の展開、表情や声の調子、扇子の置き方、座布団の座り方などいっぱいある。「つる」のはなしのときは、座布団が後ろの方にいって、いや枝雀さんが前にでてきているのだろう、高座の熱演はテープに収められている。お弟子さんやゲストの方のエピソードを含め、あのときを舞台を切り取って届けてくれるのである。落語三昧はまだまだつづくだろう。催促もなく自由にDVDを貸し続けてくれる友人に感謝をしたいとおもう。落語応援ありがとう。

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2006年6月15日 (木)

奈良を歩こう!

某月某日。近鉄奈良駅で田中さんと待ち合わせ、ならまちへ、元興寺、奈良ホテル、志賀直哉の生家、奈良写真美術館 新薬師寺、そば処でおそばを食べ、東大寺へ。奈良倶楽部の岸田真理子さんの作品展を見て、奈良女子大から、老舗の和菓子司・本家菊屋さんのある東向き北町に出て、近鉄奈良駅まで戻ってくる。タクシーやバスを利用しない徒歩のコース。ゆっくり、たっぷり歩いて5時間。奈良市内を一万歩歩いたコースである。

何も考えず案内役の田中さんの後をくっついて歩いたことがきっかけに時々奈良を訪れている。

甥と奈良を歩いた日、東大寺まではお天気だったのに、急に大雨に遭って立ち往生したことがあった。台風が直撃している日に奈良に行ったこともある。どこのお店も閉まっていて、しかたなく奈良ホテルでお茶を飲んだことも。
田中さんには「あなたは雨女と違うの?」と再々言われ、そういえば、2回目の田中さんと一緒の奈良も雨が降っていたなぁ。私は、甥が雨男だとおもっている。雨でも楽しいのは、奈良を歩いているからだろう。

最近、「仏像ガイド」という本を手に入れた。昭和34年発行のこの本の特徴は、時代別仏像解説が載っていることだろう。飛鳥時代、白鳳時代、天平時代、貞観時代、藤原時代、鎌倉時代、室町時代の代表的な仏像が載っている。時代別仏像解説順で歩くことになったら、ありゃあ、京都、奈良、岩手、鎌倉、東京、和歌山、大阪も出てくるが、実際に万歩計をつけて歩くコースは、やはり、奈良だけにしておこう。

田中さんから、毎年、お水取りのころに奈良においでよ、と誘われているが、今年も行くことが出来なかった。いずれ近いうちに、のんびり、ゆっくり、たとえ来年になっても贅沢な時間を過ごそう。

奈良を歩こう!

data:「仏像ガイド」
美術出版社編 昭和34年6月30日発行 定価200円
執筆者:(いろは順)猪川和子、稲垣直、井上正、久野健、佐藤昭夫、菅原篤、永井信一,水野敬三郎
口絵写真撮影:1.2.6.9.10.11.12土門拳  3.4.5.13藤本四八 7.8入江泰吉
カバー写真:百済観音(入江泰吉撮影)

Butuzougaido_1

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2006年6月 2日 (金)

探偵!ナイトスクープ

昨日の朝日新聞朝刊16面文化総合面に「探偵!ナイトスクープ」の記事があった。なんと、この番組の、話題を呼んだ作品が6月2日に初めてDVD化、発売されるそうだ。
懐かしい依頼番組の数々がおもい浮かぶ。お茶の間に、何とも言えない、素人が巻き起こす笑いの旋風が、再び登場するのである。何とも言えず感動したり,西田敏行局長が泣いているシーンも数々あるが、本当に真夜中に泣いているときがあった。
一番笑った作品の一つに、寝言をいう夫の癖を直したい。という妻の依頼。そのためには夫が寝言を言う、寝静まったところから撮影しなければならない。さて、依頼者の夫の寝言とは「当たり前田のクラッカー」だった。
大阪弁の五段活用。記憶が定かではないが、トミーズ雅さんが「この犬はチャウチャウ犬ではありません」を大阪弁で言うと「ちゃうちゃうちゃうねん」になります。には、笑い転げた。
上岡龍太郎さんが局長のころから見ているファンとしては、どんな収録であっても面白いに決まっている。馬鹿馬鹿しいに決まっている。懐かしい時代にきっと引き戻される。こんな面白いことがあったぞと次の日に話題にし、再び笑う。探偵ナイトスクープは、笑いというものをいろいろな角度で検証した宝庫なのだ。
先日投稿のあった、岡部まりさんにそっくりな声が聞こえる「淀屋橋地下鉄駅付近の案内アナウンス」の場所に偶然通りかかった。私も思わず、岡部まりさんにそっくりな声が聞こえる方向に引き戻された。投稿した人に気持ちになって佇み、そして、笑った。

大阪人はどんなところでも、どんなことをしても笑うのである。探偵!ナイトスクープの求めて止まない、笑いの文化の行方を、視聴者のひとりとしてにこれからも見届けていきたいとおもった。

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2006年5月30日 (火)

空席以外は満員で

五月が終わってしまう、いったい私は何をしていたのか、手元の手帳をみると、やはり、落語を追いかけた1ヶ月であった。5月4日に義太夫教室の発表会があった。有志メンバーが日頃のお稽古の成果を発表するものであった。私は舞台に立つことはなかった。

受付付近で聞いていた。師匠の英大夫の緊張感が伝わるけれど、始まってしまえば、楽しいの一言につきる。桂吉朝一門のあさ吉さんも出演され、最後に本職の落語で一席。英語落語の試みが披露された。

米朝一門のお弟子さんは必ず、米朝師匠宅で内弟子経験をする、まくらで米朝師匠が目の前にいると言うだけでご飯が食べられた。おそるべしあさ吉。人間国宝というブランド米でもあるまいし、おかずが米朝師匠でしたには、大物じゃないと言えないせりふ。米朝師匠に口移しで教えてもらえる短い話「くちなし」という話を、英語に訳した落語を聞いた。5月10日の元町寄席恋雅亭では、あさ吉さんも出演されて、トリは、主任桂雀々さんで「???茶漬け幽霊」を聞いた。
今月18日の雀々さんの独演会は「手水回し」「猿後家』「疝気の虫」はおなじみ過ぎて、笑いも普通。で、一区切り、と思っていたら、7月22日なわて寄席があった。無意識に切符を手に入れた。

なんにもないのどかな土地で開催された落語会を思い出す。
実は、あさ吉さんのお師匠さんの吉朝さんの舞台を、2004年の3月、奈良県川西市で見ている。これは、今思えば貴重な舞台であった。「吉朝・雀々二人会」。3月の奈良の舞台には桂吉朝さんがいて、はじめて桂雀々さんの落語を聞いた。この日はもちろん吉朝さんを追いかけて奈良まで朋友貴地邦くんを誘って行ったが、「空席以外は満員で」と言われたくらい、人数が少なかった。前の方に移動してくださってもいいのですよ!などという言葉も今になっては懐かしい。
この日に、静と動という,相反する落語を聞いて、私は、この二人の落語会は断じて同じ日に聞けないなぁ、別々の日に行くぞと心に決めた。

このときから、今月までズーッと桂雀々さんの落語を追いかけている。吉朝さんの落語は吉朝の日に、雀々さんは桂雀々さんだけを聞きに行くことに。そして、桂雀々さんの落語会を毎月一回探して追いかける2年が経った。昨年の新春落語会は、田中陽子さんと明石まで行った。紅白まんじゅうをいただいた。
吉朝さんは今はなく、桂雀々さんには、追いかけることを迷惑だと思われるまで続けるとおもっていたが、そのようになりつつある。池田市主催のアゼリア寄席、「蛇含草」がよかった。初めて聞く落語ではあったが笑わせてくれた。ときどき師匠の桂枝雀さんが肩に降りてきたとおもった。

桂雀々さんを追いかける切っ掛けにもなった「空席以外は満員で」の舞台。お二人の舞台をみたことのある貴重なお客さんになれたことを、ちょっとだけ誇りにおもうのである。

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2006年4月 3日 (月)

春一番が今年もある!!

服部緑地野外音楽堂。春一に誘われて、出かけたデビューの日は、一日中、雨が降っていた。昨年は最後だというので、終わるとなんとなく寂しくなって娘を誘って出かけた。

昨年の三日目、最終日5月5日の公演は、押尾コータローさんは午前中に出演、お目当ての山下洋輔トリオ復活の貴重な舞台も前半に終わっている、麿赤児の舞踏、黒田征太郎さんの即興ペインテイングのパフォーマンス。坂田明さん、森山さんの楽しそうな顔、山下洋輔さんのピアノは流れるように、ご機嫌に鍵盤をたたく。森山さんは、ドラムのスティックを放り投げ気持ちよく舞台を降りた。もうそれだけで、燃焼しきっていた。最後のスペシャル出演はないと分かっていたが、何年か前に、木村充揮VS山下洋輔さんの最後の出演もあった。勝手に期待をしていたが、それは叶わなかった。春一メンバーは最終日の最後の舞台で、来年はなくなるようなことをみんなが口々に叫んでいた。

娘が「ぴあ」を見ていて、「また、春一があるよ!」と言った。

やはり、終わらないようだ。ファンの人たちからのリクエストもあったんだろうね。そりゃあ、2月の木村充揮さんのコンサートも盛り上がったから、なくなるような気がしなかった。
2月11日の木村充揮さんの30周年コンサートは、5時間ぶっ通しで聞いた。5時に始まって終わったのが10時だった。あの熱気も体の一部に残っている。春一番の朝から日没までのことを思えば、楽だった。
雨の中でも、カンカン照りでも、跳びはね、叫び、歌い、が春一ならば、みんなが望む、楽しい空間に、楽しいメンバーが集まってきて欲しい。そんな春一番であって欲しい。

そして、続けて欲しい!

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2006年3月22日 (水)

藤沢周平の幻の短篇

没後9年目の贈り物.藤沢周平の無名時代に雑誌掲載された短篇小説14編が讀むことができる。『オール讀物』4月号掲載!!今日買って讀もう!

買いました:順次掲載予定、今回は『上意討』と『佐賀屋喜七』の二編

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2006年3月12日 (日)

3月9日の日記:桂文紅師匠の言葉

「そないにたいしたもんやおまへん。」ちょっと照れたような喋り方、今思い出すと師匠はそう言いながら、そのたいしたことやないと言っていた落語を一番大切におもって大事にされていた。

文紅師匠の枯れた味は文紅師匠が一番よく知っていらっしゃったのではないだろうか。晩年に東京での独演会に挑戦されたのも、のりに乗っている時期があって、もう一つ越えたなら文紅師匠の会は必ず定着するはずだった。

入退院を繰り返されていたが、しっかりとされ、ぶらり訪ねてくださっても、長時間、お話しをして、犬の散歩がありますのでと言って帰られた。「何でもやりなはれ、思いっきり」、その師匠の言葉に、いつも励まされていた。

以前、鶴瓶さんの深夜ラジオの生番組に出させていただいたことがありその番組中、文紅師匠のお宅に電話をしている。なんとも言えない優しさ、いつも耳にしていた師匠の声がしっかりテープに残っている。

一年前の3月9日、私は、蕁麻疹になって、皮膚科の病院に行く途中の道で訃報を知った。あれから一年が過ぎ、先日一周忌が行われたが、今も師匠が身近にいてくださるような気がする。文紅師匠が残されたものは、落語を大事におもって自分のものにすること。それに尽きるとおもう。

「何でもやりなはれ、思いっきり」あとは私が引き受けた。そんな男気のある言葉は師匠だから言えたのかもしれない。

bunnkou39

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2006年3月 8日 (水)

春にうまれた人

西澤はる子さんに初めてお会いしたのは、料理の取材で伊賀上野の本陣こんにゃく屋へお邪魔したときで、20年くらいは経つだろう。取材の後、何回か伊賀上野まで行った。気が合うと言うことは時間など必要なく、はる子さんとは年齢は離れていたが、友達になることを予感した。

お嬢さんの住んでいらっしゃる芦屋に泊まる予定で大阪に来られたときは、大阪で待ち合わせてお会いしたこともあった。文通を通してさらに仲良しになった、真夜中の電話での会話も懐かしいことばかりだ。
そのはる子さんが、病気でお亡くなりになり、故人とだけ親しかった私は、友達の関係がなくなった。

短い文章を書いて「自分新聞」に、はる子さんのことを載せた。不躾に思われたかもしれないが、仲良くさせていただいたから、寂しいです。というようなお手紙を「自分新聞」と一緒に送った。
一年くらいして突然、芦屋に住んでいらっしゃる、と聞いていたお嬢さんからハガキが届いた。「お手紙有難とうございました。とてもうれしかったです。早くお会いしたいと思いながら、今年は役員の大当り年でもっとも忙しい11/23の大会にむけて学校と仕事場の往復です。これが終われば絶対に会いに行きます。」

そして、電話があった。お互い面識もなく、お母さんのはる子さんを知っていたというだけの私に、娘さんの春美さんは、よく喋り、よく笑うことで、一気に友達になってしまった。気が合うと言うことは時間など必要なくて、お母さん譲りの出会いだった。
「はる子、春美、みんな名前に春がついているのは、春に生まれたからですか? 」「私も3月生まれなんですよ・・・・」
三人が春にうまれて、誕生日も近かったことで、また話が盛り上がり、年末に大阪でお会いしましょうと言って電話を切った。会う時間を決めるときにもう一度、電話がかかる。
春生まれの共通は明るく、よく喋り、よく笑うことまた長い電話になってしまって、「時間を気にせず楽しくしゃべりたいので、年が明けてからゆっくりお会い会いましょう、そうしましょう。楽しみにしています」と言った電話が最後だった。

平成7年1月17日。阪神淡路大震災の地震で、芦屋市茶屋町にお住まいになっていた春美さん一家は、春美さんも旦那さんもお二人の子どもさんも4人全員死亡、帰らぬ人となった。新聞の死亡記事欄に春美さん一家の名前を見つけたとき、奇跡はおこらなかったのかと・・・。春美さんが、どんな顔をして、どんなお知り合いがいて、どんな人だったのか、どんな最後だったのか。私は知らない。
私たちは無邪気に会う約束をしていた、春美さんと会って、はる子さんのことで喋ることがいっぱいあった。楽しみにとってあった、その約束はついに果たせなかった。

