2008年12月25日 (木)

ボタンの気持ちホームページがついに完成

ボタンの気持ちの活動を自分なりに、ホームページにまとめることを実行しようとおもっていた。おもうところがあって、ニフティのブログをやめようとおもっていた。

その二つのことが重なって、ボタンの気持ちのホームページがつながったらニフティのブログをやめようとおもった。

デジタルステージの「ID for Web LiFE」を使用。なかなかログインできなくて、来年に持ち越されるかとおもっていたが、ようやくつながった。

何かを伝えたい気持ちでブログを書いてきたが、やめるとなるとどうしていいのか、単に契約を打ち切ってしまえばいいものだが、今までアクセスしていただいた方にもbachmoonの気持ちが伝わる方法はないかと考えていた。

これからも、どんどん自分のしたいことを表現していきたいとおもっている。

nityのココログで書いてきたことをいつもご覧いただいたことをありがたくおもっていました。

ありがとうございました。今後ともよろしく!

また書いていきますので・・・・手紙でも・・・

http://www.2933pias.com

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2008年8月17日 (日)

姫路で落語会

16日は、オリンピック野球、韓国戦負けましたね。阪神の新井選手を応援している娘と一緒に見ていましたが一喜一憂と言う言葉の通り、そのままの戦いでした。残念ですがしかたありません。次の戦いを期待いたしましょう。試合が長引いていたのでこんな時間になりました。

16日は、桂雀々さんの落語会を追いかけて、姫路まで足を伸ばしました。第二回播州寄席。「桂雀々噺を聴く会」

実は、いつも落語会をご一緒する、田中さんにも、「何で、姫路なんと・・」、もちろん、自分で突っ込みながらの、姫路いり。しかし、交通費掛けても、観光ループバスで、姫路城の周りを一周して、ウキウキ一日でした。

立派な文化センターの小ホール。500名は入る。やや横長で、散漫になりがちな舞台でしたが、会場の雰囲気などこの際関係なく、笑って笑って、笑うために行った落語会。

桂吉弥さんは、いつまで「ちりとてちん」のネタでいくのでしょう。なわて寄席に続き二回目のちりとてちんに笑えず。上手なんで、ネタをいっぱい機関銃のように出した方がいい。ちりとてちんも受けるとおもうけれど、微妙なところだとおもう・・・。次に進むには、停滞はよくない。まくらも同じでは、吉弥さんの落語は追いかけられない。

桂雀々さんは落語二席。最初の「代書屋」、会場は笑いの渦に包まれ、久しぶりで楽しい噺でした。中入後の、雀々さんの落語は、「んまわし」田楽くいに、大好きなネタがかかり、お客さんがいっぱいの会場、私も負けずに笑いました。姫路文化センターのお客さんは本当に笑って笑っていました。

最近の落語会は、落語終演後に雀々さん登場がないのがさびしい。業務連絡をまくらで言われるのですが、その業務連絡もないので、サイン会もないのだ。

ビデオを上下巻買う気十分の石田さんも、躊躇しているのは、落語終了後のサイン会が無いためで、下巻だけが欲しいbachmoonもおなじおもいである。

次の予定は、文紅師匠の奥様からご案内をうけた、守口ホールでの紅亭、笑福亭鶴瓶さん出演の落語会がある。(9月14日14:00開演。守口エナジーホール)。チケットはゲットしている。

豊竹英大夫の「繁昌亭DEおはんちょう」。義太夫と落語のコラボレーション。(9月24日18:30開演。天満天神昌亭)。チケットあるかなぁ。

ときどき落語会も息抜きができていいものだ。9月も楽しみ、楽しみ。

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2008年8月15日 (金)

モンスターエンジン

先日、8621の宇野さんから久しぶりに電話があった。8621になかなか行けないことや、最近よく落語会に行っていることなどをお話をした。電話を切る直前、バラエティー番組は、ほとんど見ません、というようなお話があった。面白くないと言う理由は聞き逃した。別に隠しているわけではないが、私のバラエティー(お笑いを中心)好きの実態を知っても、おそらく、宇野さんは、「想像もできないよ」と言われるだろう。

モンスターエンジンが、朝の、讀賣テレビ「スッキリ!!」に登場していたので驚いた。

「神様ネタ」をする二人組が面白くて、それが、モンスターエンジンだった。深夜番組に、必ず現れる番組を楽しみにしていた。

大阪の深夜番組ジャイケルマクソン」放送後に、「あらびき団」(水曜・毎日テレビ深夜0:55)に誰も見ていないと言えば失礼になるが、寝静まっている時間帯である。しかも、30番組の中に、何人かの芸人が、新ネタを披露するスクエア的な番組で、持ち時間は、多くて3~5分のコントである。前々回の番組で、司会の東野さんが、藤井隆さんに、東京の番組のオーディションを受けたが、全て落ちたと言う話をしていた。「僕らもモンスターエンジンの見方を変えなあかんちゃうかな・・・・」。それを、ふ~んとおもって見ていた。

相方の人は、パニックを起こす人間になって、願い事をし、次に、神様が現れる。神様役の人は、髪が長く、バンダナをしている、上半身裸、ちょっと長めの海水パンツをはいている。人間だった人が実は、神だった、それもこれも全て「・・・・・神々の戯れ」が落ち。それがどうしたというネタなのだが、やはり面白いとおもっていたギャグがあらびき団以外の番組で見ることができたことは嬉しいことだった。

言葉を自在に操るわけでもないのだが、巧みな話術があるわけでもないだが、神様ネタは、すぐに笑えた。今日のスッキリでも時間勝負にぎりぎりセーフという結果、危うさがないとはいえないが、東西対決で、西のモンスターエンジンが勝った。どんな対戦なのか、わかっていいないが、目白押しのオリンピック番組の最中、奇跡的な快挙ではないだろうか。びっくりしたと言う感想。素直な気持ちである。

明日の、「スッキリ!!」にまた出るのか、番組構成をあまり知らないので、なんとも言えない話であるが、もし、また、モンスターエンジンを見ることがあれば、笑ってください。

「それは・・・・・神々の戯れ」

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2008年8月13日 (水)

じぶんで作る

ボタンの気持ちの活動を始めるまでは、自分では、強調性が無いとおもっていた。確かに、仲間とひとつのものを創り上げて行こうとするとき、互いにいいものを出し合って、力を合わせていくことの心地よさは、今まで味わったことのない、気持ちだった。

「じぶんで作る」。まず、作ってみる。そのことが大事なことを、忘れがちで、誰かの力に頼ってなかなか自分で物を作ることをしなくなったようにおもう。

今、手作りで作ってみたいとおもっていることはいっぱいある。たった一つの自分だけの本を、出来れば「じぶんでつくる」。ボタンで、自分だけのブレスレットやチョーカー、帯止めや簪も作ってみる。自分で考えたものを、自分のセンスで作っていく。楽しいことだ。

家にある、必ず、きっとあるボタン。BUTTON。

探してください!!ビスケットの缶カンに、あるいは、おかきの箱に、ぎゅっと詰め込まれた古い古いボタンを使うこと。出来るだけ家にあるボタンを使う。

2004年から始まった、ボタンの気持ち活動は、「ボタンを使う」を基本に、ボタンを使った作品をじぶんで作ってみる。まだまだボタンの存在に気づいていない、多くの人が、家に眠っているボタンを探しだし、(まず、家のボタンを探すことから始めること。必ずどこかにあるのだ。)。そして、お気に入りのボタンを使った作品を「じぶんで作る」ことを、これからも呼びかけていくつもりだ。第3回ボタンの気持ちの作品展が、今年の秋にも開催予定。まずは、おしらせまで。

会期:2008年11月10日(月)~22日(土) 13:00~19:00

会場:アトリエfiore

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2008年8月 8日 (金)

bachmoonの8.8.8

北京オリンピックの開会式が迫っている。8月8日8時8分の期待が十数時間後に高まる。

中国には、八は縁起のいい数字で、この日を選らんだことは、8.8.8と並ぶことで決められたと聞く。どんな事にも縁起を担いで物事を決めることはあるのだろう。今日は、オリンピック開幕の日。誰の記憶にも、8.8.8.がしっかりと刻まれることは間違いないが、競技でも忘れられない北京オリンピックになればいいと願うのである。

縁起がいい八が重なり、おめでたい日だということで、上海をはじめ、オリンピックの開会式にあわせて、2008.8.8の日に婚姻届を出すカップルが増えているという。

私の記憶では、平成8年8月8日に電撃結婚をした人がいた。

たしか、8年8月8日の数日前に知り合って、プロポーズされ、身一つでその人の元に嫁いだ人だった。全てをその人にかけ、その人の胸に飛び込む勇気、8年8月8日に結婚してくれる人と結婚をした縁起を担いだ男。誰の夢にのったのか、誰かの真似をしたのか(ちなみに私は平成7年7月7日に結婚届けを出したが、離婚をしている)。寿結婚をして、退社した、そのときの彼女が、毅然としていた事だけを覚えている。

きっと、そのときおもったことは、相手を別に沢山知らなくても結婚にはある情熱を突き動かす、何かきっかけみたいなものがあればできるのではないか、ということ。今でもおもうことだが、それは、結婚と同時に、離婚も同じようにきっかけがあれば実行されるということではないだろうか。結婚も離婚も、思いがけない出会いで生まれもするし、壊れることもある。それは、出会った人しかわからない。

オリンピック開会式が朝の8時だとおもって早起きをした。朝の日差しに、近くの朝顔が今年もきれいに咲いていた。その朝顔は縁起がいい8.8.8の今日と言う日を知らなくても、毎年同じように咲いている。見事に咲いている。

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2008年8月 3日 (日)

変だとおもった・・・

大阪では、愛染祭りを皮切りに、夏祭りが各地で行われ、花火大会があったりすると、浴衣姿の女の子が電車に乗り込んできたり、ホームですれ違ったりする。

浴衣姿などは、若い人が着てくれると、なんとなくおばさんは、批判的な目でみてチェックしたり、大丈夫かとおもったりするが、綺麗に着こなしている子や、胸元が美しいと風情があっていいなとおもう。浴衣を着ることを選んでいること、着物っていいなと改めておもった。今年は、花柄や古典柄のシンプルなものが多かった、帯にレースをあしらったものや、帯締めが光物で決めている子もいて、華やかさがあった。彼女たちのファッションセンスには驚くものがあった。私も、着物が似合うとほめられたこともあったが、それはほめられているわけでもなく、ずんぐりむっくりの体形には着物がいいらしく、おそらく、撫で肩の私は、本当に着物が綺麗に着こなせるとおもうのだが、浴衣くらい着て出歩くくらいにならなければいけない。

さて、先日、8月1日の日に出会った女の子たちが、何故かすれ違いざまに違和感があって、着物の柄や、化粧の仕方が問題ではなく、それがなんだか分からなかった。「変だとおもった・・・・」彼女たちの着ていた着物のあわせが、左前ではなかったことだった。

母から教えてもらった、着物の前は左を前に、「左前と覚えておきなさい」。

女の子は二人とも、逆に着ていたのだ。彼女たちの着物デビューデーはどんな一日だったのだろう。今でも気になっているのである。

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2008年8月 2日 (土)

bachmoonの7月、そして8月

七月は、途中まで天神祭ルポで大いに盛り上がっていたが、母が大阪に帰って来てくれたので、花火を見に行くことも、川辺で大阪締め(大阪手打ち)をすることも中止になった。母とは、普段離れて暮らしているので、あきらかに大好きな天神祭ではあったが、比べても、母と一緒のほうがよかった。

今年、79歳になる母は、群馬で住んでいるが、昨年亡くなった叔父の法要のために大阪に帰ってきた。しばらく親戚の家にいるかとおもっていたので、文楽に言ったり、のんびりしていたが、月末はあんたのところに行くからね。と急に電話があって、25日に待ち合わせをした。一緒にお祭りに行こうと誘ったが、多分断るとおもった通り、まっすく家に帰る結果になった。古い家だが、広さは十分にある我が家は、どこより、のびのびとしてもらえて、ゆったりとしてもらえるだろう。

何が楽しかったと言うと、だらだらとおしゃべりをするだけで有意義な時間におもえた。群馬と言う土地で暮らしているが、もう大阪に帰ってくる気はないの?ストレートに聞いてみたが本人はいまの暮らしに満足しているのか、すぐに首を横に振った。

母は、いっぱい話をしたが、中でも、年金のことで、聞きたいことがあるのと言って、家に届いた、送られた書類を見せた。私に書類に目を通して欲しい。どうしたらいいのか聞いてきた。私にもちんぷんかんぷんであった。

「社会保険事務所に年金相談室があるから着いて来てくれる?」「いいよ」。

父のとくべつ年金書類には、誕生日が記載されていたが、明治生まれになっていた。明らかに誕生日の相違や、母のとくべつ年金書類には、働いていた会社も記載漏れがあった。

ちんぷんかんぷんのときは、年金窓口に出向くことをお勧めする。多少時間はかかったが、父の生年月日も訂正され、母の働いていた会社も、追加され、全部クリアになった。

私は早くに、父を亡くしたので、父の名前を書くことも、目にすることもあまりなかった。社会保険の窓口で相談にのってもらって、書類に記入するときに父の名前を何度も書いた。壽の難しい文字が書けなくて、寿にしたら、父の名前ではないような気がしたが、係りの人は、簡単なほうで結構ですからと、関心のないような声で言った。

誕生日でさえうろ覚えであった。明治11年11月11日、間違っていた生年月日でも、母がいなければそんなものだとおもったかも知れないが、母は胸に痞えていたものがスーッとしたと言って喜んでくれた。私も、母と同じく、年金の相談に行ったことで、父親との接点があったことで、当たり前ではあるが、嬉しかった。

母は今日、新幹線で群馬に帰った。妹が東京まで迎えにいてくれて、娘と見送りに新大阪駅まで行ったが、別れ際にいつも泣いていた私は明るく手を振ることができた。娘も「おばあちゃん帰っちゃったね」と言ったが、寂しそうではなかった。

そんな母との毎日がbachmoonの7月でした。そして、いつの間にか8月になっていた。

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2008年7月24日 (木)

天神祭風景 第二弾

今日は土用の丑の日。実は、混雑を避け昨日に鰻を食べた。

Unagi3_4 大阪天満宮、繁昌亭の近くにある、「浪速」。

私が知っている方が先代だとすると、三代目に老舗の味が受け継がれたことになる。前日にも係わらず、10人くらい待って(三十分くらいは待つ覚悟で)ようやくうな重をいただいた。二代目のご主人がなくなられたて、しばらくお休みが続いた、三代目に受け継がれたが、鰻は「浪速」に限る。

天神祭楽しみは、なんと言っても、大阪締めをどれだけ気持ちよく 出来るかにかかっている。今年は神輿の後ろに着いていくことにした。

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天神橋商店街から、天六、天四、天五と神輿を担ぎ、派手に跳ねて見せ場をつくる。ちょうど南森町の交差点で、天四、天六の神輿に出会った。

Kousatrnn3

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御旗講

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大阪締め(大阪手打ち)♪~打ちましょ。ちょんちょん。もひとつせ~ちょんちょん。 祝おて三度 ちょちょんがちょん

♪打ちましょパンパン もーひとつせ いおうて パパンパ おめでとうございます~と続く

御迎人形は、羽柴秀吉(戦国時代の武将、『絵本太閤記』の尼崎の段は人気を博した)猩々(お酒の神様)、関羽(関羽の顔が赤く仕上げられているのは、疱瘡除けの信仰からであろう)*カッコ内の説明は御迎人形配布チラシより

羽柴秀吉Omukae3hasi_2

Omukae3syo_2

猩々

Omukae3kouu_2関羽

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今年、初めて気づいた事は、御迎人形のコーナー上を見上げると、見立てで拵えられた、蜆でつくられた藤棚が見事であった。

境内には、人人であふれ、暑さにもめげず祭りを楽しむ人たちでいっぱいだった。だんじり囃子に誘われて、地車講の前では龍?蛇?踊り(私は正式な名前を知らないので勝手に龍踊りみたいだと、天に上って行く龍をあらわしているとおもっている)を見ている。それぞれ、にわかカメラマンになって、おもいおもいにシャッターを切っていた。

Ja31_4地車講の前で

Ja32 Ja3_4

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大阪天満宮境内

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2008年7月23日 (水)

天神祭

天神祭の準備が着々と整えられていた。講と呼ばれる数々のブースがいつもの場所に設置されている。きらびやかな神輿。地車講、御旗講、天神講・・・、それぞれのブースにはお神酒が供えられ明日の出番を待っているようであった。

それにしても暑い、お祭りに浮かれ、日射病、熱中症ににならないように気をつけたい。昨年は骨折で一年を棒に振ったように大好きな天神祭りもお休みをしたので、今年はなんとしても行ってみたい。

24日の宵宮祭、25日の陸渡御・船渡御・奉納花火が待ち構えている。私は、天神祭り花火スポットを持っているのでそこへ行けば、ドンドコ船が前を通るたびに大阪締め(大阪手打ち)が出来る。しかし、警察の警備が毎年厳しくなって、人ごみをかきわけ、かきわけても一歩も進めなくなった、今年はますます難しくなるかもしれない。data:大阪天満宮のホームページ→

Mikosi1

Ji1

Sisi1

Mihata1

Mihatakou1

http://www.tenjinsan.com/tjm.html

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2008年7月21日 (月)

笑う準備

最近のお笑い過剰時間帯に、ちょっとだけうんざりしてきた。爆笑レッドカーペットやウンナン極限ネタバトル!ザ・イロモネアなどは、ゴールデンになってから、面白くなくなった。一瞬芸には特に厳しい、短い時間で笑わせられることがいやな人たちを集め、過酷な挑戦をさせている。この番組に出る芸人さんのなかで、持ちネタが確立している人、柳原さんが五人を笑わせたときも「いらっしゃいませ~」のあの声が、決め手になっていた。例えば、ダブルボケのしゃべりくり漫才「笑い飯」ににサイレントが似合わないようにおもった。若手もベテランも、挑戦と言うふざけたシステムで築き上げた芸を粗い芸にして欲しくない。じっくり笑いに取り組んで欲しいとおもうのである。

落語は、好印象の素晴らしい落語であっても二十分では表現できずにいる、コマーシャルが入るテレビには不向きだとおもう、紅梅亭、上方落語会などと銘打って放送しているが、深夜に近い時間帯に当てられることも多く、落語通でもないかぎりこの時間帯の落語会はちょっとだけつらいものだ。しかし、ないよりましで、「悋気の独楽」や「はてなの茶碗」など、今は、テレビ小説「ちりとてちん」放送の好印象もあり、どんどん落語番組が増えて欲しい。

先日、笑いの番組で途中から見た創作漫才を作る。が面白かった。いくつかお題をもらって、二時間以内に創作し、7分くらいの長さの漫才をかけると言う番組があった。

タカandトシ、笑い飯、ザ・サンドイッチマンの三組が順番に、本来の自分の漫才にこだわり時間内に力を出し切るという、落語で三大話を取り入れ落語を作っていく番組があったが、その漫才版であった。あいにく、最初からみていなかったので、最初のタカトシ(タカandトシ)の漫才は見逃したのでなんともいえないのだが、二番手、三番手の笑い飯、ザ・サンドイッチマンの漫才は、それぞれの腕を、遺憾なく発揮していたようにおもった。

番組名を覚えていないが、ダウンタウン主導の、ゴールデンで、時々登場する、相方をCHANGEして漫才を創作していく番組も、普段のテレビの画面では見られない緊張感があって、楽しみにしている。

笑いと言うものは、すぐ笑いつながるものも、考え落ちのようなものも含めて、作者は練りに練ったものをつくりだしているのだから、笑う方もテレビ的な面白さの中毒みたいなもので笑いたくないとおもっている。気になって見ていた番組が、ゴールデンに上がっていくと、やはりこうなるのかと、がっかりしているところだ。(ただし、「すべらない話」は別格である。)

同じ時間帯で「アンフェア」のときも悩みながら見逃さなかった「リンカーン」や、月一の「ごぶごぶ」や、ジャイケルマクソンの後に見る、「あらびき団」を見る気力。当然「ノブナガ」まで見ると、内容は覚えていないとくる。夜中に笑うことは何年も前から平気だ。常に笑う準備は出来ている。

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2008年7月20日 (日)

生活の中の音

お隣りの犬は、郵便配達のバイクや新聞配達、宅配業者の乗り物に反応して、すぐ鳴くので煩わしいことがあって、生活をしていると、いろんな音に悩まされるが、犬の鳴き声がある日、世界のナベアツの数える犬の鳴き声に聞こえてきたので、おもわず笑ってしまった。

蝉がようやく活発に鳴き始めた。あぁ夏が来たんだなぁと実感できる。昨年は蝉の異常発生で、我が家の庭にも蝉の抜け殻があちこちに見られたが、今年も同じくらい蝉が発生しているとはおもえなかった。蝉時雨といえば、藤沢周平さんの小説『蝉しぐれ』をすぐ連想してしまうが、連なった強烈な音は、文学の音にもつながって、本棚の分厚い文庫本をさがし、藤沢周平モードになるのである。同時に、昔見た、テレビドラマの挿入歌のような音楽が流れる。妙に懐かしさを感じさせる小説である。

今日の朝十時は、月1回のサイレンの日であった。

サイレンの日は、サイレン当番の家から合図のサイレン音がなり、思い出したように、次々と思い思いのタイミングでで自宅のサイレン音を押すのが決まりであった。

隣近所は、古いお宅も多く、お年寄りも多く、一人暮らしのお宅に何かあればサイレンで知らせるということで始まった事情があるが、同じ町内でも、右隣りから数えて数軒のお家だけの合図で、新築の多い左隣りのお宅には関係のないことであった。

次は我家のサイレンのベルを押すぞ! と待ち構えていたところ、先の人の押したサイレンが鳴りやまず、サイレンが続くと異様さをまし、静かな朝の空にサイレンが鳴りっぱなしになった。鳴っているのが「緊急事態発生」と言うような音なので、左隣りのご主人が心配そうに出てこられた。

サイレンは日常の生活音ではありえない音でも、我家の右隣の数軒だけは、生活の中の重要な音になっている。

まるで、蝉時雨のように、サイレンの音はしばらく止まらなかった。

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2008年7月17日 (木)

燕の巣が、駅の近くの、ヤマハ教室のあるビルの、自転車置き場の上にあった。もうそろそろ巣立ってもいい頃なのに、小さな巣には三匹の燕がいて、お母さん燕を待っているようだった。「何で、こんなところにいるの。お母さんは何で知っているの?」娘が写メールを撮っている。ヤマハ音楽教室の受付の仕事を、ほんの少しだけお手伝いしていたことがあって、その頃にも燕が巣を作っていた。

温暖化の影響か、のんびりしているのか、同じ巣にヤマハの燕は大きく育っていた。いずれ巣立っていくだろう。それにしても、もう七月の中旬なのにのんびり屋さんだ。

初夏のイメージはあるが、季語は春。

『玄鳥』 藤沢周平の小説を買って、あまりにももったいなくて、しばらく読まずに置いて、本棚にしまっていたことがあった。

ヤマハの仕事は、骨折もあって、子供相手の受付の仕事は体力的にも難しくて辞めたが、生徒さんたちとの何気ない会話も、新鮮で楽しかった。

七夕の短冊に書かれた拙い文字「早く六歳になれますように」

この短冊を見て、子供っていいなとおもった。かつてこんな少年少女時代が私にもあったとおもうが、これからも出来れば、さわやかに生きたいとおもう。

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2008年7月16日 (水)

骨折から一年

Miti2 

昨年の今日、家の近くの急なのぼり坂を上りきれなくて転倒し、自転車から落ちて骨折をした。

今頃、ちょうど、ギプスをしてもらって、家に帰ろうか、入院するか、迷っている所だった。二人部屋の一室、誰もいなくて心細い夜を過ごしたが、次の日、陽気な方が入院してこられて、その後四人部屋に変わっても寂しいとおもわずに過ごせた入院生活だった。一年が、ようやく過ぎて、本当はもっと早くから復帰しているのだが、一年目の今日、入院していた病院に行って、手術の際、骨を固定するために入れたプレートを外すかどうか、相談に行ってきた。

「「律儀な患者さんですね」先生がそう言うてはったわ」看護婦さんからそういわれてみると、たまたま主治医の先生の診察日が水曜日だったもので、ちょうど丸まる一年目に病院に行くこともなかった。

レントゲンを撮りましょう。今日担当してくださった先生もレントゲンを見て、「なんときれいな手術でしょう」、と言われた。

「それって手前味噌というのでは」とおもったけれど、言わずにはおれなかったくらいレントゲンが熱く語っていたのでしょう。主治医の先生の手術は、本当にすばらしい手術だったのだ。

すぐにでも手術の必要があるかといえば、そうでもないので、ご自由に。担当の先生のご意見はそういうことで、今すぐプレートを外す必要があるわけでもなかった。

病院は行かないほうが良いに決まっているが、健康になったことを確認することはなかなかいい。

日ごろ、不養生の数々の私だが、この骨折では、いい経験をさせてもらった。歩けないことがあるなんて、歩けるようになったことを改めて、感謝の気持ちでいっぱいだ。「リハビリももういいですよ。」先生からそう言っていただき区切りがついたようでホッとしている。

さて、真剣にダイエットを考えないといけない、とおもって、今実行していることは「良く噛むこと」。脳に食べたという指令が届くまで、20分はかかるらしく、早飯食らいは、どうもいけないようだ。

後は毎日の歩く運動を続けよう。ギプスのときや、松葉杖で歩けない時期に、ものすごく太ったこと、ダイエットに今取り組まないといけないことを実感している。「シネマな夜」で集まることがあっても、皆さん、あまりの変身ぶりに驚かないでくださいね。

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2008年7月15日 (火)

シネマな夜  再び

映画の会を始めて、十一年、100回記念か、100人映画好きが集まるのが早いか、そのどちらでもなく数年前から停滞している、映画を熱く語る会「シネマな夜」。52夜まで集まったことを覚えているが、私の骨折もあって、なかなか会う機会を逸している。

中心的人物ssmさんは、自身の繊細な、それでいて尖った感覚で物事で直視し、映画でも文学でもあらゆることに理解を深める人であり、よき友人である。、建築家ではあるが、映画監督のような性質をもち、あるいは建築家と映画監督は似ているのかもしれないが、真剣に組み立て、すべてのことを明らかに構築することが出来る人である。

もう一人のメンバー貴地ちゃんは、イラストレーター。いまだに、コンピュータは苦手らしく、でも、アナログてきなところは、貴重だと私はおもう。「シネマな夜」も貴地ちゃんがいなかったら、私のイメージする理想の会ができなかたし、しばらく続いた議事録も、貴地ちゃんならではの紙面でみんなを唸らせていた。

二十数名の、そんなシネマな夜のメンバーの大切なことも、横において、今、落語に走っているのは、ライブ派という考えがあってのこと。1980年代に「愛の嵐」を見たあと、映画を見ることを、一時中断して、文楽を見続けたように、今しばらく映画を休んでもいいと判断して、落語に通い続けていることも自分では承知している。

ライブ派はそう豪語する。黒澤明監督の三十本の映画はどこへも行かないし、私たちが、見なくても阪本順治監督は、シリアスな映画と、アクション映画を撮り続けるだろう。タラちゃんの映画が出来るまで待っているのだと。

そんなことでもしないと、文楽の吉田簑助さんの舞台も見ておかないと、吉田玉男さんも文吾さんを、もう舞台で見ることができなくなって、落語では吉朝さんを追いかけたことを誇りにおもう。今、春団治さんや、ざこばさん、鶴瓶さんや、雀々さん、市場さんや、福団治さん、吉弥さん、よね吉さん、吉坊ちゃん、聴きたい話がいっぱいあるし。なんていいわけみたいですが・・・「シネマな夜」も再開したいとおもっている。

どうぞ、これからもよろしくね!