仲良しになれる思った春美さんと、一瞬でもめぐり会えたこと、明るさと、暖かさをもっていたお二人に出会えたこと今も大切におもっている。
hana38

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2006年2月 1日 (水)

桂吉朝という落語家

CDやビデオテープでしか桂吉朝さんとは会えなくなった。3年前のサンケイホール独演会後のことである。サンケイホールの楽屋に続く廊下で麻のスーツに帽子姿の吉朝さんとすれ違った時、吉朝さんをとらえることができなかったことがあった。貴地邦くんに「姉さん、今、吉朝さん歩いてはったん気が付かなかったん」。あまりに印象が希薄だったために、不覚にも吉朝さんを見過ごした時のこと思い出す。
色白の吉朝さんが高座を終え、素に戻り、お弟子さんに取り囲まれるように歩く姿は、バリケードを作ったみたいに、さらに人を寄せつけない雰囲気があった。

吉朝さんの落語は、よく米朝師匠ゆずり落語だと言われ、古典落語の間や自在な魔法のような切り口には定評があった。人を惹き付ける、ほっとけないような話術と、まったりした印象は、「蛸芝居」「饅頭こわい」『だんじり狸」「はてなの茶碗」・・・毎回納得できる噺が聞くことができる、次の高座を楽しみにしていた。鮮やかな語り、所作、落語の面白さ、安定した古典落語を聞くことができた。いずれ、それぞれの落語はDVD化されるに違いない。それまでは、自前の録画テープを大事に見るしかないなぁ。
形見噺のCDと写真↓。昨年12月21日のお別れ会の時にいただいたもの。
kiti333

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2006年1月22日 (日)

三十石〜三十石夢の通路〜

三十石船のことを調べているうちに、桂米朝「三十石〜三十石夢の通路〜」の噺に行き着いた。先代桂小文枝はこのネタを質に入れた話しや五代目笑福亭松鶴も得意とする大ネタであることが古い文献に登場する。落語家なら、一度はこの大ネタに挑戦しないわけにはいかないから、桂米朝師匠の三十石もきっとあるとおもったが、米朝全集をDVDでもっている友人に聞いたが、「三十石」はノミネートされていなかった。図書館でCDを探した。
桂米朝師匠も昭和61年7月17日〜18日に大阪サンケイホールで収録されている。CDの解説には、「体力も声量も要るはなしなのでこの辺りでやっておかないと生涯やれないかもしれない」と書かれている。確かに登場人物の使い分け、男も女も何人くらい登場するのかと数えてみたが、主人公の清八、喜六のほか、船宿の主人や船頭や船客とあまりの多さに驚く。最後の最後に登場する犬の鳴き声にはその熱演にお腹を抱えて笑った。

米朝落語全集を片手に、探し当てた「三十石」の話しを聞くと、本には書かれていない部分が米朝師匠の工夫なのであろう。流石と言うべきである。大満足の大ネタを聞くことができた。
後半49分を過ぎたところ、舟歌の、ところで、もう一つ工夫があって、下りと上りの船頭の掛け合いがある。上り舟のその声は、確かに、吉朝さんの声であった。始めて聞く「三十石」の落語が楽しめて、しかも、数十秒の声ではあるが、思いがけず掛け合いのところで吉朝さんの声が聞こえた。1.鳴物(しゃぎり)1分11秒。2.「三十石〜三十石夢の通路〜」55分9秒。

beityou22

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2006年1月19日 (木)

19日は「トークの日」

ブログを始めて、いつか書こうと思っていたことがある。19日はトークの日のことである。

聞いて欲しいことがある。そのエッセイが、トーク賞に選ばれ、第3回・NTTふれあいトーク大賞100選に、応募作品が載ったことがある。和田誠さんの表紙イラストが多くを語り、巻頭ページの挿入イラストも和田さん、無人島で、ひとりの男性が、人魚のあなたと話している「あなたの声が、なによりです。」のコピーは今読んでも古さを感じさせない。1と9のイラストも和田誠さんのもの。

「トークの日」OBとしては、発想がほとんど、「何か言いたい、聞いて欲しい」ことをまず書くことになり、喋りたいことと、書きたいことが、裏腹になるときがある。

ブログが盛んになり、私を含めて多くの人が日記やコラム、つぶやきに至るまで活字にし、毎日書くことを始めている。こんなことは、17年前には思いもつかなかったことである。
実は、あの頃、応募入選した人たちが、どれくらいブログに書いているのかが、急に知りたくなった。
「トークの日」のあれこれ、すっかり忘れている今日も、トークの日である。

19日は毎月くるんだけれどなぁ。毎日トークの日なんだけれどなぁ・・・・。

19nohi

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2006年1月12日 (木)

天国からの贈り物?!

藤沢周平さんの初期の文学が作品13篇見つかる記事が1月11日朝日新聞の夕刊に載っていた。前にも書いたが、私は、藤沢周平作品を皆んな読んでしまっている。
時々,市井ものの短篇を一冊持って出て、電車の中で読む。読んでいるうちに、涙が出て困るときがある。何度、読み返しても新鮮な理由は、短篇の書き出しが藤沢周平作品の見事なところであろう。どんな作品でも一行で、時代小説に引き込まれる。この筆力は、藤沢周平の力であろう。
しかし、もう藤沢作品の次回作品が読むことができないことが残念でたまらなかった。今日の記事によると、直木賞をとる、10年ほど前に書かれた作品が見つかったそうだ。藤沢さんが望むと望まざるに関わらず、作品は見つかり、何らかの形で、幻の単行本ができるとしたら、次回作品ではないが藤沢ファンにとって、これほど嬉しい贈り物はない。

huji18111

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2006年1月11日 (水)

藤沢周平文学に惚れた、次にあらわれた作家は・・

一番熱心に小説を読んだのが藤沢周平文学である。山本周五郎も池波正太郎も柴田錬三郎も五味康祐も一作品くらいは読んだ。あまり読んだことがない司馬遼太郎のものでも、『妖怪』、『功名が辻』など、誰も読まない作品を選んで読んだ。
最初は時代小説を改めてわざわざ読みたくなかった。藤沢作品は、先輩である手塚夫妻の勧めもあって読みはじめ、本を送ってくださって、次々と読んでいくうちに自分でも本を買った。
同じ文庫本が2冊も3冊もある。本屋に残っている単行本で新作の帯につられて同じ本を買ったり、用心棒日月抄『弧剣』『凶刃』がもっとも多い。これは、多分主人公にも惚れたような気がする。『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』などは必殺剣法を楽しみに読んだ。剣客小説の新しいヒーローを生み出しながら、時には、女性が主人公になって、夫を助けに来るという内容のものがあった。藤沢周平さんの描く女性には、女性も納得できる女のふわりと優しい力が描かれていた。

短篇は、宮部みゆきさんの小説も人気があるようだ。先日『幻色江戸ごよみ』も読んだが、妙に細部にこだわり、そのこだわり方が説明的でくどすぎるという印象をもった。江戸時代に生きていたわけではないのであるから、なかなかすんなりと物語に導くことは難しいが、藤沢周平さんの書き出しには及ばないことが分かってホッとしたような寂しいような。
妹が絶賛する、宮部みゆきさんの小説に期待したこともあって読んだのだが、宮部小説を読破する気にはなれなかった。

藤沢周平文学に惚れたbachmoonの願いは、藤沢周平文学に劣らず、惚れる小説を読みたいと思う作家に出会うことだった。そして、昨年、読んでみようかなと思った小説家は、生前一冊も読んだことがなかった。その作家の文学に、今、まいっている。
藤沢周平を失ってから9年、再び小説を読む気にさせたその作家に出会えたことは、今思うと幸せなことであった。何故出会わなかったのかが、不思議ではあるが、「求めていなかったからだろう・・」に行きつく。400冊にも及ぶであろう作品の読破はまだまだだが、何年かけても、大切に大切に読んでいこうと思っている。

huji1819

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2006年1月 8日 (日)

再び、吉朝さんのこと

いま、私の白い机に、白いiMacの前に、白い猫がある。陶芸家・仲田イサ代さんの作品で、色白の吉朝師匠のイメージだった。猫が好きだった桂吉朝さんに、いつか渡そうと考えていたものである。しかし、渡せなかった。その白い猫は、揃えた手の先にある、小さな獲物をねらって飛びかかろうとする一瞬を捉えた作品。小さな獲物付き。グリーンの目の色は真っ白の猫のポイントにもなっていて、長いしっぽも動きだしそうである。

吉朝さんが亡くなった当時は思いをぶつけるように、このブログにも書いたが、書き続けるともう書くことが無くなることが急に辛くなった。米朝師匠や一門のみなさんのことを思うと悲しんでいることの方が躊躇われた。
1月6日の日経新聞夕刊に、米朝師匠の記事が載っていた。惜しい、と言われるとつらくなります。の小見出しの後の記事を、一部分、抜粋掲載をお許し願う。
「(その日の高座は)だんだんよう(良く)なってなあ。演(や)る前から最後の高座や、言う人もおりましたが、私はこれだけやったんやから、それを力に元気になるんやないかと思うたんです」「惜しい、と言われると余計つらくなりますな。最後に演じた『弱法師』は私の師匠の(桂)米団治が復活させた噺で、笑いの少ない、難しいネタですわ。地味なことにコツコツ取り組む男でしたな。ほんまによう頑張った。吉朝は録音は残しましたが、本は書かなんだ。いつになるか分からんけれども、吉朝の本を書いて残してやりたい」
米朝師匠の吉朝さんへの溢れんばかりの慈愛を感じた、大阪社会部 中沢義則さんの書かれた文章に、やはり、泣いてしまった。そして、社団法人上方落語協会誌『んなあほな』第5号12ページに桂吉朝を偲んでの記事も読んだ、吉朝一門の弟子7人が思い思いの師匠への追悼記事を載せている。吉弥さんの僕は師匠に甘える方のタイプではなかった。はよく分かるような気がする。

お別れ会の日にいただいたCDのおじぎをしたままの吉朝師匠の写真が、手を揃えおじぎをしている猫と姿が同じに見えた。そんなわけで、いつか渡そうとおもっていた白い猫は、私の手元に残った。
「決して、名前をつけて、呼ばんように・・・・・・・」

data:日本経済新聞1月6日夕刊17面こころ 毎週金曜日に掲載 シニア記者がつくるこころのページより 「笑いの効用とは」桂米朝さんに聞く 大阪社会部 中沢義則さんの記事を抜粋掲載
社団法人上方落語協会誌『んなあほな』第5号 「なんで逝ってもうたんや!」桂吉朝を偲んで
kiti2006

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2006年1月 3日 (火)

一年の計は元旦にあり

年末は紅白、K1、サザンオールスターズの年越しライブと、目まぐるしくチャンネルを変え、ほぼ全部の番組の、ところどころを見た。カウントダウンはWOWOW。桑田さんと一緒に、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、あけましておめでとうございます。
横浜アリーナの会場は、大勢のファン。上段からの映像はサザンの人気が一目で伺える。センター、アリーナ、スタンド、立ち見とほぼ総立ち。
大歓声。カウントダウンの後、覚えているままに、曲名を紹介すると・・・・セイシェル、愛と死のロンド(輪舞)、JUMP、愛と欲望の日々、別離、ごめんよ僕が馬鹿だった、原由子さんソロの曲、リボンの騎士。メンバー紹介。

新しい曲と昔の曲が交互にでてくる。栞のテーマ、Bye Bye My Love、恋するレスポール、夢と魔法の国、知っている曲にはホッとし、新曲には会場が揺れる。ロックンロール・スーパーマンの歌の時、上から白い風船が降って来る。私は、ミス・ブランニュー・ディ、マチルダBabyが懐かしく、ハートにバキューンのBOHBO No5. 。中締のあと、着替えて再び登場、勝手にシンドバッド、TSUNAMIは、まさに胸がキューンとなった。
途中、我を忘れる、睡魔が襲う。アンコールは「心を込めて花束を!」
それにしてもテレビの向こうの横浜アリーナの人たちは文句なく凄い!3時間歌いまくる桑田さん、サザンのメンバーも凄い人たちだとおもう。ラスト曲は「神の島 遥か国」。
メンバー紹介の後、桑田さんの言葉の中に「今年で28年目になるのです。」という言葉があった。その言葉には、29年、30年目を目指すという心意気も、継続は力なりも、ちゃんと示されているようにおもった。娘がサザンとほぼ同い年。今年は戌年。サザンが誕生した頃に映した、娘となかよしだったワンちゃんの写真が出てきた。

一年の計は元旦にあり。今年の一年も興味のあることは尽きず。bachmoon

data:ウルトラマンか、パンダのぬいぐるみを放さなかった2歳頃の朋子、よくこの犬の背中に乗せてもらってはしゃいでいた.
大家さんのところで飼っていた、チャウ-チャウ犬「たんたん」。
tantan

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2005年12月31日 (土)

有終の美を飾る

今年も残り僅かに・・・・。
1年を振り返ってみると、悔しいこと、特に落語家の桂文紅師匠、桂文枝師匠、林家染語楼さん、桂吉朝さんを失ったことだろう。
嬉しかったことは、桂文紅師匠のお葬式に出会った、笑福亭鶴瓶さんの優しさ、2月に桂米朝師匠とお会いできたこと。その時にいただいた傘寿のてぬぐい。8月に山下洋輔さんに出会え、生の演奏を聴いたこと。そのときいただいたサインは私の宝物。国立文楽劇場楽屋口近くで吉田簑助さんと何回も出会えたこと。興味のあることは尽きず、@niftyココログでbachmoonが誕生したことだろうか・・・。そして、健康第一でいられたことを何と言っても有り難くおもうのである。

29日に、花外楼の姉妹店「アイルモレ・コタ」が閉店ということで、ファイナルパーティーに参加した。コタのお別れ会に、会長がご挨拶されるという時間に間に合うように、元同僚の千鶴ちゃんと、清水玉子さんと北浜の駅で待ち合わせ、通いなれた地下道を何年ぶりかで歩いた。

大阪証券会館の西となり。コンクリートの打ちっぱなしのビルは当時は斬新な建物であった。ここに、老舗のお嬢さんが、花外楼の料理はもちろん提供し、ざまざまな情報を発信していくという試みが長年続けられた。例えば、桂歌之助の落語会やシャンソンの会。咲大夫のトーク、フラワーアレンジメントの講習会、本店の重厚なものとはまた違った試みは、周辺を刺激し、活力を与え続けて来たようにおもう。

従業員の誕生日会、コタ昼の市などでは、欲しい品物を競り落とすオークションなどもあった。私は、総務部で、コタ担当だったもので思い出も多く、店長や料理人との交流もあった。

その日は、会長、ご寮人さん、室長、社長、明石部長、産屋敷店長。水原部長、お駒姉さん、久しぶりに懐かしい顔に出会った。人人人。ご寮人さんはかわいらしく私のカメラにちゃんと納まってくださったし、当時若社長とよんでいた、現社長からも「また、遊びにおいで」と言われ花外楼にも立ち寄ることができることが、嬉しかった。アイルモレ・コタを閉めてしまうが、花外楼が残ることで、やはり救われたようにおもう。明るい日差しの元で、パーティの時間はゆっくりゆっくりと過ぎて行った。
アイルモレ・コタ復活を願って、心の中でエールを送った。

今年一年ありがとうございました。そして、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。bachmoon

KOTA

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法善寺横丁

心斎橋そごう本店の、14階ギャラリーで開催中の「粋な男 藤山寛美展」を見て来た。日本の喜劇王・藤山寛美さんの輝かしい足跡が、遺品や小道具や衣装、台本などの展示で懐かしい舞台が蘇って来る。中座楽屋の再現、会場には、寛美夫人のインタビュー映像などに加え、寛美シアターと銘打ち傑作選「十八番箱」の上映なども試みられ楽しいイベントになっている。

私は、母が松竹新喜劇が好きでよく見ていたから、「十八番箱」の中の36作品は、ほとんどを見ている。とくに、「親バカ子バカ」「愚兄愚弟」「愛の設計図」「夜明けのスモッグ」「人生双六」「笑艶 桂春団治」など記憶に残っていて、演じる役者の名前がスラスラでてくる。渋谷天外、曽我迺家明蝶、五郎八(古いなあ)、藤山寛美、小島秀哉、小島慶四郎、酒井光子、高田次郎、四条栄美、中川雅夫、伴心平、大津よしこだったかしら、やさしそうなおかみさんを好演されていた。そうそう博多淡海のおばあちゃん役も忘れてはいけない。大阪に住んでいて、松竹新喜劇を観ていない人がいたらそれは残念なことだとおもう。

懐かしくて、立ち去りがたく、入場料800円で、何時間でもいたかった。最後のコーナーに見立て門の法善寺横丁の看板が外され、会場に本物があった。
今は、見立て門の法善寺横丁の看板はないのですか?いえ、ちゃんとダミーが飾られています。と回答が。中座の提灯も会場入り口で見ることができる。本当に懐かしかった。しいていえば、年表の縦書きは左から右へは読みづらく、せっかくだから、図録を作るくらいの気合いが欲しかった。
開催は9日まで(1月1日休み)。
HUJI

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2005年12月28日 (水)

月の法善寺横丁

私が、この曲を好きなことは誰にも言っていない。加賀一家の長男が持ち歌としていて、十八番の「月の法善寺横丁」の曲が流れると密かにやった!とおもった。誰かが歌ってくれるとそれでいいのだ。科白(せりふ)が上手いともっと得をした気になる。

この曲には、私の好きな大阪がある。たぶん、文楽の人たちも、藤山寛美さんも、お月さまも、織田作も愛した法善寺横丁、この歌には大阪の風景を人情を思い出させる。どぎつい大阪弁ではなく、語られる科白。私は歌えないが、歌詞がいい。科白も。

包丁一本 さらしに巻いて
旅へ出るのも 板場の修業
待ってて こいさん
哀しいだろが
あゝ 若い二人の
想い出にじむ 法善寺
月も未練な 十三夜

「こいさんが、わてをはじめて法善寺へ
つれて来てくれまったのは『藤よ志』に
奉公に上がった晩やった。はよう立派
な板場はんになりいや云うて、長いこと
水掛不動さんにお願いしてくれはりま
したなあ。あの晩から、わては、わては、
こいさんが好きになりました。」

腕をみがいて 浪花に戻りゃ
晴れて添われる 仲ではないか
お願い こいさん
泣かずにおくれ
あゝ いまのわてには
親方はんには すまないが
味の暖簾にゃ 刃が立たぬ

「死ぬ程苦しかったわてらの恋も、
親方はんは許してくれはった。
あとはみっちり包丁の修業をつんで
一人前の料理人になることや。な、
こいさん。待っててや。ええな、こいさん。

意地と恋とを 包丁にかけて
両手あわせる 水掛不動
さいなら こいさん
しばしの別れ
あゝ 夫婦善哉
想い出横丁 法善寺
名残りつきない 灯がうるむ

G教室の忘年会のはずだった・・・(役者そろいの面々に驚くばかり、我々の空間だけが、貸し切り状態。別のお客さんは途中で帰って行くし、極めつけ、H大夫「大阪マンボ」を聞いて解散)この不思議な宴会で、「月の法善寺横丁」を真っ向から歌える人に出会った。期待どおりの、歌える人だった。科白も完璧、諳んじて、他の人の歌っている最中にアカペラで1番と科白のところまで耳元で聞かせてもらった。帰りに別れ際もう一度。「こんなことで納得していただけましたでしょうか」。

わあ、こんなことで幸せになるのも、変かもしれないけれど、幸せでした。桂米左さんありがとう。

data:「月の法善寺横丁」
   作詞 十二村哲・作曲 飯田景応 唄 藤島桓夫
   桂米左独演会:2006年4月29日決定! 
   藤山寛美展:大阪そごう心斎橋本店14階ギャラリー
   12月27日〜2006年1月9日開催
   『関西文学散歩』:日本放送出版協会・刊 NHKブックス12 1964 岡部伊都子著ほか、「夫婦善哉」田中阿里子さんの法善寺横丁の文章がある挿入写真は当時のもの。
houzenji1228

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2005年12月24日 (土)

サザンの子

「私や僕はブログに登場しないの」と言われて、無理矢理紹介している訳ではないが、私には、一人娘がいて、その娘の名前をつける時、お月さまが好きで、月子だったら怒られたかもしれないが、月が二つの朋子と名付けた。今では女の子の名前に○○子など、子のついた名前はない。そらか、せりな、きょうか、とわ、ありさ、れいか、まりな、なほ、しづき、めい、りな。
私には2歳年下の妹がいて、その妹に一人息子がいて、甥は大学生になって、いま親元を離れ、東京で一人暮らしをしている。
従姉弟同士になる二人が小さな頃は、並んで、お昼寝などをしていると、本当に従姉弟は、こんなによく似るものかとおもうくらい、顔の輪郭や肌の色、頭の形まで似ていた。その娘も三十路に近付いてきた、本人はまだまだ28歳だよと言うだろう。最近、手帳の高橋の募集で「高橋を唸らせたら50万」というコピーがあったが、娘の一言、一言は、しばしば、パニック状態の母親に喝をいれてくれた。親でありながら子どもに諭されることが幾度となくあった。この「格言応募」は、今、考え中である。

11月、身も心も落ち込んで「軽い鬱状態かもしれないわ」と言うと、「お母さんが鬱やったら、本当の鬱の人が怒ってきはるわ」この一言で私の鬱発言が撤回された。親バカと言われようと、伯母バカと言われようと、この二人は、親よりバランスがとれ、親より豊かな心根の子どもたちである。そして、親思いの子どもに育っていることだ。「ほんとに親バカやは、うちの親わ」すぐに娘に言われそうである。

娘が、先日のサザンオールスターズのコンサートに行ってから、あまり、サザン、サザンと散々言うので、考えてみると、妹がサザンファンで、アルバムが出るとテープに取って、すぐに送ってくれ新曲は片っ端から聞くことができた。もちろん、デビューアルバム『勝手にシンドバット」も持っているし、サザンの曲が子守唄代わりだったわけで、うちの子どもも、妹の子どももサザンが嫌いな訳がないのである。もちろん、妹夫婦と甥は、今でもサザンのコンサートに親子で行くだろうな。私だけが蚊帳の外状態だが、私は、桑田さんのソロ、桑田バンドの時の曲が好きである。どのアルバムだったか忘れたがサザンの「綺麗」。けだるいメロディが流れていた曲も好きだ。

先日の大阪でのサザンのコンサートは原由子さんのお誕生日と言うこともあって、かなり盛り上がったそうだ。古い曲も、新曲もふんだんに歌ってくれたという、好きな歌ばかりが次から次へとながれ、それはそれは感動の連続であったらしい。そりゃあ、サザンがデビューした時から聞いているから、最近ファンになった人々とは違うだろうさ。今年は、サザンの年越しライブをWOWOWで見ることができる。サザンの子の、サザン熱は来年も続きそうである。

sazan

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2005年12月12日 (月)

押尾コータローファンは・・・

押尾コータローファンは・・・スガシカオを好きだろうか?  なんて考えていた。
私の友人は、それぞれスガシカオ大ファンと、押尾コータロー大ファンがいて、どちらのファンもコンサートに出かけて行くという熱烈なファンである。
両方の友人にそれぞれのスガシカオ、押尾コータローのCDを紹介されて、私は聞いているんだけれど、スガシカオ、押尾コータロー、両方の温度が気にいっている。スガシカオデビューのFM802で「黄金の月」がかかった時の感じは今でも覚えている。

スガシカオファンの友人宅でみつけた雑誌を読ませてもらった。それは、作家の村上春樹さんが、スガシカオさんのデビューからずーっと音楽を聴いているといった内容で、「へぇ」とおもっていた。それだけのことだが、今読んでいる本『意味がなければスイングはない』にまとめてスガシカオさんのことが載っているので読むと、あらためて村上春樹さんは、「スガシカオファン」だとおもった。私は、スガシカオを聴くと、キングクリムゾンが聴きたくなる。

ビートルズやローリングストーンズを追いかけている人より、ちょっと遅れてロックを聴きはじめたので「ピンクフロイド」のデビューアルバムを聴いて、このグループは私が追いかける音楽だとおもった。多分、それがよかった。だから、ビートルズも何んでも聴くけれど、何よりピンクフロイドが一番落ち着く。

押尾コータローさんにも、デビューのころから追いかけている人がたくさんいるんだろ〜なぁ。今の季節、星に願いを・・をはじめ、いっぱい曲があるから、押尾コータロー奏でる曲を聴くと落ち着くのだろうなぁ。多分、輪唱「かえるのうた」でも。
data:『意味がなければスイングはない』村上春樹著 文藝春秋 1333円+税

murakami

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2005年12月 7日 (水)

押尾コータロー、とくダネ!生出演

毎朝寒いので、起きられなかったが、今日は天気もよく、小倉さんの朝の番組「とくダネ!」を見ていた。急に、小倉さんの声の調子が変わって、「大人気のギタリスト押尾コータローが生出演!」と、紹介した。ギターを持った押尾さんがアップに。
1曲目は「翼〜you are the HERO〜」。大きな手と、繊細に奏でる手。右も左も自在に動き、ひとり輪唱の「かえるのうた」を普通に弾いた。わずかな間に、スモークもたかれ、2曲め「オアシス」が披露された。小倉さんの「どうだ凄いだろ!」発言はお気に入りの人に発せられる言葉だが、今日の放送を見た人のなかには、わたしのような俄ファンになる人も増えることを疑わなかった。

後になっておもうと、「どうだ凄いだろ!」が押し寄せてきた。押尾コータローさんの笑顔に、アコギなやつに、押尾さんに「ひとり拍手喝采をおくります!!!」

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2005年11月30日 (水)

文楽でジャンプ

通し狂言「本朝廿四孝」は、11月27日で終わった。かろうじて、11月23日の午後の部に行くことができた。この日はぎりぎりに劇場に着いて、窓口で当日の切符を買った。2、3のいい席が空いていた。5列33番。床よりの席に決めた。遅れて場内に入ると、さすが「本朝廿四孝」、人気の差がうかがえる、空席が目立つ公演もあるがほぼ満席の状態で、幕間まで後列の座席で見る。

休憩後、四段目「道行似合の女夫丸」に間に合うように移動する。「失礼します、前を通ります」と言おうとして、名前を呼ばれた。なんと、「Mさん」といった34番の席にいたのは、シネマな夜の友だちの松居さんだった。松居さんは、人間国宝の寛治さんの三味線が素晴らしいのでもう一度聞きたくて、前日に切符を取りに来たらしく、ぜひとも床よりの席で聞きたいと、34番を選んだと言う。不思議な再会に、偶然!はあるのだ、と思った。

待ち合わせて文楽に来たみたい、と言って二人は喜んだのは言うまでもない。舞台は三輪大夫、宗助、英大夫、みごとなバチさばき華麗な団七さんの三味線、呂勢大夫、喜一朗(三味線は力強いやはり師匠ゆずりか、頭はスキンヘッドだった)、舞台の紋寿、玉女の道行、しばしば玉女さんの踊りが止まってしまうが、若男役にも色気がただよう。簑助さんの八重垣姫が美しい。嶋大夫さんの美声にうっとり。素直に感動した。いよいよ「奥庭狐火の段」津駒大夫、寛治さんの三味線、津駒さんの声の調子が安定し、成長ぶりが伺える。もちろん異色顔合わせに新鮮な緊張感があった。
松居さんの言う通り、寛治さんの三味線は動きのあるシーンの浄瑠璃の気負いを押さえつつ、柔らかく包みながら三味線が大きな力を発揮していた、最後までゆったりとした豊かな時間が流れていたことにあらためて感激した。見どころはいっぱいあったが、人形、浄瑠璃、三味線の全部のよさを味わった。