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2008年7月14日 (月)

落語三昧 再び

七月に入って落語会のお誘いと四條畷市の恒例「なわて寄席」が迫っていた。

ひとつは、七月十日、NHKの公開落語会「桂春団治一門会」が谷町4丁目のNHKホールであった。

桂春団治一門会は、春団治師匠の「いかけ屋」がお目当てだった。私の大好きな落語は、この「いけか屋」が原点かもしれない。ちょっとおませさんな子供の集団が、いきいきと描かれ、「とらとやな」というフレーズを春団治師匠の口調で真似てみせた、落語の空間を子供のころに聴いて、唯一わかった落語であったようにおもう。開口一番桂春菜、桂小春団治の創作落語あり、桂福団治師匠の「ねずみ穴」は、聞いたことない珍しいネタであった。落ちが、ハッピーエンドになっていたので、ねずみの穴の意味が通じないと一緒に行った人から質問されたけれど、なるほど、落ちが納得できないと気持ち悪いことに気づいた。

親の遺産を半分づつ受け継いだ兄弟がいて、兄は大店の主で、弟は飲む打つ買うで無一文になり、兄の店に金の無心に行く。が、出世払いでいいからと、お金を貸してくれたが、僅か三文だった。その三文を手にし、悔しさを力に変え、一念発起した弟は、一段一段出世をしていく。あれから十年。大きな店を構えるようになるまでに成長した弟には大事な用事があった。それは、あのときに出世払いで借金した僅かなお金を返しに行くことだった。しかし、気になることがあって、それは大事な土蔵に、ねずみの穴があいて、火事でもあえば、大変なことになる。番頭にねずみの穴をふさいでおくように命じて、大晦日に兄の家に行く。あのときの借金と利息を叩き返す。しかし、兄の仕打ちは、思いやりとわかり、長年のわだかまりもとけて、お酒をくみかわし、ねずみの穴が気になっていた弟はそのことを気にかけていたが、兄の勧めもあって泊まっていく。

後半のクライマックスは、気になっていた通りに、弟の店が火事になり、ねずみの穴から、火の粉が入り、一番蔵も二番蔵も、三番蔵も消失してしまう。すべてが灰になり、身代も崩れ、無一文になり、再び兄の店に無心に行くが断られる。あれだけねずみの穴をふさいでおくように言っておいたのに・・・後半の後悔は、悔しさがバネにならず、空回りで、手にしたお金もすりに掏られて、ますますやりきれない展開になるが、うなされて起されて、それは夢だったことに・・・・。お正月に燃え盛る夢を見て、目出度い。めでたい。ますます繁昌するという落ちで終わった。あまり聴いたことのないネタなのでこれしか覚えられなかった。

もともとの落ちは、「土蔵(五臓)の疲れで、夢を見なさった」というようなものであるらしく、それなら、ねずみの穴も合点がいく。ただ、五臓路府に染み渡るといっても、今では五臓から説明しなくてはいけない時代になって、五臓と土蔵という落ちもあまり感心のできたものではない。

中入後後、春若「京の茶漬」、そして、待ちに待った、大主任の春団治師匠の「いかけ屋」は期待通りの、落語で、春団治の底力を見せ付けられた落語であった。「とらとやな」も健在であった。私は、この落語を聴くために、このホールに来られたことを幸せにおもった。

なわて寄席は、昨年骨折をして、残念無念の塊で、泣く泣く他の方に切符を譲った経緯があって、今年は早くからチケットを購入していた。

日にちはかわり、七月十二日、恒例「なわて寄席」は打って変って、桂米朝一門の落語の数々。ひろば「道具や」吉弥「ちりとてちん」、ざこば「子は鎹」中入雀々「手水まわし」、南光「義眼」。

桂吉弥「ちりとてちん」は、NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」に、徒然亭草原役で出演していたこともあり、大きな拍手で迎えられた。そして、期待を裏切らない、丁寧な「ちりとてちん」が聴けた。

桂ざこば師匠の「子は鎹」。これには噺の中心ではないが、ひとつ工夫があって、「最近、鎹(かすがい)という言葉の意味がわからないとおもうので、これが鎹ですわ、」と言って、本物の「鎹」を、懐から出す。手ぬぐいの中から小さな鎹、そしてもうひとつ、「会場の後ろの席の人にもわかるように」と言って、大きな鎹をさし出して、鎹の説明をした。この説明が、初めて落語を聴く人に、何度も落語を聞いている人にも、落語の落ちが分かるように配慮されていて、子は鎹、なるほどと、唸らせるものがあった。以前、小さな鎹をちょっとだけ見せて、という場面に出会ったことがあったが、今年は何倍もある大きな鎹が出てきて、流石だとおもった。ざこば師匠の落語はいつ聴いても、大御所の風格があり、お話も聴かせどころがおおく、「崇徳院」にしても、今回の「子は鎹」にしても、何回同じネタでも聴きたいとおもう。

桂雀々「手水まわし」の枕に、四天王のネタがあって、桂春団治師匠の華麗な羽織の脱ぎ方が入って、二日前に見た、春団治師匠が重なって、個人的に盛り上がっていた。雀々、南光普通通りに面白く、大いに笑わせていただいた。

なわて寄席は、桂南光師匠が四條畷市に在住ということもあり、毎年恒例になっている落語会ではあるが、今をときめく噺家さんがずらり勢ぞろい、値打ちのある落語会であった。落語はライブだ。改めて落語会の会場に足を運ぼう、とおもった。

落語三昧の日は、これからも続く。

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2008年7月 8日 (火)

豪雨のあと、庭の手入れ

朝から落雷の音で眼が覚めた。古い家なので瓦に伝わる雨脚で豪雨だとわかった、羅生門の映画に出てくるような雨で、台所の窓から見えるお隣のガレージの屋根に雨が跳ね返って物凄い音がしていた。午前中まで止みそうになかった。

しかし、それが、意外とあっさりと洪水のような雨がおさまった。ひょっとして、草抜きは今日しかないのかも、とおもった。

娘からは庭に出るときは蚊にかまれないよう完全武装で、熱中症に気をつけて、などと指示はあるが、一向に庭の意手入れを私がしますとは言わない。蜘蛛が嫌いで、庭には寄り付かない娘を当てには出来なかった。

去年ひとつも花が咲かなかった紫陽花の花がたくさん咲いていた。後ろにハバをきかせている名前も知らない植物が茂っていた。バッサリ、刈り込み鋏で断ち落とす。

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よくもここまでほったらかしにしていたものだとあきれるが、誰でもない自分だと分かるとドット疲れが出てきた、1時間もすると終わるだろうとおもっていたが、甘かった。3分の1の草抜きがおわったころ1回目の休憩を取った。水を飲み、厚手の手袋を脱いだ時、手の先がふやけていた。雨がふったので、地面がやわらかく、雑草の根っこの部分には、水滴がたまり、厚手の手袋は作業を始めてすぐに湿ったのだ。

冷房の部屋での休憩は天国だった。今年やっとエアコンをつけることができて、クーラー生活を満喫している。

気を取り直して、もう一度作業を始める。今度は蚊にやられるとおもったが、案外完全武装が効いているのか、おまけにサウナ効果もあり、汗が滴り落ちる。これはいい。どくだみの葉っぱは凄い臭いでむせ返る。蔓が延びた雑草がクーラーの室外機に絡み付いていた。今年からクーラーをつけたので去年までは考えられないことだった。早く発見できてよかった。約2時間くらいの作業で庭の半分くらい、ゴミ袋にして5袋くらい草を抜いた。

最後までとおもったが、急に空模様が変わり、また雨が降り出した。ここぞとばかりに「おしまい!」といって、終わった。残った草は、ただ、しかたなく倒れているだけかもしれない。恵みの雨で、また明日から雑草は元気よく伸びているかも・・・・。これで終わらないのが彼らの力なのだ。

私にとって庭の手入れは勇気のいる仕事で、なかなか、その勇気がないのが現状である。今日は少しだけ庭に出ることで、勇気をもらった。

名もない草やどくだみのにおいは、しばらく纏わりついているだろう。

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2008年7月 7日 (月)

七夕結婚記念日

十三年前、正確に言えば十五年前に結婚(再婚)をした。どこまで正しく伝えられるか、あやふやだが、娘が高校を卒業と同時に籍を入れたのが、平成七年七月七日。籍を入れる数年前から暮らしていたが、高校の三年間を名前が変わったりしたくないと言うのが娘の言い分で、籍はどうでも、いつでもよかった、覚えやすい日がいいね、ぞろ目でいかがでしょう、と言うことで、七並びの777の日に決まった。

最初の結婚に失敗したことは、自分の責任で、子供を産み、一人で育てたことも大きな試練ではあったが、それほど人がおもうほど落胆はしていなかった。子育ても人任せ、母任せ、妹任せ。娘が気立ての優しい子に育ったのもこの二人のお陰だと感謝している。

むしろ、親、兄弟に迷惑を掛かけているという自覚もなく、のほほんと暮らしてきた、私が幸せだったのだ。見ず知らずの人から、いきなり「気楽トンボの顔をしてますね」といわれたことがあった。こんな私でも出戻って、実家に帰った頃の五年間は何にもしないで、ただ壁を見つめていた。自殺でもしかねないと母はいつも私のことを気をつけてみてくれていた。耳に入る音が微妙にずれて、時計のカチカチと言う音が耳について眠れない日々をおくり。人とはなせないから、毎日図書館へ本を読みに出ていて本ばかり読んでいたあのころ。ある新聞の募集記事で眠りから覚めたように働きたいとおもって、東急ハンズのパート一期生に応募して採用された。五年の空白を支えてくれた母親に何の恩返しも出来ず、数年後好きな人が出来て第二の人生を歩んだことも、今になっておもいかえしてみると、誰のことも目に入らず、自分のことばかり考えていたからできたことだと今になっておもう、多分自分を愛していたから。

こんな自己中心的なわがままな私でも、愛してくれる人ができて、仲良く、三人は本当の親子みたいに暮らしていた。しかし、いろんなことが重なって、誰もが自分の主張を言い始め、自分我自分我と我をはって、何もみえなかった。五年の空白の時間に戻ったような気がした。ストレスはたまる一方で完全に壊れかけていた。私が支えるなんて強い人間ではないんだよ。甘えないでよ。その言葉の先が離婚だった。

離婚の真相は「私のわがまま」になっているけれど、止めなかった人も悪いとおもっている。理由にならない理由。やはりわがままと言うしかないでしょうね。七夕に誓った恋なのに、それは、ほんとに悪いとおもっている。

別れたことはしかたのなかったことで、後悔はしていないが、今になって考えると、別の意味で悔しいのだ。

結婚、離婚、再婚と、どこからでもかかって来いと言わんばかりに波瀾万丈の日々はまだまだ続いているが、何をしても「私はわたし」と決めていたあのころ、自分のことをブログでもさらけ出しているつもりだが、最近は、これでよかったのかなと振り返っておもうことが多々ある、これしかなかったのかなぁ。

これからどうなっていくかは波瀾万丈が続く限り何がおきても驚かないようにしたい。

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2008年7月 6日 (日)

今井 大黒 くいだおれ

仕事が午前中で、きっぱりとおわった。久しぶりに,ミナミ(大阪では梅田界隈をキタと呼び、難波方面をミナミと呼ぶ)を歩いていた。

お昼ごはんを道頓堀で食べよう、と決めていたが水曜日の定休日で訪れたは「今井」は閉まっていた。店の前の柳がさびしくこちらを見ているようだ。法善寺横丁の火事のときも、しばらく休業していた「今井」の店の前を何度も通り過ぎたあの日と同じく柳の木だけが迎えてくれた。
「くいだおれ」の前を偶然に通ることができたその日、デジカメで「太郎」を写す。

Tarou1

太郎の全身を写すと、店名がどうしても、「・・だおれ」しかは入らない。右側に移動して太郎の顔がこちらに向いたときに視線をキャッチして一枚。大阪の名物が無くなると悲しいとか言っても、あるいは署名運動でもするような勢いで店の前にお客さんが大勢いいたとしても、もう遅いのだ。くいだおれが店じまいすると道頓堀も今以上にさびしくなる。

Tarou2

私は、大阪にいても、あまりくいだおれには行かなかった方だ。文楽の帰りや落語会の前に必ずちょいと立ち寄るのは今でも「今井」だ。きつねうどんが食べたくなったら、「今井」へ行く。ほとんど変わらず必ず「今井」だ。
気を取り直して、今日は「大黒のかやくご飯を食べよう」と計画を変え御堂筋に向かう。

Daikoku行列を覚悟で大黒に入ると店内には二、三人の人がいるが、すぐに注文ができた。神宗やはり重の紙袋をいっぱい抱えた年配のご婦人がお持ち帰りのかやくご飯を二人前注文して待っている。デザイナーのような雰囲気のある男性二人連れは、馴れているのか注文を次々として、同じく会社の同僚に差し入れをするような電話をいれて、お持ち帰りのかやくご飯まで注文に加えていた。ひさしぶりに行った「大黒」も改装をして奥の方がなんとなく綺麗に変わっていたが店の佇まいは昔ながらのもので、店の前を記念に一枚撮った。

最近では、この辺に在ったと言うだけで訪ねても、お気に入りの店が在るとは限らない。数ヶ月前に来たことがある店でも、店じまいしていることもあり、考えさせられる。気に入った店が機嫌よく繁昌してくれるのは、お客の方もその店を重宝におもい、1回でも2回でも多く通うことだ。

周りにある大事なものが突然なくなる前に手を打たねばならない・・・・。それは「くいだおれ」の店に限らず、なんにでも言えるだろう。さびしくなる。そうおもったときに、足しげく訪れることだ。きっと思いは通じる。それしかない。

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2008年3月28日 (金)

赤いつめ

その人は、足元に大きなバックを置いて、黒のリクルートスーツを着ていたが、化粧けなしの女性だった。ちょっと疲れた感じがした。自分の手を包むように大事そうに膝の上においていた。化粧をしていない、すっぴんの女性が、真っ赤なマニュキュアをしていた。黒と赤のコントラストが面白く、素顔の人の、赤くきれいに塗ったつめを、遠目ではあるが、きれいだなとおもって見ていた。

電車の中で出会う人は、いろんな環境で自分だけの世界をもっているから、その人の、強い意志を感じてしまったときは、圧倒されるわけである。ただ、素顔でリクルートスーツを着る人と赤い爪にはやはり違和感があった。

昨日、同じ時間帯だったのだろうか、偶然が重なって、赤いつめの、黒いスーツを着た女性が同じ電車に乗っていた。疲れているのか、その日は最初から眠っていて、足元にバックを置いた姿は同じだった。思わず、赤く塗られたつめを見たが、短く切られた爪には、マニュキュアはなかった。赤い爪ではなかったことに少しがっかりした。

その人の赤いつめの色は、偶然、私の目の中に飛び込んできて、わずかな記憶に残っただけである。

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2008年3月12日 (水)

年賀状、滲まないハガキを作ってください。

平成20年お年玉つき年賀状の当選番号、9660の下4ケタの番号が私の買った二百枚の中にあった。書き損じや未使用のものを見ると、9650,9651,9652から9640に飛び、また9670にもどり、9671~9673、9669までいった後、9680~9689,9695と近づくようで、離れていった。当選番号の6 ケタの最初が当たっていたら、もっとドキドキ感は増していただろう。切手シートが二枚当たった。

毎年、ぎりぎりに出すものだから、早く書こうと、ボールペンを使用、速いテンポで書きなぐる。ドライブ感があって、年賀状を書きましたの達成感がある。しかし、一昨年はあまりにも時間がなく、宛名をプリンターで出力した。そのことはあまり記憶になく、今年は丁寧に書こうに徹したのか、万年筆を使用。今年の年賀状は昨年書いたもので、それにしても、改めて見る、書き損じの万年筆の字の滲み具合が気になった。

字が滲んで滲んでとてもじゃないけれど、出せない、と思った。嫌だった。ボールペンの方が、のびのび書けた。万年筆のせいにしてしまったが、私みたいに「なんか滲んで嫌だなぁ」とおもった人はいないのだろうか・・・。やはり、再生紙はがきか、インクジェット紙を使用したことに問題があったとおもうのだが、それにしても、紙が滲む原因はインクジェット紙を使用したとすると、それならそうと、はっきり説明して欲しかったなぁ。みんながみんな、プリンターで宛名を出すとは限らないのだから・・・・。

年賀状の、再生紙はがき問題のとき、再生紙ハガキが100%古紙ではなかったという問題であった。滲むのとは関係なかった。

万年筆で、友人に手紙を書いた、滲まず綺麗に書けた。私にとって、プリンターで出した宛名の方が綺麗で、万年筆で書こうとしたほうの字が滲んで汚く見えることのほうが問題なのだ。一年に一度出す年賀状だから、滲まないハガキをつくってください。お願いします。

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2008年3月10日 (月)

テレビ黄金時代の復活だ

骨折の治療で入院していたことや、その影響でテレビを見ることが多くなった。海外ドラマにはまった。今もほとんど変わらない番組は、「ドクターハウス」、「ラスベガス」、「ボストン・リーガル」、「CSI科学捜査班ラスベガス、CSI科学捜査班マイアミ、CAI科学捜査班 NY」のある曜日は何が何でもドラマを見る体制で動いている。

海外ドラマの番組をひとつでも知っているかなとおもって友達に話をすると、「知らないわ」と言われる。私に、韓国ドラマの話をされて話がもかみ合わないのと同じだとおもう。

WOWOWやAXNやFOXの海外ドラマTVは、脚本が極まっている、字幕や吹き替えも含めると同じ回を何度も見て、それでも新たなドラマの展開に、「ぐっとくるぜ」の連続。

これは考えると、昔、海外ドラマというドラマを子供の頃から見続けていたからだろう。「サンセット77」から始まり「逃亡者」、「奥様は魔女」に至るまで(どんなくくり方やねん)、テレビっ子世にははばかる。三つ子の魂百まで???

「ドクターハウス」、「ラスベガス」、「ボストン・リーガル」を、「CSI科学捜査班ラスベガス、CSI科学捜査班マイアミ、CAI科学捜査班 NY」、を見ている毎週のスケジュールに、「コールド・ケース」が加わり、WOWOWの映画や、借りてきた落語のDVD、録画した番組を見ると、何時間でもテレビを見ていることになる。確かに毎日が忙しいはずだ

私にとって、まさに、テレビ黄金時代の復活。いけない・・・、WOWOWの番組表で「サンセット77」をみつけた。それはそれは懐かしい番組だから、今夜はちょっとだけ見ることにしょう。

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2008年3月 9日 (日)

桂文紅師匠の「夢」

桂文紅師匠の祥月命日が、今日である。

三年前の今日、私はその訃報を知った。晩年の師匠を存じあげているが、落語の厳しさや、楽しさ、落語家のプロの目で、落語についていろいろ教えてくださった。大師匠なので、落語関連の仕事をしていると、近寄りがたい方だったかもしれない。私は、意外と平気でお喋りさせていただいた。

師匠がお遣い物にされていた「かわらせんべい」は、師匠の顔のイラストと寄席文字の文紅という字が書いてあるもの、もうひとつは「夢」と言う1文字が書かれているものがあった。

晩年、落語会を精力的にこなし、東京にもファンがいらして、積極的に落語会を計画されていた師匠の「夢」のひとつは、落語をもっともっと楽しめる寄席を定席でつくることだった。私には関係ないことだと、ボーっと聞いていたが、落語家として、誰もが抱く長年の夢って、あるいは同じなのかもしれない。

「夢は大いに語るべし」、師匠の口から聞いたことは、夢として聞いていただけなので、落語の定席が実現するのには、まだまだ遠いことだとおもっていた。しかし、おもっていたより早く「天満繁昌亭」が出来たときは、私だけかもしれないが、草葉の陰から見守ってくださる文紅師匠の姿が思い浮かんだ。夢は叶うものだとおもった。夢は大いに語るべし、「夢」って誰かが受け継いでくれる、と・・・。

落語の世界はまだまだ楽しみ方がいっぱいあり、師匠と出会った頃から、文楽狂の私が「落語」にはまって、面白さが分かりかけた。

天満繁昌亭の人気も定着し、朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」の番組の影響もあって、落語ブームは来ているとしたら、これからもどんどん落語の夢を大いに語るべし。

文紅師匠の「夢」を、もっともっと聞いたような気がする。 

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2008年3月 8日 (土)

ボタン付けを習う

Bo2008320 ボタンの気持ち活動を続けていると、いろんな方から「ボタンがあるのであげる」、と言ってくださって、実際に、たくさんのボタンをいただくことがある。

友達の京ちゃんは、自分のアトリエをもって仕事をしているので、珍しい見本帳を探してきてくれて、ビーズやダイヤモンドの形や星型の形、スパンコール、パールの粒が載っている見本帳をもらった。仕事場のボタンのケースからもういらないというボタンをたくさんたくさん出してきてくれる。

それらの、手に入らないプロの使う(あるいは選んだ)ボタンは、bachmoonの作品の中心に配置されいい味をだしてくれる。もう一人、デザイナーのTさんは、お洋服を作るとき、集めた高価なボタンを「ひとつだともう使わないから」と言って、綺麗な色のもの、不思議な形をしているボタンを惜しげもなくださった。

ボタンの気持ち講座 「綺麗なボタン付け」を習う

京ちゃんの言葉通り、布の厚みや、材質を考慮してボタンを付けることを教わった。京ちゃんの手は、プロの動きをして、あっという間にボタンが綺麗についた。不器用な私が帰ってから、思い出しても多分駄目だとおもったので、デジカメに撮らせてもらった。「この糸では見えにくい、ボタンも変えて」「ここで動作を止めて」と注文を出しても、京ちゃんは、撮影を嫌がらずに、何度でも待ってくれた。

学んだことは、綺麗にボタン付けができるようになるには、ひと針、ひと針丁寧につけることだとおもった。たっぷりの糸と余裕のある針の動きは、何度も練習するときっと上手になるだろう。

ボタンの気持ちを応援してくれている人は、これからもどんどん増えるとおもう。いただいたボタンは、大事に使わせていただき、あのときのあのボタンはこんな使い方をしましたと、ちゃんと言えるようにしたい。

ボタンが綺麗に見えることが一番の楽しみになっている。

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2008年3月 4日 (火)

ボタンの気持ちレッスン

今年は、昨年に引き続き、ボタンの気持ちの事務局として、アートなアクションを展開していこうとおもっている。

今年は、北山智子先生のご指導の下、月一度の第4土曜日のレッスンは、ボタンを使った作品を数多く作っていこうと考えている。

1月は、原毛を丸めてフエルトを使り、ボタンのブローチをつくった。フェルトづくりが楽しく、来月もボタンとフエルトで作ってみたい。

20083331_4 ↓北山先生の作品(アトリエfioreで撮影) 20083330_5

↓1月ボタンの気持ちレッスンでつくったbachmoon作品

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bachmoonの3月

2008.1.13の朝日新聞・朝刊に、俳句☆も一緒に社会面の記事を読んだ。☆ルーブルに文楽「奉納」弥生かな☆「人形浄瑠璃文楽がパリのルーブル美術館中庭ピラミッドの地下にある多目的ホールで開催」とある。
主な出演者は、人形遣い吉田簑助、桐竹勘十郎、ほか。文楽大夫の豊竹英大夫、三味線の鶴澤燕三。出し物は「曽根崎心中」の天神の森の段。
日仏交流150周年を記念して企画された。ルーブル美術館内は初めての上演となる。(2008.1.13の朝日新聞、朝刊、社会面の26面抜粋掲載)

そして、3月4日の今日、パリ公演は開催される。これは、うっとりするくらい幸せな誕生日プレゼントをもらったみたいだ。関係者には、あんたの誕生日など、そんなの関係ねぇといわれるだろうが、上出来の公演であって欲しい。私は、吉田簑助師匠がお元気で、外国の地でも、お初を遣ってくださることが何より嬉しい。いつまでも、いつまでも叶うことなら、ズーっと文楽の星、文楽の精でいて欲しい。いつまでも、いつまでも。

やっと、日ごろの鬱憤を晴らすべく、誕生日の今日、「bachmoonブログのパレードやぁ」を書いてみた。暇やからできることと、よっし、というからできること。どちらも同じか。まとめて書くと元気なことがわかった。昨年、夏に骨折してから随分経ったが、今、通っている整形外科の先生にも「表情が明るくなりましたね」と言われた。リハビリは辛かったが、やっと元にもどったという気がしてきた。

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ボタンの気持ち自主レッスン

3月の第4土曜日には、月一回のボタンの気持ちレッスンがある。月一回だと余裕をきめていると、あっという間に月一のレッスンがすぐそこに迫ってくる。

これではいけないとおもい、自主レッスンを試みた。昨年、小鳥の付いたブローチを買って、それをお手本にしてつくろうと算段していたが、どこへしまいこんだのか行方不明。

それではいけないとおもい求めた、ブレスレットで作品をつくることにした。自主レッスンは楽しく。次々と作品ができた。

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data:右の作品はビーズでできた北山先生の作品。左はボタンを中心に作ったbachmoonの作品(bachmoon撮影)

↓2月のボタンの気持ちレッスンでつくった作品

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↓3月の自主レッスンででつくった作20083341

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bachmoonの2月

2月に入ってから、雪の振る日があって、家の庭も真っ白になった日があった。朝、ごみを出したときは雪も雨も降っていなかったのに、昼ごろ玄関を出ると雪が積もっていたときはさすがに驚いた。

加賀一郎率いるメンバーで作っている加賀一家では、恒例の年中行事に、山ばな平八茶屋を選び、京都に行ったときのことだ。選ばれたことは迷惑だったかもしれないが・・・。

平八茶屋若主人の晋ちゃんは、修行中、同じ時期に勤めていたこともあり、加賀一家のみなも顔見知りの青年。家業の料亭を継ぎ、十数年で、好感度抜群の若主人に成長した姿を見ることができた。自慢の「ぐじ尽くし料理と麦めしとろろ」をいただいて加賀一家の面々も満足。かま風呂も、不思議なサウナ効果があり楽しい旅になりました。

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次の日は、皆で銀閣寺へ、 総門から中門に至るまでの左右に設けられた生け垣が美しい。空の青さがこれまた美しい。銀閣の屋根に少しだけ雪が残っていた。向月台がきれいに撮影できた。

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そして、哲学の道を南禅寺に向かう、歩くこと歩くこと数十分。お昼に奥丹の湯豆腐をいただいて、京都を満喫したわけです。京都から大阪に向かってそれぞれ帰る。

一人が降りて、ホームで挨拶をする。残ったみんなで手を振る。万歳をしよう。照れている人にむかって、小さく胸の前で五回。愛しているのしるし。ありがとうのメッセージ。ドリカムの歌ではないが、私がホームで挨拶をするとき、残った皆が胸の前で小さく万歳をしてくれていた。
加賀一家のメンバーの小さな家族愛の表現。他人ばかりの集まりでも、小さく咲いた家族の愛は、白い雪のように心に残った。

加賀一家に旅日記を作り、シャレで送った。私にとってはニュースレターのようなものを作ることはお手の物だが、皆に喜んでもらえたようだ。清水お母さんからは、あれから電話があり、胸の前でする万歳で、小さなサインを送ってきたという報告があり、面白いなあ。どこまでも、どんなときでも楽しむ力、京都の旅は終わっているのに、そこから学んだことを普段に生かす。加賀一家の底力を改めて教えてもらったような気がした。

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訃報 文吾の立ち役、大向こうを唸らせるほどの良い男 

近頃、文楽をみていて、配役に限界が感じられるようになったのは私だけだろうか、玉男師匠亡き後、「夏祭浪速鑑・なつまつりなにわかがみ」の出演者などは、総代わりになるだろうとおもった。どんな「夏祭」になるか、見たいような、見たくないような、見たくないほうがつよいが、桐竹勘十郎の演ずる、粋な団七をみることができることも楽しみだし、玉男さんそっくりの玉女さん演じる団七を見ることもある意味嬉しい、が、此の期に及んでダブルキャストはあるまい。
今年の1月16日に、吉田文吾師匠の訃報の記事を見ておもった。文吾師匠の演じた役は、大向こうを唸らせるほど良い男を演じた。必ず舞台の中心にあって、主役であっても、相手役であっても、演技は確かであった。しかし、初日の舞台は弟子をしかりつけていたなぁ。玉幸師匠も叱っていた姿を何度も確認しているが、そんな姿も含めてしっかりと目に焼きついている。
団七の好敵手、一寸の徳兵衛は誰が遣うのか、文吾亡き後、互角に戦える相手はいるのか、そうおもうと、文吾師匠に、良い舞台を見せていただいたと感謝している。

娘をつれて、昨年の見た舞台。帰る途中の地下鉄で、文吾師匠に挨拶をする機会があった。
「また、楽屋においで。あぁ、カメラももってきなさいよ」
嬉しそうに、笑ってくださった。あの日が、最後の舞台ではなかったが、いつのまにか休演ばかりの連続で、代役、代役、とうとう舞台に姿を見せることはなかった。

長い間、力強い舞台を有難うございました。グッとこらえた立ち姿。誰よりも力強く、文吾師匠の遣う人形が好きでした。謹んでご冥福をお祈りいたします。

data:朝日新聞2008年1月16日夕刊掲載

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bachmoonの文楽三昧

文楽公演は、毎年お正月、初日の3日か4日に行くことにしている。 第一部「七福神宝の入船」、「祇園祭礼信仰記」金閣寺の段、爪先鼠の段、ねずみ年だから選ばれたのか?。「傾城恋飛脚」新口村の段。新口村は、「冥途の飛脚」に勝るものなし。第二部「国性爺合戦」。主な出演者は、竹本住大夫、竹本綱大夫、鶴澤寛治、鶴澤清治、吉田簑助、吉田文雀、桐竹勘十郎、吉田玉女ほか

平成十七年、平成十九年の初春公演のまき手拭いは手に入ったが、今年は無理でした。何と言っても四月公演からのお楽しみは、観劇スタンプラリー。一年を通じて五公演みるとスタンプがもらえ、そしてもれなく記念品がもらえる。

詳しいお問い合わせは、国立文楽劇場 友の会事務局 TEL:06-6212-5748

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bachmoonのえべっさん

えべっさん詣では、えびす宮総本社、西宮神社や今宮戎神社とおもいきや、宵えびす、十日えびす、残りえびすにお参りするのが、近所の堀川戎神社。今年もいつもの看板がお出迎え。福娘の持つ福鈴は、お礼をする人の頭の上で心地よい音がしている。私は、中年のおじさんがしきる、よってたかってわいわい賑やかな大阪手打ちを披露している列に並んで、大阪手打ち付き福笹を買った。
打ちましょ、パンパン(手打ち)。もひとつせぃパンパン(手打ち)、いおうて三度、ちょちょんがちょん(手打ち)。めでてぇな。

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bachmoonの初詣

初詣は、生田神社に。陣内智則・藤原紀香さんの挙式会場になったことで有名になったが、阪神大震災で被害にあったことも、私は『芸術新潮』─天災と闘った美術阪神大震災と美術─のほうが、記憶に残っていて、やはり復興ということでは、生田神社の神様も相当尽力されたようにかんじられた。
夕方になってようやく人通りが少なくなった参道を歩く。おみくじを引くと吉だった。

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bachmoonの1月

2008年、子年。今年の年賀状は絵本シリーズ復活。24年前に出合った絵本『ねずみのウーくん』(マリー・ホール・エッツ作)に再登場してもらった。

絵本の表紙になっている三匹はねずみと猫と犬が仲良くお散歩。みんな笑っているようだ。ねずみのウーくんは先頭を歩く。後に続く猫も犬も表情がやさしく、昭和59年に年賀状を作ったときも、皆に届けるのが楽しかった。あれから数えて二巡り。お互いに歳をとるものです。ソフトバンクのマー君も人気者だし、ウーくんも間違いなくかわいいとおもってもらえるでしょう。2008200833_3

なごみ庵きたはまのおせち料理は立派な伊勢海老も入り豪華版。

パンフレットつくりを依頼されたのは、昨年の夏に始まって、撮影も同行しデザインも担当したので、どんなんかなぁとおもって注文。
お茶は、勘三郎好みの煎茶をいただく。娘の会社の部長さんに贈られてきたお茶、「中村勘三郎ブランドのお茶があるんだねぇ」、「どおりで、渋い役者だとおもったよ」。

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2007年10月13日 (土)

ボタンの気持ち作品展

昨日は仕事をして、遅くまでコンピュータの前でがんばっていた。

今通っている整形外科の先生に、何が必要かという話で、「睡眠」が大切だということを聞いていたのに。また、無理をしてしまった。

先日の治療のとき、先生の患者さんにも、腰のあたりが痛くなり治療に来られた方がいらっしゃって、鍼灸の先生と治療にあたっていたけれど、いい治療方法が見つからず、「何時に寝ていますか?」という質問をしたところ、その方は、朝方の6時まで起きていたらしく韓流ドラマにはまっていたようでした。夜がいつもいつも遅かった結果、原因不明の症状になったというのです。

睡眠不足が回復すると、痛みもとれたようで・・・という話は、分っていながら夜遅くまで起きている私にとって耳の痛い話であった。私も韓流ドラマではありませんが、AXNのCSI 科学捜査班ラスベガス、マイアミ、NYを次から次へと見ている。最近はFOXTVのDr.HOUSEドクターハウスが加わっている。

さて、今は仕事の合間に、11月から開催予定の「ボタンの気持ち作品展」のDMを作成しているところ。展覧会に向けての準備に忙しくしている。モダンとエレガンス、渾然一体となった作品展をめざしたもので、「ボタンの品格」。ボタンの魅力。ボタンの持つ可愛らしさが表現できるといいいなとおもっている。アトリエfioreで11月12日(Mon)~11月24日(Sat)日祝休み 11:30~19:30。西区にある先生のアトリエで開催させていただくことになっている。私もそろそろ、作品をつくっていかなければならない。

今夜は、にわか阪神ファンになって、クライマックスシリーズ戦を応援してしまった。なんと期待の大きかったチームの戦いぶりは、短期決戦がどうも苦手といった試合結果だった。なにより下柳で3点、久保田で4点は考えられない。明日の試合に期待しましょう。

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2007年10月 6日 (土)

これが肩こりや!

花外楼で総務の仕事をしていたとき、社長や御寮さん、若社長や若女将、店長や料理長が、休み時間や用事があると、事務所に集まっては、しばらくの時間を面白おかしく、仕事の話以外でもいろいろ盛り上がったものだ。お菓子を買ってきたり、冗談をいいあったり、和気藹々の事務所だった。

ある日の事務所。その日は肩こりの話に。肩こり症の社員が、肩こりで悩んでいるといえば、肩こりの治し方や、予防などの話で盛り上がったとき、私がのんびりと、「私は肩が凝ったことがない、肩こりを知りません」と、話の中に加わったことがあった。

本店の店長は、「へぇ~、肩こらない肩って、みてみたい、どんな肩やぁ」といって、肩を揉んで、筋をずっと揉んでいき、ポンと肩をたたいて、一言。

「めちゃ、めちゃ肩凝ってるやないですか、これ正真正銘の肩こりや」。私はこのとき、初めてこれが、肩がこったということなんだと気がついたわけで、今ではセクハラなどという言葉があるが、そのとき、店長が肩を揉んでくれなかったら、今でも、私は肩こりをしたことがないと言い張っているとおもうのである。

肩こりのくすり、たとえば貼り薬や塗り薬は、はじめスーッとするけれど、本当の意味では治っていない、気休めであると聞いたことがあり、飲み薬にも頼ることはないが、最近では自分は肩を凝るほうであると認め、疲れたときは肩をまわしたり、軽い運動をするようにしている。

今通っている、リハビリ担当の先生も、いろいろ運動量を増やしてくださって、今は、松葉杖をついているから、肩こりになってもしかたがないよ、と言ってくださり、がちがちの肩をほぐしてくださるようになった。ありがたいことである。

「これが肩こりや!」

あの時の店長の声は、この子は何を考えているのかとあきれたような声だったなぁ。肩こりを知らぬが仏の方が良かったのか、今では、肩が凝らない人は本当にいるのだろうか・・・・。とおもうのである。

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2007年10月 2日 (火)

ボタンでご機嫌!

今年も、ボタンの気持ち作品展を開催する機会を得て、私たちメンバーは久しぶりに集まった。11月の発表まで1ヶ月と迫り、第1回目の会合を開いた。決まったことは、今年もボタンの気持ちを表現し、ボタンの可愛らしい作品を作ること、大きな作品は、昨年に引き続き、メンバーである小林さんにお願いした。ボタンという文字B u t t o n ロゴをみんなで作ること。楽しいモードになって、つぎつぎアイデアが生まれた。ボタンの気持ちのメンバーと話していると、顔がほころび、いつも笑うことが多くなる。

楽しいことは、準備の段階でも楽しいし、不機嫌な顔は、ない。きっぱりと、ない。いつも全員ご機嫌なのである。

最近、女優の沢尻エリカさんがブスッとしているだけで、話題になっている。沢尻エリカさんの肩をもつつもりもないけれど別にいいではないか、誰だって機嫌の悪いときもあるさ。ブスッとした顔は巷にあふれ、ブスッとした顔は隣近所にいっぱいいるのだ。自分の顔のことは分らないものだ。

クイズ番組「アタック25」をたまたま見ていたときのことだ。

あれはオセロのようなゲーム感覚で、自分が答えたパネルも、パネルのとり方次第では相手の答えで変えられてしまう、その逆もあって、見ている方は、面白くおもうのだが、取っても取ってもパネルが違うパネルになってしまう、接戦で面白いはずなのに、パネルを取られてばっかりいるパネラーの人がうつむいて、顔をあげると不機嫌そうで見ていられなかった。タイトルを取ったものの、チャレンジクイズが出来なくて、またまた不機嫌な顔をされていた。機嫌の悪さをあらわにする人を見るのは嫌なもので、言っていることは逆だが、機嫌の悪い時もあるさとおもえなかったことがテレビの画面いっぱいに映っていた。

自分の器量の狭さを不機嫌という形で表現してはいけません。悲しいときに笑えとは言うつもりはないけれど、機嫌が悪いことは自慢でもないし、できるだけ、楽しいとおもえることを積み重ねていきましょう。

ボタンの気持ちは、ボタンそのものが持つ力を借りて、シンプルで絵になるような、Buttonで楽しくなるような作品展を目指したいとおもっている。ボタンの綴り、英文字B u t t o n を、6人のメンバーで作ることにした。

この作品展を通じ、自分も楽しくて、自分以外の人にも、ご機嫌なことが伝わっていくことを願っている。

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2007年10月 1日 (月)

朔日餅

毎月一日に、各百貨店で伊勢の名物「赤福」から、「朔日餅」が売り出される。以前にも書いたことがあるが、赤福餅が、キオスクや百貨店で売り出される前は、伊勢市宇治中之切町・本店の「赤福」で買わなければ手に入らなかった。

甘いものが重宝がられる時代でもないし、かといってそう珍しくもない赤福が今でも人気な商品であるとしたら、昔から変わらずそこにあるという、安定感や老舗の強みのような、目に見えないものとして、みんなの心に懐かしい食べ物として記憶にあるからだろう。もちろん変わらぬ味も・・・あるが・・・。変わらない味が新鮮でもある。

修学旅行では大量のお土産を買ったことや、その後も初詣や伊勢神宮に訪れる度に、赤福本店のできたてほやほやの「赤福餅」をいただいたものだ。

飛び切り寒い初詣の思い出は、従兄弟と行った、凍るような寒さを経験した初日の出。

お伊勢さんの初日の出は、夫婦岩の真ん中から、と思っていらっしゃる方も多いが、絵葉書で見る絵柄は夏の風景である。そのことを知らずに、初めて初詣に行った年に、夫婦岩の見える場所を陣取って待っていたことがあったが。誰かが、冬のお日様はここから出て来ないよ!と教えてくださって、あわてて移動したことを覚えている。寒くて、寒くて、歯がガチガチ音がしていたことまで覚えている。

さて、月の始めに、朔日餅(ついたちもち)を販売する赤福は、何故か、「えびす餅」という名前までついている。今では、行列が当たり前の世の中になってしまって、大して美味しくないものまで並んで買うことが多くなったが、昔の赤福を買ったころの有り難味はないのである。時々は懐かしくて食べたくなる、私のような気まぐれなお客が、一日(ついたち)に釣られて買うので、「えびす餅」と名前がついているのだろうか・・・。きっと違うだろうなぁ。

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2007年9月30日 (日)

骨音

骨を折るまでは、まさか入院するとはおもわなかったのでいろんな方と約束をしていた。

歩くことを趣味にしているから、今の状況はマコトに辛い。

古本屋さんめぐりは実に楽しいもので、天神橋商店街の「矢野書房」には時々、掘り出し物の本が手に入ることもあり出かける。石田衣良氏の著書「骨音」が100円で手に入ったのは、骨を折るちょっと前で、「池袋ウエストゲートパーク」のドラマをDVDで借りて全て見た後のころだった。

石田衣良さんを初めて見たのは、トーク番組で、引越し魔である石田氏は、地面にガムが落ちているような、場所を好んで選び、路地があるような町並みが残っている街が好きでという話が弾んでいた。変な人だとおもって見ていたが、あの人が、「池袋ウエストゲートパーク」の原作者だとは全然おもわなかった。小説家だとはおもわなかったのである。

原作者より、宮藤官九郎の脚本のほうが注目されていたかもしれないが、あのテレビドラマを、リアルタイムで見ていなかったことが不思議だった。入院中、再放送の見ていなかった番組ではTBSの番組が多く、ドラマのTBSは確かな番組づくりをしていると改めて感心した。

「木更津キャッツアイ」なども、同じく宮藤官九郎さんの脚本のドラマで、この番組もまとめて見ることができて、娘としばらくは盛り上がって見ていた。岡田准一さんと長瀬さんのファンで、後の「タイガー&ドラゴン」は、楽しみに見ていたが、こういうドラマの流れがあったとは・・・。ドラマってフジテレビだけではだめでした。

「骨音」にもどると、石田衣良さんのテーマは現代風な設定、乾いた人間関係が小説になり、どんどん引き込まれていった。小説とドラマの違和感がなかったことも幸いして、小説を読む楽しさが倍になった。構成も、意外な展開も気に入って、文章のうまい作者に久しぶりに出会えた、次々と石田作品に引き込まれている途中である。

「骨音」は、意外な展開のうちに入る小説だが、マコトという主人公がでてくる、、「池袋ウエストゲートパーク」のシリーズもぼちぼち読んでいるところだ。石田氏との出会いは遅くとも、確かな小説に出会ったことは気持ちのいいものである。

骨音とはね。骨が鳴る? 骨が折れた音は、ポキッではなく、グギャッだった。

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2007年9月28日 (金)

9月24日の想いが重なる

今年の夏、親戚の叔父が二人亡くなった。亡くなる直前に、病気のお見舞いには行っているのだが、お通夜やお葬式の日には、ギプスもまだ取れていなくて、娘にみんな任せて、私は入院先のベットでおとなしくしていた。

松葉杖でもほとんど歩けなかったころで、訃報の電話も病院で聞いた。母が群馬から手伝いに大阪に戻ってきたが、ほとんど私のところではなく親戚の家に寝泊りをしていて、私が動けていたらとおもうと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。しかし、案外元気で、世界陸上の切符が取れると、長居競技場まで出向き、熱い声援をおくっていた。叔母たちは「母が元気なことが信じられない」と言わんばかりに、母に世話になったと口々に言うのだった。

先日、9月24日、父の祥月命日に、ふと、お盆なのにお墓参りもできなくて申し訳ないとおもう。と、同時に不甲斐なさとはこういう心境を言うのだと感じていた。

娘は、祥月命日のお墓参りをしたいというお母さんの気持ちは分かるけれど、無理をしても、お墓の掃除もできないんだよ。松葉杖のお母さんに何ができるの、なんて厳しいことを言われたのだ。意気消沈していた私に、忘れず優しくフォローがあった。おじいちゃんも待っていてくれるからね。よくなったら、また行こうね・・・・。

9月24日、自分のことで精一杯っだったもので、月が傾く頃、誰かのことを忘れていないか、私のことを・・・・。って、いう感じの思い出し方で、文楽人形遣い吉田玉男師匠の顔が思い浮かんだ。ちょうど、一年前、師匠はお亡くなりになったのだ。悲しい出来事だったのに・・一年が過ぎると思い出すこともままならなかった。

木田さんからも、11月公演のチラシを送ってもらっている。なんとしても、この足を一日も早く治さなくては・・・。

興味のあることは尽きずはいつも通りではあるけれど、目標をもつ、文楽に行きたいや、お墓参りに行くんだと思うことは、リハビリにもいい影響をもらっていて、足の治りが順調なのである。申し訳ないことでいっぱいだったが、今は、肩に力を抜いた状態にしておかないと駄目だともおもった。

9月24日の想いが重なる、無理せんと気張りやっしゃ。どこかで聞こえたような気がする・・・。

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2007年9月27日 (木)

レントゲンを見ると・・・

リハビリのための入院中は、何人かの人が手術の話をしていた。例えば、ブログを書くために手術室までデジタルカメラを持っていき写真を撮った話や硬いベットに不自然な姿勢で寝ていて、体中が痛かった話。私は、麻酔がすぐに効いたため、いくつまで数を数えたかと聞かれても、自分の手術のことは何ひとつ覚えていなかった。ベットに戻っていたときには寒い寒いを連発し、電気毛布を掛けて欲しいと言ったそうだが、それは、手術後のことだった。

主治医ともう一人、がっちりした体格の先生、いかにもタフな外科医タイプの先生が執刀してくださって、無事手術は成功した。

リハビリ入院が一ヶ月、そろそろ仕事にも復帰するために退院し、病院を変わり、通院することにした。手術をしてくださった先生の紹介状とレントゲンを携え、新しい病院の整形外科の先生と会った。

「きれいな手術ですよ、こんな完璧な手術は久しぶりに見ました。手術をしてくださった先生に感謝ですね」

と借りてきたレントゲンを見て、惚れ惚れすると何回もおっしゃった。少しオーバーな、とおもったが、そう言われて悪い気はしなかった。

新しい病院に通院してから、二週間が過ぎた。

運動量も増え、自宅での運動も効果があたのだろう、順調に回復に向かっているということで、昨日から、別の運動を始めることになったために、新しい病院でレントゲンを撮った。先生は、再びレントゲンを見て、「何度見ても、いい手術だ、ここのボルトが、この骨のここのところにちょっと先が出ている、ここがすごいところで、惚れ惚れしますよ」と、また、おっしゃった。

レントゲンには、その日の手術の全てが写っているのだ、とおもった。

「いい手術をしてもらったのだから、僕たちもフォローしますから、がんばってください。」先生に言われ、いい手術をしていただいて、化膿もせず、関節炎にもならず、回復に向かっている。私もこの通院で一日も早く歩けるようにしたい、と、そう強くおもった。

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2007年9月26日 (水)

月はどっちだ

昨夜の仲秋の名月は見ましたか?きれいな月でした。しかし、満月ではなかった。まんまるお月様は27日の夜だそうで、もう一度お月見をいたしましょう。

岐阜に在住の友人は、スガシカオファン。私も美代ちゃんの後に続くファン。「黄金の月」を眺め、「今日の月はきれいだったね。」などとメールを入れる。月は、どこから見てもお天気だったら見ることはできるので、大阪と群馬、大阪と岡山、大阪と岐阜、離れていても今日の月はきれいだったね、だけで、多くを語らなくても何か通じるものだ。本当に月を眺めて一杯、コーヒーとお月見団子をいただくひと時も、幸せな時だなぁ。

もうひとつ幸せなひと時が私にはある。映画の会と同じように作った会だ。ボタンの気持ちというグループが出来て、「ボタン」というひとつのテーマで、活動を始めて3年目になるが、昨年に引き続きボタンの気持ち作品展を計画している。

私が、骨折をしてしまって、動き回れない分、蹴れん味のある物は計画できないが、落ち着いた、品のある展覧会にしたいとおもっている。ボタンの気持ちを支えてくれているメンバーひとりひとり、大事にしてきた活動の成果を発表できたらとおもっている。

しかし、足の動きはまだまだで、動きは鈍い、休み休みだが、進めていくところは進めるように実行に向かっている。いいことだとおもう、直るまでまだ半年以上かかるけれど、無理をしないで出来ることをしていこうとおもう。

松葉杖のまま皆さんとお会いするようにおもうけれどよろしくお願いいたします。

ボタンの気持ちメンバーにいろいろ、ご連絡。

開催期間:2007年11月12日(月)~24日(土) 時間検討、日曜日お休み、祝日休みか検討

搬入日時:2007年11月10日(土)*3時から。(*この日は、10月のレッスンがお休みのため、ボタンの気持ちレッスン予定。1時からレッスン有り。終了後、午後3時から搬入作業開始。)

ボタンの気持ちの作品展はDM 出来次第このページにも掲載いたします。お楽しみに!!

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2007年9月22日 (土)

一日も早い復帰・・・

先日、「徹子の部屋」に、バレエダンサーの熊川哲也さんが出演されていた。右膝前十字靭帯を断裂されたばかり ということで、バレエ公演は代役のかたが舞台にたたれたことを話されていた。印象に残ったことは、鍛え上げた足の筋肉がみるみるうちにやせ細り、見ることが辛かったと話されていたことだ。

何もしなければ、ゼロのまま。動かせないのだから、仕方ないが元に戻るまでは時間がかかるとおもう。熊川さんの鍛え上げた筋肉がゼロになった。その言葉は、全てがゼロになることより悔しい思いが伝わった。

足の筋肉は内側を500とすると、外側に100の比率でついているそうだ、それが、急に衰えるとゼロになって、100:500だとそうでもないが、1:5になると、足を支えることは難しくなる。徐々に筋肉を鍛え元に戻す必要がある。ゼロでは、いつになっても歩けないのである。

私の太かった足も、確かにやせている。脂肪分が余計についているだけだが、この筋肉が必要な場所に、必要なだけの筋肉がつくことがなかなかだということだ。

私の折れた骨と骨をプレートでボルトが数本止めてある。もちろん熊川さんの足にもボルトが。同じだと喜んでいる私は馬鹿かなぁ。

退院はしたが、リハビリはまだまだ続く。膝の体操や、歩く練習をしていますか?リハビリの先生は時々固まった足首を見ては、運動の大事さを説明してくださる。ふんふんふん。

人生は辛いこともあるが、毎日を大切に生きることだ。人気番組「CSIマイアミ」のホレイショ部長が言うせりふ。その通りだとおもう。熊川さんの怪我も私の歩けることも、リハビリを大事に続けていたら、治っていくだろう。一日も早い復帰を望むのである。

骨の話ばかりで申し訳ないことだ。もうすぐ活動開始の「ボタンの気持ち」も「シネマな夜」も歩けるようになったら再開するつもりだからね。メンバーの皆さんよろしくお願いいたします。昨日届いたイサ代さんの葡萄を美味しくいただいている。葡萄は、岐阜の美代ちゃんからも届いた、爪が紫色になるまで思いっきり食べた。大好物、ご馳走さまでした。

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2007年9月12日 (水)

骨太な人だと・・・おもっていた

骨のことを書こうとおもっている矢先に、安倍首相の辞任表明。印象は骨のある人だとおもっていただけに、骨太でもなんでもない、大柄な体を支えている華奢な若男の骨が浮かんだ。

骨を折るという言葉があるが、身を粉にして働くことで、国民のために働くことではなかったのかと、骨身を削ることは、日本の首相になったときから決まっていたことなのに、疲れたなんてね、安倍さんあなたの言葉が届かないよとおもっている人が私を含めていっぱいいることだろう。

2時からの辞任表明の話を聞いていても、私が私がという言葉が耳につく。次期首相候補のあの人は、しっかり次に控えていらっしゃるのでしょうけれど・・・骨限りの働く人であって欲しいとおもう。

私の骨は、首相の辞任とは関係なく、なんとか、リハビリをがんばろうとしている。骨休みをすることで生き返る細胞は多いだろう、今しかない、骨に沁みる時を過ごそうとおもっている。

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2007年9月11日 (火)

骨は立派だ

左足首の外側の骨を折った。ギプスは私の太い足をぐるっと被い、コンパクトにまとまっていた。ギプスがとれるまでの辛抱だと、いつおもったのか、不思議なくらい楽観的に。しかし、脳の指示は間違っていた。

抜糸は手術後三週間で、ほぼ予定通り。7月末には歩けるだろう。どんな根拠で、いつからそうおもったのか、それは、私だけではなく、同じ松葉づえの患者さんで挨拶を交わすようになった人はみんな、ギプスがはずれたら歩けると思っている人が多かった。

例えば、娘が小学生のころ、小学校で怪我をしたことがあった。うんていの上にいた男子生徒が飛び降りた場所に娘がいて、手首は複雑骨折をした、しかし、すぐに治っていた。そんな何十年も前の記憶が最優先で大丈夫だと決め付けていたのか、いや、それだけではないが、楽観的な源は大概古い情報なのだということが分った。分ったときは、本当にわなわなと体が震えた。自分は大変なことを、すでにしてしまって、取り返しのつかないことを・・・・。大げさだと娘には、一言注意をされる。お母さんはオーバーなんだから。

二人部屋から四人部屋へ移ってからも楽しく、会話は弾み、一人で落ち込むことはなかった。会話が弾んでも、必ず四人が口を揃えて言う言葉は、後悔ということではないのだが、あの日に戻れたらあんなことは絶対しない、ということだった。そして、あの日の、もうひとつ前には決して戻れないことを誰もが実感するのだった。

今回、十二分に分ったことは、事故の前には戻れない。当たり前なことではあるが、自分だけは大丈夫、自分だけは、とおもっていた。骨を折ってみて、その仕組みが分った。後悔の、もうひとつ前には戻れない。

そう簡単に骨は元に戻らない、今から、カルシウムをとっても丈夫な骨づくりはもう12歳くらいのころに決まっていて、遅いのだ。本当に、骨は立派だ。よく55年間支えてくれた。そうおもった。そして、リハビリという新たな骨を元に戻す努力が始まることになった。

あと、半年は松葉杖の力を借りないといけないとおもうのだが、だんだんと距離をのばして練習をしていこうとおもう。最初は3歩しか歩けなかったころからおもうと上手になったようにおもう。宇野さんをはじめ、励ましの言葉やメール、いろんな方にお見舞いを頂戴しありがたくおもっています。家族の支えがなかったら、ここまで元気になれなかったと・・・。ありがとう!

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2007年9月 7日 (金)

骨を折るということは・・・

ご無沙汰しています。

タイトルにあるように、骨を折って2ヶ月が経ちました。

7月のある日、自転車に乗っていて、家の近くの坂道で、上りきれず、運悪く転んで自転車と一緒にバタリと倒れ、骨を折ってしまいました。

なんともいえない音がして、グギャッツ、とかギュガァというようなかんじです。骨が折れたとすぐにおもいました。家から数十メートルの距離でしたが起き上がることも出来ず、倒れていましたが、匍匐前進のような格好ですすみました。運よく坂道を降りてくる自動車に乗っている人に助けられ、家に運んでもらいました。娘の電話で緊急病院に運ばれ、二日後に手術をうけました。

緊急入院と、手術の日までに、やるべきことがいっぱいあって、ギブスのまま家に帰ると主張しましたが、それは足のためにも良くないとわかり、その日のうちに入院、二日後の手術は麻酔が効いたこともあり、何ひとつ記憶にありません。左足関節果類骨折、レントゲンではわからなかったことですが、靭帯も切れていて、思いのほか手術は時間がかかったそうですが、きれいな傷口で、あとからレントゲンを見せていただきましたが、チタンのプレートにボルトが数本止めてあり、折れた骨をしっかり止めてあることがわかりました。

仕事をいっぱい抱えたままの入院は、不自由なこともあって、実際、骨を折ることの大変さを、その後痛いほどわかるのです。私が今の一番実感していますが、骨を折った日にはまだまだわからなかったのです。いろんな記憶が曖昧に、そして楽観的に脳に指示を送っているのでした。面白いことですが、骨折ってわかる事実、もう若くはないということ。その事実が目の前につきつけれるのでした。

決して落ち込んでばかりではなかった入院生活を通してわかったことは、骨を折ることは、命にかかわることではありませんが、当たり前の歩くということができなくなるのです。そのことは骨を折らないと一生わからなかったとおもいます。

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2007年6月20日 (水)

爆睡する女性

先日、午前中の打ち合わせがあったのでJRで出かけた。提出するものを済ませ、帰りは昼ごろになった。こんなことは珍しいが、昼御飯を家で食べられるという時間になった。

快速に乗っても、席はあいていたし、通勤ラッシュでもない車内はガラガラに空いていて、どこに座ってもよかった。しかし、なぜか、自分でも変な場所に座ったなぁとおもうくらい、バランスの悪い座り方をしてしまった。

いっぱい席は空いているというのに。

隣に、よく見ると一番端に座っていた女性が熟睡していた。

最初は、ちょっと斜め座りをして座り、頭をカーブしている手すりにのせ、それが、熟睡状態で、手すりのカーブの下の方に、首を入れてしまったのだろう。

あわてて、目を覚ますと完全に、カーブした手すりに首が入っている訳だから、首筋を一番先に打つだろう。

あの状態で、彼女がどんな目覚め方をしてしまうのか、起きるところを見てみたい。とおもったが、私のほうが、意外に早く着いてしまったのだ。

どこまで行くのだろう。気になったが、酔っ払いのおじさんが終電車に乗っているのではない、たとえ、乗り過ごしていたとしても電車はあるだろう。心配もほどほどに・・・。

電車の中で熟睡する女性たちは、みんな、スタミナのある人たちなのかもしれない。とおもった。
少ない睡眠を、少しの間でも、電車の中でもちゃんと摂る。どんな場所でも熟睡できることは、単に疲れている、とは限らないのである。

ちなみに、爆睡(ばくすい)という言葉は、広辞苑には載っていないので、意味は、はじけて眠るという感じかな。彼女の眠り方は、断然、爆睡で正しい。

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2007年6月 3日 (日)

昨日のことだ。カッコウーの声を聞いた。あれ、カッコーって近くにいるんだ。と、おもった。


娘とクリーニングのできあがりを一緒に取りに行こうとしていた道の途中で、アスファルトの道に小さな雀が死んでいたのを見つけた。たった今、空から落ちて来たようで、車にひかれたりはしてはいなかったが小さな塊となっていた。勤め先のビルにあった、ツバメの巣に今年もツバメが帰って来たことを、ついさっき話題にしたばかりだというのに・・・。


雀たちはいつも可愛らしくチョコチョコと跳びはね、お茶目な印象があるが、その雀は、動かなかった。そして、その雀を一瞬見たが、私は、ためらった。


少し通り過ぎて、振り向くと、娘が雀の傍らで立ち止まっていた。


私は、自転車を押していたが、やはり、死骸を持って帰るという娘だったなあとおもって娘の所に戻ると、「直接触るのだけはやめなさい」と言った。娘は、自転車のかごに雨の日に使ったタオルがあったので、そのタオルで小さな骸をくるんだ。


この子は、小学生の頃も鳥が死んでいると言っては、雨の中、両手で死んだ鳥を持って帰ったことがあったなぁ。死んでいる鳥も生き返る方法あるよね。もう少し大きくなって、猫や犬に食べられないように土に埋めるんだといって、持って帰った。私は嫌なことには目をつむって通り過ぎることが出来るけれど、この子にはできないんだなあ。娘はいくつになっても、同じことをしている。死んだ小鳥をタオルで包み、優しく手のひらにのせていた。


一瞬でもためらった自分の照れもあって、私は、率先して、穴を堀り、小さな雀を埋めた。手にした白いタオルには、たくさんの蟻が逃げ場を探して右往左往していた。


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2007年5月22日 (火)

ガム雄

ある駅で待ち合わせをしていたときや、普段歩かない道を通っているときに、あの黒い斑点は何だろうと考えた。斑な模様がガムだと気がついてから、ガム雄と名付けた。以来、ガム雄を、たびたびみることになった。
時には、尻尾のように足にひっついたままのびているそのガム雄の姿も、今捨てられたガムが、味もなくなり口の中でいらなくなった、ガムはそのままの姿で道に放置され、次の人がそのガムを踏み、靴についたガム雄が靴と一緒にどこかに移動をする。

この黒い楕円に変形した、様々な大きさのガム雄は、気がつくと、どの道にも道路にまさしく、へばりつくように。斑な点があちこちにあった。

ガム雄の存在が気になって、あるホテルの掃除をしていたおばさんや、駅で蹲っている清掃員の人を見つけては、どうすれば、ガム雄がなくなるか、と質問をする。「すばやく見つけては、こういう液体をつけ・・・・へらのようなモノで堅めとるのです。」

何故、ガム雄が町に現れるようになったのか。夥しい量のガム雄が占拠した、ある駅に下りる。ガム雄だけではないだろうが、もう斑ではなく、黒いコールタールのような表面が広がっている。
しかし、道行く人は、一向に気にしている様子はない。ガム雄だとおもっているのは私だけ・・・。

何故、ガム雄が道に捨てられるのか。私くらいいいわ。捨てる紙が無い、持ち帰ることをしない人からガム雄は産まれる。どの道にも一つや二つのガム雄が必ずいるのだ。斑なガム雄をつなげると、線が出来る、その線は長くどこまでも続く、「探偵!ナイトスクープ」で測ってもらいたいくらいだ。日本中をガム雄とガム雄がつなげるかもしれない。

ガム雄に出会わない綺麗な道をつくろう!と叫んで見たところで、ガム雄を産む人は後を絶たないだろう。私も多分、道にへばりついているガム雄をへらでとることはできない。

私にできることは、ガムを噛んでもちゃんと紙に包んでゴミ箱に捨てること、 それだけでも守ろうとおもうのである。

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2007年5月14日 (月)

若者たち

サントリーのC.C.レモンのコマーシャルが面白い。
タイトルの「若者たち」は、昭和41年のフジテレビで放映されていた番組である。両親を失った兄弟が力を合わせて生き抜こうというとする家族ドラマで、主題歌はザ・ブロードサイド・フォーが唄っていた。

♪君の行く道は果てしなく遠い♪

この曲は、 ♪だのに何故 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで♪ と続く。
イントロの、♪君の行く道は、果てしなく遠いで、コマーシャルは始まって、登り坂を行く女学生が清涼飲料水をもって、「遠くて結構!」 この一言で決まる。

「若者たち」をテレビで見ていた私は、時代が変われば、こんなこともできるのか、遠くて結構!か。そうかぁ・・この展開は意外なことに、爽やかなイメージにつながった。すると、先日、「春一番」バージョンが出た。

キャンディーズの曲が流れ。
♪もうすぐ春ですねぇ恋をしてみませんか♪

新.新.LEMONのロゴ。女の子が、また、きっぱりと、今度は、「してみません!」

登り坂篇と、校内カップル篇らしいが、爽やかな映像と、ちょっとドキッとするコピーで消費者の心を捉えた。面白いシリーズである。

次のパターンはを考える。やっぱり。あほやねぇ私は。雨上がり篇。

♪わわわわ 長崎わぁ今日も雨ぇ~だぁった♪
晴れてます!

次のパターンはを考える。やっぱり。あほやねぇ。私は。待ち伏せ篇。
♪わたし待つわ、いつまでも待つわ♪
待ちません!

コマーシャルを見ておもった。作詞者の方は、このCM展開をどうおもっているのか、春一番の作詞家(作曲も)穂口雄右さんなら、おそらく二次使用結構!とおっしゃったんでしょうね。私が勝手に雨上がり篇や待ち伏せ篇を考えただけでも、川内康範さんのように、作詞家の方に怒られるかも知れない。これは洒落ですから・・・。しつこくもうひとつ

♪真っ赤に燃えた太陽だから♪
DAKARA・・・ 商品名が変わってるちゅうねん。DAKARAのコマーシャルも好き。

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2007年5月13日 (日)

そばアレルギー

私の友人の貴地邦くんはそばアレルギーである。先日も桂米左さんの独演会の日に、道頓堀今井のお昼御膳を注文したときに、おそばの話になって、子供のころ、七転八倒した話をきいた。何度聞いても、貴地ちゃんには悪いが、笑ってしまう。

そばのアレルギーは子供の頃からだったらしいが、そばを食べて苦しいことと、そばが美味しいことの差が拮抗し、子供の頃は、苦しくなっても美味しいそばを食べていたらしい。が、大人になって、七転八倒苦しみが嫌でそばは食べなくなったと言う。

私が、初めてそばアレルギーのことを知ったのは、京都のあるうどんやさんで、うどんを食べたとき、汁の中におそばが数本入っていた。「なにしてくれるねん、そばアレルギーに」。そのそばを食べたことから気分が悪くなった貴地ちゃんは、それから、そばアレルギーの話をしてくれたのだ。

小学校の修学旅行で、恒例の枕投げ(最近の子供は枕投げを知らないらしい)をしていると、気分が悪くなって、そば枕の影響でもアレルギー症状になったという。いっぱいのエピソードを聞くと、話が深刻になって、七転八倒の苦しみが痛いほど伝わってくる。

私は、池田屋のある落語会のとき、多分、桂米二さんにそば茶をお出ししたとき「そばアレルギーです」とおっしゃったことがあって、貴地ちゃんのことを思い出し、今から始まる落語会が大丈夫かと、はらはらどきどきした経験がある。そばアレルギーのことは、貴地邦情報しか知らないが、七転八倒で納まらないときは、生死にかかわることもあると聞く。

そばを追い求めて、そば処まで車を飛ばす人やそばを打つのが趣味でお店まで出した人を知っているが、一方、そばアレルギーでそばを食べると七転八倒する人もいる。本当に人はさまざまであるが、そばに関して言えば、貴地ちゃんの言うのには、友達でそばアレルギーの人が居るということはよく聞くけれど、実際そばアレルギーの僕が出会った人で「私はそばアレルギーです」と言った人は居ないと言う。

そばアレルギーの人とそばアレルギーの人が会う確立は非常に低いということになる。

おそらく、数が少ないだけ出会う機会もないが、話をすると、実は、私も私もということになるかもしれない。

そばアレルギーの人が集まると、壮絶なドラマがあるのでしょうね。聞いてみたい気もするが、聞くとちょっぴり噴出すかもしれない。それは、不謹慎なので、貴地邦君の話だけにしておきましょう。

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2007年5月12日 (土)

8621お友達

ハロー21のことを書いていると、宇野さんから、6月のリサイタル公演のご案内が届いた。8621の活動以外で、OMC(大阪メンズコーラスの略)のコーラスの練習も真剣に取り組んでいらっしゃるので、宇野さんの活躍はますます、ゆるやかな理想の曲線をえがいている。年を重ねる毎、友人が増えるほど、積み上げてきた人間関係の豊富さがプラスになっている人だとおもう。

宇野さんには、8621を通じて、大切なことをいっぱい教えていただいた。紹介されたときは、三洋電機の本社総合企画室にお勤めだったけれど、肩書き抜きの私のメンバーリストの分け方では、共通の話題は双六だったので、「双六仲間」に入っていた。お会いして17年目。

さて、宇野さんの今は、ますます優雅曲線をえがく毎日ではないだろうか。定年を迎える,団塊の世代の方たちが、いざ、仕事を辞めて、これから何をするのか、宇野さんは迷うことがなかったとおもう。やりたいことを優先にできる人だとおもう、3年前には「日本ガマ論」なる本を出版された。最初のキーワードは「蛙」と「鏡」、最後は「無」。新説「四六のガマ」口上からはじまり、ガマの油は世界に通ず、日本はガマだ、など、ガマと香具師が掛け合いで、ニッポン文化論を優しく?繰り広げた。
厳しい目をいつまでも持ち続けている宇野さんのことだから、このときは「ガマ」に向かって何かを叫んで、叫び足りなく本まで作ったとおもう。だから、宇野さんの叫びが詰まっているこの本を、読んでいない人も是非一度は読まねばなるまい。
熟年の域に達している宇野さんの、次なる、課題はなんだろう。
ゆるやかな人間関係の優雅曲線の出来るお裾分けをもらっている私としては、大器晩成(自分で勝手におもっている)の意地をかけ、この優雅曲線を作る方法を、是非伝授してもらおう。師匠!!