舞台の余韻をたっぷりひきずり、話しながら帰った。すると、劇場を出たところの道に、目の前を簑助さんが乗ったタクシーが通り、その時、松居さんの話によると、私は大きくジャンプしていたらしい。簑助さんはタクシーの窓を開けてくださって、ふんふんと聞いてくださった。舞台が素敵だったことを直接伝えられたことがなにより嬉しかった。私の後ろから、大きな背の高い男の人が、やはり近付いて「涙がでたぞ、よかったよかった」と言って大きく手を振ってタクシーを見送った。

偶然から始まって、ジャンプした日。忘れられない文楽の日がまたひとつ記憶に残った。

bunraku1129

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2005年11月27日 (日)

桂米朝 上方落語大全集特典レコード

2005年干支100人展出品作家、竹中さんのお友達で、紹介された石田さん。
石田さんは高校生の頃、本屋さんをしていたおばあちゃんに何でも取り寄せてあげるから、何か好きなものを言いなさい、と言われて、「桂米朝上方落語大全集」が欲しいと言ったという。もう30年前のことですといって「若い頃から、桂米朝さんの落語をレコードで聞いていました。」

しかし、生(ライブ)の米朝落語は一度も聞いたことがない。もったいないねえ。一番のりに乗っている米朝落語を生で聞けたと言うのに・・・・もったいないねえ。

「レコードが残っているか調べてみます」

そして、一枚だけ残っていたという、特典「桂米朝上方落語大全集 対談橘ノ圓都 桂米朝 落語蛸芝居」のレコードが今年の1月18日に宅急便で送られて来たのである。いきなりという印象だった。
A面が橘ノ圓都と桂米朝の対談(先週の朝日新聞「口まかせ」米朝師匠の記事内容と同じような内容) B面は桂米朝落語で「蛸芝居」。
私は、石田さんからレコードが送られた時、A/B面聞かせていただいた。
対談は、40代の米朝師匠が、90歳の橘ノ圓都師匠に対して、いいように言えば堂々と、悪く言えば、ずけずけと物怖じしない物言いで、対談を進めている。しかし、こんな勢いのある、自信満々の米朝さんを聞いてしまうと、今の傘寿を迎えた米朝さんとの歳月を思わずにはいられない。

桂雀松さんに無理を言って、2月の枚方市民会館で行われた、米朝一門の落語会に行き、楽屋にお邪魔した。そのときレコード中央の大入の文字の真ん中にサインをねだった。(←石田家の宝物になっているそうだ)。米朝師匠はレコードを手にし、少し、懐かしそうに90歳近くの橘ノ圓都師匠のお話を思い出されたようだった。私が、落語の「蛸芝居」も聞かせていただきましたと言うと、「レコードでは、「蛸芝居」のだんまりがよくわからないんですよ」と説明してくださった。人間国宝の「始末の極意」を聞いた。二人は興奮し、「嘘みたい」を連発し、大満足の日であった。

何十年も前に、熱く体で受け止めたものは、何十年経っても、消えることのない記憶として心に残る。石田さんを見ていると、米朝時間差ファン攻撃もあるのだということがよく分かる。レコードが取り持つ「縁」は今も続き二人は、飽きずに、生(ライブ)落語追いかけている。

beityou1126

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2005年11月26日 (土)

紙吹雪研究家

12月に入って中ごろ、8621ハロー21の発表が控えている。今年の8621年間テーマ「紙」を、どう解釈するかは、発表する講師の裁量にまかされている。私は、紙吹雪研究家として「紙吹雪」の話をしようと考えている。
「近松心中物語」のパンフレットを、何故探していたかに話を戻すと、「近松心中物語」の蜷川演出には、雪に見立てた紙吹雪が舞い散るシーンが確かあったからだ。「近松心中物語それは恋」は一候補なのである。私は、「近松心中物語」は、1986年に平幹二朗と太地喜和子を見ている。
「紙吹雪」を考察し、実演し、そのために、紙吹雪を今、大量に作っている最中である。(笑)。「紙吹雪」をパッと散らし、発表もパッと終わるつもりだ。乞うご期待!!!

tikamatu

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2005年11月25日 (金)

「にっぽん泥棒物語」

映画のパンフレットの中にたしか、「近松心中物語それは恋」のパンフレットがあったと探していたら、『シネ・フロント特集:山本薩夫追悼号』が出て来てページをめくると、「シナリオ●にっぽん泥棒物語」が載っていた。シネマな夜のメンバー森田さんが「名前も分からないが素晴らしくおもしろい映画」として紹介した、森田マイベスト10の中に入れていた映画だ。映像を見る機会がないので、このシナリオを読むことにした。北林谷栄、緑魔子、佐久間良子,江原信二郎、市原悦子、伊藤雄之助、花沢徳兵衛、鈴木瑞穂・・・・忘れてはならない、主役の三国連太郎。豪華キャスト。
シナリオだけだと物足りないが、こんな風に映画と接することができることが、新鮮だった。
yamamotos


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2005年11月21日 (月)

加賀一家

文樂の夕べの参加証が郵送されて来た。玉子さんが応募してくださって当たったからだ。
玉子さんは、私のよき相談役、K楼に勤めていたときに出会った。辞めてからの方が仲良しで、目標とする人のひとりになっている。いつだって明るく、人情深く、オシャレで、お話も上手、年とってもメールくらいできないとね。と前向きである。「これだけ褒られてもなんにもでないよ」と言われるだろう。「○○ちゃん元気だったよ」「あの人に会ってきたよ」さり気なく、みんなのことを気遣う。

k楼(かがいろう)の総務に間違って届いた手紙。宛名をみると「加賀一郎さま」。どう間違えば、この名前で手紙が届くねん!!本当に不思議だった。
当時、私が考えた、ぞれぞれの役と関係図をつくり、家系図とでも言おうか。玉子さんがお母さん。私は、なぜが、出戻ってきた長女、他に長男とその嫁、お父さんがいて、お父さんの弟、叔父の娘など、そうそう長女の別れた夫まで考えて、いっそのこと、仮想家族をつくり行動をしよう。誰も意義なしで決まった。名前は「加賀一家」。
それぞれ会社をあとにして、辞めてからも、加賀一家で旅行に行ったり、食事会をしたり。時にはカラオケでストレスをはらしたり、血も繋がっていないのにねえ。その不思議な関係は今も続いている。
最初の頃、拗ねている人がこんなことを言った。「みんな血が繋がっているからいいわ。私、嫁だから他人やし」「????」「・・・・・・・・・」
「誰も血は繋がってないし、はじめから、みんな他人や」

文楽の夕べは仕事の関係で行けないが、加賀一家のお母さんからの、お金で買えないプレゼントが嬉しかった。行けないだけに申し訳ないが、「仕事だったら仕方ないね。」分かってくれるところも「加賀一家」のモットー。無理をしない。自然に行こう!
家族がもう一つあるのも、確かにいいものだとおもう。
bunnrakuno

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2005年11月19日 (土)

月になった吉朝

13日にえにし庵で見た月は、感月祭の面目を果たした。ぼんやりと輪のかかった月が、一瞬、みるみるうちに輝いて地上の人々を普く優しく照らし出した。月がどんなに明るく照らしていても、日光の平均して、46500分の1程度の明るさしかないと分かっていても、月は輝く。満月ではなかったが立派な月だった。

17日に瓦林寄席に行って、吉朝一門のこれからを占った。月に叢雲花に風、決してよい例えではないが、この言葉には、世の中の好事には、とにかく障害が多いこととあるが、だが、あさ吉、吉弥、よね吉、しん吉、吉坊、佐ん吉、吉の丞の弟子7人は吉朝師匠の薫陶を受けたのだから、立派に一人立ちして行くだろう。

戒名の中に、翫と月が入れてあった。もう戒名がついてしまったから、吉朝は俗名になると言って7人のうち、6人の弟子たちは、面白そうに吉朝の戒名を呪文のように唱える。「月の桂」は中国の伝説で、月の中に生えているという丈の高い桂の木。〈季・秋〉。
かつて、枝雀一門が師匠亡き後、まとまったと思うと南光師匠が追善の会でおっしゃっていたが、吉朝一門もそうなって欲しい。師匠に附いた数年は何十年にも匹敵する貴重な出会いであっただろう。悲しみを悲しみとせず、前向きな方向にこの弟子たちは歩いて行っているように思った。
感月と翫月、めで喜ぶ月、月になった吉朝、あの日の月はやはり、御主であったか・・・・。

偶然だろう。増田徳兵衛商店「月の桂」のDMが届いた。伏見のお酒、にごり酒が有名である。私はお酒を嗜まないが、一度、「柳」というお酒を、いただいたことがある。辛口のいいお酒だった。「月の桂」「平安京」の他、三年秘蔵純米大吟醸古酒「限定品」「藝」というお酒がある。ご注文は、フリーダイヤル:0120-333-632 

tukinokatur

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2005年11月18日 (金)

瓦林寄席

第一回瓦林寄席。とっても和やかな思い出深い、いい会でした。
桂ひろば「狸の賽」、桂つく枝「堪忍袋」、特別に吉朝一門弟子6名による師匠の思いで話。あさ吉、吉弥、しん吉、吉坊、佐ん吉、吉の丞(ひとりよね吉さんだけ仕事で欠席)。
中入後、桂吉坊「池田の猪買い」、吉朝さんの代わりにトリで登場は桂千朝さん。何故か、「替り目」。
国立文楽劇場の吉朝師匠最後の舞台に「通りすがりに呼ばれたもので」と代役を堂々と果たした、桂雀松さんとかぶるネタ「替り目」。千朝さんならもっと違うネタが聞きたかったなあとおもったのは私だけかしら。
あさ吉さんから、吉朝師匠の戒名の説明もあり、ひとり、ひとりの、吉朝師匠の思い出ばなし、笑いの中にも温かい情がながれている。みんないいお弟子さんで、本当にお幸せだったのでしょう。あらためてそう思いました。吉朝一門は心配いりません。そうですね、師匠。

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2005年11月16日 (水)

立ち切れ線香

今年、太融寺の改築があり、8月末で、長く続けていらっしゃった太融寺での落語会が終わってしまうという勉強会が多かった。桂米左さんの「左(the)落語」も、そのひとつ。
その日は、貴地邦くんと会場で待ち合わせをして、冷房のすぐそばの端っこの方で聞いた。「立ちきれ」の落語に、ほろりときた。会が終わって皆が帰った大広間の真ん中に、ひとりいつまでも立たない人がいて、あれっと思った。Tシャツ姿の背中、肩幅があるが痩せた印象の人が、吉朝師匠だと思った。その人は、皆が帰るのをじーっと待っていた、あの時、声を掛けるのがためらわれたのは、自信がなかったわけではなく、復帰は目の前に控えていた。あるいは、別人だったのかもしれないのだが、師匠だとしても声をかけないでおこう。粋なファンを装った。(あるいは、吉朝師匠でなかったのかもしれない。確かめずに書いてはいけないとも思うが、気になっている。)

米左さんは、落ち着いた落語を聞かせてくれ、舞台映えのするいい落語家さんに成長していると思った。その落語をきいて泣いていた。しかし、立ちきれで泣いている自分が情けなかった。泣かせる落語で泣いているようでは、何でも泣くんかいと。言われかねない。
後日、ある会で出会った米左さんから「冷房のすぐ横で、泣いてるんだから・・・こっちのほうが・・・・」案の定、厳重注意があった(笑)。やはり泣いているところを見られていたか・・・・。

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2005年11月15日 (火)

文樂の人

久しぶりに、文楽の本に手が延び、朝から100ページくらいの小説を読んだ。文楽劇場に、舞台を見る合間に、資料室や古本屋で文楽の古い資料本を探し歩いた時のことを思い出した。

織田作之助作の昭和21年発行の小説であるが、あとがきに「『文樂の人』は吉田榮三・吉田文五郎の二人の人形使ひを書いたものだが、この人たちを書くことは、即ち他の文樂の人達や文樂の歴史をも書くことになるわけで、題名を『文楽の人』とした所以である。・・・・」とある。
私は、この題名を選んだ織田作さんが大好きになった。
私の文楽好きも、大夫、三味線、人形遣い全ての人たちにささえられる、文楽の人たちの世界が好きなのである。
改めて読み直すと、文楽に身を投ずる名人と言われた人々の壮絶な芸の闘いに、小説の中でも唸らせられる。この本をさらりと読めるのも多少なりとも資料室に通って読んだ文樂の歴史が分かっているからだろう。
今思うことは、興味を持ったことを一途に思うこともたいせつだが、他の世界に広がりを持たせることも興味を持った人の器だなぁとおもうのである。

落語以外のことに・・・・、吉朝師匠はどうだったのか、枝雀師匠はどうだったのか、文紅師匠はどうだったのか・・・・。今は、尋ねることもできない。いずれ、「落語の人」を書いてくれる小説家があらわれて欲しいなぁとおもった。

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袖振り合うも桂米朝 その壱

吉朝さんが亡くなって、桂米朝師匠のお寂しさはいかばかりか、心中をお察しいたします。いつまでもお元気でいてください。米寿までも、白寿までも。

袖振り合うも桂米朝を書こうと思う。その壱
桂米朝師匠を国立文楽劇場でよくお見受けする。舞台も人間国宝なら、客席も人間国宝の日があった。お弟子さんの桂米左さんや若手のお弟子さんと並んで座っていらっしゃるが、ほとんど分からない。しかし、幕間に必ず喫煙コーナーでたばこを一服される。このコースを知っていると、さり気なく人間国宝に近付くことはできるが、見てみない振りができないといけない。一斉にファンに囲まれても困るだろうし、粋なファンは声をかけない。私はというと、猫がそっと近付くように、人なつっこく、怖いもの知らずにご挨拶をする。御主「粋なファンは声をかけない」と言ったではないか。ただし、声をかけたい時は素直にかければよい。
人間国宝になる前の、桂米朝さんの隣で、同じ舞台を見たことがある。
昨日も書いたが、私は東急ハンズの江坂店パート社員だった。いよいよオープン間近になって、精鋭たちの労をねぎらい、士気を高めようと、出陣式というセレモニーがあった。その出陣式と、朝日座の千穐楽が重なり、困ったことを今でも覚えている。迷わず千穐楽の文楽をとったと書きたいが、大いに盛り上がるはずの出陣式も捨てがたく、出陣式のパーティーに顔を出し、パーティーを抜け出して最後の舞台の最後の方の舞台に飛んで行くという折衷案で行動した。この年(昭和59年)の1月公演は「一の谷嫩軍記-いちのたにふたばぐんき-」。津大夫・越路大夫の力のある義太夫と浄瑠璃の語りを今でも忘れない。たしか、津大夫さんが最後の舞台挨拶をされ、思い出深い朝日座はなくなるが、国立文楽劇場ができるのでまたお運び願いたいようなことをおっしゃっていたようにおもう。うるおぼえの記憶だが。最後の舞台を見ようとどれだけの人が会場を埋め尽くしたか。花束を手にする芸者衆、報道関係のカメラのストロボの数・数・数。
その花の香りでむせ返るような舞台の後方にやっとの思いで到着した私。隣にいる人が、なんと桂米朝さんご本人だったのである。何故、後方、立ち見で舞台を見ていらっしゃったのか、どうして・・・・席がないはずがない。今思うと不思議なことである。
あるいは、私のように、掛持ちの仕事があって、迷わず、抜け出して来られたのかもしれない。
袖振り合うも多生の縁  袖振り合うも桂米朝