6月10日のリサイタルを楽しみにしています。

data:「日本ガマ論」 著者:宇野健一  文芸社 1785円Unogama513

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2007年5月10日 (木)

桂雀々独演会

本日、桂雀々独演会がある。チケットが手に入ったからいいももの、今日の落語会を見逃すところだった。

少し、肌寒い日である。朝日生命ホール 開演6:30PM

演目は、 桂二乗 牛ほめ、桂あさ吉 書き割り盗人、桂雀々地獄八景亡者戯 中入 桂雀々雨乞い源兵衛(小佐田定雄作)

どんな楽しい高座になるのか、楽しみである。

クイズは時々になるが、第6回 hello21quiz 第6回 hello21quiz 「桂雀々さん」。東西東西 hello21quizのはじまりはじまり

①桂雀々さんのお師匠さんは 1)桂米朝 2)桂枝雀 3)桂南光

②①の答えの何番目のお弟子さん  1)一番 2)二番目 3)三番目 4)四番目 5)五番目 6)六番目

③落語家生活「  」周年記念の独演会   1)10年 2)15年 3)20年 4)25年 5)30年 6)35年 

④桂雀々さんの親戚で、有名人は  1)桂春団治 2)上岡龍太郎 3)やしきたかじん 4)藤山寛美 5)桂ざこば

⑤桂雀々さんの落語以外に活動を広げる趣味のひとつ  1)将棋  2)天気予報 3)ゴルフ 4)オペラ 5)バレエ

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2007年5月 8日 (火)

hello21quiz 第5回 「太陽にほえろ!」

いつか、書こうとおもっていた太陽にほえろ!

刑事役の露口茂さんの声にしびれて、毎回楽しみにみていた。控えめな山さん、後に、シャーロックホームズも露口茂さんの声だとわかり、露口茂追っかけをしたこともあった。しかし、太陽にほえろ!は、毎回好きになる人が替わり、逞しいゴリさんになったり、やさしそうなデンカになったり。今おもえば、豪華なゲスト出演であった。太陽にほえろ!200回記念名場面集を見ていると、加藤嘉さん、北村和夫さん、西村晃さんも出演されていた。

第5回 hello21quiz 「太陽にほえろ!」  東西東西 hello21quizのはじまりはじまり

①石原裕次郎演じる七曲署の、ボスの役名は 1)藤堂俊介 2)中司俊介 3)轟俊介

②萩原健一演じる新米刑事のニックネームは 1)マイク 2)マカロニ 3)マック

③ジーパン刑事役の俳優  1)松田優作 2)中村雅俊 3)勝野洋

④大原麗子さんがゲスト出演、役どころは 1)美人刑事 2)美人スリ 3)美人弁護士

⑤セミレギュラー鮫島刑事を演じたのは  1)北村和夫 2)宇津井健 3)藤岡琢也

⑥ゴリさんのニセ刑事役を演じたのは 1)沢田研二 2)ハナ肇 3)伊東四郎 4)藤岡琢也

⑦ずばり、ゴリさんとデンカ。拳銃の名手は  1)ゴリ 2)デンカ

⑧共演(競演しなかったの)は 1)マカロニとテキサス 2)シンコとマカロニ 3)シーパンとシンコ 4)テキサスとボンボン 5)ゴリとジーパン

⑨水谷豊は犯人役でたびたび登場しているが他に犯人役を演じた人は 1)浜美枝 2)沢田研二 3)大門正明 4)ハナ肇 5)峰竜太

⑩ジーパン刑事のおふくろ役を演じた人は 1)浜美枝 2)菅井きん 3奈良岡朋子 4)星由里子

⑪ジーパン刑事の殉職した放送は何話 1)88話 2)108話 3)111話 4)148話 

data:「太陽にほえろ!200回記念名場面集」 読売新聞社

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2007年5月 7日 (月)

「落語横車」

最近、落語の会に行くことが多くなり、好きなタイプの噺家さんもわかってきて、出没ところもさまざまではあるが、、独演会、ホール落語やいわゆる定席と呼ばれる会場で落語などを聞いている。それに加えて、CDやDVD、古本市でレコードまで買ってしまった。

手元にある、和田誠さんの「落語横車」には、落語会・和田誠寄席の経緯から顛末記が記されているが、ほんとうに落語会の企画は終わるまで、はらはらどきどきするものである。私も以前の仕事で落語の企画をしたことがあるが、お客様に喜んでいただけるものにしようとおもえば、なかなか大変なこともあるが、笑ってもらうことが何よりの励みになった。会が終わったあとの酒席は演者も交えてこころ和むひと時で、素人のしていることでも、寄席の企画は一度経験したら病みつきになることは間違いない。たのしかった。

ケーブルテレビで、最近見た「羽織の大将」は白黒映画でいかにも古い映画であった。しかし、「幕末太陽伝」の方が古いとは。どちらもフランキー堺さんが主役。

今日はクイズはお休み。

Rakugoyokoguruma data:「落語横車」 著者 和田誠 1980年初版発行

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2007年5月 6日 (日)

hello21quiz [答え]

最近クイズを作っている。クイズは問題はすぐつくることができるが、答えをいくつも考えることが、ちょっと面倒だ(クロスワードパスルの方が容易に作れる)。答えは4択や3択ではなく、自分で答える、一問一答が理想なのでタイムショック形式になるかも。

さて、クイズの答えは、カテゴリー欄に8621があり、「20周年の8621」の記事の最後に、data:として書いている。答えはすぐ載せてもいいので、これからもdata:として続けて書くことに。忘れていたら、ごめんなさい。

楽しいことは、続けられるんだなぁとおもう。

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hello21quiz 第4回「おじゃる丸」

先日、5月3日に「おじゃる丸10周年スペシャル番組」があったのにもかかわらず、見逃してしまった。再放送の情報があるかと調べているが、あの日一日のスペシャル企画で、見逃す方が悪いのかも知れない。残念である。まんがとは侮ってはいけない。下手なドラマを見るより感動することがある。わずか10分の番組で泣いたり、笑ったり、考え落ちみたいなところは落語と似ている。

第4回 hello21quiz 「おじゃる丸」に決定でおじゃる。東西東西 hello21quizのはじまりはじまり

①おじゃる丸の持っているシャク(勺)の色は 1)ピンク 2)白 3)赤

②おじゃるの友ダチ田村カズマ君が集めているものは  1)石 2)ノート 3)ボタン

③狛犬ツインズが守っている、何故か貧乏神の貧ちゃんが住みついている神社の名前  1)月光神社 2)貧貧神社 3)満願神社

④独身、少女マンガ家うすいさちよさんの年齢 1)25歳 2)26歳 3)27歳 4)28歳

⑤おじゃるの大親友ウシの趣味は  1)編み物 2)お料理 3)お洗濯 4)読書

⑥時々登場する、宇宙人星野一家、特徴のある髪型は 1)スキンヘッド 2)ちょんまげ 3)おかっぱ 4)三つ編み

⑦ずばり、主題歌「詠人」を歌っている歌手は  1)水前寺清子 2)三橋美智也 3)中島みゆき 4)北島三郎

data::
http://www3.nhk.or.jp/anime/ojaru/

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2007年5月 5日 (土)

hello21quiz 第3回「京都」

夏も近づく八十八夜というだけあって、京都四条河原町ではもう川床がしつらえられ、川からの涼風を誘って気持ちがよさそうだった。久しぶりに京都の四条、三条を歩いた。

阿吽坊のランチタイムにがんばって行こうとしたが、間に合わなかった。スキンヘッドの田島さんとすれ違ったもの・・・。では、葛きりでもいただこうと隣にある「鍵善良房高台寺店」へ。なんと、隣家の火事の影響で支店は臨時休業をしていた。本店は営業している。

八坂の塔、高台寺、円山公園。祇園さん、四条河原町、先斗町では鴨川おどりが開催され、綺麗どころが出入りしていた。三条まで歩き、いつも場所が分からなくなる紙やさんを探して、手漉き便箋とイタリア製の綺麗な包装紙を手に入れる。

錦市場で、打田漬物の水ナスと浅漬けうり、京こんぶ千波のちりめん山椒、ないざんしょ(山椒が入っていないから)を買い、いつものCOFFEE店に行き、お気に入りコースをたっぷり歩いて京都のお散歩は終わった。夕暮れ近くになると鴨川の河原を歩く人、カップルで座る人たちがいつの間にか増えて、京都の夏がもう始まっていること実感した。

日本随一の観光地である「京都」のクイズを作るのも光栄である。東西東西 hello21quizのはじまりはじまり

①高台寺ゆかりの人は秀吉と誰 1)北の政所ねね 2)淀君 3)春日の局

②先斗町はなんと読む 1)とんとちょう 2)ぽんとちょう 3)せんとちょう

③祇園南側の有名な茶寮の店名。
1)都路里とじり 2)都里路とりじ 3)都路里つじり 

④京都弁で「いらっしゃい」は何という
1)おこしやす 2)おこしどす 3)おこしこし

⑤中京区堺町通三条下るに本店があり1940年創業のコーヒー店の店名
1)いのだ珈琲 2)イノダ珈琲 3)イノダコーヒー 4)イノダコーヒ

data:鍵善良房 http://www.kagizen.co.jp/

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2007年5月 4日 (金)

hello21quiz第2回テーマ「文楽」

昨日からクイズを作っている。楽しいことは何でもしたらええやん。内なる声が大阪弁で語る、いや、ちょっと渋い節まわしで。義太夫教室に通って何年にもなるが、一向に上達はしない。しかし、大きな声を出すにはこのお稽古が一番その義太夫教室の最初のトレーニングが、この台詞・・・ 義太夫教室にヒントを得てクイズをつくった。

東西東西、クイズはこれよりはじまりはじまり

①「さすがの久吉よくいったははりー」絵本太閤記 尼崎の段。この台詞を言っているのは誰、役名で。1)真柴久吉 2)武智光秀 3)小田はるなが 4)柴田勝家

②「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓ともうします」 傾城阿波の鳴門」八段目-十郎兵衛住家。母お弓は、国許に残してきた娘と偶然に再会いたします。娘の名前は 1)おみわ 2)おそめ 3)おその 4)おしず 5)おつる

③「今ごろは、半七様(さん)どこでどうしてござろうぞ・・・・」 艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ) 酒屋の段で有名な台詞(口説きくどき)を言っているのは誰。  1)おみわ 2)おそめ 3)おその 4)おしず 5)おつる 

④大夫が床で語る、本が床本(ゆかほん)といいます。最近、劇場では字幕が舞台上に見ることができ、床本と首っ引きの人は少なくなりました。この床本をのせる台はなんというのでしょう。1)演台 2)掛台 3)大台 4)見台 

⑤文楽の三味線の魅力は、なんと言っても太棹三味線の低い響きでしょう。撥は象牙。義太夫節の三味線は竹沢姓が多いですが、、ほかに沢(澤もあり)の名前を複数こたえましょう。現在では姿を消しましたものもあります。1)鶴沢  2)藤沢 3)吉沢 4)金沢 5)豊沢 6)滝沢 7)花沢 8)芹沢 9)野沢

Kendai54 写真は、④の正解の実物。英大夫のおじいさんが使っていらっしゃたというもの。呂大夫さんも生前にを使われていたそうで、先日、会場でお会いした御影さんに教えていただき、感激していた。酒屋で酒屋の段を聞く会より 写真は宮水ホールにて撮影

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2007年5月 3日 (木)

今日からクイズで 8621のテーマ「赤」

今日からブログは趣味の世界に邁進することに、一日一クイズを作る。これは私が日ごろおもっていることの実現に向けてのトレーニングと趣味を生かした物を合体させたクイズを考えることに、自己流・クロスワードパズルの問題を作るときの練習でもある。

クイズでもなんでも、答えるより、質問を作る方が楽しいのだ。これ本当。

ネーミングは8621にあやかってハロー21クイズと。テーマを決めて。3問から7問=21問。クイズを毎日作っていこうとおもう。たくさんクイズができるとこれはおもしろいぞ。

さて、8621今年のテーマ「赤/あか」に因んでつくるぞ!! 気合いれんでもいいんちゃう・・・ 

①赤井英和の映画初出演のタイトルは・・・ 1)とついたるねん 2)とついだるねん 3)どついたるねん

②1948年度アカデミー賞美術賞(色彩映画)受賞作品は・・・1)蒼い靴 2)赤い靴 3)白い靴

③映画「運動靴と赤い金魚」は、兄が妹の運動靴を獲得するために、かけっこの競争に名乗りをあげます。運動靴は、何等になればもらえたのでしょう  1)一等 2)二等 3)三等

④映画「風と共に去りぬ」で主人公スカーレットがカーテンでつくったドレスの色は・・・1)白 2)緑 3)赤

⑤1948年度アカデミー賞主題歌賞「腰抜け二挺拳銃」の主題歌のタイトルは 1)リボンとボタン 2)ボタンとボタン 3)ボタンとリボン 4)リボンとリボン 

一度つくってみたけれど、7問つくるのは資料も必要なので難しいことが分かり、明日からは1問から3問くらいつくることにしよう。毎日が確実に隔日になったり、とんでもないテーマになったりするけれど、クイズ作りは作る方が断然楽しいに決まっている。明日は、「文楽」クイズ。

「赤いテーマ」の答えは、明日。

毎日作れるだろうかはこちらに置いといて、楽しむことにしよう。ハハハハ(^^♪、いろんなことを見つけては、「どんなことでも、よお遊ぶなぁ。」を実感している。

三日坊主もあるな。なに弱音、最初からはいてんのん。21問つくって終わりもあるかも(マジ笑い)。はははハハハ、そのときは笑うしかないなぁ。だから、そんなに、気合いれんでもいいんちゃう・・・。そやね。 

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2007年4月23日 (月)

まんが版 大阪市の歴史

「みわこさん、大阪市の歴史に興味おありですか?」

積極的に勉強しているとはいえないが、まぁ、近松門左衛門の登場するあたりは文楽につなげよう、明治8年に開かれた大阪会議の場所が、以前勤めていた花外楼だったから大阪の歴史に興味がないとはいえなかった。天神祭りも大好きだし、そのあたりに話題をもっていき、歴史話に花を咲かせるかぁ・・・。歴史の話をするのかとおもって興味があると、返事をした。

しばらくして、仲田さんから、『まんが版 大阪の歴史』の謹呈本が送られてきた。

イサ代さんは、初めてお会いしたときから意気投合し、興味のあることも近いこともあって(歳ははなれているが・・・)メールをしたり、落語会に誘ったり、我シネマな夜の立派な会員でもある。説明が長くなったが、彼女の会社で企画した本が、『まんが版 大阪の歴史』だったのである。普段は研究書やお堅い本が多いなか、会社にしては、ソフトなまんが版が出たそうだ。

大阪に限らず、なんでも知るということは大事なことだとおもうが、なかなか歴史を勉強することは日々難しい。親しみをもって、大阪市に興味をもってもらいたい。まんがでの表現になったのは、絵で訴える優しい表現が頭の中にすーっと入っていくからだろうか。ところどころに写真がある。まんがのキャラクターが狂言回しになって、大阪の歴史を紹介する。なんと三万年前から現在に至るまで、身近な大阪の歴史が詰まっている。

例えば、現在の大阪城は、豊臣秀吉が建てたものは、大阪夏の陣ですっかり焼けてしまって、のちに徳川家康が、新たに建てた大阪城も寛文5年に落雷で焼け、今の天守閣は昭和6年に復興されたものなんだ。(本文104P-108Pより抜粋編集)

いまさら聞けない大阪の歴史にザーッと目を通す。まん版は読みやすいとおもうのだが、私は、普段からまんがをあまり見ないので、すごく時間がかかったが、面白く読ませていただいた。大阪大好きな方は、是非一家に一冊。あってもいいかと。本を戴いたお礼に宣伝しときます。ありがとうございました。

Rekisi data:『まんが版 大阪の歴史』  脚色・画:さいわい徹 編集:大阪市史編纂所、大阪市史料調査会  発行:和泉書院 定価:1050円

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2007年4月22日 (日)

御贔屓様の集い

人形浄瑠璃文楽座による文楽の集いが、5月1日に開催される。英大夫より「天地会」という言葉を聞いて懐かしく、早速賛助会員の申し込みをする。

天地会の思い出は数々ある。

古い切り抜き記事のよる「天地会」の催し物に、コミカル文楽という名前も見出しにあるように、照れた、失敗した、うまくいった表情いっぱいに見ることができた、それぞれが持ち場を変えて舞台に立つ(新聞記事による)、ファンへのサービスが嬉しかった。

「天地会」とは、ご存じない方のために、今回のチラシにも説明されているが、大夫が人形や三味線を遣い、三味線弾きが、人形や語りを、人形遣いが語りや三味線を使い、普段と違う役(本来の自分の立場以外)を演ずる。私の記憶では、悪戦苦闘する様をすべて表現する舞台であったようにおもう。

前回の天地会に出席し、今回の「御贔屓様の集い」にも参加される方の中には、私が、体重も増えて姿形が前回の参加と違うように、古株はかなり様変わりしているだろう。体形の変化だけなら参加できるが、参加できない状態もないとはいえない。出演される、文楽座のメンバーにも変化があり、年の移ろいはなんと厳しいことがと、感じている。

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お楽しみは、休憩に入り、ロビーにて人間国宝のサイン会。大夫、三味線、人形遣いのいずれにも行列ができ、ミーハーの面々はキャーキャーいいながら、憧れの人に直接はなしができた。私も、玉男師匠、初代鶴澤燕三師匠、住大夫師匠、簑助師匠にサインをしていただくことができた。天地会の催し物が載った、文楽の機関紙に写真が載っているんだ。いばることではないが・・・、若かりし頃の姿である。

先日お亡くなりになった玉男師匠や初代鶴澤燕三師匠もご健在で、楽しく「尼崎の段」を好演された記憶が甦る。住大夫さんが、光秀を遣われた。

さて、今回の「御贔屓様の集い」は、どうなりますか・・・・。新版歌祭文「野崎村の段」。お染と久松。配役は見てのお楽しみ。おたのしみ。

Bu1 data:人形浄瑠璃文楽座による文楽の集い

「御贔屓様の集い」  日時:2007年5月1日(火) 開演:午後1時(開場12時30分) 場所:国立文楽劇場 主催:NPO法人人形浄瑠璃文楽座

プログラム:1.三味線組曲 2.文楽 二人禿 3.座談会:人間国宝の語らい 4.天地会:新版歌祭文「野崎村の段」 出演:人形浄瑠璃文楽座

入場料:無料*但し、「NPO法人人形浄瑠璃文楽座の賛助会員」の方に限る。賛助会員の新規入会は年会費3,000円(入会金不要)にて随時受け付けております。入会ご希望の方は、事務局にお問い合わせ下さい。 *定員になり次第、受付を終了させていただきます。

■申し込み受付・お問い合わせ NPO法人人形浄瑠璃文楽座事務局 〒572-0073 大阪府大阪市中央区日本橋1-5-6  電話:06-6211-6131 FAX:06-6211-6132 

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2007年4月18日 (水)

待ちに待った本

今日、8621の宇野さんから「どうしていますか?」と電話をいただいた。最近、8621の会合にも出席していないので、もう忘れられたかなとおもっていたら、懐かしい声が電話の向こうから聞こえた。

「落語の題材を、ミュージカル仕立てでみせます。OMCのコンサートが6月10日にありますから、是非、時間を空けといてください」

OMCとは、大阪メンズコーラスの略で、宇野さんを、はじめ、熟年層の男前ばかりの男声合唱団である。「今回のテーマはずばり、落語三十石夢の通い路による男声合唱曲─おとこはおとこ─ 」

どんなコンサートか見てのお楽しみ。お楽しみ。

8621にも顔を出さないとなぁ。今年の年間テーマは「赤」だそうだ。最近、不参加続きで、今年のテーマも知りませんでした。

午後から、本が届いた。待ちに待って、待ちくたびれたけれど、ちゃんと届いた。今回は図書館で借りても、本が欲しくなるとおもい、そして、多分探しきれないと、アマゾンで注文して、定価より、さらに安く買うことができた。

前から、テレビで見ていた「ピタゴラスイッチ」の装置が気になっていた。「ピタゴラ装置①」。「ピタゴラ装置②」

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Pi1_1

どちらの本にも、DVD付き。Pi4_3

動くアイデアが、ぎっしり詰まった本を見ているているだけでも、わくわくするが、時間をかけて、動く作品を作ってみようとおもった。

Uno_1 data:OSAKA MEN'S CHORUS 第34回リサイタル  日時:平成19年6月10日(日)午後2時開演(午後1:30開場) 会場:いずみホール 入場料:2,000円(午後1時より座席券と引き換え) 主催:OSAKA MEN'S CHORUS

お問い合わせ:090-8445-1537(有田)  URL:http://omc.boy.jp/

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2007年4月17日 (火)

桂米左独演会

4月29日、桂米左さんの独演会が、ワッハホールの劇場で開催される。

桂米左さんといえば、米朝一門の中堅落語家のひとり。舞台映えのするいい噺家さんだ。ある年の義太夫教室の忘年会で、昭和歌謡ならほとんど唄えると聞いて、「月の法善寺横丁」をリクエストしたときから、いい人だとおもった。「月の法善寺横丁」を台詞まで言ってくれる人は、私のお友達では黒松さん以外考えられなかった、完璧台詞まではそうざらにはいないので感動したことがあった。

今年から、「昭和の日」に呼び方が変わったこの日が、何故桂米左独演会かといえば、4月29日はご自身のお誕生日であるからと聞いている。そして、今年は、第10回目。ゲストに桂ざこば師匠を迎えられ、米左さんの意気込みというものが伝わってくる。

控えめなところが芸にも、現れている。しかし、どこか、冷めているという印象はあって、それは、落語家にとって、いいことなのかよくないことかはわからないけれど。舞台の米左さんは、実年齢より老けて見えるのは、芸に自信あり、腕におぼえあり、が、ちゃんとしっかりあるから大きく見えるのだろう。中堅、いやもうベテランといってもいいのではないか・・・。今年は、記念すべき10周年にあたって、「百年目」を予定されている。いつも落語会に誘うお友達と揃って出かけることにした。

「昭和」が一番似合う落語家になって欲しい。米左さんのお誕生日でもある独演会はきっと大盛況で、大満足の日で終わるような気がする。今からチケットは申し込めるのか、完売なのかは聞いていないが、もし米左さんの落語が聞きたくなったら、ワッハホール、米朝事務所へお電話を。私たちも品よく、大いに笑うつもりである

Yone1data:桂米左独演会。「百年目」と「本能寺」と「阿弥陀池」を予定されている。

開口一番/桂佐ん吉 ゲスト/桂ざこば

日時:2007.4.29(日・祝)14:00開演/13:30開場 会場:ワッハホール 千日前なんばグランド花月前YES・NANBAビル5F 前売り2,500円/当日3,000円/全席自由

お問合せ:ワッハ上方06-6631-0884  米朝事務所06-6365-8281

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2007年4月16日 (月)

吉田玉女、局岩藤に初挑戦!

国立文楽劇場に出かけた。肥田先生からご招待の切符を送っていただき、うきうき文楽DAY。第2部の出し物は、「粂仙人吉野花王」と「加賀見山旧錦絵」。劇場で、文楽応援団のボランティア活動をされている、木田さんにお会いする。「玉女が、岩藤を遣っているから、見てやって」

玉女さんというのは、木田さんの甥っ子で、先日お亡くなりになった吉田玉男師匠のお弟子さんである。ずーっと文楽を見てきた私とは、ほぼ同世代である。若手だと思っていた人は、玉女さんをはじめ、桐竹勘十郎さんもいよいよ中堅の重要な役が回ってきたということだろうか。しかし、「加賀見山」の局(つぼね)岩藤が、初演とは。

4月公演の、パンフレットにも登場している玉女さんは、「師匠の持ち役に全て挑戦したい」と語っている。有言実行。なかなかいいことを言うなぁ。師匠の玉男さんもきっと喜んでいられるに違いない。品のある、落ち着いた演技を期待するが、初演の局岩藤はまだまだ憎たらしさに欠けていた。本公演後半の演技で憎たらしさに磨きがかかるとおもうので、千秋楽近くにまた見に行かなくてはならない。英大夫は第1部、2部とも出演。第1部は吉田簑助師匠が「心中宵庚申」で女房お千代を遣う。こちらも師弟競演。勘十郎さんの八百屋半兵衛。ほかに「玉藻前曦袂」がある。

Bunraku_1DATA:文楽4月公演4月7日(土)~4月30日(月・休) 19日休演日、第1部、第2部の入れ替えはありません。

第1部の出し物は、「玉藻前曦袂 たまものまえあさひのたもと」「心中宵庚申 しんじゅうよいごうしん」

第2部の出し物は、「粂仙人吉野花王 くめのせんにんよしのざくら」、「加賀見山旧錦絵 かがみやまこきょうのにしきえ」

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辞書の活用が・・脳を鍛える?!

記憶があいまいだと信用にもかかわるなぁ、と反省をしている。先日の玉製家のおはぎの話は、きなこに餡が入っているとおもっていたが、久しぶりで取り寄せて食べると砂糖の甘さであった。記憶とは、いい加減に覚えていたら、記憶の引き出しもいい加減なものしか入っていなくて、やっと思い出しても違ったことを思い出しているわけで、しっかりしないといけないとおもった。玉製家のおはぎは甘い。それは砂糖の甘さと黄な粉のかおり、ちゃんと記憶しておこう。

先日、男優マイケル・ケインの名前が思い出せなくて、半日かかったが記憶の糸を手繰り寄せておもいだした。別に思い出さなくてもいいと思う人もいるかとおもうのだが、そうではなく思い出す方がいいそうである。

「アルフィ」のラストシーンが出てくる。「サイダーハウス・ルール」、ウッデイ・アレン監督の「ハンナとその姉妹」、名前をおもいだすのに、さらに数時間を費やした。しかし、この思い出すということを諦めないことが何より大切だと聞いている。脳は、シナプスを介して細胞の興奮が伝達され(その逆もある)、ひとつでも細胞が減ることを望んでいない。思い出すことで細胞がどんどん伝達され生き生きとするのであれば、いくらでも時間をかけて思い出すことだ。

さらに、数日後、記憶の曖昧さから、男前ジョージ・クルーニーやジュード・ロウの代表作を思い出していた。正確なことがさだかではないので、映画資料によると、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」や「ソラリス」、「ガタカ」「リプリー」「ロード・トゥ・パーディション」など。バットマンも・・・ああ、そうかと思い出す。手元に辞書などがあると便利であるが、今流行の電子辞書などは最新版は搭載されていないので、最新情報はインターネットに頼っている。調べることは悪くはないだろう。記憶をちゃんとしっかり折りたたんで覚えることも大事なことだとおもうから。

辞書の活用は、どんどんお薦めする。私の楽しみは、クロスワード・パズルをつくること。自前のクロスワード辞書も是非つくりたいとおもっている。楽しみながらさらに、自分の脳を鍛えられるとおもう。辞書の活用は一挙両得である。そして、年老いても必ず役に立ってくれると信じている。

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2007年4月15日 (日)

親子で見る「東京タワー」

映画「東京タワー」を見た。

ボクのオダギリジョーさん、オカンの樹木希林さん、オトンの小林薫さん、ミズエ役の松たか子さん、若い頃のオカンの内田也哉子さん、子役の二人も。みんなよかった。オカンのオカン役の渡辺美佐子さんも、小倉のおばーちゃん役佐々木すみ江さん。他に、伊藤歩さん、千石規子さん、寺島進さん、荒川良々さん、板尾創路さん、中沢清六さん。

あれ?!こんな役でこの人も、小泉今日子さん、柄本明さん、仲村トオルさん、松田美由紀さん、田口トモロヲさん、宮崎あおいさん、なんと豪華な顔ぶれだろう。

映画でしかつくることが出来ない醸し出すという作業。映画になった「東京タワー」の力は、少年時代に暮らした九州と現在の東京と自在に行き来したシナリオになっていることだろう。脚本の素晴らしさ、監督の自在さ、キャスティングの確かさ。

映像美をどう捉えるか、入念にさりげなく見せる撮影、照明、美術スタッフ、製作の力。そして、なにより、ロケ地がみつかったこともおおきかったとおもう。過去に遡るわけだからもうそこには現在の風景に置き換えられ、何も残っていない、厳密にいうとどこにも立つこともできない土地に、映画では、面影をのこした筑豊の風景(本当は東北という違うロケ地)をシネスコ(シネマスコープサイズ)の映像で再現した。例えば、少年のボクがオカンと実家に戻ってくる線路を歩くシーンや、ひとり筑豊の町を見下ろす場面があるが、広がりがあってとても美しいシーンで、あのシーンがあるのとないのとでは随分ちがうなぁ。

オダギリジョーさんのナレーションも、よかった。

久しぶりに、映画の醸しだす時間(世界)を共有できたような気がする。役者も製作者も監督も、もちろん原作ありきではあるが、原作を読んでいなくとも「東京タワー」は見ることができた。ひとえに、映画をつくった人たちの熱きおもいが伝わったそんな映画だった。

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data映画:「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」 原作:リリー・フランキー 監督:松岡錠司 脚本:松尾スズキ 製作:孫家邦 撮影:笠松則通 照明:水野研一 美術:原田満生録音:柿澤潔 編集:普嶋信一 音楽:上田禎  主題歌:福山雅治

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2007年4月14日 (土)

北海道野郎

最近売れっ子になった大泉洋さんの番組で、さいころを振って、さいころの目に合わせた表の支持に従って、全国を縦断するロードゲームは実に面白かった。破天荒な番組の放送時間が分からず、偶然に任せ、再放送であっても、見ることができたときは嬉しかった。

友人のなかにも、その番組の存在を知っている人と知らない人に分かれた。

番組を知っている人は、大泉洋さんともう一人の男前の人の二人の息が合っているから面白いのだと言った。私は、洋さんの顔じゃないのよ。あの、喋り捲るセンスはただものでないと・・・。「2時間スペシャルの東京タワー」や「ハケンの品格」での活躍は著しいものがあって、大泉洋という人のタフな仕事が実を結んだね、とひそかにエールを送った。

最近知ったのだが、ローカル番組だとおもっていた番組(いまだにタイトルさえ判っていない)は人気番組だったし、大泉洋は、すでに有名タレントだったのだ。

北海道野郎の今後の活躍に期待するぞ!たとえば、勝手に続くとおもっている「ハケンの品格ⅱ」が始まるときは、いち早く教えてくれたまえ。

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2007年4月 5日 (木)

電車の中での大声は・・・

突然大声が聞こえた。

「お父さん、別にあなたがそんなこと、しなくても・・・」

お父さんといわれた六十代の男性が奥さんを叱った。

「だから、お前はだめだと言うんだ」

痴話喧嘩だろう。そんな会話には興味はないとおもった。電車が駅に近づく。二人はこの駅で降りるのだろう。チラッと見た時に、全てが分かった。

お父さんは、電車の中に置きっぱなしにされた、空き缶とペットボトルを手に持っていた。

他人の捨てた空き缶を持って欲しくはなかった。そこまでしてくれと誰も頼んでいない。どこかにお出かけの二人には、特に奥さんには、自分が飲んでもいない空き缶だった。

しかし、お父さんは捨てようと手にした。「あなたがしなくてもいいから、私がします。」そう言ってもいいところを奥さんはお父さんを攻めたんだなぁ。ここで、一気にお父さんに不満をぶつけてしまった。それも電車の中で。

他人が捨てていった新聞や空き缶やペットボトルでも、電車を降りるとき、さりげなく拾ってホームのゴミ箱に捨ることがさっとできるだろうか?

お父さん、あなたは空き缶とペットボトルを手にし、妻を叱った。妻をたしなめる事もできないお父さんもいると聞いているのに。あなたは堂々としていた。なかなかカッコよかった。

考えると恥ずかしくて行動できないことでも、いつもの訓練でさっと体が動くようにしないといけないなぁ。

「いいことだから、しなさい」と指図するより、とにかく自分の意思で行動することだ。それはいつも、毅然としているから、躊躇することや恥ずかしいことではない。

見ず知らずのお父さん、「いいお手本をありがとう!」

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2007年3月29日 (木)

COUKA

時々シャンソンが聴きたくなる。とっておきのアルバムは「JEAN CORTI」のCOUKA.

愛犬の名前がタイトル名にもなっているこのアルバムは、アマゾンヌからはじまりアマゾンヌで終わる。他に肘と肘を合わせて、あかむらさき、昔はよかった、さくらんぼの実る頃、i犬ころ、クーカ、熱中などアコーディオンの名手ジャン・コルティの「デビューアルバム」に収録されている。老アコーディオニストの演奏に聴き惚れる。

春を待つ午後。ちょっと、しあわせ。

Couka Couka3 Couka2

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東京タワー

娘はいろんなことをいち早く見つけては、私にインプットする。昔から、大沢たかお、オダギリジョーの熱烈ファンで、大沢たかおさんなどは、寺島彰由さんが大沢たかお写真集「The border」を撮る前からブレイクすると言っていたし、オダギリジョーも「アカルイミライ」以前からわいわい騒いでいた。 遡ると何でもブレイクする前に夢中になっていた。イチローがまだ「鈴木」と言っていたころオリックス・ブルーウェーブ時代、同級生の女の子と一緒にグリーンスタジアム神戸の球場に通っていた。

娘は、だから、私がオダギリジョーのファンみたいに装うのはおかしいという。それはそうだけれど・・・。本屋で見つけた「SWITCH」 NO.4 。最新「東京タワー」特集も読み応えがあるのでお勧めする。「SWITCH」 NO.4 の広告ページのキャノンの新CMの顔になったオダギリジョーがいい。だんだんもっともっとよくなる。是非、「SWITCH」NO.4は保存版に。

Oda04「東京タワー」の番組は、大泉洋さんの2時間ドラマこれは録画してみようと録ってあったがいつのまにか途中で他の録画に変わっていた。速水もこみちさん主演の月曜9時からのドラマは時々見ている程度でみていない。あまり興味がなかった。しかし、オダギリジョーさんがようやくこの役を受けた。主演を断り続けていたのに・・・。、「東京タワー」は多分、いい映画になっているような気がする。

娘は、オダギリジョーさんが一番リリーさんの雰囲気に一番あってると言う。私は小林薫さんのオトンも見てみたい。もちろん樹木希林さんのオカンも。しかし、映画館で号泣するのは、「ニュー・シネマパラダイス」を見て以来、恥ずかしいとおもうので。「東京タワー」のしんがりを務める映画「東京タワー」は、「アンフェアtha movie」みたいに初日に見なくてもいいんだけれど。娘が見ると言えば、行こうかな。

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2007年3月28日 (水)

長年の夢が叶いました

テレビばかり見ているようなブログを書いているが、本当にテレビっ子だから・・・。クレージーキャッツの全盛期、ザ・ピーナッツだって知っている世代なのである。植木等さんは、クレージーキャッツのメンバーとして数々の映画にも出演、晩年の渋い役も、いい俳優さんでしたのに残念でした。ご冥福をお祈りいたします。

春からのドラマも何がヒットするだろうか・・・と考える。一番はWOWOWで「CSI:6科学捜査班」4月14日(土)スタート。グリッソム主任率いるラスベガス市警CSIチームの活躍が期待できる。楽しみ。

毎週見ている土曜の朝のオセロの番組に「子供の味方」というコーナーがあり、応募した子供の夢を叶えてくれる。最近みた鉄道大好きな10歳の男の子が光っていた。

「お父さんに誕生日のプレゼント、自転車と時刻表どちらがいいか?」言われると「時刻表」と答えたといって見せるプレゼントはぼろぼろにみえた。

誕生日のプレゼントは三年連続「時刻表」でもいいと笑って見せた子供の夢は、新潟しか走っていない電車の前で、これも時刻表の欄外に小さく載っている「かにめし」を食ること。大阪から、新潟県の直江津まで憧れの特急を見たいと出発する。

直江津に着くまで、大はしゃぎの子供はあくまでも無邪気だ。いつも子供の味方で連れ添ってくれるお兄さんも今回は出る幕がなく、電車が通ったといっては歓声、車庫に入っている車両をみつけ、また歓声、極めつけは、各駅停車で念願のポケット時刻表をもらっていくというのだからこれまた筋金入りの鉄道ファン。

2分しか停車しない電車がやや遅れ気味に駅に着く。憧れのほくほく線・特急「はくたか」である。「かにめし」を手にポーズをとる瞬間。呆然とした、あるいは感慨無量の表情で。電車は遅れ気味に駅に着いたのだが、無常にもあっという間に発車してしまった。

付き添いのお兄さんに、10歳の男の子は謙虚にも、こう言った。

「長年の夢が叶いました」。

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2007年3月18日 (日)

アンフェアthe movie 犯人は誰だ!

アンフェアthe movie見てきました。期待していた回想シーンで安藤刑事の瑛太も出てきませんでした。(安藤刑事の回想シーンなどなかった)、だんなさんの佐藤さんもニューヨークに行っているし、美央ちゃんが、また危険にさらされるという設定でした。アンフェアは誰なのか、犯人は、テレビのスケールではなかったけれど、スペシャル番組で見た展開の焼きまわしでは面白くないというおもいでみました。しかし・・脚本は。

話題の映画は一番に見ないと、誰かのネタばれで内容が分かってしまうのも面白くないもの。犯人は言わないでおきましょう。エンドクレジットが終わったあとも席を立たないで。の期待は、見事裏切られました。

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2007年3月15日 (木)

アンフェアthe movieの篠原涼子さんと芋たこなんきんの國村隼さん

ハケンの品格が終わって、今朝の話題は・・・。そりゃあ、「アンフェアthe movie」でしょ。

朝から篠原涼子さんが、「アンフェアthe movie」の番組宣伝のため爽やかな笑顔で、めざましに登場。軽部さんが、派遣ではありませんね。この一言には他の局なのにね。軽部さんのセンスいいなあ。終始ニコニコとした笑顔で対応されている篠原さんを見ていると昨日の大前はるこさんにも挨拶をしてるの自分の姿があった。テレビ大好き、好きなテレビばっかり見ている、基本はミーハーなおばさんだから、「ハケンの品格」でも「ヒミツの花園」でも「とんねるずのみなさん食わず嫌い!対決篠原涼子VS加藤雅也」でも、見逃せないものがあると、仕事も切り上げて、テレビの前で正座をする。

今日は、國村隼さんの登場番組を見て、改めて素晴らしい役者さんだということが分かった。「芋たこなんきん」の原作者田辺聖子さんの直筆の手紙には、健次郎役が絶品だったと書かれていた。かもかのおっちゃんが田辺聖子さんにも認められほっとされていた國村隼さんのクールな表情はいつもの健次郎さんを見ているようであった。左手で耳のちょっと前のツボを押さえるしぐさも・・・。あれ癖でしょうね。偶然みた國村隼さんの登場番組に大満足。

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2007年3月13日 (火)

「アンフェア」再放送「最終回」

篠原涼子主演の映画「アンフェア」がいよいよ3月17日の公開になる。試写会の切符も手に入らず、当日仕事を切り上げ娘と見に行く予定をしている。

本日、あの最強のリンカーンと重なる火曜日の10時の時間帯だけはやめて欲しかったテレビドラマ「アンフェア」最終回を、再放送で見た。

瑛太なくして「アンフェア」がないと改めておもった。愛するものを雪平から奪おうとした動機がアンフェアを引っ張ってきた、それは雪平が安藤を失うことで完結されている。映画はどんな方向で、完結した私たちアンフェアファンを引っ張っていくのだろうか。アンフェア2時間スペシャルも別の方向に行ってしまった感じだし、安本刑事犯人説はスペシャルで実った。映画は・・・。私は、濱田マリ演じる蓮見の最後の行動が気になるだけで、続きを見たいとおもっている。誰でもおなじか・・・。加藤雅也か寺島進か阿部サダヲか。瑛太以上の犯人像が描けるだろうか。瑛太に似ている幽霊とか出して欲しい。それこそ、違った映画になるとおもうけれど。「ハケンの品格」でも、好演している篠原涼子さんをスクリーンでみることも楽しみのひとつである。

「ヒミツの花園」も「ハケンの品格」も次々と終わっていくが、昨年親子で盛り上がった「アンフェア」以上のドラマは、まだ現れていない。

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2007年3月12日 (月)

玉製家のおはぎ

金曜日のテレビは、「花より男子」と「探偵ナイトスクープ!」。記憶が乏しいが「キラキラアフロ」も金曜日?たまたまチャンネルを変えたとき、鶴瓶さんが玉製家のおはぎの話で盛り上がっていた。時々見るこの鶴瓶さんと尚美さんの番組は時間帯が分からず、番組後半の数分を見ていつも楽屋に帰っていくところしか見ていなかった。

話に登場した「玉製家」は、日本橋にある老舗のおはぎ屋さんで、鶴瓶さんも25年通っているという。そのおはぎを私も好きで、番組を見て無性におはぎが食べたくなった。

文楽に通って、もう26、7年になるが、日本橋の通りに面した小さな店舗。先代のご主人がいつも店の内側の一段高い中に立ち、見本が並べてあるガラスケースに手を乗せて道行く人を眺めている。

舞台が跳ねて、文楽の話をして帰る途中、日本橋からなんばまでいつも歩く途中に店があった。文楽の話に夢中になっていたり、あるいは、おはぎを買うことを躊躇して通り過ぎる。しかし、やはりいつものおはぎを思い出して戻って行くと、

「大概の人は、戻ってきまんなっ」と先代によく言われた。戻ってくるお客さんのひとりとして数えてもらっていた。

先代のご主人とそっくりな二代目のご主人、自慢の別嬪さんのお嫁さんも今でもお綺麗だが、やはり年とともに年を重ねはったとおもう。私も同じように年をとったということだろう。

番組では、鶴瓶さんは、「きなこ6個入り」が注文できることに驚いたということだったが、先代がいらっしゃったら、きっと、「きなこ」だけはなかったと、わたしもおもう。確かめたことはないけれど・・・・。

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2007年3月11日 (日)

國村隼さんのはまり役

阪本順治監督の「王手」の後半、飛田歩役の赤井英和がアマとして名人戦に挑むという設定。通天閣に巨大な垂れ幕が現れる。「飛田勝ったら借金帳消し」。歩の友達役の加藤雅也が駅のホームから見て、くすくすと笑う。「腹いたいわ」。

この巨大広告を出した、エキサイティングで負けず嫌いな、やくざの親分を演じていたのが、今、朝のテレビ小説「芋たこなんきん」で藤山直美演じる花岡町子の夫・徳永健次郎を好演している國村隼さんである。

とにかく、今までのはじけた役からすると、國村隼さんには失礼だが、映画を見てきたものには意外であった。この健次郎役を見ていると、鋭く光る眼力が、優しい眼差しに変わり、低音のドスの聞いた声も、ささやくと響く声に変わって聞こえた。渋い演技と、あの声でどんなシーンでもこなせる國村隼さんの演技、もしかするとあの夫像に惚れて、ひとりより二人をえらんだ人も多いとおもうのである。

町子さんと晩酌をするシーンなどはかなりリラックスしていい感じだった。この「かもかのおっちゃん」役を見て、大勢の女性が國村隼さんファンになったに違いない。

ある日たまたま見たサントリーのCМに、國村隼さんが起用されていた。THEサントリーオールド新CМ。人生、おいしくなってきた。「父の上京」篇。

出張という口実で、娘を訪ねた父親役を、わずか30秒のコマーシャルで、見事演じ、はにかんだ父親も、かなりいい。娘役は、岩井俊二監督「スワロウテイル」でアゲハ役の伊藤歩さん。國村隼さん起用、サントリーさんもなかなかやるねぇ。

「芋たこなんきん」では、いろんな場面で、役者魂を見せ付けてくれた國村隼さん。「ブラックレイン」、「KILL BILL vo.1」のエキサイティング國村隼はもう復活しないのだろうか。國村隼さんの次のはまり役は?!きっと映画を中心に活躍されるとおもう。これからも応援したい役者さんのひとりである。

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2007年2月20日 (火)

今年のカレンダーはFlowers

それぞれの家で、思い思いのカレンダーが部屋のどこか飾られてあるだろう。銀行や花屋からもらったカレンダーをつかうことはあるが、私は、毎年、気に入ったカレンダーをひとつ買うことにしている。今年は、花の日めくりカレンダーをLOFTで今年になって格安で手に入れた。もうひとつは、King Crimson Bestについていた卓上カレンダーでレコードジャケットがデザインされているものである。

この、日めくりカレンダーの形は、他に地図をデザインしたものとどちらにするか、迷ってしまった。まだ、毎日のFlowers日めくりになれていないせいもあって、まとまってめくることに。かえって、もったいなくて捨てられない。

カレンダーひとつをとっても気に入ったものが手元にあることが何よりである。日めくりって楽しい!

Ka220 King

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2007年2月19日 (月)

スガシカオの青空

2月18日は、東京マラソン2007、大阪ではR1ぐらんぷり2007、旧正月、そして、待ちに待った、スガシカオ10周年コンサートの日。大阪城ホールでの開催。

美代子さんにチケットをとってもらい、10周年のコンサートに一緒に参加することができた。このチケットは即完売だったらしく、人気のコンサートの切符を容易く手に入れることができたことも美代子さんが手配してくれたからだとおもっている。

娘が、コンサートに行くのなら聞いておいたほうがよいと、二枚組みシングルベストを買ってくれたことも有難かった。アンコールの曲がおもっている曲だった。黄金の月が比較的早いとこ聞くことができて、ジーンときた。ファンキーな曲から、シングルヒットした曲をメドレーで聞かせたり、アコーステックな曲、なんと素晴らしい曲の連続なのだろう。改めてスガシカオの力を知った。バンドのメンバーはそれぞれ力があって、キーボードもギターもドラムもベースも聞き惚れてしまう。

会場は、映像を駆使した演出で見事に構成されていた。ミラーボールが、最後の曲のときに回って綺麗な光を作り出していた。3時間を越えた熱演が、ファンのこころをとらえないわけがない。

特にスガシカオの青空が印象的であった。おおきなめがねをかけた人々による「午後のパレード」の振り付けなどが会場を沸かせていた。配られためがねは、みんながめがねをかけて会場全体がスガシカオになる予定だったのだろう。配られためがね、みんな掛けていたのだろうか。スガシカオさんの10周年記念コンサート、大満足をして帰り、ブログを聞き終えると19日になっていた。

左の写真はニューオオタニのロビーに飾られた「春節祭」のオブジェ。右の写真は、「SUGA SHIKAO ALL SINGLES BEST」二枚組みアルバムと会場で配られためがねPhoto 。「午後のパレード」のときに掛けていたもの。

Magame

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2007年2月17日 (土)

MoMAの傘

娘がMoMaの傘を買うというので、私の分も頼んだ。一緒の傘を持つことを嫌がるかとおもったが、「お母さん、同じものでいい?もっと派手なのがあるけれど」と言って、ポーチもお揃いで注文してくれた。

数日後、届いた傘は、外側が真っ黒、内側に青空と白い雲が描かれ、雨が降った日でも青空が現れるというもの。傘の柄に▲印があって押すとジャンプ傘になっている。先日、春一番が吹き荒れた日、「あれ、傘はささないの?」という独り言のような台詞が口からでた。「春の嵐で傘のほねが折れると嫌だから」。言い訳をして違う傘を差して出かけた。春一番の風に飛ばされて、内側の青空が見えると綺麗だったかもしれない。二度と持てないだろうけれどね。

娘の青空と同じ日には差して 歩けない、おばさんの青空はそのうちデビューするさ。

Moma

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2007年2月13日 (火)

特集 平田利之 アイデアにスパイスを

Img_0555_2 大阪天満宮で、「大盆梅展─天神祭りと梅─」が開催されている。同境内で、てんま天神梅まつり古書即売会もあり、古本市のコーナーで、イラストレーション2003-9 No.143 特集 平田利之 アイデアにスパイスをみつけた。いま@niftyのブログで使わせていただいている、テンプレートが平田利之さんのもので、特集号は平田さんのイラストを数ページにわたり紹介していた。思わず、手に取りニヤニヤ。ここで会ったが百年目。やはり、他の作品もシャープな線で、私の好きな色づかい。ますますファンになってしまった。古本屋さんや古本市に立つと、めぐり会う本と出会うことができる。本はやっぱりいいねえ。

data:●てんま天神梅まつり古書即売会 於:大阪天満宮境内06-6353-0025 平成19年2月10日(土)~16日(金)まで 10:00~17:00最終日16:00終了●《illustration》2003-9 No.143 特集 平田利之 アイデアにスパイスを

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2007年2月12日 (月)

仕事の鬼?

久しぶりで神戸に行っていい刺激を貰って帰ってきたら、へんな時間に寝てへんな時間に起きてしまった。今年は暖冬のせいか、例年の寒がりが解消されたようでいつまでも起きているか、今日みたいに目が覚めるか。こんな時にしか書けないことを書こう。

シネマな夜という映画を熱く語る会をつくって10年なるが、そのメンバーの友達が昨年癌が原因で脊推腫瘍とわかり放射線や抗がん剤の治療を続けていた。

彼女の病気は、彼女自身からも去年のメールで「病気のことは誰にでも知らせてくださっていいし、わたしもまだまだ治療が続きますが、同じように突然病気になってどうしていいか分からない人の力になればと思っています。」

昨日、「先月、脳に癌が移転し、一部に腫れがあって放射線治療をいたしました」とメールが届く。彼女のメールは淡々と症状を伝え、そして、最後に「今はすっかり回復いたしました。このようにして、今後も癌は移転して発見、治療の繰り返しになるかもしれないけれど、ぼちぼちやっていこうと思っています。普段は何らかわることなく日常生活していますので、また声をかけてください」

「一月は多忙で、反省して、ゆっくりと生活しようとおもっています。みわこさんもご自愛ください」。

私も最近仕事の鬼になっているけれど、体調だけは気をつけるようにしている。彼女に心配をかけるようではいけません。彼女についておもうことは、病気と向かい合い、それを冷静に受け止めた日常を送ろうとしていることが痛いほどわかる。私なら、きっとじたばたするだろう。何もかも投げやりになるだろう。弱音を吐くだろう。毅然とした状態ではいられないだろう。彼女に何かを教えて貰っているが、澄んだ声が聞こえそうでまた消えて。

彼女にも、私にもいえることは、今を生きよう。そして、それぞれ向かい合うことは違ってもで、いまを熱く語ろう。一日を大切に喜んで生きよう。

映画の会のメンバーとも久しく会っていないが、15ヶ月ぶりに「シネマな夜53夜」の緊急集合かけることにしよう。よろしく!

貴地邦くん、森田くん、浜中さん、藤本さん、岩谷さん、岩崎さん、松居さん、北口さん、吉行さん、河村さん、扇田さん、英大夫、澤さん、仲田さん、三浦さん、今野さん。できる限り、日にちが合う人は集まってください。日にち、場所が決まり次第連絡いたします。

なお、「ボタンの気持ち」ボタンWALKも構想中。2月17日にボタンミニWALK考え中。18日にスガシカオコンサートがあるのであまり歩けないが、ボタンの気持ちレッスンが24日にアトリエfioreであるが、参加できない武田さんとご一緒しようとおもっている。どこが、仕事の鬼か分からないが忙しくかけまわることにおいては、鬼にもなりましょう。では、シネマ、落語、ボタンの会のメンバーのみなさま、よろしくお願いいたします。落語を熱く語る会は、貴地邦くんと「第1回サブロー&雀々漫才」行って、楽しんできた。ほんと、どこが仕事の鬼やのん。

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2007年2月 3日 (土)

WEDGWOODの貯金箱

Tyokinnbox2 WEDGWOODそんな風に書くと磁器でできた立派なものを想像されるかもしれないが、WEDGWOODの紅茶の詰め合わせの容器で貯金箱を去年作ってみた。直径10センチの円筒形、丁度いい大きさで、蓋のところにWEDGWOODのロゴがあり、その真下に3ミリ×28ミリの五百円玉が入る穴をあけた。透明な部分と蓋をメインディングテープで貼り付けると出来上がり。透明な部分にお金が貯まっていく。12月から貯まった写真があるが、娘も欲しいというので2個目をつくった。

最近は、金種別に計算してそのつど金額が表示されるものもあるらしいが、それもかえって興ざめがするようにおもう。

いくら貯まるのではなく、いついっぱいになるか、ちょっとわくわくしている。

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2007年1月30日 (火)

お年玉付き年賀状のこと、林先生のこと

お友達の美津江さんから、私の出した年賀状がひょっとしてお年玉の2等が当たっているかもしれないよ、とメールが入って、調べることに。

あいにく私に来た年賀状は2等どころか、切手シートもひとつだけ。出さなかった年賀状や、書き損じのハガキも番号が当たっているかもしれないので置いてあったがそれも当たっていなかった。反対に美津江さんはプリントミスをしたハガキを新しいものに交換に行ったというから、当たりくじを見す見す逃したのかも知れなかった。

この誰でも当たり前のようにおもうお年玉付き年賀状は、昭和24年にある民間人が郵政省にアイデアを持ち込んだと言われている。「年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息も分かり、打ちひしがれた気分から立ち直るきっかけにもなると考え、このアイデアを思いつきます・・・・《年賀状には賞品の当たるくじをつけ、料金には寄付金を付加し社会福祉に役立てる》*」    *年賀状博物館のホームページより抜粋

この発案者は、林正治先生である。私が知っている林先生は、お年玉付き年賀状の発案者ではなく、水彩画家の先生の方である。展覧会には妹も伺ったことがあって先生と妹が写っている写真がでてきた。

水彩の作品は、風景も花の特に薔薇がふんわりとした色使いで、私の好きな色がこの頃ほぼ決まったというくらい淡い色彩が気に入っていた。風景も薔薇の花もどの絵を見ても色もタッチも味わいがあった。

年賀状のことで、林先生のことを思い出した。京都弁でおしゃべりくださったことも。だが、黒い電話機の向こうから聞こえた声はもうどんな声か忘れてしまった。

data:「年賀状博物館」   http://www.nengahaku.jp/history-6.html

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2007年1月29日 (月)

タモリの大放送

ある日テレビを見ていると、多分「笑っていいとも」だったとおもうが、タモリさんのレコードの話になった、誰がどんなときに喋っていたかは、記憶が怪しいが、その時の話題がタモリの大放送という「レコードを出したことがあってね」という話だった。

私もその当時面白がって購入したとおもうので、テレビを見た後探したら十数枚のレコードの中から「タモリの大放送」が出てきた。比較的保存のいい状態で音もいい状態で期待できるものだった。

序曲”タモリのテーマ”ハナモゲラ相撲中継、教養講座”日本ジャズ界の変遷”、CMブラジャーミシン、”世界の短波放送、お昼のいこい、歌舞伎中継”世情浮名花模様”、料理の時間~大混線などA面を紹介したが、B面もばかばかしくどれをとってもその当時からスマートな笑いを追求していた。周りに居た人が面白がってみんなで最高のものを面白がってつくったとしかいいようがない。なんと、左上のコードが書いてあるジャンルをみると、なんとポピュラーって書いてあった。ロックや、ジャズの仲間ではあるが、ポピュラーはおかしいだろう。

他には、ダントツ、今聞いても色褪せていない、ピンクフロイドをはじめ、サンタナなども手元にあるレコードは、ピンクフロイドの道、狂気、雲の影、原子心母、キングクリムゾンLARK'S TONGUES IN ASPIC、ビートルズ、映画音楽のレコードなどがあった。なぜか荒井由美のレコードもあった(敬称略)。

タモリさんのレコードは、今聞いても面白く、いつかタモリを聞く会倶楽部を開こうとおもう。自慢のレコード大賞ベスト10談義も楽しいしいだろうなぁ。楽しみ楽しみ。Tamori

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2007年1月28日 (日)

演歌の女王とDS

テレビに振り回されているいう期間があって、「アンフェア」を見ていたころは火曜日の約束はあまり入れなかった。今は「ハケンの品格」が面白い。少しふっくらした篠原涼子と大泉洋のやり取りや、一話完結のリズム感があって毎週見ている。あの懐かしい庶務二の江角さんをちょっと思い出した。しかし、ドラマの強烈さがないのか水曜日の10チャンネル(関西)という時間帯がどうも覚えられない。

演歌の女王という、番組を昨日たまたま見た。ありえない設定で、天海祐希さんの役も何かぴったりとこなかった。ドラマの途中であるシーンがあって、あり得ないを感じてしまってから続きを見る気がしなかった。

あるシーンというのは、男の子の大事にしていたゲームを女の子が踏んづけて壊してしまう。祐希さんの台詞が「また買ってあげるから」

思わず叫んでしまった。「ニンテンドウDSLiteだろうそのゲームは・・・おばさんはね、ヨドバシカメラでもゲーム屋さんでも、ヤマダデンキでも欲しくても探しても、人気商品は手に入らなかったんだよ。」 「すぐに、また買ってあげるからなんて台詞はないんだよ、すぐに買えたらネットで詐欺なんてないんだよ」・・・・。

娘のDSを借りていた。実はDSがこんなに流行しないときに娘がクリスマスプレゼントに買ってくれた時、「ゲームなんてしないから、いらないから」と言って返したことがあり、それ以来欲しくても手に入らなくてもがまんをしていた。

やっとのことで先日値千金のニンテンドウDSLiteを見つけてくれて、手に入って、いらないといった日から数えて何百日。やっとDSを手にした安泰の日々が続いている。

祐希さんのあの時の「また買ってあげる」という台詞はありえない台詞で、その感覚がどうもドラマ全体に充満しているようにおもう。ドラマなんだし、ありえないシーンが続いてもいいのだが、選んだ小道具ひとつ、しっかりと今を捉えらていないと、番組のよさが伝わってこない。私も真剣に見ていないのでなんとも言えないが面白いとおもわせること、途中からでも見たいとおもわせることは大事なことだとおもう。そんなことが高視聴率につながっていくのだろうなぁ。

今朝の新聞にニンテンドウDSLiteは土曜補習(小六の漢字練習)にも使われるらしい(朝日新聞1月28日朝刊掲載-社会面)。ゲームと侮ってはいけなかった。ニンテンドウDSに関しては娘の行為を無にしたことで心苦しいことがあったが、やっと「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」や「クロースワード2」などが楽しめるようになった。マリオの曲にのって「テトリス」にもはまっている。よくも悪くもこれは、DS本体が手に入ったからだとおもっている。テレビばっかり、ゲームばっかりの日々が続く・・・・。

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2007年1月11日 (木)

えべっさん

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                        商売繁盛で笹もってこい!!

宵戎、十日戎、残り福戎とお正月9日、10日、11日は戎さんの大活躍の日。兵庫県西宮神社の戎さんは、福男えらびにに余念がない。意外と知られていないが西宮神社では昭和45年から大マグロの奉納や、有馬温泉の顕湯式と商売繁盛と謳いながらものんびりとした企画も定着している。今宮戎では、恒例の宝恵駕籠行列がミナミの繁華街を練り歩き、大阪の北の堀川神社のえべっさんも福興戎が境内に飾られ大勢の人で賑わった。

今年は、交通規制の馬鹿馬鹿しさが初詣で体験しているので、十日戎の混雑を避け、のこり福を授かるように出かけていったので、写真も撮ることができた。福娘のお姉さんがこちらをみて優雅な会釈をしてくださった。それだけでも値打ちのあるえべっさんday。お賽銭はROYAL COPENHAGEN  TEA Darjeelingの缶に貯めてあった一円五円を持っていったのでじゃらじゃらじゃらと大きな音がした。耳の遠いえべっさんにもお賽銭を入れる音が聞こえたような気がした。

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2007年1月10日 (水)

吉朝落語DVD・・・「蛸芝居」「天災」

Kiti 去年のクリスマスプレゼント候補に「吉朝落語DVDが欲しい」と言ったら、黙って娘が買ってくれた。「蛸芝居」「天災」どちらも吉朝師匠の在りし日のご機嫌な落語シーンを見ることができる貴重な映像である。

「蛸芝居」という出し物にはエピソードがあって、前にも書いたが、石田誠子さんが学生時代に米朝落語集を聞いていてファンになり、レコードの落語集の特典のレコードが付いていて、そのおまけのレコードが「蛸芝居」だった。桂米朝の落語はレコードでしか聞いたことがないという誠子さんに、初めて出会った日、落語の噺で盛り上がって、聞いてくださいと言って宅急便で送られて来たのが、桂米朝師匠の若かりしころのレコードだった。

学生のころからのファンだった誠子さんと一緒に、特典の「蛸芝居」のレコードを持って、桂米朝師匠の楽屋を訪問した。傘寿の手ぬぐいを戴いて帰った記念の楽屋訪問は、米朝師匠自らの「蛸芝居」の感想を言ってくださった。おそらくレコードを聴いたという私の感想に補足してくださったと記憶しているが、後半のだんまりのところはラジオやCD、テープでは表現が難しいと言われていた。

吉朝師匠の「蛸芝居」は、あの時の米朝師匠が、蛸が出てくるだんまりのシーンは映像で見ていただくほうが一層分かりやすいとおっしゃっていたようにDVDである。お芝居に通じて、踊りやありとあらゆる方面に通じていないとできない落語もあるのだと思い知らされた。今大阪でこれだけの芝居噺を誰がしてくれるというのか・・・。

お弟子さんのよね吉さんが京都の落語会で「蛸芝居」をされていたようではあるが、誰彼となしにできる出し物ではないようにおもう。師匠のいいお手本があるのだから、計算され尽くした完璧な落語を目指し、精進して欲しいとおもった。忘れていました、桂吉坊ちゃんもいました。「蛸芝居」かかるときは呼んでください。

吉朝師匠が残していかれた落語会のテープが豊富にあるとすれば、次のDVDも期待できるかもしれない。

娘にはチケットぴあで、最近ちょくちょく落語会の切符も取ってもらっている。「えぇ落語ぉ、と言いながら」いつも黙って手配してくれる娘にありがとうを言おう。そして、次の吉朝落語DVDシリーズがでるかもしれない。もし発売になったら、続きで買ってね!

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2007年1月 8日 (月)

紙吹雪研究家2

紙吹雪を研究していると、最近のテレビやコマーシャルで紙吹雪が舞うシーンが多くなったと喜んでいる。

文楽も「冥途の飛脚」の道行相合かごのシーンは雪が降ってきた。文楽の舞台で散らす雪は1.5センチ×1.5センチの四角形だ。少し小さい雪であるが、ゆらゆらと上品に落ちてくる。

歌番組で使われる、紙吹雪は少し大きめで、上からの距離が低すぎるのか、ドカッと落ちてくるような気がしていた。私の実験では、長方形のものもくるくるとよく回りながら落ちてくる。

雪をイメージした四角い紙であれ、花を模った花びらであれ、優雅に落ちてくることが第一である。綺麗な舞台を作ることは楽しいだろうなあ。

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2007年1月 6日 (土)

一言

8621の会で誰かが言った「カゼインという成分が蓄積されるので牛乳は体に良くない成分が入っている」の一言で進んで牛乳を飲まなくなった。娘が「朝一番に水を飲んで果物を食べて、ヤクルトをのむといい」という一言で健康的になったとおもっている。大腸も元気だ。ヤクルトは渡辺謙さんも飲んでるしね。宣伝だけでも謙さんだしね・・・。

昨年は、落ち込んでいるときに友達の一言で立ち直るときが多かった。一緒に怒ってくれたり、励ましてくれたり。

高校のときの友達が岐阜に住んでいて、もちろん同い年であるけれど、彼女の方がずいぶんしっかりとしている。美しい日本の風景の中で気持ちよく暮らしているからメールの内容も文章もうまく、最良の一日がメールで届くとホッとする。

栃の実のせんべい屋の甘いにおいや山の木々のざわめきや春に咲くチューリップの花を植えましたという話や、野菜を植えたり、猪が出てきました、小賢しいサルに畑を荒らされましたとか、「今日は黄金の月やでぇ」の一言。

わたしは彼女のメールの返事に、美しい日本のことは書けなくて、落語会にいきましたとか、文楽に行きますとか、バレエが美しく奮えましたとか、せいぜい自然を見つけても柿の実に雀が群がっていましたぐらいで終わっている。珍しくもない風景。ありふれた出来事。

「当たり前やん、気にすることはないよ、住むところも環境も違うんだし、みわちゃんのメールも嬉しいよ」。自分だけが楽しかったらそれでいいとおもっていたわたし。誰の話にも関心がなかったわたし。最近誰彼なしに、「その一言」に耳を傾けることが多くなった。

褒められても諌められても、どっちにしても「一言」を言ってもらえることはありがたいことだとおもう。娘の一言、母の一言、妹の一言、友人の一言。今年は気持ちよく暮らしていく一言を自分でも探そうとおもう。さて、どんな一言と出会うだろう。楽しみである。

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2007年1月 5日 (金)

文楽に行こう!