淡交新社 日本の伝統3 チャールズ・ダン 安藤鶴夫著『文楽』より 
写真は:173大阪・道頓堀のいまの朝日座
asahiza

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2005年11月14日 (月)

思い出勲章写真 その壱とその弐

思い出が蘇る、心までのびやかになる、胸につけるとキラキラする思い出写真に勲章がついていることを書こう。
25年も文楽が大好きで、思い出もいっぱい。いろんなことがあった。思い出勲章写真その弐

東急ハンズに勤めているころ、吉田簑助さんの大のファンだという話を仲間に言いまくり、文楽の普及勝手委員を自負していた(そのころは文楽狂とは名乗っていなかった)。ハンズで仲良しだった安川さんが、文楽大好きの私と、お友達の音楽家・津野陽二先生とを引き合わせてくれた。その津野先生から、シンセサイダーと文楽のコラボレーション企画があり、「鷺」という舞台で共演することになったから、稽古を見に来てもいいよ。特別に国立文楽劇場の楽屋に案内していただいて、劇場の客席で簑助師匠に会うことができたのである。舞台稽古の合間に、憧れの簑師匠とならんで座った。文楽が好きで朝日座のころから通いつめている自分の文楽への思い、蓑助師匠のおもいを直接ぶつけたことを思い出す。その時に撮ってもらった写真が手元にあるが、この数枚の写真が思い出勲章写真である。この写真が私の宝物のひとつ。最近その写真を見せると、簑助師匠の隣にいる女性が、私だと言ってもは誰も信じてくれないのである。

もっともっともっと子どもの時の、思い出勲章その壱
セピア色になってしまった保育圓の卒園式風景写真。私が園長先生に、園児を代表して答辞を述べている。向かいに立っている園長先生が、シャープ創業者の早川徳次氏。「目のつけどころがシャープでしょ」のシャープの初代社長。子どもの頃よく妹は抱っこしてもらったと母から聞いたことがある。
私はやんちゃだったらしく、高校になって出会った、保育園に通っていた友人が言う。「MOONちゃんの靴をそろえていた。遊んでもらえなかったから」。「そんなあほな・・・」。

園長先生のダンディぶりを見ているので、未だに園長先生タイプの男前には弱いのである。


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2005年11月13日 (日)

「しょーがねーなぁ」

私は、文楽が好きで朝日座のころから、文楽に通うことだけに熱中した。bachmoonのbは文楽のbでもある。
この文楽好きの私が落語に興味をもったのは、6年前から勤め先の池田屋で開催する落語会の窓口になったからである。人間国宝・桂米朝落語会、文紅師匠の噺の夕べ、文楽と落語の親子の情を語る会、文紅師匠追悼落語会など出会った師匠がたに大変お世話になった。
米朝一門の噺家の方々には特に無理を承知でお願いごとをしている。吉朝師匠には、池田屋ネットのリンクが今年の6月29日に繋がった時、一番にメールをいれた。
新しく「温泉旅館きっちょう家」というホームページをリニューアルされた時で、「そろぼち」という言葉が、今年の流行語大賞になるかとおもったくらい流行る予感がした。吉朝復帰は目前に控えていた時であった。
メールをいれて、リンクを申し込む。宴会場の書き込みデビューも果たした。「さっそく、宴会に参加ありがとうございます。リンクの件、承りました。どんぞどんぞ」。返信がすぐに届いて、あの時は驚いた。リンクをさせていただいた時は、ホームページを持っていてよかったとつくづくおもった。

それから、何回目かのメールで8月15・16日の「学習塾に行きたい!」と書くと、「しょーがねーなぁ」の返事がきた。
そろそろとぼちぼちと、ゆっくりのんびりしてくださいって何度もメールの最後に書いたのに。きっと、そんなのんきなことをいうファンのわがままなんか聞いていられないくらい時間がなかったのかもしれない。
狂言の会がとりあげられているが、文楽もお好きだったようにおもう。文楽劇場でよく会った。いつも端っこにすわり、「まってましたハナブサ・・・」とよく通った声で大向こうがかかる。吉朝師匠の声だ。私も結構通っていて会うのだから、吉朝師匠も勘十郎さんの舞台、英大夫の舞台を見に出かけられていたように思う。

文楽をちょっとお休みしても、吉朝落語を追いかけて楽しかった。木田さんから吉朝師匠の話題になるわ、とメールが届く、気分を変えて「廿四孝」見に来てね。文楽狂にまた戻るかも知れない。
「しょーがねーなぁ」

iroha

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2005年11月11日 (金)

吉朝落語を「ほんまにもっともっと・・・」

吉朝落語を「ほんまにもっと、もっと聞きたかった」とおもっているファンの方は多いとおもう。
サンケイホールでの独演会や、米朝師匠との二人会は日曜の昼公演がほとんどで,土・日出勤の私には行くことが無理な落語会であった。K氏の「吉朝の落語は見とかなあかん」の一言で仕事を休んでも行くようにした。助言をいただいたK氏には有り難いことに切符までとっていただき、「猫の忠信」「地獄八景亡者の戯」「百年目」・・・・「浮かれの屑より・・・」と、円熟の増す、気力体力のあった吉朝落語を聞くことができた。

吉朝落語のはなしはマクラが絶妙であった。師匠と歳のちかいものにとっては、たまらない切り口が多かった。
サンケイホールが50周年を迎えた、と、同時に思い出深いサンケイホールがなくなると発表された年でもあった、喜んでばかりいられないマイナスなイメージを、ゴジラが満50年をむかえたことにふれ、さらっと違う話題にもっていった。マクラのセンスは誰にも真似のできない切り口があった。「ゴジラって大阪弁でしょ絶対にゴジラですよね」、東京では「ゴジラ」いう。悔しいけれど映画でも「東京弁のほうでした」、そして、悔しいおもいをしましたが、ハリウッド映画では「ゴジラ言うてました」(爆笑)、ハリウッドが東京弁の敵を討ってくれたなどと言いながら、大きく頷いている人を見て、舞台から手応えを感じつつ、本題の落語にゆったりと入っていった。

マクラのセンスはその人間のもつ豊かな部分が見え隠れする。落語家の質を問われる。生活が苦しかったらお金の話になり、芸が乏しければ乏しい話題に、芸能ネタや、妻や子どもの話題など、そんなはなしは聞きたくもないぞというお客の気持ちの離れたところで、本題の落語になることを、案外、落語家は気付いていない。マクラでその人の潜在的な思いが伝わることを。

心地よい距離は、必ずお互いに必要だ。尖端と尖端のぶつかり合いでお客がどう言う気持ちでこの噺に参加するか、吉朝師匠は微妙に自分に引寄せる話術とセンスがあったし、尖端と尖端が触れあうことを楽しんでいるところもあった。

「なんでそんなことが考えられたのだろう」という絶妙なマクラの数々は、それぞれのファンの胸の中にしまい込まれてしまった。

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2005年11月 9日 (水)

桂吉朝逝く「そないに泣かんでも」その弐

お昼ごろ、娘とメールを交わしている時に、その訃報は入ってきた。
「えらいこっちゃ!」、「吉朝さんが亡くなった」その一行を読んで、泣き出してしまった。仕事場は私一人なので誰に気兼ねすることもなく泣くことができた。身近な友人にメールをいれ、ラジオで訃報を聞いたと言う田中さんと電話で少し話をした。娘から「お母さん、大丈夫?・・・」のメールが入る。吉朝師匠を追いかけて、太融寺や、川西文化会館、サンケイホールといつも一緒だった貴地邦くんと電話で話をした。「身近なもので追悼会開こう。ねえさんあまり泣かんようにね」。

落言の会、国立文楽劇場が最後の舞台になってしまった「米朝・吉朝二人会」にご一緒した石田さんから、従兄弟からも「哀しいです」とメールが入った。
「あなたが人のために泣く涙はみっともないとはおもわないよ」といってくれた人や「泣いてあげるといい」「泣くのも供養やよ」といってくれた人、「・・・あの時、口には出しませんでしたが、帰り道、bachmoonさんと私の心に浮かんだ嫌な思いが的中してしまい、哀しみが増しますが、落語家としては幸せであったと私は信じます」と石田さんが書いてくださったように、上品な、はなやかな落語をみんなの心に残してくれた師匠にはお礼を言わせていただきます。ありがとうございます。拍手が鳴り止まなかった国立文楽劇場の「弱法師」の落語、忘れません。
「心よりご冥福をお祈りいたします。」
家に帰ると、吉朝さんファン?の方から、トラックバックがあった。私はブログを始めたばかりで、トラックバックをどうするのか、どうご返事を書いて良いのか分からないが、哀しみも喜びも共感ができ、知らない方とでも吉朝師匠のことで意見が交わせることは嬉しいことであった、むしろ、ありがたいことだとおもっている。
吉朝師匠に「思いっきり泣きましたと」とコメントを送ろうとおもっている。「そないに泣かんでも」という言葉は私の中で生きている師匠の言葉である。「そないに書かんでもやったんとちがう?」
お米とお豆腐の会終演後、入り口のところで出演者全員が並んでいてくださっていた。吉朝師匠と握手していただいた師匠の手のぬくもりと笑顔も覚えておこうとおもった。

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2005年11月 6日 (日)

木村充揮の・・・継続は力

 憂歌団の時の歌を時々聞く。「あつきさんいいなあ」というくらいのファンですが、来年2月のライブ、木村充揮 30th Anniversary 継続は力(NHK大阪ホール PM5:00)に行きたいとおもった。
11/5が発売日だった。押尾コータローさんが出る日の方をとってね、娘に頼んでおいた。「サザンや椎名林檎みたいにすぐ完売しないから、慌てなくてもいいよ!」と言って、蜷川演出「天保十二年のシェイクスピア」に出かけて行った。
 帰ってきてから、舞台の面白さ、唐沢寿明さんの演技、お目当ての藤原竜也の話、篠原涼子、ほかに夏木マリ、高橋恵子、勝村政信、木場勝己、白石加代子、豪華顔ぶれがが続く、音楽:宇崎竜堂 作:井上ひさし ・・・・・。娘の話をずっと聞くのにも、力がいる。

 「そうそう」「やっと、思い出してくてたか・・」「木村充揮さんの切符売り切れていたら大変だものね」と言って、チケットぴあで 手続きをしてくれた。今回は、押尾コータロー熱烈ファンの春一番も一緒に行った真紀ちゃんと行くことに。
 わたしは、「サンセット理髪店」、「ちっちゃなダイヤモンド」が好き。そして、なんといっても「おそうじオバチャン」♪わたしゃビルのおそうじオバチャン♪一日働いて2000円今日も働いて2000円♪ 楽しみ、楽しみ。
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2005年10月30日 (日)

悪巧みとアコギ

マイナーなタイトルを選んでしまった。アコギなことはあの阿漕ではなく、アコースティック・ギターの略。Acoustic guitar=(エレキギターに対して)音を電気的に増幅しない普通のギターとある。

押尾コータローの手によって演奏される曲は、ギターの名曲であったり、クラシックの曲、ある時は映画のテーマ曲、アニメの主題曲が選ばれる。
今回の曲は、「戦場のメリークリスマスMerry Christmas Mr. Lawrence」。お好きな映画なのかしら。
押尾コータローのアコ・ギな話から、ここから「悪巧み」に移る。「戦場のメリークリスマスMerry Christmas Mr. Lawrence」の曲を、京都在住のロットン・グラフティーというロックバンドも「悪巧み」と題してこの曲をカバーしている。
「ロットン・グラフティー」公式HPのことばを借りると、〜「戦メリ」のテーマ曲を大胆にスペシャルリメイクした(もちろん坂本龍一氏本人の承諾済み!)第一弾シングル「悪巧み〜Merry Christmas Mr. Lawrence」をリリースし話題騒然に!!共同プロデューサーはDragon AshのIKUZONE氏。〜とある。
坂本龍一氏の曲が、押尾、ロットン両氏により、アレンジされて、確かに曲が一変した。押尾コータローはいつもの軽快な音をさけ、オリジナルの曲の雰囲気を壊さずに、あくまでも重厚に、低音で決めている。アコギなる巧みな技に唸ってしまう。
ロットンの「悪巧み〜Merry Christmas Mr. Lawrence」の曲はミクスチャーとよばれるが、auの着メロにもあり、私の携帯電話のメロディにもなっている。お気に入りな関係で、ロットン・グラフティーを紹介したいだけである。
押尾コータローと比べる気もないし、また、比べられない。

data:「戦場のメリークリスマス」Merry Christmas Mr. Lawrence
監督:大島渚 出演:デヴィット・ボウイ、坂本龍一、ジャック・トンプソン、ビートたけし

rot

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2005年10月28日 (金)

桂吉朝落語で笑い、泣き

吉朝落語を初めて聞いたのは,太融寺の勉強会からだった。サンケイホールの独演会。米朝師匠との二人会。地方公演も出かけて行った。阪本順治監督の『王手』という映画に、将棋の師匠の役で出演もされていた。8621のメンバーで津田さんの子どもさんが高校の頃より落語家になる事を聞いていた。「師匠が決まりまして」、「内弟子で桂米朝さんのところに住むことになりまして」、の話を会う度に聞いていた。「名前は吉坊といいまして・・・・。」