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Bu55_2今年も初春文楽公演にいそいそと出かけて行った。お正月飾りや黒門市場商店街振興組合から寄贈されたにらみ鯛、鏡餅の飾りつけも豪華なものになっている。
コーナーは餅花で飾り、劇場内を華やかに演出していた。舞台正面の上の方に毎年凧とにらみ鯛が取り付けられ、凧の文字は干支の「亥」の一字。真ん中の写真は緞帳の上にある鯛と凧。

しかし、劇場内に入って驚いた。お正月公演にもかかわらず、空席が目立った。やはり、玉男亡き後の空虚な舞台を感ぜずにはおれなかった。
午後の部の出し物は、二人禿(ににんかむろ)、嫗山姥(こもちやまんば)、冥途の飛脚(めいどのひきゃく)。

確かに玉男さんが演じない、「冥途の飛脚」は想像がつかなかった。玉男さんの忠兵衛しか見たことがなかったから、今回の出し物は、展開が淡々として、ストーリーがはっきりと見えすぎて、同情の余地なし、だめな男だが仕方ないと思えない忠兵衛も見たことがなかった。しっかりしいな、男なら泣くなと言いそうになった。

お正月公演は毎年、幕間の直前に、若手技芸員が巻き手ぬぐいを投げることになっている。この巻き手ぬぐいを手にするかで、文楽への熱い一年が待っているといっても過言ではない文楽狂としては嬉しい贈り物を、今年も手にすることができた。嬉しいの一言。手ぬぐいの結び目には今年は飴が2個入っていた。

お元気そうな吉田簑助さんの八重桐に感動して、今年一年も文楽に通うぞ!そして、毎年言っていることだが、文楽に行こう!

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2007年1月 4日 (木)

551の豚饅

私は好きなものが一定している。文楽も25年、同じものを追いかけ、追いかけることが加速していくというスタイルを貫く。551の豚饅にも一定の法則があって、それはずーっと貫いている。

551の豚饅が、誰よりも好きで食べたいとおもうが、においが駄目で、買って帰ることができないのだ。

つまり、豚饅に関しては誰かの力を借りないと食べることができない。自分では買わないので551の袋は持ったことがない。

「それ、わがままなんと違うの?!」

そう言われても私には信念があって、食べたくとも買わない。別に不買運動をしているわけではない。いつか、食べることができる日まで、我慢ができるということである。並んで買うこともない。冷凍の豚饅はおいしさも半減するからこれもあまりたべたことはない。

たまたま車で移動しているとき、店で売っている豚饅を数ヶ月前、一年ぶりに食べることができた。車を止めた目の前にお店があっても、買ってきてもらって。

あのにおいは強烈で、同じ電車のどこにいても、551の豚饅を持っている人が乗ってくるとにおいで分かる。隠し持っていたとしても、例えCHANELの紙袋に入っていたとしても。

JRの北近畿特急に乗ったときのはなしである。夜のラッシュの電車にやっと座れたとき、その日はワンカップもビールも飲まない男の人がひたすらスルメを食べていた。そんな人に気をとられて、私の前に座っていた親子(母親と若いお姉さん)が何をしようとしていたか最初は見ていないが、においが襲ってきた。いきなり551の紙袋をだして、においで充満する4個入りの箱から豚饅を取り出し食べだした。いい大人が、よりのよって、同じ電車の、4人がけ座席の前ふたり席の、何で私の前に。

今でもそのときに受けた印象は強烈で、何年経っても、食べると指がべたべたするあの豚饅をぺろりと平らげた親子のすさまじさを覚えている。食べたかった気持ちは分かるけれどね。美味しいものね。

551の豚饅に関して言えば、誰かが買ってきて家に届けてもらうか、家まで持って帰ってくれる人がいること。私が、あの、赤文字の551の紙袋を持って歩くことはない。

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2007年1月 2日 (火)

初売り

今年は暖冬のせいか、冬物の売れ行きが振るわずクリアランスセールと銘打った初売りが盛況であった。

ご他聞にもれず、福袋を目指してお正月バーゲンに出かけたが、長い列に並んでまで買うことはなかった。福袋が魅力的におもったころは、中身が何か分からず開けてみる楽しみもあったが、今はどのコーナーの福袋も中身が分かるようになっていた。これでは欲しい気持ちが半減して、結局福袋の魅力がなかったことを確認して帰ってきた。

今年一年の誓いを立てるなら無駄なものを買わないことかな。

文楽狂の一年の始まりは、4日と中日を過ぎた18日に行く予定だ。肥田先生から切符を戴いて玉子さんと一緒に行くことに。たまたまお誘いした玉子さんのお誕生日が18日。お誕生日記念にご一緒できる文楽なんて嬉しいなぁ。今年も熱く文楽通うことになるだろう。やはりドキドキすることのひとつだから。

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2007年1月 1日 (月)

スーパー大吉そして・・・

初詣の話は興奮とともにいずれまた。大阪天満宮初詣に出かけたが、2時間以上待たされた。規制もときとしては逆効果になるときもある。

おみくじの結果だけでいうと今年は超スーパー大吉をだした。待ち人来る、買い物よし、縁談最高。失せもの出る。

いい年にするのも、しないのも自分次第というが、風まかせ、人任せも混ぜて、やはり今年はスーパー大吉で行こう!今年はボタンに夢中なので年賀状もボタンデザインのものをつくった。ボタンの気持ち事務局の番頭としても活動をするつもりなので、超スーパー大吉は何より嬉しかった。

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2006年12月31日 (日)

豪華伊勢海老が届いた

今年は、年末に、お米が届いたり、お茶を戴いたり有難いことばかりで感謝していた。娘が、「年末にイセエビが届くから」と言っていたことを、何気なく聞いていたが、なんと、本日豪華版伊勢海老がクール宅配便で届いた。

Img_0480_1娘の会社の方からのプレゼントで、伊勢海老が3匹もおがくずの中に納まっていた。娘は形が嫌と言って興味はなさそうであるが、私は興奮してきて「い、い、い、伊勢海老でしょ。刺身にしても、焼いてもいいわよ。早く食べましょ」という、我が家の今年の年末最大のイベントになっている。

今年の紅白歌合戦は興味がなく、お目当てのスガシカオさんの出番を待とう、そうおもっていた。おもいながら、締めくくりのブログを書いていていたら、たまたまつけたテレビにナイナイの岡村がテレビに映っていた。あり得ないテレビの内容に、司会の中居さんはやはり乱入したと告げる。その後すぐに、スガシカオの歌が、偶然にもかかったから驚いた。歌いにくかっただろうなあ。「何してくれるねん岡村」。

待たずに、スガシカオの歌を聴くことができた。あるいは、気がつかなかったら今年初出場のスガシカオを見ることができなかった。上下(うえした)大違いを、うまく乗り切った年が最後までつづいた。今年はなんでもぎりぎり間にあったとおもう。これは好きなものを引き寄せる力はかなり上昇してきたということか。このあてにならない勢いでもって2007年も乗り切っていこうとおもう。きっと面白いことは続くだろう。興味のあることは尽きず・・・・。

今年一年ありがとうございました。

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2006年12月28日 (木)

紅白饅頭こわい

昔は、結婚式の引き出物の袋と一緒に必ず鶴亀の模様の入った風呂敷に包まれた木箱入りの紅白饅頭が入っていた。ずっしり重いと、紅白饅頭ではなく寿や亀の形をした羊羹や鶴の形をしたお砂糖だったりして、がっかりした。3個入りか5個入りの紅白饅頭が私の大好物であった。
上等な薯蕷饅頭を食べるとしっとりとしているが、饅頭の皮がパサパサして、薄く、中の漉し餡がぎっしり詰まっていた。紅白饅頭は結婚式にいったという証明のようなもので、一緒に出席した親戚のおばさんの分までもらって帰ったこともあった。

「人の結婚式ばっかり行ってるわ」。

娘は「私めがけて投げんといて、と言ったのに・・・・」、今年3回目のブーケを手にして帰ってくると、感動的な場面の話をしてくれる。ニコニコして、「いい式やったわ」

予算の範囲だろうが、たくさんの結婚式場から自分にあったよさそうな会場を選び、お任せコースやあるいは、司会や音楽も、自分で全部仕切り式を演出することもできる。かなり好きなことができる結婚式という印象を受けた。

そして、引き出物も分厚いカタログ本は入っているが、この日のために焼き上げた磁器のお皿や、お父さん手作りの靴べら、喜ぶをかけた塩昆布なども印象に残っている。引き出物のお菓子は、焼き菓子のケーキが主流でバームクーヘンも多かった。しかし、娘が出席した結婚式では紅白饅頭木箱入りは一組もなかった。

今となっては、紅白饅頭好きの私でも、漉し餡のぎっしり詰まった紅白饅頭を食べたいとおもうのか、難しいところである。好物が今は、饅頭こわい。

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2006年12月24日 (日)

サンタは本当にいるの?

娘が大きくなって、クリスマスプレゼントは何が欲しい?と言ったら、「自分で選ぶ」ということになった。一緒に買いに行く約束をした。「サンタは本当にいるの?」娘は、いつ頃まで信じていただろうか?

今、コマーシャルで流れている、コカコーラのCMがなかなかいい。サンタさんが、プレゼントをするというテーマを、短いストーリーに仕上げている。サンタさんの贈り物は毎年変わらず繰り返されて届けられるんだ。

サンタといえば、サンタ役で一番グッと来た俳優は「34丁目の奇跡」のリメイク版の、リチャード・アッテンボローだった。サンタさんのひげは自前のひげだろうか、恰幅ある体型は、「ジェラシックパーク」でもジョン・ハモンド役で出てきた。最近はおじいさん役がぴったりのリチャード・アッテンボローは、「大脱走」では教授役、「砲艦サンパブロ」は脱走した水兵役。いずれも切羽詰まったような、危うい雰囲気を醸し出す俳優で、ステーブ・マックィーンと競演をしていた。監督になって、「遠すぎた橋」アカデミー監督賞の「ガンジー」でオスカーを手にしている。
最近亡くなったフィリップ・ノワレ、ロバート・アルトマン監督。そして、岸田今日子さんも亡くなってしまった。サンタさんの話からそれてしまうが、岸田今日子さんがいなくなって、渡辺謙さん主演、テレビ時代劇「御家人斬九郎」のつづきはもう作ることが出来ないようになってしまった。シリーズ再開を願っていただけに非常に残念である。鼓を打ち、いつも斬九郎のお金で散財するグルメな母親役の岸田今日子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

サンタさんの話がいつもとは違う話題なのであるが、クリスマスが近づいたある日、若いお母さんから話しかけられた。

「うちの娘は、サンタさんが本当にいると思っているんですよ、まだ二年生なんで。」

へえそうなんだ。欲しいプレゼントはどうして分かるの?プレゼントに満足しているの?お母さんの答えを聞いて、なるほどとおもった。小さい頃は、「自分で選ぶ」などとは決して言わないのである。

「サンタさんは本当にいるの?」
この質問の答えは、それは、君が信じているのなら、君の心の中にはちゃんとサンタさんがいるのだよ!親がたとえサンタの役を担っていたとしてもいいではないか・・・。

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2006年12月23日 (土)

ニューヨークから鷲山かおりさんが

今日、えにし庵で、鷲山かおりさん(ヴァイオリン)とダニエル・シュルマンさん(ピアノ)のコンサートがある。ニーヨークから日本へお里帰りされる時は、必ずえにし庵のスケジュールを考えてくださる。昨年から今年にかけて、さらに「のだめカンタービレ」のヒットもあって、クラッシックブームであるが、ブームの前から、毎年の行事にしている池田屋の企画も大したものである。

来週テレビでは「のだめカンタービレ」は最終回だが、漫画の方はまだまだ続いていて、アンフェアみたいに、映画化されるかもしれない。漫画本は1巻だけ読むと途中からテレビドラマを見た人はよく理解できるのではないだろうか。私もその一人で、今頃になって千秋さまとのだめの出会いに納得した次第である。ピアノソナタカプリチオーソカンタービレ。カンタービレ歌うように!

みんなバッハやベートーベンやモーツアルトの話をしている。不思議にも今年はこの話の中に入っていくことが出来るなんて気取って言うことにしている。私の名前も「バッハムーン」であるから。
違うんですよ。バッハが好きなだけで、クラッシックは聴くけれど、音楽の傾向はばらばら。特に好きな人は「誰々です」と言おうものなら、「えっ!」と退かれるくらいばらばらと、付け足すことにしている。
たくさんの曲を聴いていないということなのだ。すきな曲に心を奪われる。好きな小説に心を奪われる、好きな色に、好きなものを探すことにこころ奪われる・・・がわたしの傾向なのだ。

数年前の鷲山かおりソロヴァイオリン、バッハの無伴奏曲「シャコンヌ」の演奏に魅せられてから、さらにかおりファンになった。何がどう凄いかといえは、バッハを愛するものとしてあの旋律を流れるようにエレガントに弾くことが出来る人はなかなかいないのではないか。
今年は、なにを弾いてくださるのかしら。鷲山かおりさんの音色をライブで聴くことが出来る。楽しみ楽しみ。
data:
1.モーツァルト ピアノソナタ K330ハ長調 2.ベートーヴェン ロマンス へ長調 3.シューベルト ソナチネ ト短調 休憩 4.ストラヴィンスキー イタリア組曲 5.バルトーク ルーマニアン舞曲 
ストラヴィンスキーの耳にぶつかるハーモニーが特徴です。

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2006年12月22日 (金)

落語に行こう!

吉朝師匠が亡くなって一年が過ぎた。一門のお弟子さんたちも活躍されてしっかり育っているようにみえる。よね吉さんの落語を池田市の東西落語会ではじめて聞いた。雰囲気が師匠に似ていたので少し驚いた。声も似ているような気がしてよね吉さんの落語ももう少し聞いてみたいとおもっった。

昨年より、桂雀々さんを追いかけている。毎月の雀々さんの落語会に行くようにしていたが、今年は前半飛ばしすぎて、後半特に秋の独演会が義太夫教室のお稽古と重なってあきらめてから段取りがつかなくなった。11月、12月の会はどの日も仕事と重なって行くことができない状態で、上方お笑い大賞を逃した雀々さんをテレビでちらっと見て、応援出来ていなかったことに多少の後ろめたさを感じた。上方お笑い大賞は残念だったかもしれないが、負けるとは思わなかったんでしょうね。勢いのある時はなんでもやりなはれ!!サブロー&雀々で何か面白いことを考えている雀々さん。楽しみですが、切符が手に入らない。

雀々さんを一緒に追いかけて、落語会にいつも一緒に行ってくださっていた誠子さん。
誠子さんは、ご主人が入院検査を定期的に必要としていて、看病の合間をうまく調整して、検査がうまくいって次の検査までの間のほっとしたときに落語会に来ることができた。

初春枝雀一門会。来春の予定を入れ「落語会に行こう!」とメールをする。久しぶりの落語会を誠子さんと行こうとおもいお誘いした。雀々さんの落語会は、トリイホール、朝日生命ホール、四條畷総合市民会館。いろんな会にでかけた。今度は、吹田市メイシアター中ホール。

「気を使わせるとおもって、言ってなかったのですが、今月、主人が亡くなりました。満中陰が落語会の日に近いもので、よう行きません。」

そりゃそうやわ。行けるわけない。メールをもらって、愕然とし、いろんなことを考えて配慮しないといけない時に、初笑いのお誘いはやはりへこんだ。迂闊であったと反省をした。
誠子さんなら分かってもらえると思うが、自然に出てくる「落語に行こう!」は、いつもの合い言葉のようなものだった。会場に彼女が現れると、「ご主人の検査、大丈夫だったんだ」そう思うことにしていた。雀々さんを追いかけた一年半は、看病という辛いこともあっただろうけれど、ほっとした時間であった、と。誠子さんにとっても、いい思い出になってくれたらいいなとおもう。

「嬉しかったです。また、落語会誘ってください」

返事のメールは、私への気遣いもあったような気がする。午後の明るさが、急に移ろいながら哀しみの時をうつしていた。

心から、ご主人様のご冥福をお祈り申し上げます。

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2006年12月17日 (日)

お葬式

先日の吉田玉男師匠のお葬式は参列するつもりで準備ができていた。事前に休みもとった。お香典も用意したが受け取ってはいただけなかった。告別式の時間の30分前に入るよう努めた。お数珠も、真珠のネックレスも、黒いハンカチも用意した。結果としては完璧な心構えではあったが、遡ること、一時間前はな、な、なんと落ち込んで式に参列さえ考えられなかった状態だった。

べそをかいて鏡の前でわが姿を見つめていた。喪服が入らなかったのである。一年前に文紅師匠、文枝師匠、吉朝師匠のお葬式に着ていったワンピースのミニが、ぎりぎりのところで入らなかった。何がどうというのではなく、入らなかったのだが、べそをかいてももう遅い。迫ってくる時間に後押しをされて、ここは気合で身体全体を90%にし、何とか、喪服に身を包んだ。喪服なんて普段着ないもので、準備も万全を目指さないと参列できないこともあったと、日ごろのまんねりダイエットのふがいなさをおもいしらされた。とっさのときに間に合う準備、普段からきちんとしていること。できていないなぁ。

吉朝師匠のお葬式に参列させていただいたのはちょうど一年前、そこで、長年のファンであり20年前はファンレターを頻繁に出していた織田正吉先生に出会えた。

思い切ってご挨拶すると、先生も覚えてくださっていた。吉朝師匠のお引き合わせだとしたら、ここで出会ったことも自然にである。覚えていてくださったと妙にうれしくおもったが、帰って冷静になって考えて見ると織田正吉先生とは一度もお会いしたことがなかった。私はお写真やテレビで存知上げていた方なのでよく知っていたつもりだったが、何のことはない私はただの人。悪びれることなくご挨拶をしたものの恥ずかしかった。自分のとった行動が唐突だったとしても、そのとき気がついていなかったから先生の前に出てご挨拶ができたとおもう。長年の思いはそのとき叶えられた。お葬式だったとしてもいいではないか。

お葬式でめったに会うことができなかった方に出会ったら声をかけた方がいい。きっと勇気を出さなくても自然に言いたいことが言える場所なのかもしれない。

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2006年12月16日 (土)

探偵!ナイトスクープ 侍になりたい!

昨日の夜、ブログを書き終え、テレビをつけると「探偵!ナイトスクープ」がちょうど始まるところだった。久しぶりに見た。最近の放送は,公開録画なのか会場のどよめきもプラスされ、雰囲気が違うが、探偵!ナイトスクープならそれもよし。以前の深夜番組は自分だけが面白い番組をみているという感じがあった。ほかに間寛平さんの「あめま」の番組(番組のタイトルのおぼえていない)や、ダウンタウンの「あ」のネタなどは自分だけが知っているテレビでよかった。

昨日の放送は、侍になりたい男の子が丁髷(ちょんまげ)を結いたい。どうぞ、息子の夢を叶えてやって欲しいという親御さんからの依頼だった。2年くらい髪を伸ばして、ポニーテールになっていた6歳の男の子。言葉ははっきりとはまだ言えないが、桃太郎侍の決めぜりふがちゃんと言える。

探偵の寛平さんも、こんな依頼していいの?本当に親は理解しているの?と疑問を投げかけていたが、本当に頭のてっぺんを綺麗に剃ってしまった。どきどきして見ていた。
桃太郎侍になって、悪人を退治したい。空想と現実の間が子供にどんな影響を与えるかは別として、
番組のことだけを考えると、これは、探偵!ナイトスクープの大賞を獲得する作品候補である。とおもった。

月代(さかやき)というのかしら、頭のてっぺん部分を床屋さんで剃ってもらい、後は、京都撮影所の専属の床山さんが綺麗に丁髷に結ってゆく。なかなかの出来栄えであった。

無駄なこと、誰も考えないこと、必死で取り組むこと、それを応援することが、おそらく探偵!ナイトスクープの神髄なのだろう。こんなことをやってみたいと名乗りをあげた「侍になりたい」という6歳の男の子。侍になりたいという君ははじめから侍だったのかもしれない。

西田局長はというと、子供のころに戻ってしまったのか、やはり大粒の涙を流していた。私は「探偵!ナイトスクープ」に侍魂を見た。

最後に、丁髷を結っている時は、幼稚園で人気者であったが、今は落ち武者みたいになっているという姿を想像して、寛平さんの最後の方のコメントは気になるところだが、侍ソウルな男の子に成長して欲しいとおもった。

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2006年12月15日 (金)

mixi

mixiの方でもbachmoonで時々書いている。ブログがあっちこっちにあると面倒で、@niftyも、どちらも面倒で、忙しい時は本当にブログどころではない。
mixiの方は、従兄弟も活発に利用しているので、北山先生の紹介ではじめたmixiも人から人へと交流もあるかとおもうのだが、あまり熱心ではないので、bachmoon(1)は変わらない。どうも短い文章が書けないし、mixiののりについていけていないようだ。もちろん@niftyの方も同じことだとおもうのだが、こちらの方が気ままに、思いついたことをやはりまとめて書くことができることが性に合っている。

むかしむかし、友達と騒がしい居酒屋で話をしていた、「かくしごとする?」と言われて、「隠し事はしない」と答えると、「書く仕事したら」と言われ、「隠し事はしないというより、出来ない」と言い張ったことをおもいだす。噛み合わないまま会話が妙に外れたことがあった。

あの人に読んでもらおうとおもって書くのと、そうでない文章は、的がちょいとはずれで書くことがどうも気持ち悪くなってしまう。その会話をしたときの友人は今はあの空のどこかの星になっていて、もう噛み合わない話も出来なくなってしまった。突然おもいだすんだね。そんな話もしたかなぁとおもっているだろうなぁ。

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2006年12月14日 (木)

スガシカオさま

仲良しの友達がスガシカオさまのファン倶楽部に入っている、来年の10周年コンサートに連れって行ってもらう約束をした。10周年だそうだから、ゲストもいっぱいお祝いに駆けつけてきっと盛り上がるだろうか。シカオちゃんファンの友達は、押尾コータローファンの真紀ちゃんに似て、名古屋のコンサートもあっちこっちのコンサートにまめに出かけているらしい。私が、明石や神戸、池田や大阪の落語会に桂雀々さんを追いかけ、毎月出かけるようなものかな(ちょっと違うとおもう)。

私は、スガシカオファンと胸を張っては言えないが、FM802でかかった「黄金の月」をきいたとき。なななんだ、この歌詞は、誰だ誰だだだ誰だあ〜と衝撃が走った。そして、すぐに名前を覚えた。
「クローバー」のCDを聞いてからの隠れファンだ。「Sweet」もかなり聞いた。最近キングクリムゾンの2枚組CDが出たが、昔レコードで聞いた曲にドライブ感がちょっと似ているとおもった。言葉ではつまってしまうすきまを音がカバーして、いい感じにぴったりと詩と詩の間にかぶさってくる。これでもかこれでもかという音も歌詞もスガシカオの世界を創り上げている。たいしたものだ。10周年のコンサートに参加して、是非是非、晩生ファンの一人になりたいとおもうのである。
今から、楽しみにしている。

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2006年12月13日 (水)

バームクーヘン

落語はライブ派の私だが、友人の持ち物である米朝落語全集と枝雀落語大全のDVDを2組セットで借りることができるという、落語特典支援を受けているから最近はDVD派でもある。見終わったら返しに行くと、次の2組が手渡される。CDよりやはり、落語は映像で残すということが大事だとライブ派ゆえにおもうのである。第13集は、米朝「住吉駕籠」「けんげしゃ茶屋」、枝雀「仔猫」「つる」、おまけの枝雀散歩道のゲストは、ミヤコ喋々さん。

米朝落語全集は落語2席が収録されているだけだが、枝雀落語大全のDVDの方は、落語2席のほかに枝雀散歩道というABC「枝雀寄席」より収録テープがおまけについていてこれがなかなか貴重な内容で、ゲストも豊富である。落語以外の話が聞けて枝雀落語大全は大変値打ちである。

南光、雀三郎、雀松、雀々・・・つぎつぎとお弟子さんが登場し、師匠のエピソード話を披露する。紅雀さんの時の師匠とのエピソードの中に、師匠の着物に名前をつけ、符牒(符丁)で呼んでいた、という話は、噺家のそれぞれの取り込み方、姿勢の面白さがあった。

地紋に何々をかたどったとか、色無地に、柄はなになにと、説明するのかしらとおもうと師匠のお着物で、単物で、あわのようになっている柄は、三ツ矢サイダー、袷で柄がこんな、YYのつながったものがテトラポット、なんとなく分かるところがいいネーミングなのでしょう。「軒づけ」で、きている着物はさてなんと呼んでいたでしょう。クイズができるくらい楽しいお話であった。(答え:金山寺みそ)

私が一番好きだった枝雀カラーとおもっていたクリーム色の縦縞は、なんとバームクーヘンだった。

DVDの楽しみは落語を聞くだけではなく、着物の着こなしや、羽織の脱ぎ方、話の展開、表情や声の調子、扇子の置き方、座布団の座り方などいっぱいある。「つる」のはなしのときは、座布団が後ろの方にいって、いや枝雀さんが前にでてきているのだろう、高座の熱演はテープに収められている。お弟子さんやゲストの方のエピソードを含め、あのときを舞台を切り取って届けてくれるのである。落語三昧はまだまだつづくだろう。催促もなく自由にDVDを貸し続けてくれる友人に感謝をしたいとおもう。落語応援ありがとう。

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2006年12月12日 (火)

ボタンの気持ち命

二日前にボタンの気持ちレッスンで集まったとき、漢字の日の話題になった。去年のことも思い出せなかった、愛だろうか、恋だろうか、記憶の曖昧さに、思い出せない悔しさと気持ち悪さを実感していた。ボタンを使っていくというプロジェクトが、今年の漢字一字を選ぶとすると

「使」

ボタンは天使だ!!とおもうし、ボタンは蒐集するのではなく「使っていただく」を提唱しているからだ。私たちは、家できっと眠っているお菓子の缶やあられの箱に入っている、ボタンをもう一度ボタンの気持ちになって、ボタンを使っていくというプロジェクトであり、ボタンの使者である。
ははは、ボタンの気持ち見参。

決まった漢字は「命」でしたね。ボタンの命。成立しますよね。えっ、違うって。そんな言葉がついつい出てしまう。そんな午後でした。
来年も、ボタンの気持ちメンバーによるボタン活動は続きます。ボタンの気持ち命。

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2006年12月 9日 (土)

玉男師匠さようなら

人間国宝・吉田玉男師匠が亡くなった、父の祥月命日と同じ日にその訃報を知った。

舞台公演のチラシには玉男師匠の名前は出るが、実は休演。弟子の玉女代役が目立った。(敬称略)中堅の呂大夫、緑大夫、人形遣いの一暢、三味線の喜左衛門までも亡くなったいま、最近の文楽を憂いていた私に玉男師匠のいない文楽を考えると一層の悲しみを運んだ。

10月30日今まで参列したことのない文楽関係のお葬式に初めて参列した。千里会館のモニターテレビのあるテレビ前の席が空いていた。あたり役の人形を収めた映像が流れてくると、涙がとまらなかった。住大夫さんの弔辞、一般焼香の前に曽根崎心中の人形、お初徳兵衛が現れるという。玉女さんには悪いが、玉男さんのいない、簑助さんのこんなにも痛々しい姿のお初を見たのは初めてであった。最後の願いが叶うなら舞台の名コンビ通り、最後の道行を、徳兵衛・玉男で演じてもらいたかった。簑助師匠はどんなお気持ちでお初を遣われたのだろうか・・・。ややもすると弱々しくなることを隠すように真一文字に結んだ口が、印象的であった。

玉昇の人形が好きで、朝日座のころから、今まで崖っぷちの文楽は見てきたつもりだ。

呂大夫、緑大夫が亡くなった時も、豊松清十郎、初代勘十郎、一暢、文昇、玉松人形遣いの人々が次々亡くなった時も、津大夫、南部大夫、越路大夫が亡くなったときも、錦糸、燕三師匠が亡くなった時も、いつも、玉男師匠の舞台を見てきた。玉男師匠がどんなときも次の舞台に立ってくださっていた。誰よりも信頼して、芯になっていた人が、吉田玉男というまさしく文楽をここまで引っ張ってきた「立ち役」だったのだ。

11月公演のときにロビーで藤田佐和子さんに偶然お会した。楽屋に、お線香をあげに一緒に行ってくださった。玉男師匠の楽屋に行くと、師匠がそこに人形拵えをされているような気がして、やはり涙が溢れた。

文楽狂25年の中で今となっては極上の思い出がある。、日本橋駅から歩いて地下道の上がったところで突然雨が降り出して、玉男師匠が階段を上がりきったところで、目の前に玉男師匠がいらっしゃった、そのとき、私の傘を差し出し、相合傘で国立文楽劇場まで歩いたことである。簑助師匠と同じく、すべての舞台に記憶を閉じ込めても玉男師匠でいっぱいになるくらい師匠の舞台を見ていたことをあらためて勲章みたいにおもうのである。

玉男師匠さようなら そして、こころからご冥福をお祈りいたします。

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2006年7月24日 (月)

70円のコーヒー

コーヒーを喫茶店できどって飲んだのは18くらいの歳で、恥ずかしながら。70円のコーヒーという時代であった。

あのどろどろした、苦いイメージの、インスタントではないコーヒーは、大人になったら飲めるとおもっていた。が、どうしても砂糖を入れると気持ちが悪くなり、ブラックで飲むには、いくらきどっても無理があった。
70円から90円に、90円から120円に値上げをするというので、無理をしてまで飲むことはないと、紅茶を飲むようになった。

多分、先輩デザイナーの家に泊めてもらった朝の印象が、18、9歳の娘が目にする現実の朝とスタイルが違っていて、その刺激的な朝があったから、嗜好までも変わったということか。

フローリングの床に直に置かれたプレーヤーから流れる、ボサノバの曲。朝から紅茶。ジャムのついたトースト。朝から何故か、ウキウキしていた。
先輩は、高校の時から憧れていた人で、卒業して勤めたK 社を選んだ理由は、憧れの先輩が勤めていたから。決め手はそれだけ、同じ会社で働けるから。私が入社して、先輩は入れ替わるように、その後低血圧の病気がひどくなり数カ月で会社を辞めてしまった。風の便りでは(随分、昔のことではあるが)イギリイスに渡ってカメラマンになったと聞いたが、あまりにも短いおつきあいであった。

先輩は音楽は先ほども紹介した、SERGIO MENDES & BRASIL'66の大ファンで、古い話になるが、大阪万博にセルジオメンデス&ブラジル66が来た時に、会社を休んで万博会場に行き(楽屋まで訪ねて行き)、セルジオメンデスさんとKISSをしてもらったぁ、全てのメンバーに会えたことが嬉しいとはしゃいでいたことを思い出す。

時々、しょっちゅう、私の憧れの人は変わったが、ボサノバを初めて紹介してくれた先輩は今でも憧れた人ランキング上位にくるなぁ。その存在は大きい。イギリスに渡った先輩の影響で、紅茶の香りを随分楽しんだ。ボサノバの音楽は、気怠いボサノバからブラジル系も、JAZZアレンジのものも、もちろんセルメンも大好きである。やはりセルジオメンデス&ブラジル66の曲を聞くと、先輩がはしゃいで女性ボーカルの真似をした声で歌った「THE JOKER」が好きである。