今を時めく桂吉朝さんを師匠にもった吉坊ちゃん。人間国宝のお宅で3年の内弟子修行が明けて、最近はどちらの落語会にもひっぱりだこの人気者になった。吉朝さんを師匠にもった五番目の弟子は突っ走る。改築が決まっていた8月最後の太融寺の落語会で、吉朝師匠といとこい漫才も披露してくれた。

吉朝師匠に憧れていた時は、何が何でも会いたいとおもっていた。師匠にメールができるようになった時、冷や汗ものの失敗をした経験がある。吉坊ちゃんが五番目の弟子になって、勝手に吉朝師匠が身近におもったのだろう、悪気はないのだが、今までの思いをいっぱい書いて「つづくのメール」を2回も送った。
たぶん返事はないと落ち込んでいたころ、吉朝師匠からメールがあった。
返事はたった一行だった。「そないに、書かんでも」

はてなの茶わんや饅頭怖いや風邪うどんでは泣くことはない。吉朝師匠の落語は、無理に泣かせることはしない。不細工な小細工もしない正統派の落語である。お客は笑いながら、笑い死にする恐怖でさらに笑うのである。まくらが吉朝独特の切り口にはまる。笑う、笑う。はっきり笑わせることことを目的にした話術に惚れて、吉朝師匠の落語会に出かけて行く。私は、太融寺の落語会では、小佐田定雄作*「天神狸*」を聞いて、初めて泣いた。(*題名は定かではない*南光さんのために小佐田さん書いた創作落語らしいのだが)
昨年の病気療養中は笑い死にする恐怖はなかったが、復帰の声でまた泣き、笑いの渦に巻き込まれることを願ったことが叶う日がきたことでまた泣いた。

昨日の「弱法師」を聞いて、涙がとまらなかった。家に帰って、「住吉駕籠」を聞いた。「かぜうどん」の元気なかけ声を聞いてまた泣いた。

師匠に言われそうである。「そないに、泣かんでも」

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2005年10月19日 (水)

贔屓パン

芦屋市業平町にあるビゴのパン屋さんは今でも健在だが、神戸の震災で崩壊し、新しい店になった。私がフランスパンやクロワッサンが好きになったのも、初めて食べたビゴのパンが、本物のフランスのパンの味を伝えていたからだと思う。
図書館で『ビゴさんのフランスパン物語』(著者:塚本友紀 発行:晶文社)を見つけて、読んだ。フランスパンのおいしいところが、じわりと伝わってくる。そして、ビゴさんのパン職人としての働きが大きかったことを改めて思った。

ドンク、ジョアン、メリッサ、ヒルトンのホテルのパン、ル・ビアンなどなど。フランスパンに限らず、どの店のパンも一押しのパンを贔屓にして味わう。ドンクのアップルクーヘン、チロルの餡ドーナツ、ジョアンのビーンズ・デニッシュ、神戸屋パンのクリームパン、メリッサのパネトーネ。6年勤めた会社の休憩時間に、北浜から淀屋橋まで運動を兼ねて歩き、淀屋橋にあったドンクで、北浜にもどって、三越のジョアンのパンを買って、メリッサのちょっと高級感のあるデニッシュも。パンと出会うことが毎日の楽しみであった。最近では、どの店も、閉店間際に袋詰めしたパンを安く売るようになったが、ビゴのパンは当時あった端パンの袋詰めは、少しずついろんな種類のパンが入っていて、その詰め合わせはオシャレで、端パンといえども美味しかった。

何かの本で小麦粉が体に良くないと知って、パンを一時的に断ったことがあるが、好きなものを我慢できなくてストレスになり、直ぐに中止してから、ますますパンは私にとって大切なアイテムになっている。当然の結果であるが、贔屓パンが止められなく、体重はなかなか減らないのである。

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2005年10月 6日 (木)

携帯電話はいらないと断言できますか!

版画家・岸田真理子さんと、久しぶりに会った。またしても同姓同名の話になって、盛り上がった。
岸田さんによると、岸田真理子さんという同姓同名の女性が、難病を克服して、その病気に関わる人々と共に、相談にのったり、四国八十八か所を歩いたりされているそうだ。また、もう一人の人は陶芸をされていて、あるいは、香川県に住んでる岸田さんや、何人もの岸田真理子さんがいると言う。

「岸田さんホームページみたよ、いろいろお世話大変ね」などと言われる事があるそうだ。「違います」ときっぱり否定することがあっても、肯定されている場合、「違います」「違います」と言って歩くわけには行かないから、それがつらいところだよね。ということになった。bachmoonの同じ名前はないみたい。BACHは迷惑がっているかもしれないけれど。バッハだからね。

もう一つの話題は、岸田さんの連絡方法だった。大阪と香川のアトリエを行ったり来たりしているから、連絡を取りたい時はどうしているんですか?と尋ねると、これもきっぱりと答えが返ってくる。岸田さんは、本当にきっぱりが似合っている。

アーティスト岸田だから、最先端をいく人のように見られているが、携帯もメールもホームページもしないと言う。岸田さん曰く「留守電とファクシミリがあれば連絡がつく」だから、「携帯電話はいらない。伝書鳩を飛ばして欲しいくらいやわ〜」と言い残し、帰っていったその姿は、きっぱりに潔さが加わり、一段とかっこよかった。

私もかつて携帯電話を持たない人であった。「携帯電話を捨てろ狼煙をあげよ」と声だかに主張していたことがあった。しかし、「あなたが携帯電話を持たないと便利が悪い」と言われ、今では、仕事でも、プライベートでも、携帯電話を捨てる事は30%くらい困難である。携帯電話を忘れる事がよくある。取りに帰ることはしないが、便利な事や、必要なことに変わりはない。メールも、こうしてブログも始めている。

私はハンバーガーはいらないと100%断言できるが、携帯電話はいらないと断言できるか、その答えをだすことは、今では難しいことになってしまった。

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2005年10月 5日 (水)

ピアノへ

昨年、谷川賢作さんと続木力さんの「パリャーソ」のライブに行った時買った本が『ピアノへ』である。
10人のピアニストたちが語る
20世紀のピアノ名盤
そして私がピアニストになるまで
表紙に10人の顔と吹き出しに一言書いてある。例えば、山下洋輔さんは「生きてるんだよ、ピアノは」、矢野顕子さんは、「ちっちゃい頃の私のモーツアルト、明らかにドライヴしてるの」などいうように、責任編集はもちろん谷川賢作さん。賢作さんに一番にサインをいただく。2004年12月9日。

サインをもらうぞ!と決めて、次なる人は山下洋輔さんしか思い浮かばなかった。
今年の春一番に出演されることが分かった。2005年5月5日、サインをいただく側の方から言えば、ぞろ目の日って覚えやすいし、5が並ぶなんていいなあと思っていたら、本を持って出かけていた。楽屋を訪ね、サインをもらうぞ!と勢い込んで飛んでいくが、あまりにも唐突すぎて、自分の計画した行動ではあるが、実行に移せなかった。

もちろん、あきらめた訳ではなく、我慢強く待つつもりだった。が、意外と早く好機がやって来たのだ。8月8日に大阪にソロライブがあるらしいと言う情報を得て、早速ライブの切符を取ってもらう。

大阪北区にある、お目当てのジャズ喫茶は「ハチ」。山下洋輔さんとマダムが古いおつき合い。マダムの誕生日と一緒の名前のこの場所に、洋輔さんが現れた時には鳥肌がたった。世界の山下洋輔と同じフロアーで、すぐ目の前で、同じ時間を過ごして、ピアノは生きている、を実感したからだ。ハチ並び。なんともおめでたい日で、マダムの誕生日はハチのファンでいっぱいだった。打ち上げパーティーまで粘って、山下洋輔さんの変わらない笑顔をもう一度みた。
サインをもらうぞ!!は成功した。

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2005年10月 4日 (火)

バリ舞踊ピタマハ公演

2005年10月1日、インドネシア・バリで痛ましい爆発テロがあった。日本人を含む死者22人の亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
2005年10月2日、予定していた第2回バリ舞踊ピタマハ公演が開催され、大勢の観客を魅了した。途中から霧雨のような雨が無情にも降って来たがなんとか全員踊り終えた。“KEBYAR!クビヤール!それは、振動、閃光、響き渡るもの”ピタマハ公演の空気が伝えられたら、と思う。一部写真を載せることに。

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2005年9月30日 (金)

踊り明かそう

オードリー・ヘップバーンが出演した映画で「マイ・フェア・レディ」というミュージカル映画がある。
御覧になっていない方のために少々物語を説明すると、訛りのきつい貧しい娘を、レディにしようと賭けをした、言語学者とその男友だちがいた。イライザ役のオードリーが、ロンドンの下町の花売り娘から上品なレディに仕立てあげられる。言語学者の役がレックス・ハリソン。
双六の振り出しは、訛りのきつい花売り娘、だんだん訛りがとれて、いろんな場所にデビューしていく、例えば競馬場。華やかな衣装を纏ったイライザがついに舞踏会に招待され、何処かの国のプリンセスだと囁かれる。上がりは、お決まりの結果が待っている。お忍びのお姫さまだなんて、「ローマの休日」みたい。洒落が効いているし、歌も、「君住む街角」「スペインの雨」「踊り明かそう」は、今でも大好きなミュージカル曲である。
ミュージカル出演だというのに、オードリーは歌っていない。花売り娘の汚れ役も、なぜか、オードリーだと、顔に炭を塗っただけで、やっぱり、綺麗で、華やかな衣装を纏ってだんだん美しくなっていく事も当たり前だったに違いない。歌は、すべてマーニ・ニクソンの吹き替え。
「マイ・フェア・レディ」を見た時に、決定的に思った事は、オードリーの相手役は、何故、年齢が離れている男優との共演が多かった。どういうことだったのでしょうね。「さあ〜」。お茶を濁したところでおわり。
「踊り明かそう」が、ヨーヨーマのベスト・コレクションのCDの中に入っていた。29日は阪神が優勝したので、「六甲颪」でもって、踊り明かしている人が多いだろうなぁ。

data:My Fair Lary(米.1964) 監督:ジョージ・キューカー 出演:レックス・ハリソン、オードリー・ヘップバーン


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2005年9月26日 (月)

情熱大陸

友人が情熱大陸を見るようにメールをくれた。近藤良平率いる「コンドルズ」が友人の大ヒットらしい。外国の評価も高く、モンティ・パイソンの再来かといわれているそうだ。テレビを見た。言葉数の少ない近藤さんんのコメントは「見ている人が面白かっただけでは満足しているわけにはいかない。」「会社を辞めます」くらいの気持ちをもってもらう云々・・・。やったことにはならない。情熱的な言葉だ。ダンス、ダンス、ダンス。近藤さんの、どんなものでもダンスだという閃きは、以前見たエ・リトリ・シュクレの舞台にもあった。
ある日、誘われた舞台は、エリトリシュクレという名前のグループ。数人で演じる寸劇、笑いの舞台。モンティ・パイソンの風刺の効いた笑いで育った私の感性に、どこをとっても、どこまでも徹底した動きに,笑い死ぬかと思った。
会場におりてきて新聞をただ投げつけるだけの空間がなんとも言えず、黙って見ていられなくなって、新聞を返し続けた、集中攻撃と言う選択もあったらしく、集まった数人と私は新聞の投げ合いをしたことを思い出した。
あの舞台を見た時、どんな事でもして、次の舞台に付いて移動したいと思った。あの時の情熱は、違ったものに変化しているが、体が自然に動く事は以前の体験か、体が覚えているものである。
ダンス、ダンス、ダンス。

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2005年9月24日 (土)

脱皮する!

今日はいろんな事があった。岐阜の桐風舎さんの作品展の打ち合わせ。午前中の約束をしていた。少し遅れて、山に行って来たという、一美さんと、Aさんと、二人の子どもさんが戻って来た。手に何を持っていたと思う?
蛇の脱皮した後の抜け殻。全長70センチはあった。K君にモデルになってもらって写真を撮った。
生きた蛇を、振り回して、目の前に持ってこられたら「きゃ〜」と言ってたと思う。抜け殻だったので、未だまし。
hebi

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2005年9月22日 (木)

藤沢周平の世界展

朝日新聞夕刊(2005年9月21日付)文化面に藤沢周平さんの記事が載っていた。

ヒロイン命名に悩む  『蝉しぐれ』草稿には72の候補 という見出し。
以下一部抜粋[作家藤沢周平さん(1927〜1997)の分業と生涯をたどる「藤沢周平の世界展」が、東京の世田谷文学館で開かれている。初公開の旧蔵資料など約500点。藤沢さんは生前、自らの創作についてほとんど語らなかったが、映画が今秋公開される代表作『蝉しぐれ』執筆の舞台裏は興味深い。(白石明彦)]

記事の内容は、新聞連載までのエピソードや単行本化に際して大幅に加筆されたことなど。また、『蝉しぐれ』の連載時の生原稿が展示されてある。と紹介されている。東京に住んでいたら飛んで行くのに・・・。10月30日まで開催。入場料一般600円。

この新聞記事を読んで、再び藤沢周平さんの世界に戻った感がある。もう一度、短篇小説を読もうかと思っている。

data:■世田谷文学館(03-5374-9111)東京都世田谷区南烏山1-10-10■開館時間AM10:00〜PM6:00(PM5:30までに入館のこと)■月曜休館(10月10日は開館、11日休館)■最寄りの駅は、京王線「芦花公園(ろかこうえん)」駅。下車徒歩5分。

hujisawa-

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2005年9月21日 (水)

ジャンボ将棋を作る

とにかくゲームが好きだ。作り出すのも、遊ぶのも。
子どもが小学生の時、夏休みの宿題は、友人夫婦の家で作った。毎年、工作の宿題を、泊まり込みで作った。
ある年の夏休みの宿題は、「ジャンボ将棋をつくろう!」に決まった。

東急ハンズで将棋盤も駒もカットしてもらって、作業に取りかかったが、将棋の駒の数がたくさんあって、作っても、作っても、同じ事の繰り返し、娘はすぐ飽きて飛んだり跳ねたり。遊び疲れ、眠った後も、大人たちが、駒の名前を絵の具で描き、せっせと駒の角をペーパーで磨いた。仕上げの為の作業はいくらでもあった。


ジャンボで、完成度の高い大作を作った自負もあり、余裕で駒を納める箱もふたが開くように作った。大人たちは喜んだ。自然にそれは子どもにも伝わり、無邪気に良く出来たことを喜んで夏休みの宿題を提出した。大人が作った作品、あまりにも完璧すぎた作品。その事でとがめられたという記憶はない。
学校の体育館で夏休みの作品展示があった時、クラスの男の子はもちろん、クラス以外の子どもたちからも、「おまえがいらなくなったら、僕がもらってやるからなぁ」と言って、何人もの子どもに声をかけられ、娘は一躍人気者になった。

このジャンボ将棋は捨てられずに、引っ越しの度に、必ず将棋盤と駒の箱を持ち歩いた。時々、勝負しようと言って、遊んだ。
広げると、A4の紙が6枚並べた位の大きさになって。邪魔になっても作ったものはジャンボなんだから文句は言えなかった。どこかに紛れ込んで,無くなったかと思っては出てきて、忘れている頃にまた、現れた。

ある日、老人医療法人で働く友人と、子どもの夏休みの宿題の話をしている時、「お年寄りが喜ぶよ、きっと」そして、「貸して、丁寧に使うから・・」と友人は言った。

「ジャンボ将棋は、役立っているよ」。それは、本当だった。お年寄りがジャンボ将棋に興じている風景や、将棋盤を取り囲むお年寄りの楽しそうな笑顔の数枚の写真を見せてもらった。ジャンボ将棋くんの第二の人生を誰が想像しただろうか・・・・。あの夏休みの工作の日から数十年、まだまだ、ゲームの力は衰えていなかった。
ge-munohon

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2005年9月19日 (月)

シネマ・セラピーだね

映画はお好きですか? 映画のことを尋ねると大概の人が興味を示され、いきいきとした表情になる。今、目の前で喋っている人の話を一通り聞くつもりでも、途中から黙っていられなくなるのが映画の話題である。
好きな映画の話がちゃんと分かり合える若い人っていなくなったと嘆いていたら、先日、偶然、「小津安二郎」と「道」と「チャップリン」の映画が好きと言う男性に出会った。「小津安二郎」はともかく、「道」を小学校の時に見て心に残った子と言う、その人はどんな子どもだったのか。手強そうだなぁ。
「ふんふんふん」と頷いている時間が苦痛でないひととき、友だちとの映画談義を持とう! 活字ももちろんいいが、映画の話は、声が嗄れるほど、喋り疲れるほど喋ったほうがいい。喋った後の爽快感はなんとも言えない、私は「シネマ・セラピーだね」といつも言っている。お試しあれ。
そろそろ、シネマな夜の第52夜の計画を立てている。ロバート・ワイズ監督追悼会や「夢のチョコレート工場」ジーン・ワイルダー主演の映画の話もしたい。「ダ・ヴィンチ・コード」が映画化される。新旧取り混ぜても話題はいっぱいある。
「マイベスト10発表のデビューの人」がいて、きっと盛り上がるだろう。久しぶりに集まろう!!
***日時・場所が決まり次第連絡します。シネマな夜支配人MOONより***
「父、帰る」という映画と見た。淡々とした映画を見た。切ない思いに、一瞬なったが、フイルムにおさめられた写真があれば、たった一枚の写真でも思い出は何十年も続いていき心に残ったものは消えないだろう。父に帰ってきて欲しいとおもった。

titi

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2005年9月18日 (日)

サイレンの日

今住んでいる家は古い平屋の家である、庭付きの家を借りた。裏の家は私の住む家の3倍くらいあって、半分は庭。東側には窓がないから裏の庭を借景にはできない。南側の家は、新築の家で、駐車場を一階に作り、その分だけ二階建てだが、高くなっている。日当たりは悪いが、クーラーのないい家で暮らしていると、日よけになっていると考えると何でもない。
この家に引っ越して来た時,先住の猫が、のんびり庭を歩いていた。スローモーションで、しかも、テラスに面した和室にいる私に一瞥を投げる。逃げない、堂々としている。この猫とはたびたび庭で会うが私の方が勝負に負けている。
引っ越して間もなく、台所の柱に設置された、丸い透明のカバーの付いた、真ん中に漢字で「押す」と書かれている赤い四角いブザーを見つけた。何だろう、と思ったがそのままにしていた。

ある日、向い側にお住まいの奥様がみえて、向こう三軒両隣りの北側だけ、数軒の家でつくっている、「サイレンの日」がありましてね、と言う。サイレンの会の決まりの説明を聞く。
「古い家だと、何かあってもなかなかうまく対応出来ない時に非常用にベルがあって、緊急を知らせることを以前からしています。MOONさんのところもこれから参加してください。当番のものが鳴らします、その後に続いてベルを押していただくだけで終りです。家にいらっしゃる時だけ対応くださるだけで結構です」
各家のベルが無事作動しているか、確認のための日が「サイレンの日」という訳である。

毎月、第3日曜日、つまり今日、朝10時。サイレンが鳴った。次々、各家のサイレンが鳴る。赤いカバーをはずし、漢字の「押す」を押す準備をする。押している間は自分の家だけのサイレンの音だ、そして、引くと音は止む。
たった、数秒の事だがドキドキする。のんびりとした日曜日の朝にふさわしくない音ではあるが、思い思いのサイレンの音が響き渡る。私の月一回の楽しみである。

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2005年9月16日 (金)

みうらじゅんの本

プリン色をしたロン毛の写真は厳つい。いつもサングラスも厳つい。厳ついイラストレーターのゆるキャラ提案が、なんともギャップがあって,多分話題を呼んでいただろう本を手に取った。みうらじゅんさんの『ゆるキャラ大図鑑』*を図書館で借りて来て読んだ。うしのイラストのことは、違う人のイラストと思っていた。
人を集める、人が多いほうがいい、そのための提案、それができる人ができる企画、できない人は考えたらあかん企画。何にでも、温度差がある場合、伝えたい事でも、伝わりにくいということが分かった。

さて、みうらじゅんさんは蒐集家ではないだろうか、滝が好きで、滝の絵はがきを収集している横尾忠則さんに似ていると思う。この人かなぁ、横尾忠則に出合っていなかったら、自分はこんなにはなっていなかった、なんて言った人がいるらしい。『ゆるキャラ大図鑑』*の中のコラムやdataのひとつひとつに笑ってしまう。群馬県の「米ットくん&米ティちゃん」には笑った。コラムの「米朝会議」という活字を新聞やテレビでで見るたび、人間国宝の米朝さんが会議して・・・・なんて思ってしまうと書いてある。見るもの聞くもの、手にするものが、吸収され、みうらじゅんが作られたであろう時代。その時代を知っているだけに好感がもてた。
みうらじゅんの構造が、文章を読んで分かってくる、ある時期に形成された動かしがたい才能。『ゆるキャラ大図鑑』の中の一つ一つのキャラを100体集めるところになみなみならぬ指導者の才を認めてしまった。私に認められてもねぇ。(*本書は週刊誌に連載されたものに、新しい32体のキャラクター・新原稿が加わり、2004年6月10日に発行されている。)
data:『ゆるキャラ大図鑑』 著者:みうらじゅん 扶桑社 価格:1886円+税

miura

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2005年9月14日 (水)

嘘みたいな本当の話

「僕の知り合いに“キタタニ”という男がいる」「いくつかなぁ」同年輩らしい友人の話を何気なく始めた画家は、本当にキタタニという人の年齢を思い出しているようであった。
画家と私の年齢はいくつくらい離れているのだろう。
私の知っている“キタタニさん”は・・・・と、とっさに考えた時、思い浮かんだ人は一人しかいなかった。
美術科のその人は、長い廊下を通り、デッサン室に向かう。デッサン室のどんよりとした陽のさす、湿っぽい場所を選んで、デッサンをしている大柄な男の背中が思い浮かんだ。
「あいつ、ぜんそくだから・・・」画家の話題にした“キタタニ”さんは、体が弱かったらしい。
私の知っているその人は、時々、学校の中庭でウエートリフティングの練習をしていたくらいだから、体が弱いと思えなかった。思い出の中のデッサン室も、中庭も、光と影が交差してキラキラと輝いている。そこには、廊下を歩いている無口な“キタタニさん”を追いかけて、キャーキャーという私が現れた。
「ビートルズのリンゴ・スターみたいな髪型をしていた」と言うと、画家も頷いて「そうそう大きな男でね、180センチはあるかしら」と言う。
   画家は、私の思い出の中の無口な男を知らなかった。
   私は、画家の話題にした大きの男を知らなかった。
画家の友人である男と、私の知っている“キタタニさん”が、ある瞬間、繋がった。
「嘘みたいな本当の話」はあるものだと思う。しかし、画家と別れると、瞬きをした偶然も、「嘘みたいな本当の話」だけで終わってしまった。(中略)“キタタニさん”は画家と私の会話を知らない。(AUNE20号より)

「嘘みたいな話」は本当にあった。それを思い出してどうするの、「嘘みたいな話のその弐」を書くつもりでしょ。そうかも知れないなぁ。

画家の話では、“キタタニ”さんは、今も絵を描いていると言う。哲学と仏教と絵の話をしてくれる画家も、もちろん描いている。私も、書き続けてきた。何年も前に書いた文章が同じスタイルだと気が付いた。心地よい時間が、今も昔も変わらずに過ぎてゆく。その事が素敵だと思った。

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2005年9月13日 (火)

映画「蝉しぐれ」

今年の夏は異常発生した蝉が朝から元気に鳴いた、蝉しぐれを毎朝聞いていた。さすがに「10月の蝉しぐれ」はない。季節の移ろいは正直で、もう虫の声に変わっている。「9月の朝顔」は、すずめさんのおっしゃるとおり、9月いっぱい咲いている。逞しいものは朝顔なり、季語も〈秋〉。

友人の勧めで藤沢周平さんの時代小説を読みはじめ、どっぷり浸った時期があった。短篇も、長篇も勢い込んで読んでしまったから、読む本が無くなってしまった。次の本が出版されるまで、まさしく首を長くして待ったのである。あんなに早く亡くなると思わなかったから一気に読むことができたのだろう。『玄鳥』の中の何篇かは残してあったが、それも読んでしまった。

10月に劇場公開される映画「蝉しぐれ」は期待できる。というのも藤沢周平さんの原作で、映像が足し算され、それで悪くなるのは、よほどのことだと思うからである。
長篇「蝉しぐれ」は、めずらしく、淡い恋が発端となり、友情があり、青春があり、成長していく主人公の、堪え難い苦しみや、貫く行動が、儚い夢がラストへと繋がっていく。
主人公の大人になっていく溜め息が伝わり一瞬暗くなるのだが、藤沢作品の余裕で、落ち着いた深呼吸のようなものに変わっていく。映画「蝉しぐれ」でも、それが、うまく伝わるといいなと思う。久しぶりに見たいと思った。


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2005年9月12日 (月)

9月の朝顔 

9月11日の「朝顔」の話、無理矢理、文楽にもっていった感はあり、私をよく知っている人は「やっと出て来た、遅いくらいだ」と思ったに違いない。bachmoonの「b」の紹介をさせていただいた。

実は、昨日の選挙の投票会場に行く通り道、裏の大きな家の南側の角のフェンスが隠れるくらい一面に朝顔の葉っぱのみどりがあった。朝顔は一輪を丹念に育て上げるというイメージが私にはできあがっていたから、葉っぱの緑も、まばらに咲いた朝顔も「綺麗だ」と思った。夏の間中、この一面に朝顔が咲いていたかと思うとそれは見事であっただろう。普段はそこまでしないと思うのだが、一旦、家に帰りデジカメで、9月の朝顔を映した。

ブログの写真を載せる時、解像度はどれくらいが適当なのか72pixelで写真を載せ始めたが、デジカメからの操作が分からず、とにかくポンと勢い良くボタンを押す。ディスクトップの全面が朝顔のみどりに変わった。ハハハハハハ。それで、昨日見た「9月の朝顔」の話が途切れることに。違うことを考えると、脳は、やはり「文楽」を選んだのだ。

CLASSIC BEST BACHというCDを聞きながら、ディスクトップの朝顔を見ながら、脳が目覚めていく。今日はお天気いいぞ!青空だぁー。問題:「8月のクリスマス」「四月の雪」「10月の蝉しぐれ」。さて、間違いはどれでしょう。などというクイズも考えて、余裕かな。朝からバッハ。

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2005年9月11日 (日)

朝顔

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「朝顔」が好きである。特に江戸時代に人気をよんだ和製の朝顔のなよなよとした曲線に魅力を感じる。江戸時代は,交配、改良を重ね、色や大輪を競った向きもあるが、私たちの知っている「朝顔」は夏の朝一番に咲く花である。

文楽の「生写朝顔話・しょううつしあさがおばなし」は主人公・深雪が運命の人と巡り会い、別れ、再び出会うまでの物語である。
運命に翻弄され、盲目になってしまう深雪の別の名前が「朝顔」。儚げな名前がついたと思うが、逞しくもある。

この物語は、それはないでしょ、と言う位すれ違いがあって、深雪と朝顔が同一人物であることが頭に入っていないとややこしい物語である。おまけに、相手の阿曾二郎も「駒沢二郎左衛生門」と名前も同じように変わっている、途中で深雪が盲目になって「朝顔」になってしまうものだから、巡り会えていても分からず、また追いかけなくてはいけない。という内容である。

「生写朝顔話」には、「笑い薬の段」という最高のちゃり場がある。文楽の表現する「笑い」の極みをこの段で堪能できる。一幕ものでも機会もあるかと思うので是非覚えていて欲しい。「笑う」文楽の名作のひとつである。(文楽狂のひとりごと)