同級生の京子さんは、私がコーヒーを飲むようになってからも、コーヒーが嫌いだったことしか記憶にないと言わんばかりに、「昔は紅茶しか飲まなかったのよ。みわちゃんがコーヒー好きやなんて、変わったねぇ」。70円のコーヒーの時代から考えると、ホテルで注文するコーヒーなどは随分高いものを飲んでいることになる。もちろん紅茶も大好きである。

コーヒーがブラックで飲めるようになった。大人になったということなんだなぁ。

Serrumen

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2006年7月21日 (金)

お手本

人生は長いようで短い、わずかな経験で有頂天になったり、自分ほど偉いものはないと疑わなかった昔の自分。最近、何でもお手本があったことに気が付いた。

私にしかできない、危なっかしい、楽しい、素晴らしい、人には真似のできない経験をいくつもしてきたが、それは、飛切り極上の人の生き方をお手本した。それは、母親であった。妹であった.娘であった.夫であった.友人であった。先輩であった。同僚であった。

嫌いな人からは、この人のここだけは決して学ばないようにしようと極意を教わった。年下でも、年上でも気に入った人のいい面を引き出しにしまって、いつでもお手本にしていた。私にはどこか、無意識の、無謀な、むちゃくちゃな行動が災いをして、中途半端ながんばりしか続かない。ということが分かりはじめた。母親は、平成になったときから自由な自分の生活をするといって一人暮らしを始めたが、今も元気で生き生きとしている。一番にお手本にしている人だ。妹は私の持っていないものばかりを具えていた、堅実で賢明、一生懸命である。私は妹の頑ながんばりが、いつもお手本だった。私にはない賢明さこれは、お手本になる。
お手本だなぁとおもうことはいまでもいっぱいある。出会った人や、もの、ことがら。それらは、私の人生を豊かにする。「これからもお手本にさせていただきます。よろしくお願いします」なんて、謙虚になった。これも、だれかのお手本。きっとあるのだ。

わたしが、お手本になっていることは、あまりないとおもうけれどね。

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2006年7月 4日 (火)

20周年の8621

1986年からはじまり21世紀を目指そうと集まった人々がいる。幹事役の宇野さん、桜井さん、木村さん、堀田さん。参加メンバーの顔が次々と思い浮かぶ。前岡さん、津田さん、山崎さん、森本さん、南さん、奥井さん、北浦さん。亡くなった高作さん、小林清市さんも・・仲良くしていただいた。私は1990年から参加している。この8621のメンバーに可愛がっていただき、アドバイスや励ましの言葉をたくさんいただいた。年に12回のテーマ発表にも講師として名乗りをあげ、自分で企画する、発表する楽しさを味わうことができた。

決まり事は、月1回最終の土曜日に集まる。「テーマ」を決めて勉強をする、理解したことをメンバーの前で講師として発表をする。決して、おしゃべりだけをして終りなどという仲良しグループを続けているわけではない。私は、真面目に勉強をする姿勢を8621で教わった。

宇野さんから、一番最初に言われたことは、「自分の好きな人、好きなものに囲まれていると心地よいかんもしれない、興味のないことに時間を割くのは不本意かもしれない。が、興味のあることって限られているでしょ、8621はその興味の中身をバラエティ豊かにしないと、バランスの悪いことになってしまう。だから、興味のないこと、今まで知り得なかったことを勉強していくのですよ」

この言葉は、頭でっかちになっていた私にはガツンとパンチがきいた言葉だった。

異業種交流などといった集まりがあるが、そんな半端なメンバーではなかった。宇野さんの懐の深さを、さらに、桜井さんのとにかく人を包み込むような優しさ、さらに木村さんという元祖チョイ悪おやじのような人もいて。人と会うことが楽しくなるいい会だと、今でもおもっている。

亡くなった、男性のメンバーの一人、小林清市さんという方は、野球は大のブレーブスファンで、毎回参加された日はブレーブス俳句を披露された。映画のお好きな方で、当時映画のレーザーディスクを収集されていた。100本目の映画をどんなものにしましょうかと相談をかけられたことがあった。小林さんの訃報はこたえた。映画好きな友を失うような寂しさがあった。

何といっても楽しい仲間、意識して21世紀の始まりを確かめたメンバーが、久しぶりに集まろうとしている。楽しみ楽しみ!!!20周年で、あの不埒な(プラチナ)8621メンバーはみんな集まるのかなぁ。

data:昨日から始まった、クイズの答えをこの欄に付け足していくことにする。

This is the right answer the hello21quiz

第1回「赤」  2007.5.3  ①3 ②2 ③3 ④2 ⑤3 

第2回「文楽」 2007.5.4 ①2 ②5 ③3 ④4  ⑤1、5、9 現在姿を消す-7

第3回「京都」 2007.5.5 ①1 ②2 ③3 ④1 ⑤4

第4回「おじゃる丸」 2007.5.6 ①1 ②1 ③3 ④4 ⑤1 ⑥2 ⑦4

第5回「太陽にほえろ!」2007.5.8 ①1 ②2 ③1 ④2  ⑤3 ⑥3 ⑦1 ⑧1 ⑨2、3、5 ⑩2 ⑪2

第6回「桂雀々さん」 2007.5.10 ①2 ②4 ③5 ④5 ⑤3

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2006年6月26日 (月)

直ちに

岐阜県郡上八幡に住む友人から、「長良川は先週末、鮎釣りが解禁になりました」と言うメールが入った。私は、この郡上に住む友人の鮎釣り解禁のニュースを聞く度に、思い出すことがある

桂吉朝さんの最初に出来たホームページの名前が、あゆの部屋。浜崎あゆみのファンではない、と言うことが分かり、猫と釣りがお好きらしいという言うことが判明し、私は勝手に吉朝さんと長良川の鮎釣り解禁になったら、郡上八幡に釣りに出かけることを想像していた。釣りなどしたことがない私だが、友人の旦那さまはきっと長良川をはじめ周辺の川は熟知して、のんびりと釣り糸を垂れる最高の場所に案内していただけるだろうと考えていた。親しくなったら釣りに行こう。鮎釣りやアマゴ釣り、釣りのことはよく分からないが、その提案は多分喜んでくださるような気がしていた.

去年の7月から、8月にかけて頻繁に吉朝師匠にメールをおくった。しかし、体調を崩されていることも分かっていたので、釣りにお誘いすることは遠慮していた。あの時、直ちにメールをしていたら、釣り約束はできたかもしれない。

「蝉時雨」というタイトルでメールを送った。蝉の抜け殻が庭のあちこちに見られます。今年はクーラーなしで過ごします。という私のメールに師匠からメールが直ちに届いた。

桂吉朝師匠からの返事。

なにか想像するに、懐かしい今となっては贅沢なお家に思えますが、
ひょっとして井戸で西瓜冷やしてます?
寝る時蚊帳つってます?
毎日氷屋が来て冷蔵庫の上の段に入れて行きます?
洗濯機にローラー付いてます?
----- Original Message -----

Sent: Tuesday, July 19, 2005 8:16 PM
Subject: 蝉時雨

桂吉朝という落語家にもっとぶつかって行きたかった。おもっていることを相手に伝える、嫌われても迷惑がられても。直ちにメール、直ちに会いに行く、直ちに・・・・。

今年の夏も、クーラーなしで頑張ろうとおもった。
 


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2006年6月15日 (木)

奈良を歩こう!

某月某日。近鉄奈良駅で田中さんと待ち合わせ、ならまちへ、元興寺、奈良ホテル、志賀直哉の生家、奈良写真美術館 新薬師寺、そば処でおそばを食べ、東大寺へ。奈良倶楽部の岸田真理子さんの作品展を見て、奈良女子大から、老舗の和菓子司・本家菊屋さんのある東向き北町に出て、近鉄奈良駅まで戻ってくる。タクシーやバスを利用しない徒歩のコース。ゆっくり、たっぷり歩いて5時間。奈良市内を一万歩歩いたコースである。

何も考えず案内役の田中さんの後をくっついて歩いたことがきっかけに時々奈良を訪れている。

甥と奈良を歩いた日、東大寺まではお天気だったのに、急に大雨に遭って立ち往生したことがあった。台風が直撃している日に奈良に行ったこともある。どこのお店も閉まっていて、しかたなく奈良ホテルでお茶を飲んだことも。
田中さんには「あなたは雨女と違うの?」と再々言われ、そういえば、2回目の田中さんと一緒の奈良も雨が降っていたなぁ。私は、甥が雨男だとおもっている。雨でも楽しいのは、奈良を歩いているからだろう。

最近、「仏像ガイド」という本を手に入れた。昭和34年発行のこの本の特徴は、時代別仏像解説が載っていることだろう。飛鳥時代、白鳳時代、天平時代、貞観時代、藤原時代、鎌倉時代、室町時代の代表的な仏像が載っている。時代別仏像解説順で歩くことになったら、ありゃあ、京都、奈良、岩手、鎌倉、東京、和歌山、大阪も出てくるが、実際に万歩計をつけて歩くコースは、やはり、奈良だけにしておこう。

田中さんから、毎年、お水取りのころに奈良においでよ、と誘われているが、今年も行くことが出来なかった。いずれ近いうちに、のんびり、ゆっくり、たとえ来年になっても贅沢な時間を過ごそう。

奈良を歩こう!

data:「仏像ガイド」
美術出版社編 昭和34年6月30日発行 定価200円
執筆者:(いろは順)猪川和子、稲垣直、井上正、久野健、佐藤昭夫、菅原篤、永井信一,水野敬三郎
口絵写真撮影:1.2.6.9.10.11.12土門拳  3.4.5.13藤本四八 7.8入江泰吉
カバー写真:百済観音(入江泰吉撮影)

Butuzougaido_1

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2006年6月13日 (火)

昨日は、柄にもなく

柄にもなく、サッカーのワールドカップ(W杯)2006ドイツ大会の番組をみた。
D組メキシコ対イラン(3-1でメキシコ勝利)、メキシコの先制点を見たあとハーフタイムでウトウトとし、目が覚めると、メキシコが後半戦の2点目を入れるところだった。

日本の初戦、F組豪州対日本(3-1豪州勝利)も、見ていた。

メキシコ対イランでも、豪州対日本でもおもったことだが、かなり日差しがあり、選手の影がもう一人の人物を写すようにくっきりと伸び、何人で戦っているのかと錯覚を起こしそうになった。サッカーを見慣れていないせいか、豪州対日本は力が入りすぎて、試合が終わった後が、到底眠れそうになかった。

甥にハーフタイムの時間に、メールを送った。やや、有頂天気味に中村俊輔選手のゴールが決まった嬉しさもあって後半応援しようね、と。妹の家族は、昔から、中村俊輔選手を応援していたから、サッカーを知らない私もつい嬉しくなってね。
終盤戦の2失点には驚いたが、オーストラリアの監督も選手の負ける気がしなかっただろうし、攻めて攻めて攻めまくるというがむしゃらなところが日本には感じられなかった。大黒をあんなところで使うのかと、ロスタイムに奇跡は起こらなかったが、最後まであきあめないことは、サッカーに学ぶところが多かった。
甥からのメールが届く。何故か課題に集中して・・・、俄然やる気が出てきました。次も応援します。
気持ちのいいメールだった。
中村俊輔選手のゴールが見ることが出来ただけでも・・・。私にとっても嬉しいことであった。

甥っ子も、学校の課題に集中するという、私は、慣れない応援をしたこともあり、眠ることが出来ず落語を聞くことに。桂米朝落語全集、桂枝雀落語大全のDVDを毎回2本セット組にして貸し出して来てくれる友人がいて、米朝・枝雀二人会の落語三昧な日々が続いている。毎度のことではあるが、「ハイ!」といって渡される2枚組は、まさしく米朝・枝雀二人会。こんな、落語三昧の穏やかな日々が私には似合っている。

第九集まで借りている。手元にあった桂枝雀「かぜうどん」のDVDを見て気持ちを静めた。以前にも書いたが、落語は、CDよりやはりDVDの方が見応えがあって、落語は聞くものではあるが、見るものでもあることを教えてくれた。桂枝雀落語大全のDVD第九集「かぜうどん」の中の、物売りの模写が絶妙である。いろんなかけ声に思わず笑って、特に、金魚売りのかけ声が遠くに聞こえる、それを聞いていた人の眠気を誘い、やがてウトウトとしていき、ゴツンと床に頭を打って眠ってしまう。この頭がゴツンと当たる表現を、実際ゴツンと音がしたところに驚きが・・・。枝雀さんの独特の演出、枝雀落語の世界があった。

落語を見た後は、「医龍」の2週間分の録画ビデオを見て、結局は眠りたくないことに気がついた。
時々、夜眠ることが困難極まりない日があり、そんな日はいつまでも起きていることにしている。新聞屋さんのバイクの音がして、朝刊が届く。しらじらと夜が明けていく。鳥たちの鳴き声を聞きながらやっと眠りたくなって来るのである。

今朝は、私だけでなく、誰もがそんな朝を迎えているような気がする。

Hutarikai612

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2006年6月10日 (土)

天神祭

花外楼に勤めているときは、天神祭の特別料理会の宴会があったので、7月24日の宵祭り、7月25日の本祭りとも仕事であった。現場の人たちだけでなく、総務の私たちも駆り出され、エレベータ係りになったり、案内係りになったり、受付係りになったり活躍をした。花外楼の天神祭の日の仕事で、一番嬉しかったことは、花火の時間になると大阪証券会館の屋上で花火を見る。当時は、夜空を彩る花火が次から次と綺麗にみることができた。

天神祭の日の仕事は、私は受付になるときが多く、だいたいお客さまが揃ったらお役ご免になり、あとは、自由に天神祭の夜店に出かけた。花火を見に大川沿いに歩いたり、家族と連れだって、天神祭に参加することが多かった。ある年の、仕事をしている受付のところに、家族の者が訪ねてくれたことがあって、仕事が終わらなくてそのまま帰ってもらったことがあった。
じゃあね。と言って別れたすぐ後で、ここはいいから、もう帰ってもいいよと言われた。
今なら、携帯電話があって、待ち合わせなくても、待ち合わせ場所に着いたら連絡を取り合うことは可能だが、生憎、携帯電話の普及していないころだった。あの人混みに埋もれて、ほとんど探しようが無かった。北浜から南森町の方向の数キロ、足は通い慣れた大阪天満宮の方に向かう。しかし、天神祭の一日は、十数分で歩く距離のところでも、いろいろな行事が執り行われる関係で、交通規制が敷かれ、迂回した道は、どんどん目的地からは遠くなり、追いかけることがやはり難しくなっていった。

そんな日もあったなぁと、今はあのころを振り返っておもう。

大川には、天神祭を盛り上げるどんどこ船が往来し、この船に、店から御神酒をご祝儀で渡したりする。すると、船が近づいて、船に乗っている全員で「大阪締め(手打ち)」をしてくれる。

天神祭のお祭り騒ぎは、こうしてどんどこ船の往来で、数日前から盛り上がる。仕事そっちのけにそわそわし、天神囃子が近づくと、私は何よりこの大阪締めのやりとりが大好きで、誰よりも前に出て、窓から手を出し、「打ちましょ、もひとつせぇ、祝おうて三度」と言いながら手拍子をする。手が真っ赤になるくらい手拍子をした。

あの日の・・・・。天神祭の日に追いかけた結果はどうだったのか。
人混みも気にならなくなって、天満宮にのんびり到着すると、そこで、待ちかねたといわんばかりにばったりと会うことができた。あの人混みの中でのほとんど偶然といっていいくらいの出会いであった。

24日と25日の二日間で260万人(何年か前の観客動員数を覚えているだけ)を集客することができる、浪速のお祭りに、私だけかもしれないが大阪締め(手打ち)で盛り上がって欲しいとおもうのである。
今年も、日本三大祭りの一つである「天神祭」は、ワールドカップ・サッカー以上に盛り上がることだろう。行くぞ天神祭に!

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2006年6月 9日 (金)

妹はいくつになったのだろう。いい年のおばさんになった私の妹だから彼女もそこそこ年をとったことになる。が、不思議なもので妹はいくらしっかりしていても、大学生の息子ががいても、結婚記念日がちょうど銀婚式だといっても、妹は妹なのだ。

昭和も懐かしいが、妹のエピソードも懐かしい。どんな顔をして読んでくれるのだろうか・・・。

妹は内藤洋子に似ているとよく言われた。道を歩いていると、おでこ広いなあと、小学生の子供にからかわれ、悔しい涙を流すほど、負けず嫌いであった。しかし、辛抱強く、じっと我慢しながら成し遂げる力は親譲りなのか、その力は並大抵の力ではない。温和なところは、昔から変わっていない。妹は怒ったことはあまりないという。

小学生の時の修学旅行の帰り、妹は疲労の為に倒れた。用務員のおじさんが付き添って家まで送ってくださったことがあった。

うちの母は、妹をおぶって帰ってくださった、その用務員さんに食って掛かり、その後、叱られた。

「あんたねえ、子供に持たせるには多すぎる数ですよ、赤福をこんなに注文して、可哀想に、重すぎて、倒れたんですよ。だから、私がつれて帰ってきたんじゃありませんか。」再現すると、こういうことに。

妹はこんな昔話を覚えているだろうか?

「赤福」はその当時はあまり手に入らない珍しいものであった。伊勢神宮の参拝に出かけた者しか買えないと私はおもっていた。
特に修学旅行は絶好の機会であり、滅多に口に入るものではないから、おみやげとしては値打ちのあるもので、多分、母は娘の負担など考えずに、「赤福」を買ってきてと言ったのであろう。結果、妹は嵩高い赤福を我慢強く持ち、それでも倒れて用務員さんに送ってもらったのである。
今でも・・・。と考えると、「赤福」じゃなくても、何かを知らず知らず断り切れなくて、引き受けていそうだ。人がいいのである。
私なら,きっと「嫌だ!」がはっきり言っていたかもしれない。残念なことに私の修学旅行のことは覚えていない。

妹の昔話には、優等生の栄光の光ばかりが輝いているが、優等生なるが故の、苦労もあったのかなとおもうのである。

ブログを書き始めた頃、身内のことは書かないようにと、笑いながら「書くのはやめてね」と言わんばかりの厳重注意があった。なるほど、辛辣なことを書いてしまうかもしれないし、共通の事柄は私は別にかまわないことでも、妹の立場だと嫌なことがあるかもしれないおもうが、さて、どんな感想を持ってくれるだろう。
愛して止まないたった一人のきょうだいだもの、これからも大切に仲良くしていきたいと願うのである。

天神祭の日に生まれた妹。大阪人としては、最高の日に生まれた彼女は、結婚をして、群馬に嫁いだために、毎年260万人からの観光客で賑わう天神祭りには、最近ではほとんど大阪には居ないのである。
私はこの日、異常に興奮し「大阪締め(手打ち)」をしたくなる。妹の分まで楽しんで、誕生日のお祝いをしているのかもしれない。

data:
「大阪締め(手打ち)」とは:手を左右に大きく広げ、(かけ声から手拍子へ)
「打ちましょ、手拍子(ちょんちょん)。もひとつせぇ、手拍子(ちょんちょん)。祝うて三度、手拍子(ちょちょんがちょん)」

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2006年6月 6日 (火)

すごろくロゴスをめざす!

某月某日。8621の宇野さんにお願いして、箕面市にお住まいの、山本正勝先生とお会いすることができた。先生は有名な双六蒐集家ではあるが、気さくな方である。以前にも8621のメンバーと一緒に伺ったときにお会いしている。
双六が収納されている庵に案内される。蒐集された美しい、優雅な双六はさらに増え、引き出しはいっぱいの双六を惜しげもなく次から次へ見せていただく。これもあるよ、こんなのも、机にでぇーんと積み上げ、また、何十枚もの双六を引き出しの中から出して来ださる。決して、「丁寧に扱ってください貴重ななものですから」なんて言わない。

たっぷりと時間は過ぎていった。双六大好きの私にとっては、一日中いても飽きない心ゆくまで楽しめる場所であった。山本先生の双六の立派な「双六遊美」に次ぐ「絵すごろく」のご本を頂戴した。

私は、何を隠そうクロスワードや双六を作ることを、楽しみの一つにおもっている。漆のことがちょっとでも分かるようになる、土のことが勉強になるという作り方で、一畳くらいの大きなすごろくを作ったこともある。本を読むことや、テレビをみること、料理を作ること、ほぼ同じくらい当たり前のこととして「双六をつくりたい」や「クロスワードを作りたい」という時間を持ちたいとおもう。

特に、双六つくりは、何ヶ月もかけて資料を探して完成させる大作を作ってみんなで遊ぶことが面白かったが、最近では、双六作りキットなるものがあれば、参加しやすいかもしれないと、双六の台紙をオリジナルで作った。
雀、朝顔、いろは、落語のネタなど身近なテーマのものまでみんな双六にしてしまいたい。いつでも、どんなテーマでも簡単に双六が作れるようにできると、人生ゲームさながら、自分で楽しむ双六ができるのだ。

楽しいこと、浮き立つことを後回しにはしたくない。双六&クロスワード制作者としても制作の楽しみを続けていこうとおもう。ネーミングも「壽古六Logus」。回文になっている。双六もクロスワードも楽しめるいい名前が考えられたとおもっている。すごろくロゴス語録ロゴすごろくLogos。老後の楽しみがひとつ加わった。今から準備しておくと、じゅうぶん脳を鍛えながら、すごろくロゴスを継続していけるだろう。
data:
「絵すごろく」生いたちと魅力 
 著者:山本正勝(翔奉庵主人) 
Sugoroku

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2006年6月 2日 (金)

探偵!ナイトスクープ

昨日の朝日新聞朝刊16面文化総合面に「探偵!ナイトスクープ」の記事があった。なんと、この番組の、話題を呼んだ作品が6月2日に初めてDVD化、発売されるそうだ。
懐かしい依頼番組の数々がおもい浮かぶ。お茶の間に、何とも言えない、素人が巻き起こす笑いの旋風が、再び登場するのである。何とも言えず感動したり,西田敏行局長が泣いているシーンも数々あるが、本当に真夜中に泣いているときがあった。
一番笑った作品の一つに、寝言をいう夫の癖を直したい。という妻の依頼。そのためには夫が寝言を言う、寝静まったところから撮影しなければならない。さて、依頼者の夫の寝言とは「当たり前田のクラッカー」だった。
大阪弁の五段活用。記憶が定かではないが、トミーズ雅さんが「この犬はチャウチャウ犬ではありません」を大阪弁で言うと「ちゃうちゃうちゃうねん」になります。には、笑い転げた。
上岡龍太郎さんが局長のころから見ているファンとしては、どんな収録であっても面白いに決まっている。馬鹿馬鹿しいに決まっている。懐かしい時代にきっと引き戻される。こんな面白いことがあったぞと次の日に話題にし、再び笑う。探偵ナイトスクープは、笑いというものをいろいろな角度で検証した宝庫なのだ。
先日投稿のあった、岡部まりさんにそっくりな声が聞こえる「淀屋橋地下鉄駅付近の案内アナウンス」の場所に偶然通りかかった。私も思わず、岡部まりさんにそっくりな声が聞こえる方向に引き戻された。投稿した人に気持ちになって佇み、そして、笑った。

大阪人はどんなところでも、どんなことをしても笑うのである。探偵!ナイトスクープの求めて止まない、笑いの文化の行方を、視聴者のひとりとしてにこれからも見届けていきたいとおもった。

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2006年5月30日 (火)

空席以外は満員で

五月が終わってしまう、いったい私は何をしていたのか、手元の手帳をみると、やはり、落語を追いかけた1ヶ月であった。5月4日に義太夫教室の発表会があった。有志メンバーが日頃のお稽古の成果を発表するものであった。私は舞台に立つことはなかった。

受付付近で聞いていた。師匠の英大夫の緊張感が伝わるけれど、始まってしまえば、楽しいの一言につきる。桂吉朝一門のあさ吉さんも出演され、最後に本職の落語で一席。英語落語の試みが披露された。

米朝一門のお弟子さんは必ず、米朝師匠宅で内弟子経験をする、まくらで米朝師匠が目の前にいると言うだけでご飯が食べられた。おそるべしあさ吉。人間国宝というブランド米でもあるまいし、おかずが米朝師匠でしたには、大物じゃないと言えないせりふ。米朝師匠に口移しで教えてもらえる短い話「くちなし」という話を、英語に訳した落語を聞いた。5月10日の元町寄席恋雅亭では、あさ吉さんも出演されて、トリは、主任桂雀々さんで「???茶漬け幽霊」を聞いた。
今月18日の雀々さんの独演会は「手水回し」「猿後家』「疝気の虫」はおなじみ過ぎて、笑いも普通。で、一区切り、と思っていたら、7月22日なわて寄席があった。無意識に切符を手に入れた。

なんにもないのどかな土地で開催された落語会を思い出す。
実は、あさ吉さんのお師匠さんの吉朝さんの舞台を、2004年の3月、奈良県川西市で見ている。これは、今思えば貴重な舞台であった。「吉朝・雀々二人会」。3月の奈良の舞台には桂吉朝さんがいて、はじめて桂雀々さんの落語を聞いた。この日はもちろん吉朝さんを追いかけて奈良まで朋友貴地邦くんを誘って行ったが、「空席以外は満員で」と言われたくらい、人数が少なかった。前の方に移動してくださってもいいのですよ!などという言葉も今になっては懐かしい。
この日に、静と動という,相反する落語を聞いて、私は、この二人の落語会は断じて同じ日に聞けないなぁ、別々の日に行くぞと心に決めた。

このときから、今月までズーッと桂雀々さんの落語を追いかけている。吉朝さんの落語は吉朝の日に、雀々さんは桂雀々さんだけを聞きに行くことに。そして、桂雀々さんの落語会を毎月一回探して追いかける2年が経った。昨年の新春落語会は、田中陽子さんと明石まで行った。紅白まんじゅうをいただいた。
吉朝さんは今はなく、桂雀々さんには、追いかけることを迷惑だと思われるまで続けるとおもっていたが、そのようになりつつある。池田市主催のアゼリア寄席、「蛇含草」がよかった。初めて聞く落語ではあったが笑わせてくれた。ときどき師匠の桂枝雀さんが肩に降りてきたとおもった。

桂雀々さんを追いかける切っ掛けにもなった「空席以外は満員で」の舞台。お二人の舞台をみたことのある貴重なお客さんになれたことを、ちょっとだけ誇りにおもうのである。

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2006年4月23日 (日)

ゆるキャラ嵐

テレビをつけると、テレビチャンピオン決定「ゆるキャラ日本一」という番組が。
たぶん、いきなりチャンネルを変えても分からない人は何のことだかさっぱりわからない番組だが、悔しいけれどわたしは委細承知「がってんだぁ」という感じですぐ分かってしまった。まさかとおもうが出演者は?!、なんと審査員席には、みうらじゅんさん、糸井重里さんの顔が映っているではないか、これは見なければ。

ゆるいキャラ(みうらじゅん著『ゆるキャラ大図鑑』参照)を全国から応募し、トーナメント形式で戦わせようとするが、面白い。こんな番組があっていいのだろうか。ゆるい、という共通言語で集まった、キャラクターたちの乾いた、かわいらしさ、アピール度により予選通過となる。かけっこの競争があったり、着ぐるみの程度により動きのゆるいものが有利となって勝負に負けても審査員のゆるいときめたキャラは予選通過となる。最後の相撲の試合においては、ゆるいという日本一を決めることも忘れ勝負に挑んだキャラは次々と勝ち進むが最後には、糸井命名の「脱ぎ落とし」なる技で負けてしまった。
秋田県秋田市のキャラクター(杉をイメージした)「スギツキ」が優勝。
ゆるいというキャラクター、ゆるキャラ日本一を手にした秋田市のキャラは、頑張ることをしないでも勝ってしまった。なんという潔さ。なんというミラクル勝利。そしてなんというゆるい番組。第2弾もあるらしい。
面白い、こんなことで面白がっているみうらさんも、糸井さんもゆるキャラなんでしょうねえ。わたしもゆるキャラを考える。「ゆるキャラ嵐」
友人からメールが届く、「春はゆるりとまいりまひょ」って。花造りや野菜を育てている自然派、ゆるキャラではお姉さん。私がメールに頑張るとか元気でやっていますって書くと「却って心配やわぁ」って言ってくれる人。「ゆるキャラ嵐でいくから、心配せんといてねぇ」

「そもそも、ゆるキャラになんで嵐がつくのん!!」
「嵐のように現れて、嵐のように去っていくって、ゆるくないよ! きっと 」

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2006年4月 3日 (月)

春一番が今年もある!!

服部緑地野外音楽堂。春一に誘われて、出かけたデビューの日は、一日中、雨が降っていた。昨年は最後だというので、終わるとなんとなく寂しくなって娘を誘って出かけた。

昨年の三日目、最終日5月5日の公演は、押尾コータローさんは午前中に出演、お目当ての山下洋輔トリオ復活の貴重な舞台も前半に終わっている、麿赤児の舞踏、黒田征太郎さんの即興ペインテイングのパフォーマンス。坂田明さん、森山さんの楽しそうな顔、山下洋輔さんのピアノは流れるように、ご機嫌に鍵盤をたたく。森山さんは、ドラムのスティックを放り投げ気持ちよく舞台を降りた。もうそれだけで、燃焼しきっていた。最後のスペシャル出演はないと分かっていたが、何年か前に、木村充揮VS山下洋輔さんの最後の出演もあった。勝手に期待をしていたが、それは叶わなかった。春一メンバーは最終日の最後の舞台で、来年はなくなるようなことをみんなが口々に叫んでいた。

娘が「ぴあ」を見ていて、「また、春一があるよ!」と言った。

やはり、終わらないようだ。ファンの人たちからのリクエストもあったんだろうね。そりゃあ、2月の木村充揮さんのコンサートも盛り上がったから、なくなるような気がしなかった。
2月11日の木村充揮さんの30周年コンサートは、5時間ぶっ通しで聞いた。5時に始まって終わったのが10時だった。あの熱気も体の一部に残っている。春一番の朝から日没までのことを思えば、楽だった。
雨の中でも、カンカン照りでも、跳びはね、叫び、歌い、が春一ならば、みんなが望む、楽しい空間に、楽しいメンバーが集まってきて欲しい。そんな春一番であって欲しい。

そして、続けて欲しい!