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『AUNEの33の質問』

私は2.2歳〜11歳、22歳、33歳、44歳、ぞろ目の年に行動をおこしている。文字や数字がぞろ目になることが好きみたいだ。谷川俊太郎の本『谷川俊太郎の33の質問』を見つけた時も,33歳の時に質問に答えるだけでなく、33の質問とは、似て非なる『AUNEの33の質問』を創ってしまった。ひとつひとつ質問に答えたその一瞬の自分は、今思い起こしても、妙に素直だったと思う。

Q1.偶然の出会いに、待ち伏せは存在するでしょうか
Q2.ハッピー・バースディsongをドレミで歌えますか
Q3.3月生まれの人の共通性を述べてください。
Q4.空で覚えているお話を披露してください。
Q5.自分の鼓動を聞いたことがありますか?どんな音ですか。
Q6.もし、今、好きな人に会えるとしたら、あなたは誰を指名しますか。
Q7.鉛筆と消しゴムでは、あなたはどちらが必要ですか。


nennreinohon

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2005年9月10日 (土)

誕生日 その壱

9月6日。空飛ぶクジラさんのダンナさまのお誕生日エピソードを読ませていただいた。未熟児で双子の男の子を産んだお母さまと感謝の行き届いた奥様の、ほのぼのとするお話。黒の日ならぬ、愛情いっぱいオレンジ色の日だった。誕生日のドラマは親子の数だけあるから、たった一つだけのドラマだと思う。双子だから、2倍かしら。
よく、「この歳になって誕生日なんて嬉しくありませんわ」という人があるが、これは、産んでくれたお母さんとの誕生日ドラマを知らない人の発言だなぁと思う。

お母さんが元気なうちに一度は聞いておこう! 「私の産まれた日はどんな日でしたか?」


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2005年9月 9日 (金)

重陽の節句

新聞募集に老舗料亭総務部募集若干名の記事をみつける。福利厚生・社会保険完備+制服貸与+賄い食1食付き。この最後に書かれた賄い食に惹かれ応募する。1か月も連絡がこなかった。「どうなっているのですか?」と、問い合わせたことが再就職活動の第一歩となった。

賄いの1食が、高級料亭の料理の端っこでもいただけると思ったのは大間違いで、賄い料理人が賄い食を作っていた。「この就職は失敗やった」。1か月で嫌になった職場に、6年も勤めた。

その訳は何だったのだろう。今思い出すと、それは・・・大阪弁のはんなりした言葉使いが聞けたし、船場の老舗のいいところがいっぱいあった。
ご寮さん・旦那さんに代表される船場の暖簾の雰囲気が息づいてその場所だけが特別に思えた。天神祭が好きだった。川がそばにあった。交換手がいて、電話をとらなくてよかった。事務所は禁煙が徹底されていた。理由は個人的なことばかりである。

私は、直ぐに会社に溶け込み、新参ものがいじめられることもなく、暫くすると、「あの時が一番面白かったなぁ。あの慰安旅行にいたよね」「何年前ですか?」「たしか、10年前」、たまに会う各支店の料理長が社員に声をかけるが、会話では古株扱いをされた。
本店の玄関脇に「大阪会議」の碑が立っている。明治8年、大久保利通、木戸孝允、板垣退助らが開いた「大阪会議」の行われた場所である。木戸孝允が書いたと言う直筆の揮毫が社名のロゴになって、それだけでも贅沢なことではないか。

大川ぞいにあって、天神祭りの時は賑わった。華やかなことばかりだったわけではないが、勤めている間は楽しかった。当時の社長が、勲章を賜った際に、盛大に受章お祝いパーティが催された。片岡孝夫さん*がお祝いの会場に来られた時はミーハーな私は、やったーと思った。平成9年9月9日、重陽の節句であった。総務からは部長と私が受付に選ばれ、Tさんも一緒だった。

周りのユニークな人々が毎日を掻き回し、エンドレスな総務の仕事を無難に熟した。可愛がられて、のびのび働いた。一生懸命が仇になった事件もあるが、おおむね、楽しい職場であった。
思い出とさらに愉快な友だちが増えた。

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20世紀少年

8日に書いた「尋ね人、尋ね歌」「尋ね映画」は削除した。読み返して何が言いたいのかよく分からなかったからだ。代わりに浦沢直樹作品が登場する。
妹が随分前に「大脱走」のあるシーンを聞いて来たことがある。映画を見ていない方のためにあえてラストシーンは書かないが、私の記憶では、スティーブ・マックイーンの乗っていたオートバイはあの有刺鉄線を越えていた。「ペーパー・ムーン」はモノクロ作品であるが、最近見て気が付いた、カラー作品ではなかった。髪の色や、リボンの色、かぶっている帽子やドレスの色まで勝手に色を付けた状態で覚えていた。記憶とはあいまいなもの。特に人の記憶は身勝手だ。
浦沢直樹の「モンスター」は全巻一気に借りて読破した。つづきものを楽しみにする柄ではなく、一気に読みたい方である。「20世紀少年」は10巻まで読んで、あえて残してある。

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2005年9月 7日 (水)

その弐

友人の住んでいる帝塚山は、帝塚山1丁目しかない。「へ〜」。1丁目しかない地名も数多くある。「へ〜」。その壱はその壱のまま成立する。その弐がなくでもいいということも成立する。当分、その壱ばかりが続くと言うことも、定かではない。ぎりぎりその壱。

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2005年9月 6日 (火)

黒澤明忌

7年前のシネマな夜は急遽、テーマを「黒澤監督追悼」に変え、黒澤映画を熱く語ったことを覚えている。

微温的な日は一年365日のうちいったい何日あるのだろう。黒の日と名付けられた今日も、はっきりとしている。おそらく、9月6日は・・・黒のことだけを考える日か、台風が接近しているが、どんな日になるのだろう。

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2005年9月 5日 (月)

初心忘れる、言われたことも・・・

ハッとしたことがある。カタカナで「アサガオガ・・・・・」と書かれている文字を読んだだけで、目に入るものが、脳に送られる回路が違うのか、「スガシカオガ・・・・」と読んでしまった。理由は簡単だ、「Sweet」や友だちにもらった「黄金の月」が入っているMDを聞いていたからだろう。この種の間違いは、しょっちゅうである。

ある日、竹葉亭の鰻のメニュー「お櫃まぶし」を、「おひまつぶし」と注文したことがあった。何の疑問もなく。「高島屋」を「たかましや」というみたいに。言わないけどね。頭で置き換えている。

テレビを見ていると、クイズ高校生選手権で決勝進出した子が、「初」だけで、「初心忘るべからず」を言い当てた。要するに脳の使い方次第だ。

「頭の中をからっぽにしなさい、あれだけ言っていたのに・・・」。友だちの声が聞える。よくも悪くも、何でも飛びつく脳をなんとかしないといけないのに、もう遅い、ブログにも飛びついてしまった。

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2005年9月 4日 (日)

母のこと

母は、私が、2歳半、妹が60日の時、夫に先立たれた。そのの日、母は二人の娘を預け、耳鼻科の治療に出かけた。出かける時に不思議なことがあってね、足が動かず「よいしょ」といって足を前に出したという。父は最後になる日を予想もせず、母を送り出したのであろう。「行っておいで!」。

母は、再婚もせず娘二人を育て上げた。私と妹はいわゆる母子家庭で育ったが、その辛さを一度も感じたことはなかった。

子どもを二人抱え、実家に戻った母は、卵商を営む祖父にならって乾物屋を始めたが、陰気くさいといって、お菓子商を始め、次々と子ども相手の商品を置いては、すました菓子屋ではなく、駄菓子屋のような形態の店を始めた。今でも覚えていることは、お菓子や野球カードや子どもの喜びそうなものがいっぱい店先にならべられた。母のひらめきで「金魚すくい屋」を始めた時、畳一畳くらいの大きさの船のような入れ物に金魚を流し入れる。懐かしそうに「あの商売は儲かったけど、金魚がある日突然死んでいた時は辛かった」と話す。どこかで金魚を仕入れてはいたのだろうが、素人が試みるには勇気のいることだったに違いない。私も、ポイという輪っかに紙を貼る作業を手伝ったことを覚えている。

もっと子どもの頃、ただ、父がいないことの理解はなく、単純に家にいないのは何故かと言う質問に、母はさらりと答えた。「船乗りだから」。子どもの頃、父が「海の男」だと思っていた。小学生も低学年になると、質問が具体的になる「お父さんは何故家にいないの」から「何故、ずーっと帰ってこないの?」なかなか会えない父親のことを真剣に尋ねる。「お父さんは遠くにいる」「どこ?」母は邪魔臭くなったのか、「アメリカにいる」と言った。
私は、その後、しばらくの間、父のことをアメリカ人だと思っていた。

母に、父のことを尋ねると、「一緒にいた時が短かったから、知らないことがそのままになっていて、聞けず終いだった」「もう忘れてしまったしね」。父がどんな人だったのか、今となっては、誰もうまく伝えることができない。アメリカ人でなかったことだけは確かだ。その話をすると、「言ったかなぁ」と言って照れくさそうに笑った。母のことは、昭和一桁生まれの宇宙人だと思っている。

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2005年9月 3日 (土)

MOON三段論法  その壱

友だちの誕生日と赤井さんの誕生日が同じで、私は友だちと友だちだから、よって私と赤井さんは友だちである。「どやっ!」三段論法の成立。
「どついたるねん」という映画で赤井さんはスクリーンデビューした。まだお目にかかったことはないが、赤井英和さんが演じた「安達英志」が好きだ。
何度も、何度も繰り返し見た。ビデオをレンタルして登場人物になりきって、台詞まで諳んじた。その話題に根負けをした妹が、ビデオテープを買ってくれたこともあった。ウッディ・アレン監督・「カイロの紫のバラ」の主人公みたいに、あきれるくらい、劇中の「安達英志」に惚れた。「顔」で監督・作品賞をとった、阪本順治監督のデビュー作である。

ある日の午後、S.M田、K.K邦、MOONの三人*は、同じ場所に何時間も立ち続けた。後に、映画を熱く語る会を作るきっかけになった路上会議である。「シネマな夜」と名付けられた映画を熱く語る会は、1997年の誕生からの今年で8年目。51夜を迎えた。現在、参加型、不参加型合わせると、メンバーは25名になった。Bachmoon 「c」の簡単な紹介である。
(*三人の共通点が映画だったが、最近、落語が加わった。語り出したらとまらない三人。M田さんもブログを始めたらしい、映画のことや建築のことを書いているという。今度訪ねてみよう!)

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2005年9月 2日 (金)

夢か現か

ニートって何だかよく分からない。それぞれの事情で働いていない、働く意志がない人々を、総称して「ニート」と名付た。「働く力」は自らの燃焼力だと思うから、自らの燃焼力は「ミズカラ」であるわけで、やはり、ままならない現実があるのだろう。

私は、出戻って実家に帰ってきた時、少し病んでいたかもしれないが、時計の秒針が動く音が恐くて、耳を塞いで生活をしていた。眠れないことがあった。母は「この子がいつか、自殺をするかもしれないと思った」と言う。家にいても、あまり仕事もしない、大事な子育てのころに、壁を見つめてばかり過ごした。これが、数年続いた。図書館で本を借りてきて本ばかり読んで、人にもほとんど会わなかった。娘のことも母に押しつけ、母親の役目も十分に果たせなかった。
母は何も言わず支えてくれた。二人産んだ娘の姉の方が予想どおりに帰って来たことで、「跡取り娘が戻って来たくらいの嬉しさ」をさり気なく示し、私が家にいることの負担を軽くしてくれていたように思う。

私は、寄り道をしながら、子どものまま大人になった。年甲斐もなく今も子どもだ。恋もした、結婚もした、出産も経験した。再婚もした、離婚もした。壁を見つめて過ごした期間を含めた、いわゆるシングルマザーという名前の付いた独身時代があった。

手と手のマーク、TOKYU  HANDSのロゴがが、天使の羽根のように見えた。新聞の募集で「東急ハンズ江坂店、パート一期生募集」の記事を見つける。東急ハンズでは、江坂店の社員・準社員の募集は既に済んでいて、その時期の募集は、精鋭たちを募集していたわけだから、馳せ参じなくてはならないと強く思った。当時大阪では知名度が少なかった東急ハンズの募集であるが、知る人の知る東急ハンズである。好きなものに向かう子どもの気持ち、やがてどんなものでも必ず終りがあるように、「働きたい」という力が突然湧いてきた。

壁に向かっていた時には、「働きたい」と思わない、したがって履歴書を書く必要がなかった。書き方さえもままならず、写真もまともなものがなかった。その募集の締め切りに間に合うように、えーい。「娘と二人」の子連れの写真を貼って応募した。ハンズファンの私が、いちびりの私が戻って来たのである。

ハンズのエプロンをつけて働く「夢」は実現した。

採用されてから、初めて人事の方にお会いした時、「子連れ写真の履歴書はあなただけでしたよ」。私は、職場のみんなから、「おかあさん」と呼ばれていた。皮肉にも「おかあさん」だった、と書く気はない。親しみを込めた言葉は有り難いことであった。懐かしい話である。

「ニートなんて心配いらない」。生きている限り人間は、人のために働くようにできている。人の役に立つことを考え、体を動かしたくなる時が必ずくる。その時が、「ニート」の跡を消すときだ、大事なことはその一瞬を見逃さないことだと思う。

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2005年9月 1日 (木)

サインをもらうぞ! その壱

『福田繁雄 標本箱』という本が出たころ、私はミーハーな試みが成功して、サインをいただいたことがある。
数年が過ぎ、近鉄あやめ池遊園地*で「福田繁雄の遊気百倍博」という展覧会が開催された。遊気百倍博のマスコミ関係の披露パーティに招待されたk氏にくっついて行った。(*近鉄あやめ池遊園地は2004年6月6日、残念なことだが閉園になっている)。『福田繁雄標本箱』の本はけっこう大判で重い。その本を持ち歩いていたのは私だけだ。二度もサインを欲しがる不躾な振る舞いは、今思い出すと、冷や汗が出る。イライラしただろう福田繁雄氏が発した言葉はこうだ。

「もうサインがあるじゃない、欲張りだなぁ」。最初のサインにあわせ、その横に、「あやめ池3/12 1988」、少し上に「男女の足