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2006年4月 1日 (土)

落語の大らかさ

林家正蔵改め彦六と改名をした落語家のCDを朝から聞く。落語三昧も板について来た。収録日は昭和56年、彦六、最晩年の高座である。正蔵改め彦六人気は衰えず、大入り満員間違いなしの舞台だったと想像する。
「永代橋」(収録日1981.10.19)、「蔵前駕籠」(収録日1981.5.8)、「穴子でからぬけ」(収録日1980.6.19)、「やかん」(収録日1981.3.13)。桂雀々さんが、落語の中で登場させる正やんはこの林家正蔵であろう。


「永代橋」は、出かけた主人公が永代橋に差し掛かったところで、財布をスラレル。重要な場面である、江戸っ子の威勢の良さでぶつかっちゃって、とくるとおもっていた。財布をスリにすられてしまうわけだから、胸の辺りに検討をつける、彦六師匠はというと、間違っちゃったと、ぶつかりどころが別の場所に。だんだん胸の当たりに近付いてくる。思い出しました。とくる。

お客さんの気遣いながら、の雰囲気が伝わってくるようだ。しかし、見ている人はヒヤヒヤドキドキだったかもしれないが落語の醍醐味、生の高座をみるという贅沢。このテープには、彦六ご本人の大らかさが滲み出ている。落語にはこの大らかさが必要だ、と最近、いろんな人の落語を聞きながらおもうのである。

一番に伝えたい噺を伝えなくてはならないが、例えスリがぶつかったところが胸ぐらでなくても、言い間違えても彦六さんのような噺家が言ってくれているなら、勝手に修正するよ!おいら平気だよ!とおもうのである。伝えたいものはストーリーだけではないのである。

一言一句、正しい落語が面白いとは限らない。お客から笑うということを引き出すのであるから、お互いにほどよい距離感が必要になる。決して一方的ではないのである。落語には、お客に想像させるという行為を委ねているわけで、そこには、お客の気持ちも反映される。面白くなければ、笑わないお客もいるだろう。そこでムキになってはいけないのである。もちろん、聞く方もムキになってはいけないのである。

落語にはまっている。落語の大らかさ・普く通じる高座を追い求めて、落語三昧な日々は、つづく!!

data:明治28年(1895)生まれ、昭和25年(1950)に林家正蔵を襲名、85歳(1981)の1月に彦六と改名。86歳(1982)1.29に亡くなる。

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2006年3月30日 (木)

米朝・枝雀二人会 まだまだ続く

ドラマの最終回ラッシュで、米朝・枝雀二人会を見ることができずにいた。友人からは、次のDVDが届く。米朝「らくだ/京の茶漬け」枝雀「高津の富/不動坊」。
米朝師匠のらくだは高座で見たことがあり.改めて大ネタの面白さを確認することができた。「高津の富/不動坊」も文句なく面白い。「饅頭こわい/替り目」。枝雀さんの「替り目」いいねえ、酔っ払いの身体が低く低くなって頭がぐるぐるまわっているけれど芯が(軸)ちゃんとしているから座布団からはみ出しても、着物が着崩れても心配はいらない。
奥さんのことをほめる時の仕草がかわいらしい。この収録の時は、枝雀夫人は三味線を弾いていらっしゃて、舞台のそでの方にいらっしゃったとか。

米朝・枝雀二人会bachmoon特別企画。「不動坊」の聞き比べなどをして寄り道をする。ここで私の宝物・桂吉朝さんのテープも参加させ、「不動坊」名人三人会のはじまりはじまり。パチパチパチ。完全なる落語オタクになってきたわ。

枝雀さんのDVDには、枝雀散歩道というお弟子さんが、師匠・枝雀さんの思い出を語るコーナーがあってこれも思い出話が素敵だったりする。ますます枝雀さんの落語の面白さが伝わってくる。やばい!イチローではないが本当にヤバイ!落語漬け。

DVDに留まらず、ライブも、行きたい。次々と気になる落語会の予定を入れて行く。極付十番桂春団治は切符を手に入れた。自由席らしいから早めに行くぞ。桂春団治師匠のこの企画は芸歴60周年の集大成。春はうきうきすることがいっぱい、そんな日常のなかの贅沢三昧。これでいいのだろうか・・・。
落語三昧の日。つづく!

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2006年3月22日 (水)

藤沢周平の幻の短篇

没後9年目の贈り物.藤沢周平の無名時代に雑誌掲載された短篇小説14編が讀むことができる。『オール讀物』4月号掲載!!今日買って讀もう!

買いました:順次掲載予定、今回は『上意討』と『佐賀屋喜七』の二編

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アンフェア最終回を見て

犯人、安藤刑事でしたね。
うちの娘は、「安藤刑事が犯人でも、雪平をおもう気持ちに嘘がなかったこと、みおちゃんに優しく、最後まであきらめない「ゆうき」のひとことを残してくれたことに納得します」と言っています。
私は、安藤刑事が最初に栞を見つけたシーンを覚えていたこと、アンフェアの最初のコメントのナレーションが毎回変わっていたこと、ヒントはあったなぁと、最後が安藤の声だった、気が付きましたか?

牧村、安藤兄弟復讐説はなかったですね。脱帽でした。でも、最後まで、犯人が分かっても面白かったし、安藤の銃に玉が入っていなかったシーンには、ジーンときました。瑛太さんが主人公でした。寺島進の山路さん、最後かっこよかった。力抜く日々のいわしさんのところに送ったコメントは犯人予想は安本さんのまま。お恥ずかしい限りです。犯人になってくださいコールの安本さんごめんなさい。加藤雅也の薫ちゃん最後までいい人でした。そして、篠原涼子の雪平役は役者としても篠原涼子の代表作になりますよね。最後の涙のシーンは納得いきました。演技上手くなりましたねぇ。

アンフェアの話は娘とよく話しをしたので、終わってしまうのが、楽しかった分だけ寂しい。娘も同じ気持ちです。アンフェアで、盛り上がった多くのお友達と本当にもう話しができないことが残念です。

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2006年3月12日 (日)

3月9日の日記:桂文紅師匠の言葉

「そないにたいしたもんやおまへん。」ちょっと照れたような喋り方、今思い出すと師匠はそう言いながら、そのたいしたことやないと言っていた落語を一番大切におもって大事にされていた。

文紅師匠の枯れた味は文紅師匠が一番よく知っていらっしゃったのではないだろうか。晩年に東京での独演会に挑戦されたのも、のりに乗っている時期があって、もう一つ越えたなら文紅師匠の会は必ず定着するはずだった。

入退院を繰り返されていたが、しっかりとされ、ぶらり訪ねてくださっても、長時間、お話しをして、犬の散歩がありますのでと言って帰られた。「何でもやりなはれ、思いっきり」、その師匠の言葉に、いつも励まされていた。

以前、鶴瓶さんの深夜ラジオの生番組に出させていただいたことがありその番組中、文紅師匠のお宅に電話をしている。なんとも言えない優しさ、いつも耳にしていた師匠の声がしっかりテープに残っている。

一年前の3月9日、私は、蕁麻疹になって、皮膚科の病院に行く途中の道で訃報を知った。あれから一年が過ぎ、先日一周忌が行われたが、今も師匠が身近にいてくださるような気がする。文紅師匠が残されたものは、落語を大事におもって自分のものにすること。それに尽きるとおもう。

「何でもやりなはれ、思いっきり」あとは私が引き受けた。そんな男気のある言葉は師匠だから言えたのかもしれない。

bunnkou39

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只今、米朝・枝雀二人会

最近、米朝師匠、枝雀師匠のDVDを毎回2本セット組にして貸し出して来てくれる友人がいて、この落語谷町の出現で只今毎日、米朝・枝雀二人会の落語三昧な日々が続いている。

それはあるきっかけがあって、雀々さんの落語会で、枝雀さんのDVDの「時うどん」を買った。そのDVDを友人に貸し出したところ、米朝DVD集に引き続き、もともと好きだった枝雀さんのDVDも買ったという。

しばらくして、「ハイ!」といって渡された2枚組は、まさしく米朝・枝雀二人会。枝雀さんのDVDにはおまけ(特典)がついていて、緊張と緩和の講座などが収録されたものもある。

たとえば、今夜の米朝・枝雀二人会は、米朝「猫の忠信」枝雀「池田の猪買い」、昨日は米朝「天狗裁き」枝雀「住吉駕篭」といったもの。これらの、組み合わせは毎回、次々と届けられたDVDの収録内容で決まるが、いつ返しても自由。

明日は、米朝「はてなの茶碗」枝雀「八五郎坊主」

落語は、CDよりやはりDVDの方が見応えがあって、落語は聞くものではあるが、見るものでもあることを教えてくれた。小道具の使い方、たばこや箸に見立てたセンスの使い方や手紙に見立てた手ぬぐいを懐から出すタイミング。面白いし、米朝・枝雀の落語に文句のつけようがない。

米朝「不動坊」枝雀「替り目」次々と待っている、二人会。

こんな落語三昧が許されていいのか、なんと贅沢なことか・・・、。私がご機嫌なことはいうまでもない。

hutari312

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2006年3月 8日 (水)

春にうまれた人

西澤はる子さんに初めてお会いしたのは、料理の取材で伊賀上野の本陣こんにゃく屋へお邪魔したときで、20年くらいは経つだろう。取材の後、何回か伊賀上野まで行った。気が合うと言うことは時間など必要なく、はる子さんとは年齢は離れていたが、友達になることを予感した。

お嬢さんの住んでいらっしゃる芦屋に泊まる予定で大阪に来られたときは、大阪で待ち合わせてお会いしたこともあった。文通を通してさらに仲良しになった、真夜中の電話での会話も懐かしいことばかりだ。
そのはる子さんが、病気でお亡くなりになり、故人とだけ親しかった私は、友達の関係がなくなった。

短い文章を書いて「自分新聞」に、はる子さんのことを載せた。不躾に思われたかもしれないが、仲良くさせていただいたから、寂しいです。というようなお手紙を「自分新聞」と一緒に送った。
一年くらいして突然、芦屋に住んでいらっしゃる、と聞いていたお嬢さんからハガキが届いた。「お手紙有難とうございました。とてもうれしかったです。早くお会いしたいと思いながら、今年は役員の大当り年でもっとも忙しい11/23の大会にむけて学校と仕事場の往復です。これが終われば絶対に会いに行きます。」

そして、電話があった。お互い面識もなく、お母さんのはる子さんを知っていたというだけの私に、娘さんの春美さんは、よく喋り、よく笑うことで、一気に友達になってしまった。気が合うと言うことは時間など必要なくて、お母さん譲りの出会いだった。
「はる子、春美、みんな名前に春がついているのは、春に生まれたからですか? 」「私も3月生まれなんですよ・・・・」
三人が春にうまれて、誕生日も近かったことで、また話が盛り上がり、年末に大阪でお会いしましょうと言って電話を切った。会う時間を決めるときにもう一度、電話がかかる。
春生まれの共通は明るく、よく喋り、よく笑うことまた長い電話になってしまって、「時間を気にせず楽しくしゃべりたいので、年が明けてからゆっくりお会い会いましょう、そうしましょう。楽しみにしています」と言った電話が最後だった。

平成7年1月17日。阪神淡路大震災の地震で、芦屋市茶屋町にお住まいになっていた春美さん一家は、春美さんも旦那さんもお二人の子どもさんも4人全員死亡、帰らぬ人となった。新聞の死亡記事欄に春美さん一家の名前を見つけたとき、奇跡はおこらなかったのかと・・・。春美さんが、どんな顔をして、どんなお知り合いがいて、どんな人だったのか、どんな最後だったのか。私は知らない。
私たちは無邪気に会う約束をしていた、春美さんと会って、はる子さんのことで喋ることがいっぱいあった。楽しみにとってあった、その約束はついに果たせなかった。

仲良しになれる思った春美さんと、一瞬でもめぐり会えたこと、明るさと、暖かさをもっていたお二人に出会えたこと今も大切におもっている。
hana38

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2006年3月 7日 (火)

花椿と映画特集

部屋をとにかく片付けないと、とおもう日は朝から天気が悪くて、仕方なく、仕舞い込まれた段ボール箱を出しては、一つ一つを開けていく。荷物の整理はこういうことをしているから、かえって手間どる。片付いたとおもいたいので、二つの箱を一つにしてお茶を濁す。手紙や溜めていた資料の中に、偶然現れたモノが、本日というダラダラとした今を、躊躇なく刺激する。

出てきたモノは1979-1NO343の「花椿」。資生堂が今でも出している出版物のひとつだが、何と表紙を飾る女の子は、初々しいころの風吹ジュンさんである。

この花椿が何故残っていたかというと、特集:ミュージカル映画と『ウエスト・サイド物語』の記事、ミュージカル映画1927年〜1978年のインデックスが数ページに渡って紹介されていた。30年前も、今も変わらないことは、別に明確になったところで何の得があるわけでもないのだが、「特集やベスト10」の類いに非常に弱いことが分かった。
雑誌の特集モノ、ベスト10モノは捨てがたく、つまり、花椿を特に残していた訳ではなく、特集モノの記事を残していたことが分かる。「花椿」のことに戻ると、表紙を飾る風吹ジュンさんの[表紙のこと]のコメントは、「デビューして5年、そろそろおとなの女への転換期といったところ。時どき、画家の風間完さんの絵のモデルをすることも。」とある。風吹ジュンさんは、可憐な色気をこの頃から醸し出している。カメラもいいい。写真は十文字美信さん。
hanatubaki

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2006年2月 1日 (水)

桂吉朝という落語家

CDやビデオテープでしか桂吉朝さんとは会えなくなった。3年前のサンケイホール独演会後のことである。サンケイホールの楽屋に続く廊下で麻のスーツに帽子姿の吉朝さんとすれ違った時、吉朝さんをとらえることができなかったことがあった。貴地邦くんに「姉さん、今、吉朝さん歩いてはったん気が付かなかったん」。あまりに印象が希薄だったために、不覚にも吉朝さんを見過ごした時のこと思い出す。
色白の吉朝さんが高座を終え、素に戻り、お弟子さんに取り囲まれるように歩く姿は、バリケードを作ったみたいに、さらに人を寄せつけない雰囲気があった。

吉朝さんの落語は、よく米朝師匠ゆずり落語だと言われ、古典落語の間や自在な魔法のような切り口には定評があった。人を惹き付ける、ほっとけないような話術と、まったりした印象は、「蛸芝居」「饅頭こわい」『だんじり狸」「はてなの茶碗」・・・毎回納得できる噺が聞くことができる、次の高座を楽しみにしていた。鮮やかな語り、所作、落語の面白さ、安定した古典落語を聞くことができた。いずれ、それぞれの落語はDVD化されるに違いない。それまでは、自前の録画テープを大事に見るしかないなぁ。
形見噺のCDと写真↓。昨年12月21日のお別れ会の時にいただいたもの。
kiti333

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2006年1月22日 (日)

三十石〜三十石夢の通路〜

三十石船のことを調べているうちに、桂米朝「三十石〜三十石夢の通路〜」の噺に行き着いた。先代桂小文枝はこのネタを質に入れた話しや五代目笑福亭松鶴も得意とする大ネタであることが古い文献に登場する。落語家なら、一度はこの大ネタに挑戦しないわけにはいかないから、桂米朝師匠の三十石もきっとあるとおもったが、米朝全集をDVDでもっている友人に聞いたが、「三十石」はノミネートされていなかった。図書館でCDを探した。
桂米朝師匠も昭和61年7月17日〜18日に大阪サンケイホールで収録されている。CDの解説には、「体力も声量も要るはなしなのでこの辺りでやっておかないと生涯やれないかもしれない」と書かれている。確かに登場人物の使い分け、男も女も何人くらい登場するのかと数えてみたが、主人公の清八、喜六のほか、船宿の主人や船頭や船客とあまりの多さに驚く。最後の最後に登場する犬の鳴き声にはその熱演にお腹を抱えて笑った。

米朝落語全集を片手に、探し当てた「三十石」の話しを聞くと、本には書かれていない部分が米朝師匠の工夫なのであろう。流石と言うべきである。大満足の大ネタを聞くことができた。
後半49分を過ぎたところ、舟歌の、ところで、もう一つ工夫があって、下りと上りの船頭の掛け合いがある。上り舟のその声は、確かに、吉朝さんの声であった。始めて聞く「三十石」の落語が楽しめて、しかも、数十秒の声ではあるが、思いがけず掛け合いのところで吉朝さんの声が聞こえた。1.鳴物(しゃぎり)1分11秒。2.「三十石〜三十石夢の通路〜」55分9秒。

beityou22

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2006年1月19日 (木)

19日は「トークの日」

ブログを始めて、いつか書こうと思っていたことがある。19日はトークの日のことである。

聞いて欲しいことがある。そのエッセイが、トーク賞に選ばれ、第3回・NTTふれあいトーク大賞100選に、応募作品が載ったことがある。和田誠さんの表紙イラストが多くを語り、巻頭ページの挿入イラストも和田さん、無人島で、ひとりの男性が、人魚のあなたと話している「あなたの声が、なによりです。」のコピーは今読んでも古さを感じさせない。1と9のイラストも和田誠さんのもの。

「トークの日」OBとしては、発想がほとんど、「何か言いたい、聞いて欲しい」ことをまず書くことになり、喋りたいことと、書きたいことが、裏腹になるときがある。

ブログが盛んになり、私を含めて多くの人が日記やコラム、つぶやきに至るまで活字にし、毎日書くことを始めている。こんなことは、17年前には思いもつかなかったことである。
実は、あの頃、応募入選した人たちが、どれくらいブログに書いているのかが、急に知りたくなった。
「トークの日」のあれこれ、すっかり忘れている今日も、トークの日である。

19日は毎月くるんだけれどなぁ。毎日トークの日なんだけれどなぁ・・・・。

19nohi

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2006年1月12日 (木)

天国からの贈り物?!

藤沢周平さんの初期の文学が作品13篇見つかる記事が1月11日朝日新聞の夕刊に載っていた。前にも書いたが、私は、藤沢周平作品を皆んな読んでしまっている。
時々,市井ものの短篇を一冊持って出て、電車の中で読む。読んでいるうちに、涙が出て困るときがある。何度、読み返しても新鮮な理由は、短篇の書き出しが藤沢周平作品の見事なところであろう。どんな作品でも一行で、時代小説に引き込まれる。この筆力は、藤沢周平の力であろう。
しかし、もう藤沢作品の次回作品が読むことができないことが残念でたまらなかった。今日の記事によると、直木賞をとる、10年ほど前に書かれた作品が見つかったそうだ。藤沢さんが望むと望まざるに関わらず、作品は見つかり、何らかの形で、幻の単行本ができるとしたら、次回作品ではないが藤沢ファンにとって、これほど嬉しい贈り物はない。

huji18111

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2006年1月11日 (水)

藤沢周平文学に惚れた、次にあらわれた作家は・・

一番熱心に小説を読んだのが藤沢周平文学である。山本周五郎も池波正太郎も柴田錬三郎も五味康祐も一作品くらいは読んだ。あまり読んだことがない司馬遼太郎のものでも、『妖怪』、『功名が辻』など、誰も読まない作品を選んで読んだ。
最初は時代小説を改めてわざわざ読みたくなかった。藤沢作品は、先輩である手塚夫妻の勧めもあって読みはじめ、本を送ってくださって、次々と読んでいくうちに自分でも本を買った。
同じ文庫本が2冊も3冊もある。本屋に残っている単行本で新作の帯につられて同じ本を買ったり、用心棒日月抄『弧剣』『凶刃』がもっとも多い。これは、多分主人公にも惚れたような気がする。『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』などは必殺剣法を楽しみに読んだ。剣客小説の新しいヒーローを生み出しながら、時には、女性が主人公になって、夫を助けに来るという内容のものがあった。藤沢周平さんの描く女性には、女性も納得できる女のふわりと優しい力が描かれていた。

短篇は、宮部みゆきさんの小説も人気があるようだ。先日『幻色江戸ごよみ』も読んだが、妙に細部にこだわり、そのこだわり方が説明的でくどすぎるという印象をもった。江戸時代に生きていたわけではないのであるから、なかなかすんなりと物語に導くことは難しいが、藤沢周平さんの書き出しには及ばないことが分かってホッとしたような寂しいような。
妹が絶賛する、宮部みゆきさんの小説に期待したこともあって読んだのだが、宮部小説を読破する気にはなれなかった。

藤沢周平文学に惚れたbachmoonの願いは、藤沢周平文学に劣らず、惚れる小説を読みたいと思う作家に出会うことだった。そして、昨年、読んでみようかなと思った小説家は、生前一冊も読んだことがなかった。その作家の文学に、今、まいっている。
藤沢周平を失ってから9年、再び小説を読む気にさせたその作家に出会えたことは、今思うと幸せなことであった。何故出会わなかったのかが、不思議ではあるが、「求めていなかったからだろう・・」に行きつく。400冊にも及ぶであろう作品の読破はまだまだだが、何年かけても、大切に大切に読んでいこうと思っている。

huji1819

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2006年1月 8日 (日)

再び、吉朝さんのこと

いま、私の白い机に、白いiMacの前に、白い猫がある。陶芸家・仲田イサ代さんの作品で、色白の吉朝師匠のイメージだった。猫が好きだった桂吉朝さんに、いつか渡そうと考えていたものである。しかし、渡せなかった。その白い猫は、揃えた手の先にある、小さな獲物をねらって飛びかかろうとする一瞬を捉えた作品。小さな獲物付き。グリーンの目の色は真っ白の猫のポイントにもなっていて、長いしっぽも動きだしそうである。

吉朝さんが亡くなった当時は思いをぶつけるように、このブログにも書いたが、書き続けるともう書くことが無くなることが急に辛くなった。米朝師匠や一門のみなさんのことを思うと悲しんでいることの方が躊躇われた。
1月6日の日経新聞夕刊に、米朝師匠の記事が載っていた。惜しい、と言われるとつらくなります。の小見出しの後の記事を、一部分、抜粋掲載をお許し願う。
「(その日の高座は)だんだんよう(良く)なってなあ。演(や)る前から最後の高座や、言う人もおりましたが、私はこれだけやったんやから、それを力に元気になるんやないかと思うたんです」「惜しい、と言われると余計つらくなりますな。最後に演じた『弱法師』は私の師匠の(桂)米団治が復活させた噺で、笑いの少ない、難しいネタですわ。地味なことにコツコツ取り組む男でしたな。ほんまによう頑張った。吉朝は録音は残しましたが、本は書かなんだ。いつになるか分からんけれども、吉朝の本を書いて残してやりたい」
米朝師匠の吉朝さんへの溢れんばかりの慈愛を感じた、大阪社会部 中沢義則さんの書かれた文章に、やはり、泣いてしまった。そして、社団法人上方落語協会誌『んなあほな』第5号12ページに桂吉朝を偲んでの記事も読んだ、吉朝一門の弟子7人が思い思いの師匠への追悼記事を載せている。吉弥さんの僕は師匠に甘える方のタイプではなかった。はよく分かるような気がする。

お別れ会の日にいただいたCDのおじぎをしたままの吉朝師匠の写真が、手を揃えおじぎをしている猫と姿が同じに見えた。そんなわけで、いつか渡そうとおもっていた白い猫は、私の手元に残った。
「決して、名前をつけて、呼ばんように・・・・・・・」

data:日本経済新聞1月6日夕刊17面こころ 毎週金曜日に掲載 シニア記者がつくるこころのページより 「笑いの効用とは」桂米朝さんに聞く 大阪社会部 中沢義則さんの記事を抜粋掲載
社団法人上方落語協会誌『んなあほな』第5号 「なんで逝ってもうたんや!」桂吉朝を偲んで
kiti2006

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2006年1月 3日 (火)

一年の計は元旦にあり

年末は紅白、K1、サザンオールスターズの年越しライブと、目まぐるしくチャンネルを変え、ほぼ全部の番組の、ところどころを見た。カウントダウンはWOWOW。桑田さんと一緒に、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、あけましておめでとうございます。
横浜アリーナの会場は、大勢のファン。上段からの映像はサザンの人気が一目で伺える。センター、アリーナ、スタンド、立ち見とほぼ総立ち。
大歓声。カウントダウンの後、覚えているままに、曲名を紹介すると・・・・セイシェル、愛と死のロンド(輪舞)、JUMP、愛と欲望の日々、別離、ごめんよ僕が馬鹿だった、原由子さんソロの曲、リボンの騎士。メンバー紹介。

新しい曲と昔の曲が交互にでてくる。栞のテーマ、Bye Bye My Love、恋するレスポール、夢と魔法の国、知っている曲にはホッとし、新曲には会場が揺れる。ロックンロール・スーパーマンの歌の時、上から白い風船が降って来る。私は、ミス・ブランニュー・ディ、マチルダBabyが懐かしく、ハートにバキューンのBOHBO No5. 。中締のあと、着替えて再び登場、勝手にシンドバッド、TSUNAMIは、まさに胸がキューンとなった。
途中、我を忘れる、睡魔が襲う。アンコールは「心を込めて花束を!」
それにしてもテレビの向こうの横浜アリーナの人たちは文句なく凄い!3時間歌いまくる桑田さん、サザンのメンバーも凄い人たちだとおもう。ラスト曲は「神の島 遥か国」。
メンバー紹介の後、桑田さんの言葉の中に「今年で28年目になるのです。」という言葉があった。その言葉には、29年、30年目を目指すという心意気も、継続は力なりも、ちゃんと示されているようにおもった。娘がサザンとほぼ同い年。今年は戌年。サザンが誕生した頃に映した、娘となかよしだったワンちゃんの写真が出てきた。

一年の計は元旦にあり。今年の一年も興味のあることは尽きず。bachmoon

data:ウルトラマンか、パンダのぬいぐるみを放さなかった2歳頃の朋子、よくこの犬の背中に乗せてもらってはしゃいでいた.
大家さんのところで飼っていた、チャウ-チャウ犬「たんたん」。
tantan

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2005年12月31日 (土)

有終の美を飾る

今年も残り僅かに・・・・。
1年を振り返ってみると、悔しいこと、特に落語家の桂文紅師匠、桂文枝師匠、林家染語楼さん、桂吉朝さんを失ったことだろう。
嬉しかったことは、桂文紅師匠のお葬式に出会った、笑福亭鶴瓶さんの優しさ、2月に桂米朝師匠とお会いできたこと。その時にいただいた傘寿のてぬぐい。8月に山下洋輔さんに出会え、生の演奏を聴いたこと。そのときいただいたサインは私の宝物。国立文楽劇場楽屋口近くで吉田簑助さんと何回も出会えたこと。興味のあることは尽きず、@niftyココログでbachmoonが誕生したことだろうか・・・。そして、健康第一でいられたことを何と言っても有り難くおもうのである。

29日に、花外楼の姉妹店「アイルモレ・コタ」が閉店ということで、ファイナルパーティーに参加した。コタのお別れ会に、会長がご挨拶されるという時間に間に合うように、元同僚の千鶴ちゃんと、清水玉子さんと北浜の駅で待ち合わせ、通いなれた地下道を何年ぶりかで歩いた。

大阪証券会館の西となり。コンクリートの打ちっぱなしのビルは当時は斬新な建物であった。ここに、老舗のお嬢さんが、花外楼の料理はもちろん提供し、ざまざまな情報を発信していくという試みが長年続けられた。例えば、桂歌之助の落語会やシャンソンの会。咲大夫のトーク、フラワーアレンジメントの講習会、本店の重厚なものとはまた違った試みは、周辺を刺激し、活力を与え続けて来たようにおもう。

従業員の誕生日会、コタ昼の市などでは、欲しい品物を競り落とすオークションなどもあった。私は、総務部で、コタ担当だったもので思い出も多く、店長や料理人との交流もあった。

その日は、会長、ご寮人さん、室長、社長、明石部長、産屋敷店長。水原部長、お駒姉さん、久しぶりに懐かしい顔に出会った。人人人。ご寮人さんはかわいらしく私のカメラにちゃんと納まってくださったし、当時若社長とよんでいた、現社長からも「また、遊びにおいで」と言われ花外楼にも立ち寄ることができることが、嬉しかった。アイルモレ・コタを閉めてしまうが、花外楼が残ることで、やはり救われたようにおもう。明るい日差しの元で、パーティの時間はゆっくりゆっくりと過ぎて行った。
アイルモレ・コタ復活を願って、心の中でエールを送った。

今年一年ありがとうございました。そして、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。bachmoon

KOTA

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法善寺横丁

心斎橋そごう本店の、14階ギャラリーで開催中の「粋な男 藤山寛美展」を見て来た。日本の喜劇王・藤山寛美さんの輝かしい足跡が、遺品や小道具や衣装、台本などの展示で懐かしい舞台が蘇って来る。中座楽屋の再現、会場には、寛美夫人のインタビュー映像などに加え、寛美シアターと銘打ち傑作選「十八番箱」の上映なども試みられ楽しいイベントになっている。

私は、母が松竹新喜劇が好きでよく見ていたから、「十八番箱」の中の36作品は、ほとんどを見ている。とくに、「親バカ子バカ」「愚兄愚弟」「愛の設計図」「夜明けのスモッグ」「人生双六」「笑艶 桂春団治」など記憶に残っていて、演じる役者の名前がスラスラでてくる。渋谷天外、曽我迺家明蝶、五郎八(古いなあ)、藤山寛美、小島秀哉、小島慶四郎、酒井光子、高田次郎、四条栄美、中川雅夫、伴心平、大津よしこだったかしら、やさしそうなおかみさんを好演されていた。そうそう博多淡海のおばあちゃん役も忘れてはいけない。大阪に住んでいて、松竹新喜劇を観ていない人がいたらそれは残念なことだとおもう。

懐かしくて、立ち去りがたく、入場料800円で、何時間でもいたかった。最後のコーナーに見立て門の法善寺横丁の看板が外され、会場に本物があった。
今は、見立て門の法善寺横丁の看板はないのですか?いえ、ちゃんとダミーが飾られています。と回答が。中座の提灯も会場入り口で見ることができる。本当に懐かしかった。しいていえば、年表の縦書きは左から右へは読みづらく、せっかくだから、図録を作るくらいの気合いが欲しかった。
開催は9日まで(1月1日休み)。
HUJI

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2005年12月28日 (水)

月の法善寺横丁

私が、この曲を好きなことは誰にも言っていない。加賀一家の長男が持ち歌としていて、十八番の「月の法善寺横丁」の曲が流れると密かにやった!とおもった。誰かが歌ってくれるとそれでいいのだ。科白(せりふ)が上手いともっと得をした気になる。

この曲には、私の好きな大阪がある。たぶん、文楽の人たちも、藤山寛美さんも、お月さまも、織田作も愛した法善寺横丁、この歌には大阪の風景を人情を思い出させる。どぎつい大阪弁ではなく、語られる科白。私は歌えないが、歌詞がいい。科白も。

包丁一本 さらしに巻いて
旅へ出るのも 板場の修業
待ってて こいさん
哀しいだろが
あゝ 若い二人の
想い出にじむ 法善寺
月も未練な 十三夜

「こいさんが、わてをはじめて法善寺へ
つれて来てくれまったのは『藤よ志』に
奉公に上がった晩やった。はよう立派
な板場はんになりいや云うて、長いこと
水掛不動さんにお願いしてくれはりま
したなあ。あの晩から、わては、わては、
こいさんが好きになりました。」

腕をみがいて 浪花に戻りゃ
晴れて添われる 仲ではないか
お願い こいさん
泣かずにおくれ
あゝ いまのわてには
親方はんには すまないが
味の暖簾にゃ 刃が立たぬ

「死ぬ程苦しかったわてらの恋も、
親方はんは許してくれはった。
あとはみっちり包丁の修業をつんで
一人前の料理人になることや。な、
こいさん。待っててや。ええな、こいさん。

意地と恋とを 包丁にかけて
両手あわせる 水掛不動
さいなら こいさん
しばしの別れ
あゝ 夫婦善哉
想い出横丁 法善寺
名残りつきない 灯がうるむ

G教室の忘年会のはずだった・・・(役者そろいの面々に驚くばかり、我々の空間だけが、貸し切り状態。別のお客さんは途中で帰って行くし、極めつけ、H大夫「大阪マンボ」を聞いて解散)この不思議な宴会で、「月の法善寺横丁」を真っ向から歌える人に出会った。期待どおりの、歌える人だった。科白も完璧、諳んじて、他の人の歌っている最中にアカペラで1番と科白のところまで耳元で聞かせてもらった。帰りに別れ際もう一度。「こんなことで納得していただけましたでしょうか」。

わあ、こんなことで幸せになるのも、変かもしれないけれど、幸せでした。桂米左さんありがとう。

data:「月の法善寺横丁」
   作詞 十二村哲・作曲 飯田景応 唄 藤島桓夫
   桂米左独演会:2006年4月29日決定! 
   藤山寛美展:大阪そごう心斎橋本店14階ギャラリー
   12月27日〜2006年1月9日開催
   『関西文学散歩』:日本放送出版協会・刊 NHKブックス12 1964 岡部伊都子著ほか、「夫婦善哉」田中阿里子さんの法善寺横丁の文章がある挿入写真は当時のもの。
houzenji1228

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2005年12月24日 (土)

サザンの子

「私や僕はブログに登場しないの」と言われて、無理矢理紹介している訳ではないが、私には、一人娘がいて、その娘の名前をつける時、お月さまが好きで、月子だったら怒られたかもしれないが、月が二つの朋子と名付けた。今では女の子の名前に○○子など、子のついた名前はない。そらか、せりな、きょうか、とわ、ありさ、れいか、まりな、なほ、しづき、めい、りな。
私には2歳年下の妹がいて、その妹に一人息子がいて、甥は大学生になって、いま親元を離れ、東京で一人暮らしをしている。
従姉弟同士になる二人が小さな頃は、並んで、お昼寝などをしていると、本当に従姉弟は、こんなによく似るものかとおもうくらい、顔の輪郭や肌の色、頭の形まで似ていた。その娘も三十路に